紅井すぐりと桑野はぐみ

桜樹璃音

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六月、世界との境界、選挙

第1話

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 あの邂逅から数日後。紅井すぐりからは何も無かった。まるであの雨の中の行為は私が創り出してしまった夢だったかの様に、いつも通りの平凡な日々を過ごしていた。



「桑野、生徒会選挙の資料準備できたか?」



 そう私に尋ねたのは、顧問兼担任。生徒会選挙は明日、顧問が早く確認したい気持ちも分からない訳ではない。

 だがしかし。

 聞かれるのは別に構わないのだけれど、頼むから授業中に私だけに質問をしてくるのはやめて欲しい。何故授業中じゃなくてはいけないのか、疑問でならない。

 ただでさえ、この人が顧問の所為で、女子生徒たちから睨まれる事も少なくないっていうのに、この人は何も考えずにこうやって発言して、私の目立たないようにしている努力を全て無に帰すのだ。



「……出来てます」

「昼休み確認するから持ってきて」



 あーあ、女子の視線が痛い。男子の好奇の視線も感じる。馬鹿みたい。

 先生と生徒? そんなリスキーな恋愛したって何も得られるものは無い。敵がいすぎる恋愛は、するのも続けるのも疲れる事間違いなし。

 そんなハイリスクノーリターンの行為はしないほうがましだって、みんな知っている。現実ではできっこないんだから、あんなに禁断の恋を元にした漫画や物語や映画がちやほやされるのだ。夢見るのは勝手だけど、私をその対象にしないで欲しい。



「はい」



 イライラする感情を全部喉の下に押し込めてごくりと飲み込む。そしてまた、授業は流れるように再開する。

 窓から外を見た。今日も、雨が降っている。

 やっぱりあの日のあれは、この雨が見せた夢だったのだわ。そう思って、シャーペンの芯をカチカチと押し出した。

 押しすぎて、折れる。プリントの上を滑って、机の下に自由落下した。

 拾おうと身をかがめる。指先がシャーペンの芯を探り当てた時、自分がはいている上履きの赤のラインが目に入った。

 この学校は、学年の色で上履きのラインが違う。

 3年は赤。2年は緑。そして1年は青。

 青じゃなくて黄色なら信号みたいになったのにな、なんて思った。

 刹那、教室の扉ががらりと開く。

 クラスメイトの首がまるでマリオネットの様に一斉にそちらを振り返る。先生も黒板を書く手を止めて、そちらを見ていた。

 授業が再度停止する。また進まない。

 その事実にイライラが募った。どうせ誰か遅刻してきたんでしょ、と高をくくって前を向き続けていた私に、その声は言う。



「はぐ」

「……!?」



 驚いて振り返った。

 そこには、蜂蜜色の髪を揺らしながら、微笑みを見せる紅井すぐりがいた。

 驚いて声が出なかった。息をする事も忘れる。



「このクラスだったんだね? 見つけるまで時間かかっちゃったよ」



 彼はそっと笑いながら、そう言ってずかずかと授業中の教室に侵入する。唖然とする先生も、クラスメイトも、一言も発しない。

 しん、と沈黙が落ちる中、彼の上履きはきゅっと音を立てて私のすぐ横で立ち止まる。足元を見た。

 上履きのラインの色は、――……青。



「はーぐ」



 その瞳に絡め捕られた視線から溢れたこの間の記憶が、肌に熱を灯す。じわり、とうずく身体にぎゅっと唇を噛み締めた。

 何、この人、今は授業中よ?
 何でこんなに自由に闊歩できるの。



「……授業中、だけど」



 如何にか喉から声を押し出せば、くくっと笑われた。色素の薄い瞳が細く歪む。長い睫毛がその瞳に影を落とす。

 けれど彼は、いきなり方向転換をして、先生のところへ歩みを進める。




「せーんせ」

「紅井、お前、」

「何、その言葉遣い」



 冷たくそう言った紅井すぐりは、目を見張った爽やかイケメンの強張った顔の横にそっと唇を寄せて、何かを呟いた。

 途端に、先生の眉根がぐにゃりと曲がる。困惑した表情で、私を見る。

 何、何なの。その視線に、嫌な予感がした。

 困った、こういう時の私の予感は、外れたことが無い。

 何も出来ずにざわつき始めたクラスメイトの影に必死で隠れようとした。けれど、悪魔の様に笑った彼は、再び私の横で足を止める。



「はぐ、行こ」

「え」

「先生も行って来ていいって。ね?」



 その言葉に、驚いて先生を見る。いつでも自信たっぷりに笑顔を炸裂させている覇気は見る影もなく、迷う様に瞳を揺らして私を見つめて、無言で頷いた。

 彼の表情に、何処か保身の色が見えた。自分の身は自分で護れってことなんだ、と悟る。



「何で、私授業受けたいんだけど」

「駄目、行くよ」



 問答無用で掴まれた腕。痛みが走って顔を顰める。けれどその手の力が弱まる事は無い。



「痛い、」

「うるさいなぁ、早くしてよ」



 再度静まり返った教室内で、私が引きずられていく音だけが響く。

 誰も声を発しない――……違う。発することが出来ないのだ。



 それ程までに、私の腕を掴んで離さないこの男の纏っている空気は、酷く美しくて、けれど色濃く異質なものだった。








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