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八月、正解、禁断の言葉
第5話
しおりを挟む嬉しくて泣きたくなって、けれど、悔しくて泣きたくなくて、そっと深く息を吸った。すぐりの香りが鼻に入って来た。
その鼻腔を掠めた薫りが、涙腺を刺激する。
だから私は、目線を外してソファの方を向いた。そこには、食べかけのポテトチップスの袋と、あの祭りの日、二人で飲んだのとまったく同じサイダーの缶が置いてあった。
「あ、サイダー? 俺これ気に入ったんだよね」
私の視線を追って、そう言ったすぐりは、サイダーの缶を手に取ろうとした。
その細いけれど筋肉質の腕や長くて綺麗な指を目に入れた瞬間、ぎゅっと心が痛くなって、やっぱり私はすぐりがすきなんだ、と思って、
そうして、
あ、泣く、
と思った。
穏やかに落ち着いていた海が、いきなり波打ち始めて、じわり、と世界が歪んだ。
あっという間に瞳に幕を張った感情は、睫毛を超えて溢れ出す。嗚咽が、喉をこじ開けて飛び出す。
「……っ、ふ……」
「え、はぐ?」
ぼろぼろと頬に涙を零して子どもの様に泣く私を見て、すぐりは驚いたような声を上げる。伸ばされた腕が洗い晒しの頭にのってすっと黒髪を梳く。そのぬくもりに言葉が切れ切れに落ちてくる。
「わた、し……、正解が、分からなかった……っ」
「え、」
「な、にも………っ、何も、無くて、……っ」
正解だけを選んで生きて来た。けれど、それは、すぐりの言う通り自分で決めた正解ではなかった。
周りの大人とか、世間とか、誰かが決めた正解だった。全てを他人の物差しで見て来た私が、自分の物差しなど手にしている訳が無かった。
「そんな自分が嫌で、馬鹿馬鹿しくなって……っ」
泣きながら支離滅裂に、それでも感情を吐き出す私の頭を撫で続ける彼は、そっと私のぐちゃぐちゃの泣き顔を覗き込む。そして、その唇から言葉が落ちてくる。
「……だから、あの日、死のうとしてたの?」
すぐりが真っ直ぐに、私を見つめてそう言った。その言葉に震える喉で息を呑んだ。ごくり、と音が鳴った。無言で頷いた。もう一粒、涙が頬を流れた。
「そっかぁ、はぐが汚して、って言ったのは、そういう事か。全部が嫌になってた訳ね」
ははっと笑ったすぐりは、私の頭から手を放す。ゆるりと離れていく熱に少しだけ怖くなった。臆病者の私が首を擡げて来ない様に、ぎゅっと唇を噛み締めた。
「だから死なないように、見張って、だったのかぁ。なるほどねー」
「……すぐり?」
「んーん、はぐはいい子だなぁって」
そう言った彼は、私の腕を掴んでそのまま引っ張る。引き寄せられた私は、すっぽりとすぐりの腕の中に納まった。
そのまま、そっと抱き締められる。
与えられた温もりに、小さな子どもみたいに、縋りついてしまいたかった。そうして、泣き喚いてしまいたかった。
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