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02:アッチェレランド:だんだん速く
11−3 頭から突っ込め
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「はい、はい」
囁くように、だがしっかりとした声で男が肯定した。「そうです、僕はただ、ただ……そうです、お二人を尊敬していて、あの二人が上手くいってほしいと思っていただけなんです」
「君の気持ちはわかるよ、俺は俺でその気持ちがあった」
「ああ、」
「だが俺が親友のウィンターに肩入れして関わってしまったのがいけなかったんだ。タゴン氏とウィンターが上手くやっていこうとするには、俺や君が想像するよりずっと長い時間が必要だったんだろう」ケヴィンは男の頭にパーカーのフードを被せた。「そしてその努力をする時間を俺が奪ってしまった、ウィンターは慣れない結婚生活の先にある素晴らしい未来じゃなく、目の前にある友人との気楽な生活を選んでしまった。愚かな選択だ。こうして君のような心優しい……」
ケヴィンは一瞬言葉を切り、気の毒そうな表情を男へ向けた。シャッターを切るように顔の動きを変える。その数秒で頭は七回転し、適当な言葉を見つけた。「——心優しい“家族“を、傷つけてしまったのだから。しかし不幸中の幸いと言うべきか、俺は丈夫な体をしていたし、俺は君の優しさを知ってる。君は確かに悪いことをしたかもしれないが、君自身は悪人じゃない。それでいいんだ。問題は全て解決した、あとは君が吹っ切れるだけだ」
男はもう隠す素振りもなく涙を流して頷いていた。流石に異常に気づいたのか、周囲で666の生ライブを期待していたスタッフの数名が遠巻きに視線を送ってくる。
そのうちの一人にケヴィンが視線をやると、スタッフは足早に寄って来た。スタッフ同士知り合いというわけでは無いらしいが、同じ局の職員が部外者の真横で嗚咽しているのは見過ごすわけにもいかない——ましてやクイーンズレコードの関係者の前で。
「疲れているようだ」
と、ケヴィンはいつ間にか自分の方が掴まれていた腕を振り払い、そのスタッフへ男を寄り掛からせた。「何も聞かずに休ませてやるといい、何も問題がなくとも、こういう感情の発散が必要な時もある——ああ、それとこれも」
困惑しながらも男をスタジオの外へ連れ出そうとするスタッフへ、ケヴィンは手に持っていたものを差し出した。ICカードの入ったネックホルダー。
厚みのあるカードには、男の名前と所属部署、緊急連絡先まで丁重に印字あるいはメモされている。
「鼻水で濡れているから気をつけて」
引きずるようにスタジオの外へ男が連れ出される。出入り口付近にいた他のスタッフも顔を見合わせていたが、それは長く続かなかった。
溜息。
それはマイクに口づけするような距離にあるミランの唇から漏れた音だった。
続けざまに低いベースが走る。ミランの斜め後ろに立っているドミトリは俯きがちになり、その表情も視線も手元にだけ注がれている。まだステージ上で演奏をしているのは二人だけだ。
原曲はM.E.のもので、彼女たちの曲にまさかこんなに這うような歌い出しのものはないだろう。
「今日もまた日が暮れる 窓際の花瓶が冷える……」
原曲を知らないのはこのスタジオ内でケヴィンだけだった。他のスタッフは皆原曲を知っていて、それは切ない恋人たちの姿を歌ったものだった。アコースティックギターでバラード調に仕上げた曲だが、今ステージ上にアコースティックギターを持っているものはいない。
「君のため、君のためとまるで呪文のよう」
「誰に何を言われたの? 誰に言ってるの?」
「私は何を言ったの? 私に何を言いたいの?」
「私のために何をしたの? 何が貴方のためになるの?」
「さっきからずっと、誰の話をしているの?」
口調は不安げなのに、歌い上げるミランの表情は一貫して怪訝そうだ。そして視線は鋭い。曲調はロックだ。いつの間にかバックバンドが驚くほど激しく腕を振るっている。
「此処に誰がいるの? 誰が見えているの?」
コーラスが入る。Who?と問いかけてくる。
「白々しい温度 軽々しいエンド 美しい幻想ねどれも」
嘲笑するようにミランが歌う。小石を蹴り飛ばすような軽快さを失わない声だが、バントの音に埋もれることなくその先端を走っている。
「私のためと言うなら 今夜は一緒に眠って」
「それ以外のことは 目を覚ましてからでいい——」
立ち位置のせいだとも言えた。真上からこのスタジオ内を見た時、ステージの真正面の位置にケヴィンは立っていた。だからミランが目を開ければ、自然とその直線上にケヴィンが立っている。ただそれはいくつかの偶然による結果でもある。
スタッフが666やM.E.のために置いたテーブルの位置が右が左にずれていれば、その分だけ立ち位置は変わっただろう。あるいはM.E.が勤勉ではなくて、ステージパフォーマンス後だと言うのに足を投げ出すでもなく、ステージ脇から自分達の曲のアレンジを鑑賞していなければ、彼女たちがよりよくくつろぐためにステージ前に点在するスタッフは隅へもっとよっただろう。ケヴィンもまた。
ほとんど睨み合うような視線の衝突は、実際は十数秒となかった。
二番に入る。ミランもまた視線を落として、約十二秒間の間奏に加わる。
ケヴィンは視線をかすかに横へずらした。ドミトリは手元だけを見ている——が、まるで図ったように一瞬顔を上げる。
それに気づいたカメラが一台、向きと角度を変える。ドミトリは一度、ごく短く左目を瞑った。瞬きともとれる一瞬の出来事だった。だからミランが一瞬浮かべた不機嫌そうな眉の動きは、全区電波で放送されることはきっとない。
