60 / 73
第三章 策は交錯し、思惑は錯綜する
18-2 春よさらばえ
しおりを挟むその後も大宰府の神使と春絶は二三、何かと会話をしていたが、白綺の耳にはろくに入らなかった。ただとにかく火照った顔を見られるまいと俯いているうち、どうにか頬の熱が冷めて顔を上げる頃には、大宰府での同僚たちは婚儀の場へ参列するため姿を消していた。
「間もなく頃合いか。我々も行くとしよう……白綺?」
大宰府の神使らが去った方を向いていた春絶の顔を盗み見ていたところ、前触れもなく春絶が振り向いてしまう。
音が鳴りそうなほど勢いよく視線がぶつかり、白綺は反射敵に顔をそむけた。「あ、そ、そうですね、はい、参りましょう」
「気分がすぐれないのか」
「いっ、いえ、そんなことは!」
すいと春絶が背を丸め、顔を近づける。白綺は思わず仰け反って避けそうになるが、反りかけたその背には春絶の腕が回っている。
「白綺」
「あ、__ぁ、う……」
「どうした」
「か、顔が、ちか」
「うん?」
「わ……わかっているでしょう! 春絶殿のそれは、分かってやっているときの顔です!」
「そんな顔があるのか、私に」
「あります!」
「自分では知る由も無いが、そうか、そういう顔があるのか」
「と、とにかく離れて、はにゃ、はなれて……」
春絶の今朝の衣装は肌の露出こそ無いものの、以前がまったく身体の線を見せないものであったせいで、締まった腰回りや胸板の厚み、腕や肘のささいな盛り上がりなんかがやけに白綺の気を乱した。その布の下にある素肌の色や質感を知ってしまったからか、ちらちらと昨晩の、思い出すだけで叫びだしたくなるほどの、絡み合った手足や縋りついた首元、胸板なんかが思い出されてしまう。
「深く息をしなさい、なにも緊張することはない」
「うう……」
「この日、天候に恵まれたのは幸いだ。お前の行いの良さによるものだろう。秋も深まり、この季節が一番、草花の匂いが甘い。この匂いが、私は好きだ」
春絶がしずかに語る口調に同調するようにして、白綺の心拍も収まり、呼吸も長く深いものへと変わっていく。
空気を吸い込む。山中では常に感じる土と木々の匂いだ。吐く。そうしてもう一度、先ほどよりゆっくりと吸う。身体の奥まで沁み込ませるように、水を飲むように。
すると、微かな甘さを確かに感じた。金木犀と、摘まれ忘れられた木苺と、まもなく種を落とす花々の花弁、花粉、虫たちがその身に帯びて飛び立った蜜の香り。
ふ、と息を零す。
まるで甘い蜜を味わった後のような、満ち足りた溜息として。
「白綺」
「はい……」
「綺麗だ」
やっと落ち着いた心臓が不意に跳ねる。
思わず白綺はきっと目の前の顔を睨みつけた。
「あ__なた、は! 私を落ち着けたいのか、驚かせたいのか、どちらなんです!」
だが春絶は突然機嫌を損ねた白綺が不思議な様子で「姿を見たときから言おうと思っていた」と告げた。「弓を引き、放つ様も含めて美しかった。大宰府よりの来客がなければ、もう暫く眺めていたかったが」
「あいつらは私の矢に射られたところで、ちょっとそれらしく地面を転がるだけで、あとは平気な顔をしているのです」
「お前は彼らを理解し、彼らもまたお前をよく理解している。この白無垢がその証拠だ」
音も無く白綺の背中から春絶の腕が抜ける。それに微かな喪失感を覚えつつ、白綺はわざと口を尖らせた。そういえば、春絶は白綺と神使らのやや過ぎた談笑を見かねて仲裁に入ったのだった。
上目遣いだの手を口にだの、腰にしながないだの、今更思い返しては、あとほんのちょっと込める力を増していれば、今頃彼らは射抜かれた尻や腰をさすり悶絶しながら婚儀の来賓列に並んでいただろう。
鈍痛をこらえながらどうにか挨拶を述べる姿を見られたら、少しはからかわれた屈辱も晴れたというのに。
そんなことを思いながらも、他でもないその彼らが祝いの品として用意した白無垢に春絶が目を細めるので、白綺はもう恨み節のひとつも言えなくなった。
代わりに、どうにかこうにか、頭の中をひっくり返して言葉を探す。けしてこれまで誰かに向けたことも、言おうと思える機会もなければ、あるはずもない言葉を。
それは所謂誉め言葉であり、さらにいえば、色のある口説き文句というものだ。
「え、と……その、春絶殿……」
「どうした」
「あの、その……春絶殿、も……その、お姿が、とても……」
「とても?」
「とても……とてもすごく、お似合い、です」
とてもすごくお似合いです。
____なんだそれは。
白綺は内心で顔を覆った。なんだそれは。とてもすごくお似合い。なんだそれは。とても、と、すごく、が一つの文章に、しかもごくごく短い文章に並んでいるのはどうなんだ。なんだかすごく馬鹿っぽく聞こえて仕方ない。せめて「とてもお似合いです」ならまだ、飾り気もないが恥もなかったというのに。
