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第二章 神はいずこ
17-4 神はゆめゆめ
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色のない風にもし色があるなら、特に春風の爽やかさを彷彿とさせるそれは白だろう。
白くたなびく髪と、そして何より白いその純真さ。
己の奥底に抱く茫漠とした自由で孤独な白と、同じ白なのに何処までも自在で溌溂としたそれ。
同じ白なのに、彼はあたたかくて綺麗だ。
そう思って、そう思ったままの心で名付けた。
「そ……そんな話、いままで、一度も……」
「言っていなかったか。とはいえ、聞かれた覚えも無いように思うが」
「き、聞かずとも教えてくれたっていいではないですか!」
「そうか、気が利かずにすまない」
「ぜっ__絶対に分かってない! こういう場合に春絶殿がさっさと謝るのは、本当に悪いと思っているのではなく、わたしを宥めようとしてしか謝っていないでしょう!」
白綺は子犬のように吠えた。
「いつぞやは”罪の何たるかを知らずにただ面従し、虚礼を述べることこそ恥だ”などと言っていたのに! 私の機嫌を取るためだけにとりあえず謝っておけばいいとでもお思いか!」
よく思い出せるように、春絶の言葉を引用するときはわざわざ調子を寄せて低い声で言ってみたが、白綺の渾身の真似を前にして、春絶は平静のまま。
寧ろどこか感心したように「よく覚えていたな」と言うので、白綺はちょっとにやけそうになるのを堪えるのに苦労した。
「だが、悪いと思っているのは事実だ。地罰神としての責務もあり、長らく限られた交友しかしてこなかったゆえか、どうも私はその方面に疎い」
「む、むむ」
「そして、お前の言う通りでもある。私が謝って、それでお前の機嫌が直るならそれでいいのでは、と考えている節もあるようだ。お前の心が動くさまは私にとって喜びだが、とはいえ怒っているよりかは笑っているほうがいい」
「むぐ、んむ、むむう……!」
「お前が笑ってくれるのであれば、いくらでも謝ってしまえと、安直にもそう思、」
「もういいです!」
白綺が勢いよくそっぽを向く。そうして背を向けたところで、髪の合間から覗いた耳の縁が真っ赤なのは隠しようもないが。
「白綺」
「なんですか! 私はもう寝ます!」
「手を」
「手?」白綺は無理やり布団を剥いでその下へ潜り込もうとしたのを止める。「手が、どうかされましたか」
「手を繋いでくれるという話だった」
と。
言うや否や、やけに煽情的な紅色の飾りがあしらわれた掛け布団をはがそうとしていた白綺の手に、音も無く広い手が重なる。
大弓を扱うだけあって白綺の手も十分に男のそれだが、単純に春絶の手は一回り以上大きい。手甲もなにもなく、節だった関節も、浮き上がる太い骨もあらわになった手のひらが白綺の手を包み込んでしまうと、冷めようとしていた体温が急上昇する。
「あ____あ、う……」
「日が昇るまで手を繋いでくれると」春絶は手を繋ぎやすいようにと白綺に身を寄せる。寄せた先の肩がぶるぶると震えているのを察すると「湯冷めしたか」などと見当違いのことを言った。
「寝て構わない。今日は疲れただろう。明日も色々と苦労を掛けると思うが」
「んにゃ……んわ……」
「すまないが、この手だけは、このまま」
日が昇るまで、と春絶は囁くように言う。白綺の耳元で。
このときばかりはまるで、白綺が神で、春絶はその加護にあやかろうとする凡人のようだ。真実はまったく異なり、むしろ神は春絶のほうだというのに。
りゅうと着こなした着流しが身を寄せたことでたわみ、湯冷めしたらしい(と、少なくとも春絶はそう信じている)白綺を温めようと後ろから包むようにして毛布やら自分の腕、投げ出した足で囲み、そのせいで乱れた裾から存外白く長いなめらかな凹凸のある足が、白綺の足と重なり、絡む。
__白綺は生前、それなりに名のある武家の男だった。だが生まれた時代と生まれの為に、戦いのほかにはなにも、それこそ女も男も知らないまま人生を終えた。
神使になったからといってそれが変わるわけではない。英雄色を好むとはいえ、神が手づから神使と懇ろになるという話を聞いたとて、白綺自身とは無縁の話だった。むしろその手のことには、不埒だ不真面目だと眉を吊り上げていた。
そんなまっさらで純真な身の上で____こうして誰かと肌を寄せあう、その温度や湿度、肌の感触や、匂いといったものに、耐性などあるはずもなく。
それでも白綺が気絶せずに済んだのは、ひとえに春絶の前で無様を晒したくないという男としての意地だけだった。気を失いそうになるたび、白綺は思い出したくも無い狐の顔を脳裏に描き、童貞童貞と揶揄われた日々を思い返して怒りで正気を保っていた。
「寒くないか」
春絶の声がじかに白綺の耳たぶを震わせる。かすかに肩を跳ねさせてしまうが、それを肌寒さの震えと思ったのか、背後からの包み込むような抱擁が力を増す。
丁重な毛布越しの抱擁とはいえ、全身を預け、全身を触れ合わせているのだ。これで寒がれというほうが無理だった。白綺の全身はもはや湯に浸かっていた頃より熱い。
ばくばくと煩い心臓の音がすぐそばの春絶に聞こえやしないかとそれだけで気が気ではない。背中に腕に足に触れあった肌と温度と、それから仄かに感じる他人の匂い。
