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八月、正解、禁断の言葉
第2話
しおりを挟む夏休みは、7月20日から8月31日。その期間で、私はこの気持ちにけりをつけなくてはいけなかった。
けれど、今のところそんな事が出来る気配は一切見られなかった。ふとした時に、いつも私の脳裏を占拠しているのは、あの美しい彫刻の様な悪魔だった。
彼を諦める事の正しさと彼を好きでいる事の間違いが、自分の中で戦っていた。
お風呂の中、布団の中、通学中、ずっとそんな状態で、勉強に集中など出来る訳が無かった。
けれど、私は、我慢した。
正解に修正できるように、何度も何度も浮き上がってくる想いを、修正液で覆い隠した。
そんな私に、神様は、遂に裁きを下した。
果たしてその裁きは、戒めか、それとも。
8月の半ば。世間はお盆休みで、普段忙しい父親も母親も家にいるある日の夕食後。
「……はぐみ、何だ、この成績は」
ぺらり、とデータがひたすらに並んでいるA4の紙を、父親が机に叩きつけた。そんな事をしても、並んでいるCやDやEの文字がAに変わる事などないのに。
可哀想に、叩きつけられた模試の成績は、角がひしゃげて皺になった。
「何って……今の私の成績よ」
「この成績は何だ、と訊いているんだ」
飄々とした私の態度が気に食わないのだろう、父親はその太い眉毛を上にあげて声を荒げた。母親は我関せずで、台所で洗い物をしている。水が流れる音と、食器が触れ合う音が響いている。
「こんな成績で、どの大学に行けるって言うんだ?」
「……大丈夫よ、もう、分かっているから」
だから、ちゃんと。
不正解から、離れようとしているじゃない。
「分かってたらこんな成績にならないだろう?」
「うるさいな」
「はぐみ!」
初めて父親にうるさいと言った。そうしたら、バシン、と頬を打たれた。じん、と熱を持つ。痛みで生理的な涙がじわりと目じりに滲んだ。
何故、こんなにも、頑張っているのに。
如何して、こんなにも、我慢しているのに。
本物の私を、誰も、見つけてくれないのだろう。
それを皮切りにして、ぼろぼろと感情が口から飛び出す。
「……ねぇ、お父さん。私は何の為に、勉強しているの」
そう問えば、はぁ、と酷く面倒くさそうに溜息を一つ零した父親は、当たり前の様に言う。
「お前はいい大学に行って、良い企業に就職して、立派に独り立ちする為に頑張っているんだろうが」
「その先は?」
「は?」
「……立派に独り立ちしたその先には、何が待ってるっていうの?」
教科書をいくら読んでも、分からなかった。私が、勉強を頑張らなくてはならない理由が。
「大企業の人と結婚して子どもをつくって、そして、お金に苦労せずに生活するの?」
どの先生にも、教えてもらえなかった。私が、立派に独り立ちしなくてはいけない理由を。
「その為に、今、大事な事を全部諦めて、そうして、頑張れって……そう言っているの?」
幾ら独りで考えても、納得できなかった。
私が、初めて自分の胸に抱くことが出来たこの大事な想いを、諦めなくてはならない事が。
「そんな事が、人生の“正解”なの?」
絶句した父親に向かって、言葉を吐き捨てた。
「そんな正解なら、私は、――……要らない。反吐が、出るわ」
「はぐみ!」
そうよ。要らない。そんなの、要らない。
私に必要なのは、―――――、
浮かんだ貴方に感情が睫毛を越えて転がった。一度堰を切った涙は、溢れて零れて止まらなくなった。
リビングのドアを大きな音を立てて閉めて、玄関でサンダルをつっかけて、靴箱の上に常備してある定期だけを掴んで、家を飛び出した。
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