なんだ「とてもすごくお似合い」とは。
こんなだから子供扱いされるのではないか、と白綺は心中で叫んだ。
「____ふ」
「!わ、笑って……笑わずとも、よいではありませんか」
「ああ」春絶は手を口に当てた。笑っている自分の口を、まるで確かめるように、他人事のように撫でつつ「いや、すまない。笑っておいてなんだが、お前のそうした純なところが、どうにも好ましい」
「私はものを知らぬ子供ではないのですよ」
「知っている。大宰府も認めた射手であり、武者であり、私の番。私の夫だ」
「む」
夫、と聞いて白綺の肩がぴくりと跳ねる。緩みそうになる口をどうにか抑えつつ
「私が……夫ですか?」
「違うのか」春絶はぼんやりと聞き返した。「人の番は、雌が妻で、雄は夫と呼ばれる。私とお前はどちらも雄、ならばどちらも夫にあたるのでは」
「あ、ああ、そういう……」
「獣の番は対でひとつ。雄が巣を守ることもあれば、群れにおいて雌が頂点に立つ種族もある。夫婦の概念は理解できるが、何をもって夫だ妻だと振り分けるのかはよく分からぬな。大宰府の神使らは、どうもお前を奥方だと、妻だと認識していたようだが……」
「た、偶々でしょう、適当に、あてずっぽうで当てはめたに過ぎません。私も夫がいいです、男ですから」
「そうか____では」
春絶が手のひらを差し出す。袖が絞られた衣装ゆえに、手首から手のひらへ向かって広がる腕の輪郭がはっきりとして、繊細な金細工や留め具を兼ねた手甲、指輪のなされた広い手が余すところなくさらけ出されている。
「行くとしようか、我が夫よ」
互いに夫であると言われたばかりだ。
そう言われたばかりだったが、白綺は精悍で、そしてどこか妖艶な黒装束の”妻”の誘いに、まるで年頃の少年のようにそろそろと手を伸ばすことしかできなかった。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
迷子のあやかし案内人 〜京都先斗町の猫神様〜
紫音@キャラ文芸大賞参加中!
キャラ文芸
【キャラ文芸大賞に参加中です。投票よろしくお願いします!】
やさしい神様とおいしいごはん。ほっこりご当地ファンタジー。
*あらすじ*
人には見えない『あやかし』の姿が見える女子高生・桜はある日、道端で泣いているあやかしの子どもを見つける。
「”ねこがみさま”のところへ行きたいんだ……」
どうやら迷子らしい。桜は道案内を引き受けたものの、”猫神様”の居場所はわからない。
迷いに迷った末に彼女たちが辿り着いたのは、京都先斗町の奥にある不思議なお店(?)だった。
そこにいたのは、美しい青年の姿をした猫又の神様。
彼は現世(うつしよ)に迷い込んだあやかしを幽世(かくりよ)へ送り帰す案内人である。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
サイキック・ガール!
スズキアカネ
恋愛
『──あなたは、超能力者なんです』
そこは、不思議な能力を持つ人間が集う不思議な研究都市。ユニークな能力者に囲まれた、ハチャメチャな私の学園ライフがはじまる。
どんな場所に置かれようと、私はなにものにも縛られない!
車を再起不能にする程度の超能力を持つ少女・藤が織りなすサイキックラブコメディ!
※
無断転載転用禁止
Do not repost.
【完結】かなしい蝶と煌炎の獅子 〜不幸体質少年が史上最高の王に守られる話〜
倉橋 玲
BL
**完結!**
スパダリ国王陛下×訳あり不幸体質少年。剣と魔法の世界で繰り広げられる、一風変わった厨二全開王道ファンタジーBL。
金の国の若き刺青師、天ヶ谷鏡哉は、ある事件をきっかけに、グランデル王国の国王陛下に見初められてしまう。愛情に臆病な少年が国王陛下に溺愛される様子と、様々な国家を巻き込んだ世界の存亡に関わる陰謀とをミックスした、本格ファンタジー×BL。
従来のBL小説の枠を越え、ストーリーに重きを置いた新しいBLです。がっつりとしたBLが読みたい方には不向きですが、緻密に練られた(※当社比)ストーリーの中に垣間見えるBL要素がお好きな方には、自信を持ってオススメできます。
宣伝動画を制作いたしました。なかなかの出来ですので、よろしければご覧ください!
https://www.youtube.com/watch?v=IYNZQmQJ0bE&feature=youtu.be
※この作品は他サイトでも公開されています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる