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第一章 神が降ってきた
01-1 雨、ときどき神(自称)
しおりを挟むいつのまにか寝ていたようだ。
なにか変な夢を見ていたような気がする。だが、思い出せない。
「ん……」
リクライニングを全開まで倒した運転席の上で伸びをする。ゴキ、ボキ、と嫌な音がして凝り固まっていた骨が正しい位置に戻る。痛いやら気持ちいいやらないまぜになった気分を欠伸と共に吐き出す。
閉じ切った社用車のフロントガラスの内側にうっすらと結露が出来てきた。まだ秋口だというのに、夕方から降り出した雨のせいでやけに冷える。
____今、何時だ?
フロント部分のカーナビの電源を入れようとして、エンジンが切れていることに気が付く。どおりで寒いわけだ。助手席に放っていたスーツのポケットから鍵を取り出し、ハンドル脇の穴へ突っ込んで回す。
車がエンジンを吹かせて振動し、カーナビ画面や速度計が一斉に点灯する。
そして死人のような自分の顔がぼうっとフロントガラスに照らし出された。外はもうすっかり夜更けだ。一体何時間寝ていたのやら。
現在時刻23:58。
得意先のいつもの「お願い」と、自分は外回りと無縁になったが最後なんでも快諾する上司のせいで狂った納期に振り回され、運送業者が手配できるはずもなく社用車で倉庫と取引先を何往復したことか。ようやく最後の納品が終わり、やけにでれでれとした得意先の事務員の愚痴話に解放された時にはとうに定時を過ぎていたはずだ。
奇跡的に直帰が許されたがこの疲れ切った頭のまま運転すれば事故を起こしかねないと、コインパーキングに留めた車中で仮眠を取ることにしたのだった。結局、三時間近く眠ってしまったようだが。
幸い、パーキングを出る際に支払った料金は夜間用の割安料金だった。居眠りしようがしまいが、結局自分で払うのだから何時間寝ようと問題ない。
領収書代わりの駐車券を咥えたまま車を発進させる。住宅街のなかにぽつんとある寂れたコインパーキングの周りに人影はないが、念のため注意しながらのろのろと進む。
広い通りは行き交う車のライトが目を焼く。時間はかかるが裏道を通っていこうと決めた。今日はもう二時間も眠っているのだ、最低限の睡眠時間は確保できているし、しかも寝床が変わったせいかよく眠れた気がする。
カーナビのラジオをつけるが、わざとらしいパーソナリティたちの賑やかですっとぼけたやりとりが耳について十秒と経たずに消す。
もう一度欠伸をする。舌の上がやけにざらついていた。
寝起きで喉が渇いているのだ。思えば昼も食べていない。急な外出だったために、常備しているエナジードリンクや箱買いしているコーヒーもすべて社のデスクに積んだまま。
そんなことを考えて水路沿いの侘しい田舎道をのろのろ進んでいると、前方、電柱のそばにぽつんと自動販売機があるのが見えた。
あんなところにあって売り上げがあるのかと疑わしいほどの年季の入り様だった。側面にはなにやら落書きと、見るからに怪しげな水道業者、占い屋のステッカーがむりやりセロハンテープで張り付けてある。
対向車も後続車もいないが、自販機の方へ車を寄せて停車する。いちおうまだ住宅街の中ではあるが、それでも端の方なのだろう、自販機の後ろは落下防止の鉄策をひとつ挟んで水路になっており、その向こうには藪が広がっている。逆側はすっかり廃墟になった空屋(もしかしたら住民がいるのかもしれないが)が立ち並んでいる。
自販機へ千円札を突っ込み、適当な缶コーヒーのボタンを押す。そしてもう一度同じボタンを押す。
取り出し口が詰まりそうになったら缶を取り出して運転席の窓から車内へ放り込み、そして釣銭がなくなるまでまたボタンを押す。
自販機よりも機械的な動き。
それをを繰り返すなかで、視界の端になにかがよぎった。
この暗い夜道にあって反射的に目を引かれたのは、その色の所為だろう。
白。
白い何かが、自販機奥の水路の上流の方に落ちている。
はじめは毛布かシーツでも不法投棄されているのだろうと思った。だが、目を凝らせばすぐにそうではないと分かる。分かってしまった。
分かってしまったのだ、それが人だと。
「ありゃ……」
自販機から取り出した最後の缶を開け、喉を潤しながら水路沿いを歩くこと数メートル。昨日まで雨もなく、今降る雨も霧雨のようなものだ。水位は10センチと無いだろう。
街灯もない暗い水路にあって、その人は自ら発光しているように見えた。
まず目についたのは、長く白いその髪だ。結わえていたのがほどけかけているのか、一筋にまとめられつつも水の流れに沿い魚の鰭のように揺れている。
その髪を辿れば、しみ一つない陶器のような白い肌に、伏せた瞼にならんだ睫毛が濡れて光っている。
人間か、と頭の片隅で疑問が泡のように浮かび、弾ける。
水に濡れるその衣服もまたどこか奇妙で神秘的なのだ。明らかに現代的なものではない。袖のないぴったりとした黒いタンクトップのようなものに、右腕に純白に金箔を散らした着物の袖を通し、腰には戦国武将が纏うような草刷、脛あて、それから絵巻の中で天狗が履いていそうな厚底の下駄。
凛々しく眉を顰めていてなお明らかな、息をのむほど美しい青年だった。
とはいえ__現実的に考えるならば。
「……コスプレ?」
このあたりには碌なスタジオも無さそうだが、もしかするとこの寂れた住宅街や藪のほうで撮影にでも来たグループの一人が足を滑らせて、といったところか。しかしだとすれば他に誰もいないのは不自然ではある。それもこんな夜更けに。
周囲を見回すが、やはり自分以外には誰もいない。
仕方なく携帯をスラックスのポケットから取り出す。
だが、携帯の発信ボタンを押してみても、携帯はうんともすんとも言わない。真っ黒な画面に映る自分の顔とにらみ合って数秒。
充電切れだ。
もはや腹を立てる元気もない。
__これは、助けなければいけないのか?
助けたとなれば、あの青年を川から引き揚げて、車に乗せて、それから警察へ連れて行かねばならない。
__面倒だな。
第三者が聞いていればぎょっとしたかもしれないし、なんなら叱責されたかもしれない。だが正直な気持ちだった。面倒だ。社用車だし、明日も仕事なのだ。出来ることなら足を滑らせて川に落ちたコスプレイヤーなど放って、さっさと帰って寝たい。
川沿いに打ち立てられた転落防止用の鉄策に触る。少し離れた場所に出入りできるドアはあるが、自治体名の記された看板と南京錠が提げられ、施錠されている。
鉄柵の高さは3メートルほど。
まあ、よじ登れば登れない高さではない。人を担いででも、十分に戻ってこれるだろう。
「はあ……」
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