椿落ちる頃

四季山河

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第二章 神はいずこ

09-1神は何時も

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 出雲へ出立する日はまったく爽やかな秋晴れの日だった。肌寒いほどの風はしかし、雲一つない空から注ぐ陽ざしと混じり、心地よく肌を撫でて過ぎる。
 最寄駅から空港へ移動し、そこから出雲のある広島県までは空路だ。
 と、先ほどまで電車内で駅弁にご満悦だった青年が次々離陸していく飛行機を憎たらしそうに眺めている。予約しておいた航空券を受け取り、待合ラウンジのベンチに戻った椿がその肩を叩く。買って間もない白い上着の上を、ほとんど同じ色の長い髪が流れていく。
「どうかした?」
「ん」青年は今しがた離陸した旅客機が青くかすんでいくのをまだ睨んでいたが、ついに視線を離した。「いや、別に。なんでもない」
「なんでもなく見えないな」
 椿は青年の隣に腰を下ろし、ベンチのドリンクホルダーに置いておいたコーヒーカップを手に取った。まだ熱い。
 空港内は混雑していた。これで閑散期なのだから、近く迎える年末の繁忙期を思うと自分のことでもないのにうんざりする。学生だろうか若い女性の集団、そして既に長い勤めを終えたらしい賑やかな妙齢の男女グループ、気安い格好をしたバックパッカー、スーツ姿の会社員__その手にひかれたキャリーケースの取っ手にはクリーニング屋のカバーを付けたままの上着が引っ掛けてある。
「カンナ」ふいに青年が呼んだ。
「なに?」
「私はやろうと思えばあれよりずっと速く駆けるぞ」
 突然何の話だ。
 そう思ってコーヒーカップに口をつけたまま見やる。青年が予想外に真剣な顔だった。
 そして__あれ、とは言わずもがな、今もまた滑走路に整然と並び、進んでいく飛行機だろう。
 椿は青年の肩越しに秋晴れの空へ消えていく飛行機を眺め、そして手前の青年へと焦点を結び直す。そして一言。
「はあ」
「はあってなんだ!」
「ええと、じゃあ、すごいね」
「もっと褒めんか! あとじゃあってなんだじゃあって!」
「今日び小学生でも足の速さは自慢しないんじゃないかな。それを考えると、神様って純粋だね、良いと思うよ。そういう些細なことに喜びを感じるっていうのは」
「お前どんどん私のいじめ方が陰湿になっておらんか?」
「いや、これは純粋な誉め言葉……」椿は眉を寄せて思案した。「だと__思う。うん、そう、多分そう。大体そう。どちらかと言えばそう」
「どんどん自信がなくなっていっているのだが!?」
 目を見て言え、素直な誉め言葉だと言え、さあ、と詰め寄る青年をなあなあにいなしながら、椿はカップに残っていたコーヒーを飲み干した。
 同じカップが青年を跨いで向こうのホルダーにも置かれている。それは青年用に買ったもので、空港内のカフェメニューの中でも随分長ったらしい名前の季節限定品だったことだけ覚えている。
 持ち上げてみると、そのカップも空だった。搭乗口へ移動する際にまとめて捨てようと、プラスチックの蓋を外してカップを重ねる。
「__ん」
 すると、椿はかるく持ち上げた自分のカップの底に、なにか色紙のようなものが張り付いていることに気が付いた。
 指でひっかいてみると、それは簡単に剥がれた。どうにも紙切れというか、付箋紙の切れ端のようだ。やや奇抜にも思えるビビットなショッキングピンク。こういう蛍光色の付箋紙は会社の備品でも見かける。カフェの店員が注文を間違えないよう、メモでも貼り付けていた名残だろう__
 ふと。
 最後の出勤日を思い出した。だが理由はさして大層なことではない。あの日椿を呼び立てた上司は、あのとき片手に付箋紙を一枚持っていた。そしてその付箋紙の色が、今日のこの紙切れと同じ色だった。
 それだけだ。
「カンナ?」青年が呼びかけた。その声に重なるように、伸びやかな館内放送の声が響く。「どうも我々の番が来たようだぞ」
「……ああ、行こうか」
 椿は指先に張り付いたその紙切れをカップの中へ落とし、そしてベンチを立った。荷物を持とうとしたが青年が既に手に提げている。男の旅支度とはいえ二人分の諸々を詰め込んだボストンバッグを特に重そうにもせず細腕にさげて。
 白いブルゾンに薄いベージュのニット、黒いスキニーパンツにフェイクレザーの靴。その髪色と端正な顔立ちもあって華奢な印象を与える青年が軽々と荷物を運ぶので、それまでは遠慮がちに送られていた視線の数が増える。それでも本人は気にせずツカツカとゲートに進んでいく__二人分の航空券を持っているのは椿であるのだが。
 椿は青年を追いかけた。重ねたプラスチックの蓋とカップは、通りすがりにゴミ箱へ入れた。
 指先がやけにべたついた。だが上着のポケットに仕舞った航空券を探すうちすぐに気にならなくなった。

