椿落ちる頃

四季山河

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第三章 策は交錯し、思惑は錯綜する

18-3 春よさらばえ

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 婚儀は社からほど近い山中の神社で執り行われた。常は閉鎖され、人も何者も立ち入ることのないその神社には名を刻んだ石碑や看板もない。

 ただ長年無人であったわりには、その作りは見事なもので、屋根づくりや日本中津々浦々の風景画を敷き詰めた飾り天井、濡れ縁の外廊下の格子に掘られた草花の意匠など、ひとつひとつを全て眺めて回ったらそれだけで日が暮れただろう。
 今もまだ列を成して神社に至る参道を蠢いている参詣者もいたが、直々に招待した面々は既に神社の大広間に集っていた。揃いの座椅子に腰かけ、思い思いに談笑しているその顔ぶれは、半分以上がどこかしらに獣の特徴を持っていた。数席には頭からつま先まで獣であるものもいた。

 少なくとも白綺はひどく緊張したが、儀礼自体は粛々と進んだ。神の婚儀ということもあり、大宰府の神使と出雲から遣わされた神使が立会人として場を取り仕切り、天神が仲人として名を立てた。
 白い布で顔を隠した出雲の神使が恭しく長い裾袴を引いて歩き、盃の乗った盆を持って上座に座る春絶と白綺の前で一礼する。
 そして磨き抜かれた板張りの床に跪くと、盃を両手で持ち、春絶の方へ向けた。

「真神原の老大狼を始祖にして、正義と罰を司る真神。天より賜りしその権能をもって、高天原に座します高き尊き大神へ尽くしたもう彼の神へ問います。
 今日この場において夫婦を得て、一切の苦楽を分かち合い、なお誠の道を違うことなく進むことを誓いますか」

 春絶は差し出される盃を片手で受け取り、朗々と

「全身は我が夫へ。全霊は天へ。以て全身全霊をなし、正道を歩まんことを」

 そう紡ぐと、なみなみと酒で満たされた盃に口をつけ、傾ける。音も無くただ逸らした喉に浮き出た凹凸が蠢き、数秒。
 返す盃を出雲の神使が受け取り、揃えた膝で今度は白綺のほうを向く。

「大宰府に名高き剛弓の武者、青天白日の猛者。真神より名を受け、天神より導きを授かりし純真無垢にして苛烈ないくさびとへ問います。
 今日この場において夫婦を得て、一切の苦楽を分かち合い、なおその真心を失うことなく歩むことを誓いますか」

 白綺もまた、差し出された盃を受け取った。春絶と同じように片手で。

 そしてほんの一瞬、春絶を横目に見る。春絶は目を伏せ、耳を澄ませているようだった。
 誓う、とそれだけでも事は済む。春絶の誓言は、彼が神であり、天から権能を受け取っている立場にある身ゆえに、夫婦となる白綺と、そうして天に対して約定を結ぶ必要があった。夫婦ならば苦楽を共にし慈しみあうと、そして夫婦を得ても天意を果たすと、約束する必要があった。

 その点、白綺はあくまで神使の立場であり、神のさらに上位存在である天と直接のつながりはない。とはいえ、ふつうは、神のさらに上、まさしく天上の存在に対しては、いくらか気を利かせておいて損はない____が。

 白綺の逡巡は、もはや逡巡と呼べるほどの時間すらかけなかった。

 出雲の神使がわずかに動揺するそぶりを見せた。
 その理由は、白綺が何も言わずに盃を干したからだろう。そして場内にかすかに起こったどよめきは、一見華奢に見える若武者が、再びなみなみと満たされた盃の酒を、ほんのすこし唇を濡らすだけでも十分なそれを、春絶と同じように飲み干したからだ。

 そして白綺は空になった盃と共に、次のような言葉を出雲の神使へまっすぐに返した。

「この身、この心。私の全てをもって、彼の神と歩まんことを御誓い申し上げる」

 思わず。
 場が静まり返る。婚礼という儀式を何百何千とこなしているはずの出雲の神使さえ、盃を受け取らねばならないはずの両手を中途半端に浮かせたまま。

 誰も何も言わず、微動だにしない。
 だからこそ、かすかな衣擦れの音がはっきりと聞こえた。
 それは白綺の隣に座っていた春絶が横を向く、かすかな身じろぎによって起きた衣擦れの音だった。

 揃いでつけた、片耳だけの耳飾りが揺れた。衣服を変えても、年季の入った、ともすれば、絢爛な出で立ちに埋もれてしまいそうな、不釣り合いともいえるそれは、今日も二人の耳にそれぞれ飾られていた。

 白綺ははじめてどきりとした。盃を干すときも、誓いを上げるときもなんとも思わず、すらすらと言ってのけたはずの心臓がきゅうっと縮み上がるような気分だった。
 だが、それもほんの一瞬のことだった。

 ____ふ、と。

 黒く澄んだ、深い眼差しが仄かに熱を帯びる。細くなる。上下の瞼がかすかに震え、口元がたわむ。
 たったそれだけの、少し距離を離したら目を凝らしても見落としてしまいそうな変化だった。けれどもそれは、明らかに微笑みだった。
 春絶が笑った。白綺にはそれが分かった。そしてそれが分かれば、もう後はなにもいらなかった。

