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九月、出逢った日の事、文化祭
第1話
しおりを挟むカナカナカナカナ、と蜩がどこか遠くで鳴いている声がした。まだ生温かいけれど、秋の匂いを孕んだ風が目の前でシャーペンを走らせる彼女と俺の間を通り過ぎた。
また、今年も、この季節がやって来た。
君のいない、この季節が。
キーンコーンカーンコーン、とあのメロディが鳴る。未だ俺は、君の呪いに縛られている。
「すぐり?」
そう言ったはぐみにハッと意識を戻せば、彼女は俺の目の前で帰る支度を終えて、そうして立っていた。
「如何したの」
「別に? はぐは今日も可愛いなって」
戯言を落とせば、彼女は困った様に笑った。
はぐみの告白を聞いてから、早半月。俺たちは未だにこの名前の付けられない関係を続けている。俺の未練が、そうさせている。何とも情けないけれど、仕方がない。
「帰るわよ」
「待って」
すっと立ってドアノブに手を掛けたはぐみの唇に噛み付いた。ぴくん、とひとつ震えて、彼女は俺の唇を受け入れる。小さなリップ音を立てて離れた唇は夕陽に照らされて酷く美しい。
この唇は、まだ、俺の物だ。そう思って小さく乾いた笑いが零れた。
「もう直ぐ、文化祭ね」
「あー、そうだね」
そう言った真面目なはぐみは、どうせ、生徒会の仕事の事を考えているのだろう。あの日、俺の前で愚痴を零した檻の中のはぐみはもう何処にもいなかった。受験勉強と生徒会の仕事を上手く両立して、そうして、すぐに模試の点数も復活させていた。
もう俺の存在は、彼女にとって、必要ないはずだった。
けれど、彼女は、不思議と毎日この巣窟へと足を運んできた。だから、俺はいつも通りに彼女に世界との境界を教え込む。
その姿を見ていて、如何してそんなに他人の言いなりになっても腹が立たないのか、と不思議に思った。
「……はぐ」
名を、呼んだ。
「何?」
くるりと振り返って俺を見上げる。その長い睫毛の中にある漆黒が、俺の顔を映す。
「……はぐは、何で、綺麗なの?」
漠然とした問いが唇から零れ落ちた。吃驚した様に目を見開く彼女に焦って誤魔化す様な笑みを貼り付けた。
「……綺麗じゃないわよ。だって今でも、時々、前みたいに、嫌になるもの」
“私を汚して”
初めて逢った時にそう言っていた彼女は、今ではすっかり為りを潜めている様に思えたけれど、そうでは無いらしい。
「……でも、……それも、自分の為に頑張っているんだ、って、そう思えたから」
すぐりのお蔭よ、と小さく笑った彼女は、やっぱり美しくて、そうして、俺には酷く眩しかった。
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