紅井すぐりと桑野はぐみ

桜樹璃音

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九月、消えたい、過去

第7話

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 身体中からたくさんの管が伸びていた。あるものは液体のパックに、あるものは電子機器に繋がっていた。

 まるで彼女をこの世界に絡めて留めておくための糸の様に彼女は雁字搦めに包帯に縛られていた。



「お見舞いですよ」

「……だ、れ、……」



 聴こえて来た声に目を見張った。酷くしゃがれていて、まるで彼女のものじゃないようだった。

 けれど、その包帯の隙間から僅かに見える瞳は、確かに彼女のもので、どくん、と心臓が痛い程に脈打って、止まらなかった。



「すぐ、り……?」

「育美、……如何したんだよ」

「んー、やっちゃった……」



 そう言って笑おうとした。けれど、彼女を縛る包帯やチューブが、それを許してくれなかった。彼女はそれらが無ければ、もうこの世界に生を留めておくことは出来ないのだ、と悟った。



「……馬鹿」

「昨日言ったわね。私が死んでも、死なないって」

「……っ」

「私に、嫌われなかったら、死なないって」

「……言った」



 それが何だよ、言い返そうと思った。けれど、次に聞こえて来た言葉に、溢れたのは涙の方が先だった。



「……私、すぐりと一緒に居れて、しあわせだったわ」

「っ」

「不思議ね。私達にはしあわせなんて、無いと思っていたのに」



 普段ならそこで、けらけらと笑う声が聴こえて来た筈だった。けれど、彼女は、もうそれを零す事は出来ない。



「憶えてる? ずいぶん前に、歌ったじゃない。あの日の私達に教えてあげたいわね」



 痛そうに、苦しそうに、けれど懸命に、言葉を零す彼女を、ただ、涙を落としながら、見ていることしか出来なかった。



「……そういう時間を、しあわせ、って呼ぶのよ、って」



 その通りだった。俺は、彼女から、たくさんのしあわせを教えてもらった。

 お互いに名前を呼び合う事。知っている歌を一緒に歌う事。共にお互いの熱を分け合う事。笑う事、泣く事、抱き締める事。

 全部、ぜんぶ、それは、俺たちの、俺たちだけの、しあわせだった。

 言いたい事がたくさんあった。伝えたいことも、星の数ほどあった。

 俺のポンコツな脳みそは、目の前の彼女に掛ける言葉を、必死で探している。けれどひとつも出て来ない。



「……私、すぐりと一緒に生きる事は出来ないから、せめて、一緒に死にたかったなぁ」



 一緒に年を取って、貴方の子どもの面倒を見て、そうして、一緒に死ぬの。

 それも悪くないわね、といった彼女の声は、もう切れ切れで、酷くか細い。



「ねぇ、すぐり」

「何、……育美」

「私の事、優しいって言ったわね」

「……言ったよ、それが如何したっていうの、育美はいつも、優しいじゃんか」

「……優しくなんて、無いわ」



 だって、私は、貴方に呪いをかけようとしているもの。

 そう言ってその瞳を潤ませる。



「……何、呪いって」



 彼女から与えられたものが、呪いになんてなるはずが無い。だっていつだって、彼女は俺に、しあわせをくれたのだから。



「……優しくないから、言うわね」



 途切れそうな小さい声で、彼女は言う。









「――……すきよ、すぐり」








 それは、俺を、世界へ縛り付ける、酷く優しい、呪いの言葉だった。







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