囁くように、だがしっかりとした声で男が肯定した。「そうです、僕はただ、ただ……そうです、お二人を尊敬していて、あの二人が上手くいってほしいと思っていただけなんです」
「君の気持ちはわかるよ、俺は俺でその気持ちがあった」
「ああ、」
「だが俺が親友のウィンターに肩入れして関わってしまったのがいけなかったんだ。タゴン氏とウィンターが上手くやっていこうとするには、俺や君が想像するよりずっと長い時間が必要だったんだろう」ケヴィンは男の頭にパーカーのフードを被せた。「そしてその努力をする時間を俺が奪ってしまった、ウィンターは慣れない結婚生活の先にある素晴らしい未来じゃなく、目の前にある友人との気楽な生活を選んでしまった。愚かな選択だ。こうして君のような心優しい……」
ケヴィンは一瞬言葉を切り、気の毒そうな表情を男へ向けた。シャッターを切るように顔の動きを変える。その数秒で頭は七回転し、適当な言葉を見つけた。「——心優しい“家族“を、傷つけてしまったのだから。しかし不幸中の幸いと言うべきか、俺は丈夫な体をしていたし、俺は君の優しさを知ってる。君は確かに悪いことをしたかもしれないが、君自身は悪人じゃない。それでいいんだ。問題は全て解決した、あとは君が吹っ切れるだけだ」
男はもう隠す素振りもなく涙を流して頷いていた。流石に異常に気づいたのか、周囲で666の生ライブを期待していたスタッフの数名が遠巻きに視線を送ってくる。
そのうちの一人にケヴィンが視線をやると、スタッフは足早に寄って来た。スタッフ同士知り合いというわけでは無いらしいが、同じ局の職員が部外者の真横で嗚咽しているのは見過ごすわけにもいかない——ましてやクイーンズレコードの関係者の前で。
「疲れているようだ」
と、ケヴィンはいつ間にか自分の方が掴まれていた腕を振り払い、そのスタッフへ男を寄り掛からせた。「何も聞かずに休ませてやるといい、何も問題がなくとも、こういう感情の発散が必要な時もある——ああ、それとこれも」
困惑しながらも男をスタジオの外へ連れ出そうとするスタッフへ、ケヴィンは手に持っていたものを差し出した。ICカードの入ったネックホルダー。
厚みのあるカードには、男の名前と所属部署、緊急連絡先まで丁重に印字あるいはメモされている。
「鼻水で濡れているから気をつけて」
引きずるようにスタジオの外へ男が連れ出される。出入り口付近にいた他のスタッフも顔を見合わせていたが、それは長く続かなかった。
溜息。
それはマイクに口づけするような距離にあるミランの唇から漏れた音だった。
続けざまに低いベースが走る。ミランの斜め後ろに立っているドミトリは俯きがちになり、その表情も視線も手元にだけ注がれている。まだステージ上で演奏をしているのは二人だけだ。
原曲はM.E.のもので、彼女たちの曲にまさかこんなに這うような歌い出しのものはないだろう。
「今日もまた日が暮れる 窓際の花瓶が冷える……」
原曲を知らないのはこのスタジオ内でケヴィンだけだった。他のスタッフは皆原曲を知っていて、それは切ない恋人たちの姿を歌ったものだった。アコースティックギターでバラード調に仕上げた曲だが、今ステージ上にアコースティックギターを持っているものはいない。
「君のため、君のためとまるで呪文のよう」
「誰に何を言われたの? 誰に言ってるの?」
「私は何を言ったの? 私に何を言いたいの?」
「私のために何をしたの? 何が貴方のためになるの?」
「さっきからずっと、誰の話をしているの?」
口調は不安げなのに、歌い上げるミランの表情は一貫して怪訝そうだ。そして視線は鋭い。曲調はロックだ。いつの間にかバックバンドが驚くほど激しく腕を振るっている。
「此処に誰がいるの? 誰が見えているの?」
コーラスが入る。Who?と問いかけてくる。
「白々しい温度 軽々しいエンド 美しい幻想ねどれも」
嘲笑するようにミランが歌う。小石を蹴り飛ばすような軽快さを失わない声だが、バントの音に埋もれることなくその先端を走っている。
「私のためと言うなら 今夜は一緒に眠って」
「それ以外のことは 目を覚ましてからでいい——」
立ち位置のせいだとも言えた。真上からこのスタジオ内を見た時、ステージの真正面の位置にケヴィンは立っていた。だからミランが目を開ければ、自然とその直線上にケヴィンが立っている。ただそれはいくつかの偶然による結果でもある。
スタッフが666やM.E.のために置いたテーブルの位置が右が左にずれていれば、その分だけ立ち位置は変わっただろう。あるいはM.E.が勤勉ではなくて、ステージパフォーマンス後だと言うのに足を投げ出すでもなく、ステージ脇から自分達の曲のアレンジを鑑賞していなければ、彼女たちがよりよくくつろぐためにステージ前に点在するスタッフは隅へもっとよっただろう。ケヴィンもまた。
ほとんど睨み合うような視線の衝突は、実際は十数秒となかった。
二番に入る。ミランもまた視線を落として、約十二秒間の間奏に加わる。
ケヴィンは視線をかすかに横へずらした。ドミトリは手元だけを見ている——が、まるで図ったように一瞬顔を上げる。
それに気づいたカメラが一台、向きと角度を変える。ドミトリは一度、ごく短く左目を瞑った。瞬きともとれる一瞬の出来事だった。だからミランが一瞬浮かべた不機嫌そうな眉の動きは、全区電波で放送されることはきっとない。
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