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第一章 神が降ってきた
02-3 神(自称)、拾いました
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興味深そうにキッチンカーののぼりや手書きの看板を眺めている青年に、椿は「それで?」と切り出した。「なんだっけ、恩?」
青年はすっと姿勢を正すと「ああ」と重く頷いた。
「曲がりなりにも貴様は私を一晩介抱した。その恩を返さずに去ることなど出来まい」
「介抱って、ただベッドに転がしておいただけだ。碌に手当てもしていないし……」
そこで、椿は気づいた。
椿の目の前に立っている青年の体、衣服から露出した肌には、傷一つない。
昨夜、夜の中でも明らかに見て取れた無数の小さな擦り傷や切り傷が嘘のように消え去っているのだ。傷が塞がったとか、瘡蓋になり剥がれ落ちたとかいうレベルではない。傷跡すらない。
まるで今朝産まれたての赤子のような、降ったばかりの新雪のような白い肌だ。
傷が治ったのではなく、傷が消えている、と言わざるを得ない。
「……私の顔に何か?」
青年は椿の視線に首を傾げ、自分で自分の頬に触れる。
だがすぐに合点がいったようだ。青年はやにわに訳知り顔で「ほほう」と腕を組み、うんうんと何度も頷いた。
「なんだ、私の顔に見惚れたか。ふふん、今朝はじっくり眺める暇もなかったから気づかなんだか。ふふーん。よいよい、普段なら無礼者と𠮟り飛ばすところだが、貴様には一宿の恩がある。仕方ないから好きなだけ眺めるがいい、目に焼き付けることを許、おわーーッ!」
「え?」
「近ッ、近いわ馬鹿者!」
周囲に人がいるからか、青年は器用に小声で叫んだ。椿は丸めていた背中を直し、成年から顔を遠ざけた。
「見ていいんじゃないの?」
「限度があるだろうが痴れ者め! 美しきものの愛で方も知らんのか!」
「いや別に愛でちゃいないけど」
「ハァーーーーーーーッ!?」
「まあ、元気そうでよかった」
キッチンカーの店員が一人降りてきて、順番待ちをしている椿に手製のメニュー表を渡した。ご注文がお決まりでしたら、とにこやかに尋ねられて、椿はホットコーヒーと軽食になりそうなチーズハムのクレープを頼んだ。
「君は?」
そう言ってメニュー表を青年に渡す。だが青年は難しそうな顔をして文字やイラスト描かれたそれを睨むばかりだ。
見かねた椿が腹は減っているかと尋ねると、青年は少し考えてから首を横に振った。その手からメニュー表をそっと取り戻す。
「タピオカミルクティで」
「かしこまりました」
メニュー表の一番右端、ドリンクメニューで目についたのがそれだった。少し前に流行っていたような気がするが、今でも流行っているのだろうか。そもそも流行っていたのが何年前なのかすら定かでない。
少なくとも青年は見た目で言えば椿より背丈は小さいし、顔立ちも凛としているが幼い。
一晩泊めてしまった以上、せめて未成年であってほしくはないが、確かめるのも恐ろしいので聞かないことにする。
メニュー表を返し、店員が車内へ戻っていく。ふと溜息をつけば、青年が椿の顔をじっと見つめていた。
先ほどの意趣返しかと思ったが、青年は眉を顰め、幽霊を目にしたような顔をしていた。
「今朝も思ったのだが、貴様、死人のような顔をしているな」
「はあ」
「寝床を借りた身の上ではあるが、どうなのだそれは。見たところまだ若いだろう。ちゃんと食べているのか」
「お母さん?」
「誰が母だ! 母を違えるなど、貴様、御母堂に謝らんか!」
「ははッ」
椿が笑うと、青年はびくっと震えて黙り込んだ。椿はおやと思う。
(ああ、そういえば__笑ったのも久しぶりだ)
しかも作り笑いでもなく、心から愉快になって。
変な顔になっていたのかもしれない。引き攣るような違和感が頬にあった。それを手のひらで揉んでほぐす。
「ふふ、はあ……表情筋が痛い……」
「き、貴様はなんだ、死人のような顔をしたり、急に笑い出したり」
「いや失礼。俺の顔色は元々だから、気にしなくていい。こう見えて、産まれてから一度も病気にかかったことはないんだ。小さい風邪のひとつも、熱も出したことはない」
「……本当か?」
「本当本当」椿はまだ鈍く痛む顔面を手でこすった。「ま、顔色が悪いのは寝不足だろうな。今月に入ってからまだ休み、ないし」
青年がぽかんと口を開けた。今は九月も下旬だ。キッチンカーの開けたカウンターに置かれた卓上のそれも綺麗なバツ印で三列埋められている。
完全週休二日制など、そんなものは入って一年目までの話だった。気づけば社用携帯には土日でも構わずに営業先から連絡が入る。上司が営業手たちの番号を自分の名刺に印刷して相手先に配って回っているからだ。年中無休でいつでも連絡をくれと。
稼働日が増えれば確かに売り上げも上がるし、相手からの評判も上がり、借りも作ることができる。ただしそれは、無茶が当然になることと引き換えではあるが。
「ハムチーズとお飲み物のお客様!」
店員が満面の笑みを覗かせ、綺麗に包装したクレープを差し出す。椿は「はい」と返事をして受け取り、代金を支払った。「おつりはいりません」
千円札を一枚。代金との差額はほんの数十円だったが、店員は顔を赤くしてありがとうございます、と椿に頭を下げた。「あの、是非またご利用ください」とまで付け加えて。
なんとなくこちらも頭を下げて、椿は紙コップとプラスチックのそれに入ったタピオカミルクティも両手に持って移動した。
