紅井すぐりと桑野はぐみ

桜樹璃音

文字の大きさ
上 下
21 / 90
七月、創造主、不正解

第5話

しおりを挟む


 そうして、そのまま私はすぐりと共に大きな車に乗り込んだ。

 まるで物語の中にしか出て来ない様な黒いスーツに白手袋をした運転手の人がいて、車の扉を開く人がいて、そして、行きついた先には豪邸があって、荷物すら持たずにずらりと使用人が並んで迎えてくれた大きな長いカーペットの上をすぐりに手を引かれながら歩いた。



「すぐり様、本日の御夕飯はいかがいたしましょうか」

「あー、どうしよっかな……、はぐ、食べたいものある?」

「……え、と」



 こんな場所に来るのも、誰かほかの人の家に泊まるのも、何もかもが初めてだった。

 だから私は、何も分からなかった。如何振る舞えば良いのかも、何を言えば正解なのかも。



「何でも、食べれます……」



 私が導き出した正解は酷く平凡な言葉。勿論嘘ではない。

 好き嫌いもないし、なんでも食べれる。そう有る事が、“正しい”から。

 私の意図をくみ取ったように曖昧に笑ったすぐりは当たり前に指示を出した。



「そう、じゃあ今日はハンバーグ。デミグラスで」

「畏まりました」

「はぐ、部屋行こう」



 お辞儀をした使用人を無視して彼は私の手を引く。引かれるままにその背を追う。

 白い大きな扉を開いた先には、豪奢な天蓋付きのベッドがあるだけの部屋だった。淡く灯ったランプの仄暗さが、妖艶だった。夕闇が開かれた窓から侵入して、カーテンを揺らす。しっとりとした梅雨の空気が、部屋に満ちる。



「やっと二人きりだね」



 ベッドの端に腰かけたすぐりは、大きくその両腕を広げる。



「はぐ、おいで」



 私にはそこに飛び込むことしか選択肢は残されていない。だからそれが、正解。

 そっとすぐりに近づいた。腕がふわりと私の腰に回る。胸のあたりに、ふわふわの蜂蜜色の髪があった。

 無意識のうちに指を伸ばして、触れていた。そっと掻き混ぜる様に撫でる。指にふわふわと絡みつく。




「……きもちい」



 目を伏せて、私の腕の中でそう言った彼はそっと笑う。こうしていれば、すぐりはただの少年だった。

 ゆるゆると無言で撫で続ければ、突然、彼はぎゅっと私に回した腕に力を込めて、私を抱き寄せる。



「すぐ、」

「……はぐみ」

「っ」



 行き成り名前を呼ばれて、目を見張る。どくり、と心臓が震える。彼に聞こえてしまわなかっただろうか。



「はぐみ」



 動揺する私に気づいているのかいないのか、けれど彼はまた、私の名を呼んだ。繰り返し、ひとつずつの音を大切に、何度も。

 胸のあたりで落とされる切ない声の輪郭に、ぎゅっと胸が痛くなった。如何してかは分からないけれど、酷く泣きたくなった。それ程に、彼の醸し出す色は、とても哀しくて。



「如何したの、……すぐり、」



 名前を呼ぶか迷ったけれど、疑問を口にのせればぎゅっと強張る彼の身体。頭を撫でている手の動きを止めれば、彼は私の胸に埋めていた顔を上げてその瞳を揺らして私を見つめた。