 /

 どうも飛行機と張り合って止まない青年を定期的に宥めているうち、二人を乗せた飛行機は昼過ぎに出雲空港に到着した。
 空港には既に宿からの送迎車が到着していた。宿の名前を白抜きにした藍色の法被姿をしたスタッフは好々爺といった小柄な男性で、同じ時刻に送迎する予定だった他の宿泊客が急遽予定を変更したとのことで、三人は早々に送迎車で宿に向かう。
「良い時期においでなさいました」男性は空港の駐車場を出て、念入りな左右確認の後、市街地へ続く道路へ合流した。「十月の末は、実は穴場なんですよ。というのもね、来月頭になりますと、神迎神事(かみむかえしんじ)というのが出雲大社で始まるんですわ」
「日本各地から集まる神を迎える行事ですか」
 旅程を組む際に見かけた言葉だ。後部座席から椿が答えると、男性は顔じゅうの縮緬皺をさらに細かくして頷いた。神、と聞いて出雲市街の様子を興味深そうにしていた隣の青年も顔をこちらへ向ける。
「左様。神迎祭に神在祭と立て続けにありましてね。海岸に神職の皆さんが陣を張って、日本各地から神議り(かむはかり)__これは、日本じゅうの縁結びや作物の収穫なんかの、この国をさらに豊かにするためのこまごましたきめごとのことですがね、そいつをなさるためにお出でになる神様をお迎えするんです。
 そして神議りの間、神様方は出雲大社の十九社(じゅうくしゃ)というこの期間にだけ開かれる広間にお泊りになる。まあつまり、期間限定の神様専用のお宿というところでしょうか」
「つまり、来週からは市内が賑わいますね。どおりで予約が綺麗に埋まっているわけだ」
「まったくその通り。ですからのんびりなさるには、今が一番いい。それに、祭の醍醐味というのは、なにも祭の当日だけのものじゃありません」
 滑らかな話口調で紡ぐ男性は、市街道路の路肩の呉服店や土産店はもちろん、街灯に吊るされた神迎神事のための交通整備や協力要請の広告に目を細くした。
 丁度赤信号で止まった交差点では、市役所の職員だろうか、色あせた青緑の作業着をスーツに羽織った男性が抱えたバインダーに熱心になにかを書き込んでいる。そこへ近くの店から夫婦と思しき男女がやってきて、なにか話しかけ、輪になって難しい顔をしたかと思えば、急に笑い出した。
「どうもこういう仕事をしているもので、こういう祭事の前の、人がわらわらと集まってあれこれ支度をしている日が一番好きです。皆で寄ってたかって、ああでもないこうでもない、と揉めて、決まったとあればどたばた駆けまわる。そして夜なべして支度する。あれが一番楽しい」
 椿は答えなかったが、車内に否定的な空気はなかった。なんとなく横を見れば、青年は再び車窓から市街を見つめている。その口角が上がっているのがガラスに反射して見えた。
「流石に十九社のよう、と宣うのは神様の手前気が引けますが。うちの宿は年中お客様をお出迎えしていますのでね、その点では負けておりませんや。大浴場に貸切風呂、露店も勿論ございます。どうぞおくつろぎください」
 空港から市内を北西へ横断するようにして、宿に到着する。慰安旅行とはいえ、特に出雲大社以外の目的地もないので宿は大社の徒歩圏内から選んだ。
 平地の市街道路から折れ、厳島神社があることで有名な廿日市市は宮島、その中央に鎮座する弥山を背後にした麓に宿があった。
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