できるだけ人の集まりを離れ、公園の出入り口にほどちかい場所に植えられた街路樹の根本にベンチがある。枯葉を払って腰を下ろすと、青年も横に座った。
青年はすっと姿勢を正すと「ああ」と重く頷いた。
「曲がりなりにも貴様は私を一晩介抱した。その恩を返さずに去ることなど出来まい」
「介抱って、ただベッドに転がしておいただけだ。碌に手当てもしていないし……」
そこで、椿は気づいた。
椿の目の前に立っている青年の体、衣服から露出した肌には、傷一つない。
昨夜、夜の中でも明らかに見て取れた無数の小さな擦り傷や切り傷が嘘のように消え去っているのだ。傷が塞がったとか、瘡蓋になり剥がれ落ちたとかいうレベルではない。傷跡すらない。
まるで今朝産まれたての赤子のような、降ったばかりの新雪のような白い肌だ。
傷が治ったのではなく、傷が消えている、と言わざるを得ない。
「……私の顔に何か?」
青年は椿の視線に首を傾げ、自分で自分の頬に触れる。
だがすぐに合点がいったようだ。青年はやにわに訳知り顔で「ほほう」と腕を組み、うんうんと何度も頷いた。
「なんだ、私の顔に見惚れたか。ふふん、今朝はじっくり眺める暇もなかったから気づかなんだか。ふふーん。よいよい、普段なら無礼者と𠮟り飛ばすところだが、貴様には一宿の恩がある。仕方ないから好きなだけ眺めるがいい、目に焼き付けることを許、おわーーッ!」
「え?」
「近ッ、近いわ馬鹿者!」
周囲に人がいるからか、青年は器用に小声で叫んだ。椿は丸めていた背中を直し、成年から顔を遠ざけた。
「見ていいんじゃないの?」
「限度があるだろうが痴れ者め! 美しきものの愛で方も知らんのか!」
「いや別に愛でちゃいないけど」
「ハァーーーーーーーッ!?」
「まあ、元気そうでよかった」
キッチンカーの店員が一人降りてきて、順番待ちをしている椿に手製のメニュー表を渡した。ご注文がお決まりでしたら、とにこやかに尋ねられて、椿はホットコーヒーと軽食になりそうなチーズハムのクレープを頼んだ。
「君は?」
そう言ってメニュー表を青年に渡す。だが青年は難しそうな顔をして文字やイラスト描かれたそれを睨むばかりだ。
見かねた椿が腹は減っているかと尋ねると、青年は少し考えてから首を横に振った。その手からメニュー表をそっと取り戻す。
「タピオカミルクティで」
「かしこまりました」
メニュー表の一番右端、ドリンクメニューで目についたのがそれだった。少し前に流行っていたような気がするが、今でも流行っているのだろうか。そもそも流行っていたのが何年前なのかすら定かでない。
少なくとも青年は見た目で言えば椿より背丈は小さいし、顔立ちも凛としているが幼い。
一晩泊めてしまった以上、せめて未成年であってほしくはないが、確かめるのも恐ろしいので聞かないことにする。
メニュー表を返し、店員が車内へ戻っていく。ふと溜息をつけば、青年が椿の顔をじっと見つめていた。
先ほどの意趣返しかと思ったが、青年は眉を顰め、幽霊を目にしたような顔をしていた。
「今朝も思ったのだが、貴様、死人のような顔をしているな」
「はあ」
「寝床を借りた身の上ではあるが、どうなのだそれは。見たところまだ若いだろう。ちゃんと食べているのか」
「お母さん?」
「誰が母だ! 母を違えるなど、貴様、御母堂に謝らんか!」
「ははッ」
椿が笑うと、青年はびくっと震えて黙り込んだ。椿はおやと思う。
(ああ、そういえば__笑ったのも久しぶりだ)
しかも作り笑いでもなく、心から愉快になって。
変な顔になっていたのかもしれない。引き攣るような違和感が頬にあった。それを手のひらで揉んでほぐす。
「ふふ、はあ……表情筋が痛い……」
「き、貴様はなんだ、死人のような顔をしたり、急に笑い出したり」
「いや失礼。俺の顔色は元々だから、気にしなくていい。こう見えて、産まれてから一度も病気にかかったことはないんだ。小さい風邪のひとつも、熱も出したことはない」
「……本当か?」
「本当本当」椿はまだ鈍く痛む顔面を手でこすった。「ま、顔色が悪いのは寝不足だろうな。今月に入ってからまだ休み、ないし」
青年がぽかんと口を開けた。今は九月も下旬だ。キッチンカーの開けたカウンターに置かれた卓上のそれも綺麗なバツ印で三列埋められている。
完全週休二日制など、そんなものは入って一年目までの話だった。気づけば社用携帯には土日でも構わずに営業先から連絡が入る。上司が営業手たちの番号を自分の名刺に印刷して相手先に配って回っているからだ。年中無休でいつでも連絡をくれと。
稼働日が増えれば確かに売り上げも上がるし、相手からの評判も上がり、借りも作ることができる。ただしそれは、無茶が当然になることと引き換えではあるが。
「ハムチーズとお飲み物のお客様!」
店員が満面の笑みを覗かせ、綺麗に包装したクレープを差し出す。椿は「はい」と返事をして受け取り、代金を支払った。「おつりはいりません」
千円札を一枚。代金との差額はほんの数十円だったが、店員は顔を赤くしてありがとうございます、と椿に頭を下げた。「あの、是非またご利用ください」とまで付け加えて。
なんとなくこちらも頭を下げて、椿は紙コップとプラスチックのそれに入ったタピオカミルクティも両手に持って移動した。
できるだけ人の集まりを離れ、公園の出入り口にほどちかい場所に植えられた街路樹の根本にベンチがある。枯葉を払って腰を下ろすと、青年も横に座った。
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