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七月、創造主、不正解
第5話
しおりを挟むそうして、そのまま私はすぐりと共に大きな車に乗り込んだ。
まるで物語の中にしか出て来ない様な黒いスーツに白手袋をした運転手の人がいて、車の扉を開く人がいて、そして、行きついた先には豪邸があって、荷物すら持たずにずらりと使用人が並んで迎えてくれた大きな長いカーペットの上をすぐりに手を引かれながら歩いた。
「すぐり様、本日の御夕飯はいかがいたしましょうか」
「あー、どうしよっかな……、はぐ、食べたいものある?」
「……え、と」
こんな場所に来るのも、誰かほかの人の家に泊まるのも、何もかもが初めてだった。
だから私は、何も分からなかった。如何振る舞えば良いのかも、何を言えば正解なのかも。
「何でも、食べれます……」
私が導き出した正解は酷く平凡な言葉。勿論嘘ではない。
好き嫌いもないし、なんでも食べれる。そう有る事が、“正しい”から。
私の意図をくみ取ったように曖昧に笑ったすぐりは当たり前に指示を出した。
「そう、じゃあ今日はハンバーグ。デミグラスで」
「畏まりました」
「はぐ、部屋行こう」
お辞儀をした使用人を無視して彼は私の手を引く。引かれるままにその背を追う。
白い大きな扉を開いた先には、豪奢な天蓋付きのベッドがあるだけの部屋だった。淡く灯ったランプの仄暗さが、妖艶だった。夕闇が開かれた窓から侵入して、カーテンを揺らす。しっとりとした梅雨の空気が、部屋に満ちる。
「やっと二人きりだね」
ベッドの端に腰かけたすぐりは、大きくその両腕を広げる。
「はぐ、おいで」
私にはそこに飛び込むことしか選択肢は残されていない。だからそれが、正解。
そっとすぐりに近づいた。腕がふわりと私の腰に回る。胸のあたりに、ふわふわの蜂蜜色の髪があった。
無意識のうちに指を伸ばして、触れていた。そっと掻き混ぜる様に撫でる。指にふわふわと絡みつく。
「……きもちい」
目を伏せて、私の腕の中でそう言った彼はそっと笑う。こうしていれば、すぐりはただの少年だった。
ゆるゆると無言で撫で続ければ、突然、彼はぎゅっと私に回した腕に力を込めて、私を抱き寄せる。
「すぐ、」
「……はぐみ」
「っ」
行き成り名前を呼ばれて、目を見張る。どくり、と心臓が震える。彼に聞こえてしまわなかっただろうか。
「はぐみ」
動揺する私に気づいているのかいないのか、けれど彼はまた、私の名を呼んだ。繰り返し、ひとつずつの音を大切に、何度も。
胸のあたりで落とされる切ない声の輪郭に、ぎゅっと胸が痛くなった。如何してかは分からないけれど、酷く泣きたくなった。それ程に、彼の醸し出す色は、とても哀しくて。
「如何したの、……すぐり、」
名前を呼ぶか迷ったけれど、疑問を口にのせればぎゅっと強張る彼の身体。頭を撫でている手の動きを止めれば、彼は私の胸に埋めていた顔を上げてその瞳を揺らして私を見つめた。
「っ、何、はぐ」
「……何だか、……辛そう、よ?」
驚いたように目を見張って、そして、すぐりは口元を弛めて笑った。
私は知っていた。人間は心の内を隠す為に口元に笑みを貼り付ける。そんな動作は私も散々今までして来た事だった。
まるで誤魔化すように貼り付けられた口角の下がった笑みは、酷く冷たくて、哀しい。
そういう時、私は、いつも、独りになりたかった。
独りなら、どんなに感情を露わにしても誰も分からない。感情を表に出す桑野はぐみを知っている人がいないなら、それならば、そんな私は居ないのも同じだったから。
だから、目を瞑った。そして、言う。
「……私、今、……何も見えないわ」
「え、……はぐ?」
「すぐり、……今、貴方は、独りよ」
そう言って、ただ、指に絡まる髪をゆるりと梳いた。そのままその頭をそっと抱き寄せる。すぐりの額が私の肩に優しくぶつかった。
すぐりは驚いたようにひとつ吐息を零して、私の名を呼んだ。
「……はぐ、み……」
その音を最後に、沈黙が落ちた。それはただ、凪だった。静寂が聴こえるようだった。
ジワリとあたたかな透明な感情が、私のワイシャツに沁み込んでいく。
正解が分からない私は、ただ、涙を零すすぐりの頭をそっと抱き締めていた。
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