椿落ちる頃

四季山河

文字の大きさ
上 下
70 / 73
第三章 策は交錯し、思惑は錯綜する

21-1 決裂

しおりを挟む

 「塵何」

 そう呼びかける春絶の声には、戸惑いなど微塵も無かった。まるで草木の名前を言い当てるようにただ淡々と、常日頃と何一つ変わらない。

「頭を上げよ、塵何。申し開きを聞こう」
「ああ、名代……」
「何故に白綺を傷つけたか。その本懐によって沙汰を下す」
「どうかご容赦を……我が君……」

 跪いたままの塵何の恭しい振る舞いは、誰の目にも忠臣といったようなものだ。
 よもやその振る舞いは、悪事が露見したことを__そんなとりとめもない、くだらないことで怯える罪人にはとても見えない。
 それほどまでに塵何の声にも姿勢にも、あるのはただ純粋な敬意のみだった。

 だからこそ、それがひどく歪だった。

「私如きの拙い謀(はかりごと)など、貴方はとうに見抜かれていたはず。それでもなお私という存在を許した。その寛大さに如何して報いずにおられましょう」
「くどい」

 春絶のあまりに淡白な声がなめらかな言葉を断ち切る。

「本懐を告げよと言ったはず。白綺に聞かせたあの下らん戯言を、吐けるのならば二度吐いてみせろ」

 それは春絶の腕に抱かれていた白綺だからわかったことだ。
 淡々とした声と同じくして、春絶の腕には震えもなにもない。動揺も怒りも、怒りも悲しみも、それを押し殺したときに起きる、隠しようも無い肉体の反応。
 ぼやけていても間近にあれば見逃すはずも無い、その横顔は凍った湖面のように静止している。
 何一つ、平素と何も変わらない。春絶の腕はただ樹木の枝のように白綺の体を支えているだけだ。
 それだけだ。

 だからこそ、やはりそれはひどく歪だった。

 真意をひたむきに隠し続けた、塵何と同じように。

「我が本懐、我が本願。それは唯一つ__ただ、貴方様に君臨してほしい。貴方だけに、未来永劫、我らが頂きにあってほしいのです」

 跪いていた姿勢から立ち上がり、そして顔を上げる。
 塵何の顔は晴れ晴れとしていた。長く癖のない黒髪がその背にたなびく。仕立ての良い背広に、あちこち焼け焦げ、今なお立ち上るような血と熱を孕んだままの戦羽織を纏って。
 塵何がかつて別の名前で呼ばれていたころ、都一つを傾けるにはきっとその微笑みだけで事足りたことだろう。

 けれどもその微笑みに、春絶は微動だにしなかった。
 しばしの沈黙の後、春絶の唇だけがひとりでに動いた。

「永劫など、よもや同じ獣として生を受けたお前の口からそんな言葉を聞くとは。お前はこの百余年で私が老いたと嘆いているようだが、私もまたお前の老いを嘆かねばならぬようだ」
「途方もない夢物語だと」塵何は苦笑した。「そう仰りたいのでしょう? 永遠など、何人の手中にもあるものではないと」

 そんなのは唯の夢だ、と。
 塵何の声がことさらに響く。まるで鼓膜の内側から囁かれたように、全身の骨まで震える。
 思わず白綺が身震いすると、春絶はかすかにその体を抱く腕の力を強くした。

「ですが、名代。夢を夢に過ぎぬと笑ったかつての我が一派を、あなたはその夢で屠って見せたではありませんか」

 春絶は何も言わない。だがその無言にこそ、塵何は確信を得たように笑みを深くした。

「現を凌駕する夢。脆弱な現を食らう、もうひとつのうつつ。夢境の力とは、夢と現の境を定める律令____あなたが望めば、夢は現に、現は夢になる」
「哀れだな。あるはずのない妄念に囚われるか」
「哀れなのな貴方です、名代……この百余年、どれほど貴方はお辛かったことでしょう」

 塵何は秀麗な眉をひそめ、まるで全身を突き刺されたように顔を歪めた。

「手に入れた絶大な力をその身に仕舞い、紛れも無い強大な力という現実を、あなたは夢だと思い続けた。力を持つことで生まれる全ての欲と衝動もろとも、全て夢だと自らに思い込ませ続けた。あなたはそうして、八百万といる小神の一席を装い続けた。
 全てただ弱きものへの哀憐____いいえ、強者ゆえに抱かずにはいられない、弱きものへの愛玩ゆえに」

 塵何の目は一心に春絶を見据えている。白銀の世界でただひとつ黒々と冷えたその姿と、その腕に抱かれてか細く息をするいきものを。

「名代……貴方がそうして弱きものを哀憐する、それこそが貴方の強さの証拠でしょう。
 あなたは強い。
 故に愛さずにはいられないのです。憐れまずにはいられない。あなたの庇護なしでは碌に生きてはゆけない、脆弱なものどもを。
 何故なら貴方が神であるが故。そうして弱きものが貴方に縋り、貴方を信奉することが、貴方の力の源であるが故に」

 春絶は黙っている。塵何は続けた。

「けれども我が君よ、脆弱であることが罪でなかったのは、もはや昔の話。かつての弱き者どもは、弱いという罪を負いながらも純真でありました。弱さを恥じ、弱きを守る貴方へ恭順したからこそ、庇護と信仰は成立していた。あなたはただ、敬虔な信徒を救い、守っていればよかった」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

迷子のあやかし案内人 〜京都先斗町の猫神様〜

紫音@キャラ文芸大賞参加中!
キャラ文芸
【キャラ文芸大賞に参加中です。投票よろしくお願いします!】 やさしい神様とおいしいごはん。ほっこりご当地ファンタジー。 *あらすじ*  人には見えない『あやかし』の姿が見える女子高生・桜はある日、道端で泣いているあやかしの子どもを見つける。 「”ねこがみさま”のところへ行きたいんだ……」  どうやら迷子らしい。桜は道案内を引き受けたものの、”猫神様”の居場所はわからない。  迷いに迷った末に彼女たちが辿り着いたのは、京都先斗町の奥にある不思議なお店(?)だった。  そこにいたのは、美しい青年の姿をした猫又の神様。  彼は現世(うつしよ)に迷い込んだあやかしを幽世(かくりよ)へ送り帰す案内人である。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サイキック・ガール!

スズキアカネ
恋愛
『──あなたは、超能力者なんです』 そこは、不思議な能力を持つ人間が集う不思議な研究都市。ユニークな能力者に囲まれた、ハチャメチャな私の学園ライフがはじまる。 どんな場所に置かれようと、私はなにものにも縛られない! 車を再起不能にする程度の超能力を持つ少女・藤が織りなすサイキックラブコメディ! ※ 無断転載転用禁止 Do not repost.

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...