「っ、何、はぐ」

「……何だか、……辛そう、よ?」



 驚いたように目を見張って、そして、すぐりは口元を弛めて笑った。

 私は知っていた。人間は心の内を隠す為に口元に笑みを貼り付ける。そんな動作は私も散々今までして来た事だった。

 まるで誤魔化すように貼り付けられた口角の下がった笑みは、酷く冷たくて、哀しい。

 そういう時、私は、いつも、独りになりたかった。

 独りなら、どんなに感情を露わにしても誰も分からない。感情を表に出す桑野はぐみを知っている人がいないなら、それならば、そんな私は居ないのも同じだったから。

 だから、目を瞑った。そして、言う。



「……私、今、……何も見えないわ」

「え、……はぐ?」

「すぐり、……今、貴方は、独りよ」



 そう言って、ただ、指に絡まる髪をゆるりと梳いた。そのままその頭をそっと抱き寄せる。すぐりの額が私の肩に優しくぶつかった。

 すぐりは驚いたようにひとつ吐息を零して、私の名を呼んだ。



「……はぐ、み……」



 その音を最後に、沈黙が落ちた。それはただ、凪だった。静寂が聴こえるようだった。

 ジワリとあたたかな透明な感情が、私のワイシャツに沁み込んでいく。

 正解が分からない私は、ただ、涙を零すすぐりの頭をそっと抱き締めていた。


















しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

その時、私有明はー

睦月遥
現代文学
主人公有明(うみょう)が様々な姿になり物語を紡いでいきます。 基本一話完結なのでどの話から読んで頂いても楽しめます。 AI小説です

自称未来の妻なヤンデレ転校生に振り回された挙句、最終的に責任を取らされる話

水島紗鳥
青春
成績優秀でスポーツ万能な男子高校生の黒月拓馬は、学校では常に1人だった。 そんなハイスペックぼっちな拓馬の前に未来の妻を自称する日英ハーフの美少女転校生、十六夜アリスが現れた事で平穏だった日常生活が激変する。 凄まじくヤンデレなアリスは拓馬を自分だけの物にするためにありとあらゆる手段を取り、どんどん外堀を埋めていく。 「なあ、サインと判子欲しいって渡された紙が記入済婚姻届なのは気のせいか?」 「気にしない気にしない」 「いや、気にするに決まってるだろ」 ヤンデレなアリスから完全にロックオンされてしまった拓馬の運命はいかに……?(なお、もう一生逃げられない模様) 表紙はイラストレーターの谷川犬兎様に描いていただきました。 小説投稿サイトでの利用許可を頂いております。

GIVEN〜与えられた者〜

菅田刈乃
青春
囲碁棋士になった女の子が『どこでもドア』を作るまでの話。

乙男女じぇねれーしょん

ムラハチ
青春
 見知らぬ街でセーラー服を着るはめになったほぼニートのおじさんが、『乙男女《おつとめ》じぇねれーしょん』というアイドルグループに加入し、神戸を舞台に事件に巻き込まれながらトップアイドルを目指す青春群像劇! 怪しいおじさん達の周りで巻き起こる少女誘拐事件、そして消えた3億円の行方は……。 小説家になろうは現在休止中。

ヤマネ姫の幸福論

ふくろう
青春
秋の長野行き中央本線、特急あずさの座席に座る一組の男女。 一見、恋人同士に見えるが、これが最初で最後の二人の旅行になるかもしれない。 彼らは霧ヶ峰高原に、「森の妖精」と呼ばれる小動物の棲み家を訪ね、夢のように楽しい二日間を過ごす。 しかし、運命の時は、刻一刻と迫っていた。 主人公達の恋の行方、霧ヶ峰の生き物のお話に添えて、世界中で愛されてきた好編「幸福論」を交え、お読みいただける方に、少しでも清々しく、優しい気持ちになっていただけますよう、精一杯、書いてます! どうぞ、よろしくお願いいたします!

切り札の男

古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。 ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。 理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。 そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。 その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。 彼はその挑発に乗ってしまうが…… 小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。

Missing you

廣瀬純一
青春
突然消えた彼女を探しに山口県に訪れた伊東達也が自転車で県内の各市を巡り様々な体験や不思議な体験をする話

コロッケを待ちながら

先川(あくと)
青春
放課後の女子高生。 精肉店でコロッケを買い食いする。 コロッケが揚がる間に交わされる何気ない会話から青春は加速していく。

処理中です...