セーニョまで戻れ

四季山河

文字の大きさ
上 下
33 / 85
02:アッチェレランド:だんだん速く

09−04 最後の賭け

しおりを挟む

 新たなキーワードだ。あるいは、新たな子供の嘘か。
「賭け?」
「あの日は」ミランは視線を壁にやった。何も飾られていない壁へ。「あなたはフロスト区へ行くと言った。俺は行くなと言った。あなたはあの頃やつれていたが、あの日は嘘のように穏やかだったからだ。俺にはそれがひどく不気味だった。でもあなたは何をどう言っても聞かなかった。俺が食い下がって、ようやくあなたは賭けをしようと言った」
 ケヴィンは黙っていた。ミランの言葉が即興の作り話かどうかはまだ判断できなかった。
「もし自分に何かあったら、そんなことは万が一にもないから、俺と付き合う。そしてもし何もなく帰ってきたら、その時は今後一切口を出すな。そしてあなたは事故に遭った」
「証拠は?」
「俺に電話をかけている。事故当日の」ミランは自分の携帯を取り出した。黒い、どこにでも売っていそうな衝撃吸収剤のケースをつけている。「午後八時三十八分」
 ケヴィンの携帯にはそんな発信履歴は無かった。だがその疑問にはミランが答えた。「公衆電話から掛かってきたからそっちの履歴は無いはずだ、あなたは用心深い」
 ミランは携帯をテーブルへ置いた。画面にはビデオフォルダが表示され、そこには一つだけデータがある。画面収録のデータらしく、二十六秒間の携帯の画面と、その間にマイクから発された音声が録音されている。
 ミランは何も言わなかったが、明らかに再生を促していた。
 ケヴィンはゆっくりと椅子から背中を浮かせた。固い布を張っただけの背もたれから解放された背骨が喜んでいる。
 携帯の画面に触れる。それだけで再生が開始された。
 三角形の再生マークが二重線の停止マークに切り替わる。
 まず聞こえたのは、深い溜息だった。
 古い公衆電話なのだろう——今では公衆電話自体、もう街角から随分姿を消した——サラサラと砂が落ちるようなノイズ。
『ミラン?』
 それは間違いなくケヴィンの声だった。
『今……終わった』
 ひどく疲れた声だった。随分長い距離をただずっと、黙り込んで歩き通した後のような草臥れた声だった。
『これから、帰る……これで、賭けは……俺の勝ちだな』
『お前はもう……だから、気にするな』
 ピー、と短い機械音が鳴った。小銭が落ちる音がした。
『……明日、ちゃんと話そう……お前の、妄想癖がどれだけ……ひどかったか……』
『じゃあな、これを聞いたら……さっさと寝ろ』
『おやすみ』
 再生が終わった。
 スタジオは数秒、水を打ったように静まり返った。
 ケヴィンもミランも黙っていた。ミランは視線をケヴィンに戻し、反応を一つも見逃すまいとするようにじっと見つめていた。
 その目にはケヴィンが失った記憶を思い出すのを切望する色があった。ちゃんと話そうと過去の約束を交わしたケヴィンの責任を、今のケヴィンが果たしてくれることを期待していた。
 だが——ケヴィンにはやはり何も響かなかった。
「お前の声が入っていない」ケヴィンが言ったのはそれだった。「留守番電話か、これは」
「そうだ」
 ケヴィンは眉を顰めた。昨日、ケヴィンが送ったチャットメッセージには即座に既読表示がついたことを思い出しながら。
「俺がフロスト区へ行くのをそんなに渋ったお前が、俺からの連絡に出られなかったのか」
「忌々しいことに、クイーンズレコードから急な呼び出しがあった」
 声は平坦だったが、ミランは表情を取り繕わなかった。「同じ所属会社のユニットがスキャンダルをやらかして、急遽その日のラジオ番組に出てくれというものだった。俺たちしか空いてなかった。レコードが迎えを寄越して、俺は行くしかなかった」
 裏を取ろうと思えばすぐに取れる話だ。これが作り話なら馬鹿の思いつきだが、ミランは馬鹿ではない。ケヴィンはテーブルに左肘をついて額に手を当てた。
 丁度中指が左瞼の傷痕をなぞる。 
「賭けがあったことは確かめられたが、賭けの内容までは保証できていないな」
 ミランの視線が動くのを肌で感じ、ケヴィンは頬杖をついていた手を振った。「だが、お前が嘘の為にまた嘘をつくとは考えづらい。昨日のお前の態度に通じるものもあった」
 ケヴィンは目を伏せた。今はまだミランの目と向き合いたくなかった。
 数秒でいい。暗がりでしか考えられないことがあった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

僕のために、忘れていて

ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

キミと2回目の恋をしよう

なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。 彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。 彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。 「どこかに旅行だったの?」 傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。 彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。 彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが… 彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?

初恋はおしまい

佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。 高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。 ※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。 その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。 その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。 早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。 乃木(18)普通の高校三年生。 波田野(17)早坂の友人。 蓑島(17)早坂の友人。 石井(18)乃木の友人。

もう一度、恋になる

神雛ジュン@元かびなん
BL
 松葉朝陽はプロポーズを受けた翌日、事故による記憶障害で朝陽のことだけを忘れてしまった十年来の恋人の天生隼士と対面。途方もない現実に衝撃を受けるも、これを機に関係を清算するのが将来を有望視されている隼士のためだと悟り、友人関係に戻ることを決める。  ただ、重度の偏食である隼士は、朝陽の料理しか受け付けない。そのことで隼士から頭を下げられた朝陽がこれまでどおり食事を作っていると、事故当時につけていた結婚指輪から自分に恋人がいたことに気づいた隼士に、恋人を探す協力をして欲しいと頼まれてしまう……。

僕の宿命の人は黒耳のもふもふ尻尾の狛犬でした!【完結】

華周夏
BL
かつての恋を彼は忘れている。運命は、あるのか。繋がった赤い糸。ほどけてしまった赤い糸。繋ぎ直した赤い糸。切れてしまった赤い糸──。その先は?糸ごと君を抱きしめればいい。宿命に翻弄される神の子と、眷属の恋物語【*マークはちょっとHです】

[本編完結]彼氏がハーレムで困ってます

はな
BL
佐藤雪には恋人がいる。だが、その恋人はどうやら周りに女の子がたくさんいるハーレム状態らしい…どうにか、自分だけを見てくれるように頑張る雪。 果たして恋人とはどうなるのか? 主人公 佐藤雪…高校2年生  攻め1 西山慎二…高校2年生 攻め2 七瀬亮…高校2年生 攻め3 西山健斗…中学2年生 初めて書いた作品です!誤字脱字も沢山あるので教えてくれると助かります!

毒/同級生×同級生/オメガバース(α×β)

ハタセ
BL
βに強い執着を向けるαと、そんなαから「俺はお前の運命にはなれない」と言って逃げようとするβのオメガバースのお話です。

処理中です...