「___天ッッ、晴!!!!」

 突如、神社の屋根を突き破るような声が轟いたかと思うと、並んでいた来賓の中にいたひと際大柄な甲冑姿の男が膝を叩いて大笑いしていた。その男の周囲に参列していた来賓の数人はひっくり返り、あるいは耳を抑えて目を回しているが、最も男に近い、隣の席に折り目正しく正座している翁面の客はびくともせず、ただ静かに頷いている。

「見事なり若武者!! 心身を掲げ、命運を共にするとは、なんたる忠義、なんたる熱情!! 血肉の通った、良き誓いだ!!」

 喝と叫ぶ来賓の男は一見してあきらかに武芸者に見えた。得物が無いため判別できないが、風格は将軍のそれであり、大柄な体躯は相撲取りと言われても納得できる。
 まるで白獅子のようなゆたかな白髪はざっくばらんに束ねてなおたてがみのように溢れ、着崩し重ねた白と黒の浴衣を紫の注連縄のような帯で留めている。

 その威風堂々たる風貌を見て、白綺は思わずあっと言いかけた。春絶の記憶を追想して垣間見たものと同じ__その微細は異なっているが、しかし直感でわかる。
 あれは春絶の最も親しい、命を落とした友の一人だと。

「武に生きるもの斯く在るべし__佳き夫を得たな、春絶!!」

 ニカッと大男が笑顔を向ける。
 向けられた春絶は、既に細くしていた目をさらに細め、ただ頷いた。

 そこへひやりと涼しげな、首元を冷やすような声が滑り込んだ。

「甘夏(かんか)、首座より目立って如何する」大男の隣に座っていた翁面の瘦身が言い捨てる。「ただでさえ図体がでかいのだ。大人しくできないなら外でも走っていろ」
「なにをう!?」
「吠えるな。喧しいと言っておるのだ」
「祝いの席でお前のように湿っぽくなんぞしておれるか! 葬式か!」
「この後をお前の葬儀にしてやってもよいのだぞ」
「ああ___?」

 あっという間に剣呑な空気を醸し始めた二人に、周囲の来賓が我先にと広間の四隅へ移動する。気の早いものは座布団をひっくり返して頭に被っている。
 つい先ほどまで威厳のある和服に身を包んでいた数名がまるで穴の開いた風船のようにしぼみつつ、我先にと安全地帯へ四つ足でひた走る。
 結果、白綺や春絶の座る上座はあっという間に狸や狐、鷹や子鹿でいっぱいになった。
 
「はいはい、そこまでだ」

 そして巌流島の決闘が如きにらみ合いを割ったのは、どこか軽薄そうな若い男の声だった。「遅れたのは悪かったよ。僕がいなくて寂しかったのはわかるが、喧嘩はよせ」

 開け放しになった社へ、縁側の手すりを乗り越えて声の主が足を踏み入れる。花街で三味線でも弾いていそうな流麗な目元に企みのある笑顔で、男にしては肩につくほど長い髪からは左右に鹿の角が生え出ている。

「で、今どのあたりだ? 盃は交わしたか? 酒が余ってるならちょっとくれないか、久しぶりにこんな山奥まで歩いたもんで喉が渇いて仕方ない____おお、そこにいたのか春絶、随分めかしこんでるな、誰かと思ったぜ」

 よっと色男が片手を上げる。
 ぽかんとただ口と目を開けっ放しの来賓(一部は春絶の腕に抱かれ、膝に乗り上げて震えている)、盃を白綺から受け取ろうと中腰のまま固まっている出雲の神使。
 それらが見えていないかのように振舞う鹿の角を生やした男に対し、春絶も腕の中で震える子狸を撫でてやりながら「遅かったな」と淡白すぎるほど淡白に告げた。

「冬染(とうせん)、多忙なお前のことだ、私の婚儀程度では出てこないものかと」
「なんだよ拗ねてるのか? こっちはお前が若い嫁さん貰ってはしゃいでるところに邪魔しちゃ悪かろうと思って、春日のあたりで一人寂しくせんべいを齧っていたんだぜ」
「息災で何より」
「僕が息災でない日があるかよ。で、式は今どのへんなんだ? 堅苦しい部分は終わったか?」

 春絶はそこでふと出雲の神使を見たが、式を取り仕切る役のそのものは見るも無残にぶち壊された婚儀に岩のように固まったままだ。自らが司る式がこうも無茶苦茶になった試しなどあろうはずもなく、それを思えば少々心が痛む。
 
 春絶は次に白綺を見た。
 白綺は空になった盃をどうしたものかと悩んでいたところへ、右も左も助けを求める動物たちに囲まれ、いよいよ困り果てていた。

 春絶と目が合ってしまえば、白綺には笑うほかなかった。困惑と混乱が一周して、四方八方がうやむやでもこもこした毛むくじゃらだらけになった今、心中にこみ上げたのは可笑しさだった。

「ふ、あはは……ええ、よいのではないでしょうか? 堅苦しいのは、もう終いとしましょう」
「お前がそれでよいと言うなら、私にも異論はない」

 春絶は音も無くその場に立ち上がる(くれぐれも縋りついたものたちを踏んだりしないよう)と、やはり淡白すぎるほど淡々と告げた。「では、以降は無礼講とする。各々方、気兼ねなく過ごされよ」
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