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01 グリッサンド:流れるように弾く
03 二人目
しおりを挟むドミトリ・カデシュは話の早い男だった。お互い対面の席について、ほとんど同じ高さに視線を揃えても決して合うことのない目はもしかするとケヴィンの頭蓋骨をすり抜けて数秒後の未来を見ているのかも知れなかった。
簡単な確認事項を、それはケヴィンの記憶喪失のことがほとんどだが、行った後、昼時だというのに個室のカーテンが引かれたままだったことに気づいて席を立った時、ケヴィンは先ほどまでドミトリが見ていたのが、たった今席を立ったケヴィンだったのではないかと思った。
カーテンを開き、窓も開ける。氷色の高い空に、病院前のリハビリステーションを兼ねた運動場や屋内プールが見える。
既に十月も半ばだというのに、プールには黄色や赤の派手な水泳帽が二十五メートルのレーンをゆっくりと行き交っていた。しかしそのほとんどがケヴィンの母親や父親の年齢だと思うと、散歩がてら足を運びたいとは思わなかった。
窓ガラスに映ったケヴィン自身と目が合う。痛みきってほとんど白に近い金髪に青い目。自分で何度も見たことのあるケヴィン・カタギリの顔だ。記憶と違うのは、車に撥ねられた時についたのだろう左の上瞼から走る小さな切り傷と、やけに深い目元の隈ぐらいか。
「何か面白いものでもありましたか?」
知らず知らず呆けていたケヴィンの背にドミトリの声がかかる。「あ、いい風が入るなあ」
「いや、ちょっとな」
ケヴィンは窓を離れ、もう一度ソファに座った。「街並みを見ていた」
「ああ……記憶にありましたか?」
「幸いなことに。セントラルの街は知っているし、周辺の区についても覚えている」
「では、本当にここ一年のことだけ忘れてしまったんですね」
「やはりそうらしい」
「ミランが荒れるわけだ」
ミラン。ケヴィンが口の中で音にせずその名前を転がす。苦い味がした。
ドミトリは記憶喪失の件をすでに聞かされていたことを差し引いても、昨夜の、より正確には既に今日になっていたが、ミランの反応よりずっとあっけらかんとしている。
ケヴィンにミラン・アーキテクトとドミトリ・カデシュについて教えてくれた雑誌によれば、この二人の付き合いはもう五年以上にもなる。早生まれのためにドミトリはミランより一つ年上だが、ほとんど同い年の二十四歳だ。
ミラン・アーキテクトについて知るならドミトリ・カデシュ以上の情報源は無いだろう。
——そんなことを考えながらも、ケヴィンの口は別の形で動いていた。
「ミラン・アーキテクトか、どうしてだ」
「ミランとはもう会いましたよね?」
「今日の午前一時前まで病室にいたよ。彼についても記憶がなくてな。ずっと見舞いに来てくれていたようなのに申し訳ないことをした」
「カタギリさんとは昨年春に開催された音楽祭からの付き合いになりますが、カタギリさんを専属にしようって言い出したのはミランですよ。当時の音楽祭にはISCさんや他の警備会社からもチームで警備に来て頂いてましたが、その時ミランがカタギリさんを特に気に入ったみたいで」
「それは光栄だ」
「とはいえこれはこっちの話なので、例え記憶があってもカタギリさんはご存知ないことですね」
「俺は君たちとは上手くやっていたか?」
「カタギリさんが本心で私たちをどう思っていたかはさておき、私たちはカタギリさんに良い印象を持っていますし、良い関係だったと思っています」
「やけに慎重な物言いだな」
「それは、ほら」ドミトリは腕を組んで眉を下げた。「色々とご迷惑をおかけすることもありましたから」
ドミトリの視線を初めてケヴィンは感じた。無意識にその位置に手を当てる。左目が隠れた。
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