紅井すぐりと桑野はぐみ

桜樹璃音

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九月、出逢った日の事、文化祭

第3話

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 初めてはぐみに逢った時は、本当にただの気まぐれだった。



「すぐり君、こっち!」

「ゆーちゃん、待って」



 その時一緒にいた女の子に引っ張られて俺は屋上へ連れて来られていた。雨が降っていた。あっという間に俺は空からの涙で濡れる。

 育美がこの世界から居なくなってしまってから、俺にとっての大事な物はひとつも無くなってしまった。

 その虚無感と喪失感に、耐える事なんて、到底出来なかった。

 けれど、もう二度と、彼女と同じくらいの大切なものをつくれるだなんて奇跡は起こらないと知っていた。

 そんな時、偶然パーティに出た。そこで寄って来た女と一晩を共にした。一ミリも大事じゃない人間を抱く事は、とても虚しかった。けれど、酷く必要とされている感覚がして、そうして、生きている実感があった。

 気づく。大事な物など作らなくても、こうやっていれば、ほんの少しだけ、喪失感が薄れて、生きていられるという事に。

 この名前をチラつかせれば、猫なで声で寄ってくる女なんて、そこら中に落ちていた。

 自分よりも凄い人間を好きになることで、自分の価値を上げたい人間なんて、呆れるほどに居た。そいつらは、俺の名前に乗っかる事で、世界に自分が認められた気になって、自分が世界を踏み台にしている気になっていたのだろう。

 なんて頭の腐った人間だろう。けれど、世の中に腐るほど居るのは、そういう汚い人間ばかりなのだ。

 それを利用しない手は無かった。上から下まで、俺に飼われたいと望む女を次々と自分のものにして来た。

 けれど、そいつらはあろうことか、俺に向かって愛情を抱く事が在った。

 今回も、そうだった。



「すぐり君のことが、……好きです」



 目の前のツインテールの彼女は、頬を赤らめて俺に向かってそう言う。またか、と思った。

 俺は、自分に向けられる愛情が怖かった。腐った人間だったとしても、ずっと変わらずに愛情を向けられていたら、いつか好きになってしまうかもしれない。

 もう二度と、大事な物が無くなる事に耐えられる自信なんてどこにも落ちていなかった。だから俺は、決して、好きな人は作りたくなかった。

 俺は、俺が閉じ込めて置ける女が一番都合が良かったのだ。

 だから、女たちが愛情を抱いた瞬間に、もう、その女とは関りを持たない様にしていた。



「もういらない。バイバイ」



 俺に追いすがってくるその小さな腕を振り払う。誰がお前の事、大事になんか思うかよ。

 俺という存在じゃなくて、俺の名前が欲しくて近づいて来た癖に。



「すぐり君……っ」

「もうその名前も呼ばないで。俺はもう、君にとってはただの紅井だから」



 そう言えば、泣き出したその女は、バタバタと去っていく。次の女を探さなきゃな、と頭の片隅で思いながら空を見た。

 育美のことが脳裏を過った。

 育美は、今の俺を見たら、幻滅するのかな。それとも、また名前を呼んでくれるかな。



「…………」



 そうして、名前を呼び合うのはやっぱり彼女が良いと思った。

 誤魔化すように、ああ、雨が降っているな、と考えた。そんな俺の耳に、カツン、とローファーの高い音が聴こえた。

 そちらに目線をやれば、そこには白いコンクリートの縁から足を下ろそうとするはぐみが居た。

 彼女は、その真っ黒な髪を濡らして、その制服ごと雨に打たれて、今にも消えてしまいそうな様子で佇んでいた。



「……私の事、汚してくれない?」



 近づいていけばぼろりと落とされた彼女の言葉。それに、目を見開いた。

 俺にそれ言う? と思って、俺の事、知ってるのかな、と思った。

 その言葉の真意を問えば、自分でも良く分からないようで、首を傾げて言う。



「生きてる感覚が欲しいから?」



 その言葉に同じ匂いを感じ取って、ぐっと華奢な腕を引っ張って、彼女を自分の腕の中に閉じ込めた。



「汚されるって、意味わかって言ってる?」

「知らない。だから教えて」

「っ、……何、面白いじゃん」



 久しぶりに、面白い人間に出逢った、と思った。キスを落としただけで、彼女は息を上げる。その様子に、身体の中心がぞくり、と反応した。だから、彼女に契約を持ち掛けた。

 死のうとしていた彼女ならば、愛情を抱くなんてヘマはしないだろうと思った。



「俺と契約しない?」



 そう言えば、彼女は潤んだ瞳で俺の事を見上げて、言った。



「私が死なないように、見張って」



 驚いた。俺の言葉に条件を付けてきたのは、彼女が初めてだった。やっぱり彼女は、俺の事を知らないのかもしれない、と脳みその端っこで、そう思った。



「俺の事、好きになったら、終わりだから」



 いつも通りに、もう何度目か分からないその台詞を口にのせた。






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