____ぱた、ぱた。
自分の心臓の音の合間に、白綺の耳が別の音を拾う。
白くたなびく髪と、そして何より白いその純真さ。
己の奥底に抱く茫漠とした自由で孤独な白と、同じ白なのに何処までも自在で溌溂としたそれ。
同じ白なのに、彼はあたたかくて綺麗だ。
そう思って、そう思ったままの心で名付けた。
「そ……そんな話、いままで、一度も……」
「言っていなかったか。とはいえ、聞かれた覚えも無いように思うが」
「き、聞かずとも教えてくれたっていいではないですか!」
「そうか、気が利かずにすまない」
「ぜっ__絶対に分かってない! こういう場合に春絶殿がさっさと謝るのは、本当に悪いと思っているのではなく、わたしを宥めようとしてしか謝っていないでしょう!」
白綺は子犬のように吠えた。
「いつぞやは”罪の何たるかを知らずにただ面従し、虚礼を述べることこそ恥だ”などと言っていたのに! 私の機嫌を取るためだけにとりあえず謝っておけばいいとでもお思いか!」
よく思い出せるように、春絶の言葉を引用するときはわざわざ調子を寄せて低い声で言ってみたが、白綺の渾身の真似を前にして、春絶は平静のまま。
寧ろどこか感心したように「よく覚えていたな」と言うので、白綺はちょっとにやけそうになるのを堪えるのに苦労した。
「だが、悪いと思っているのは事実だ。地罰神としての責務もあり、長らく限られた交友しかしてこなかったゆえか、どうも私はその方面に疎い」
「む、むむ」
「そして、お前の言う通りでもある。私が謝って、それでお前の機嫌が直るならそれでいいのでは、と考えている節もあるようだ。お前の心が動くさまは私にとって喜びだが、とはいえ怒っているよりかは笑っているほうがいい」
「むぐ、んむ、むむう……!」
「お前が笑ってくれるのであれば、いくらでも謝ってしまえと、安直にもそう思、」
「もういいです!」
白綺が勢いよくそっぽを向く。そうして背を向けたところで、髪の合間から覗いた耳の縁が真っ赤なのは隠しようもないが。
「白綺」
「なんですか! 私はもう寝ます!」
「手を」
「手?」白綺は無理やり布団を剥いでその下へ潜り込もうとしたのを止める。「手が、どうかされましたか」
「手を繋いでくれるという話だった」
と。
言うや否や、やけに煽情的な紅色の飾りがあしらわれた掛け布団をはがそうとしていた白綺の手に、音も無く広い手が重なる。
大弓を扱うだけあって白綺の手も十分に男のそれだが、単純に春絶の手は一回り以上大きい。手甲もなにもなく、節だった関節も、浮き上がる太い骨もあらわになった手のひらが白綺の手を包み込んでしまうと、冷めようとしていた体温が急上昇する。
「あ____あ、う……」
「日が昇るまで手を繋いでくれると」春絶は手を繋ぎやすいようにと白綺に身を寄せる。寄せた先の肩がぶるぶると震えているのを察すると「湯冷めしたか」などと見当違いのことを言った。
「寝て構わない。今日は疲れただろう。明日も色々と苦労を掛けると思うが」
「んにゃ……んわ……」
「すまないが、この手だけは、このまま」
日が昇るまで、と春絶は囁くように言う。白綺の耳元で。
このときばかりはまるで、白綺が神で、春絶はその加護にあやかろうとする凡人のようだ。真実はまったく異なり、むしろ神は春絶のほうだというのに。
りゅうと着こなした着流しが身を寄せたことでたわみ、湯冷めしたらしい(と、少なくとも春絶はそう信じている)白綺を温めようと後ろから包むようにして毛布やら自分の腕、投げ出した足で囲み、そのせいで乱れた裾から存外白く長いなめらかな凹凸のある足が、白綺の足と重なり、絡む。
__白綺は生前、それなりに名のある武家の男だった。だが生まれた時代と生まれの為に、戦いのほかにはなにも、それこそ女も男も知らないまま人生を終えた。
神使になったからといってそれが変わるわけではない。英雄色を好むとはいえ、神が手づから神使と懇ろになるという話を聞いたとて、白綺自身とは無縁の話だった。むしろその手のことには、不埒だ不真面目だと眉を吊り上げていた。
そんなまっさらで純真な身の上で____こうして誰かと肌を寄せあう、その温度や湿度、肌の感触や、匂いといったものに、耐性などあるはずもなく。
それでも白綺が気絶せずに済んだのは、ひとえに春絶の前で無様を晒したくないという男としての意地だけだった。気を失いそうになるたび、白綺は思い出したくも無い狐の顔を脳裏に描き、童貞童貞と揶揄われた日々を思い返して怒りで正気を保っていた。
「寒くないか」
春絶の声がじかに白綺の耳たぶを震わせる。かすかに肩を跳ねさせてしまうが、それを肌寒さの震えと思ったのか、背後からの包み込むような抱擁が力を増す。
丁重な毛布越しの抱擁とはいえ、全身を預け、全身を触れ合わせているのだ。これで寒がれというほうが無理だった。白綺の全身はもはや湯に浸かっていた頃より熱い。
ばくばくと煩い心臓の音がすぐそばの春絶に聞こえやしないかとそれだけで気が気ではない。背中に腕に足に触れあった肌と温度と、それから仄かに感じる他人の匂い。
____ぱた、ぱた。
自分の心臓の音の合間に、白綺の耳が別の音を拾う。
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