椿落ちる頃

四季山河

文字の大きさ
上 下
52 / 73
第二章 神はいずこ

17-2 神はゆめゆめ

しおりを挟む

 「手を、握ってくれないか」

 そう言われて、白綺は自分の手を見る。既に春絶の手をひとつ握って、ここまで引いて歩いてきた。

「その、もう握っております」
「……もう少し強く」
「つ、強くですか」

 雪の中はぐれないようにと(そもそもあの白銀世界は春絶の神域なのではぐれたところで、白綺はともかく春絶が迷うことなどあるはずもないのに)それなりに力を込めて握ってはいたが、足りないらしい。
 とはいえ、闇雲に握るのもなんだか憚られて、白綺は両手で春絶の手を挟むようにした。ひんやりとした広い手のひらをほぐすように揉み、包むようにもしてみた。

「如何でしょうか、ええと、その、力加減などは」
「ん」
「んっ?」
「うん」

 うん。

 ____うん、と言った。
 うん、と。
 ああとか、そうだなとかではなく、うん。

 あの春絶が、うん、と言った。

 白綺自身なぜその一言にこんなにも衝撃を受けているのか理解できず、ただただ「うん」という言葉が頭の中でぐわんぐわんと反響する。
 うん、うん、うん……うんって言った。うん、って。うん、って言うのか、春絶殿がうんって、いやうん、うんってそんな、誰でも言うことだしいやでもなんというか春絶殿はああとかそうだなとかしっかりちゃんとした物言いをなさるお方だからうんとかそういうなんかこう、うん、って、うん、ってなんかこうちょっと子供っぽいかんじの、うんって……

 うんってゆった……

「白綺」
「うんてゆっ……はっ」
「今夜はもう少し、手を繋いでいたい」
「は……」
「日は____とっくに暮れていたか。そうだな、次に日が昇るまで……それだと流石に煩わしいか」
「い、いえ私は、あの、煩わしいなどとは」
「お前が眠るまででもいい」
「な、武士に二言はありません! 日が昇るまで繋ぎましょうとも!」

 初めて聞かされたわがままのようなものに、つい勢い余って白綺が言った。
 武士に二言はなく、そして言った言葉は間違いなく白綺の本心だった。春絶がそうしたいというのであれば、手などいくらでも繋ぐ。何分でも何時間でも、日が何度昇り何度沈んでも。
 夢境の悟りに至るほどの男が言うわがままが「手を繋いでいたい」とは。
 言ってしまえば子供のような、しかし子供のようだからこそ純粋な願いに、白綺はそれを叶えられる立場にいる喜びに突き動かされて即答した。

 即答____してしまった。

 /
 
 きしきしと何処かの床板が軋む。その音は耳障りでなく、軋む音すら弦楽器のような品がある。
 などと、そう思ってしまうのは惚れた弱みか____白綺は落ち着かない気持ちをどうにか押さえつけようとあれこれ考えた。そうしてあれこれ考えて頭をいっぱいにしておかないと、自分を取り巻く現実に真っ向から飲み込まれてしまいそうだったからだ。

 春絶の神域から山中へ戻り、そして社へと戻り。
 白綺はほどいた髪にもう何度目かの手櫛を通した。湯に浸かり、いつもの戦装束から灰白の(それはいつのまにか社に用意されていた)着流しに着替え、燭台が淡く照らし出す寝室にひとり。
 あと半日もすれば婚儀が始まる。招いたのは親しい知古だけとはいえ、それなりの数がこの山を訪れることになりそうだ。

 あと半日もすれば、大勢の前で二人は夫婦になる。
 
 髪をまた手で梳く。つむじ風のように毛先に癖はあるものの、細く柔らかい髪は絡むこともなくするすると指の間をすぎてゆく。それを捕まえて、指に無理やり巻き付けてみたりする。
 もはや髪を梳いているのかめちゃくちゃにしているのか分からないが、ともかく何かしていないと、ふいに暴れ出してしまいそうだった。

 ____ちら、と白綺の視線が自分の膝元、そのすぐ前に誂えられた寝床に向けられる。

 かつては白綺が春絶に保護され、寝かされていた板間の一室だ。今そこには二組の布団が敷かれている。それはいい、それはいいのだが。

(なぜ布団がこう、こんなにも、この、これでもかとくっついて敷かれているのか!)
 
 神使を持たない春絶であるが、真神というだけでこの社のほどちかく、或いは拠点たるこの山に棲まう獣や精霊の類はみな彼に侍る。この部屋の支度もそうした眷属らが勝手に__否、勝手にと呼ぶのはやや心苦しいほどの親切心から誂えたのだろうが。

 布団をあと二つ三つ並べても有り余る部屋にありながら、二組の布団はまるできつく糸で縫われたようにぴっちりとくっついて並べられている。若干寄せすぎなところもあり、くっついた面がややせりあがってさえいる。

 宴もたけなわとそそくさ下山していった大宰府の同僚たちのことも思い出され、白綺は赤面した。下世話な、不埒な、とぼそぼそ呟いてみるが、その声はあまりにか細い。

(し、しかしまあ、たしかに婚儀が始まった後は、春絶殿の知古と来るというから、そのあとは色々と積もる話もあるだろうし……ことをするには、確かにいまのほうが……良いのかな……?)

(いや別に私がなにをしたいとかあれをしたいとかそれがしたいとかそういう話では全く! ないが!? そういうことは双方の同意があってはじめてこうそういうあのえっとお互いへの気持ちが昂ってその結果ああなってそうなるものであって)

 そこで、あれ、と白綺は思った。

 ____というか、春絶にそうした煩悩はあるのか? 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

迷子のあやかし案内人 〜京都先斗町の猫神様〜

紫音@キャラ文芸大賞参加中!
キャラ文芸
【キャラ文芸大賞に参加中です。投票よろしくお願いします!】 やさしい神様とおいしいごはん。ほっこりご当地ファンタジー。 *あらすじ*  人には見えない『あやかし』の姿が見える女子高生・桜はある日、道端で泣いているあやかしの子どもを見つける。 「”ねこがみさま”のところへ行きたいんだ……」  どうやら迷子らしい。桜は道案内を引き受けたものの、”猫神様”の居場所はわからない。  迷いに迷った末に彼女たちが辿り着いたのは、京都先斗町の奥にある不思議なお店(?)だった。  そこにいたのは、美しい青年の姿をした猫又の神様。  彼は現世(うつしよ)に迷い込んだあやかしを幽世(かくりよ)へ送り帰す案内人である。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サイキック・ガール!

スズキアカネ
恋愛
『──あなたは、超能力者なんです』 そこは、不思議な能力を持つ人間が集う不思議な研究都市。ユニークな能力者に囲まれた、ハチャメチャな私の学園ライフがはじまる。 どんな場所に置かれようと、私はなにものにも縛られない! 車を再起不能にする程度の超能力を持つ少女・藤が織りなすサイキックラブコメディ! ※ 無断転載転用禁止 Do not repost.

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...