シアター・ハイスクール

幽斎

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第三場

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 その日、俺は夢を見た。昔の夢だ。自分にとって過去最低最悪の悪夢。

 俺は悠々と舞台の上に立っている。
 照明の光を浴び、荘厳な音楽が流れ、煌びやかな衣装に身を包み、俺は舞台の上に存在する。
 俺がこの世界を構築し、観客は皆、俺の虜。
 俺が台詞を喋れば観客は涙を流し、俺が手を振れば歓声が上がる。
 他の登場人物など、俺を引き立たせるための舞台装置でしかなかった。会場の視線を独占し、俺は演じ続ける。

 そして、気付いた。

 観客が俺を見ている。
 俺だけを見ている。
 何故か。

 そこには、文字通り、俺しか居なかったからだ。

 婚約者フィアンセ役である彼女の姿が無かった。

 彼女は……?

 彼女が舞台上に登場しなければ、俺は次の台詞を言えない。
 これから、ロマンティックで情熱的な恋のシーンに移る筈なのに。
 じっとりと、気持ちの悪い汗が全身から溢れ出た。
 台詞も言えぬまま、顔面を蒼白に染めた俺を、惨めにも怯えている俺を、観客たちが見ている。

 止めろよ。見るなよ。俺を見るなよ。

 彼女は?
 どうして舞台上に現れない?
 彼女が登場すれば、時間の止まってしまったこの世界が再び息を吹き返すというのに、一体どこへ。

 あんなに、練習したじゃないか。
 何度も何度も、声が擦れるまで稽古を重ね、感動的な舞台にしようと誓いあって、努力して………!

 俺が慌てふためき、客席からは大きなどよめきの声が生まれる。そんな時。
 ついに彼女の姿を見つけた。
 彼女は、俺の事を見ていた。
 舞台上には登場せず、舞台袖の奥で、俺を見ていた。

 そして、笑っていた。

     ◇

 ハッと目が覚め。茫然と辺りを見回す。
 いつもの、ボロアパートの汚い天井と、散らかった部屋が映るばかりだ。
 汗を吸いビシャビシャとなったTシャツが体に張り付く。最高に気持ち悪い。
 鈍く痛む頭を持ち上げ、身体を起こし、床から煙草とライターを拾い上げ、窓を開けベランダへ。

 地平線の彼方が白んで来ているが、まだ世の中は暗い。
 朝の新鮮な空気で大きく深呼吸。身体の中を浄化し、マールボロのアイスブラストを1本取り出し銜えて、フィルター内に仕込まれたメンソールカプセルを噛み潰し、安物のジッポで火を着ける。
 毒煙を吸い込み、一気に吐き出す。メンソールの清涼感で頭が覚めた。

「あー……」

 最悪。マジで最悪。
 寝覚めは胸糞悪いが、一晩たったお陰もあり昨日の自分に対し強い羞恥心が生まれた。同時に一つ、小さな謎が胸に引っかかる。

「三島が、俺の芝居を観た……ねえ……」

 あり得ない話では無いだろう。芝居の演目も俺の演じた役も知っていたし。
 『お気に召すままを』をやったのは、今から三年前、二十五歳の頃、俺がまだ準座員として劇団に所属していた時の本公演で上演した。当時、名だたる名優を退け、新人の俺がジェークイズを演じれたのは運が良かったとしか言いようが無い。評判はそれなりに良かったが、個人的には納得のいく役作りは出来なかった。新人の分際で大役を引き受けたものだから先輩の座員からは目を付けられもした。
 まあ、それも過去の話だから今更どうでも良いが。

 そんな事よりも、役者として俺が活動していたのは東京で生活をしていた時の話だ。当時、三島は岡山県の片田舎に住むただの女子中学生。
 中学生がわざわざ東京まで芝居を見に来るだろうか。
 絶対に無いとは言い切れないが、どうも引っかかる。
 と、まあ、そんな事いくら考えても分からないのだが。
 何はともあれ。

「学校行きたくねー……」

 教師だって登校拒否くらいしたくなる。

     ◇

 とは云え。学校には行かなければならない。
 何故かって?
 俺達教師は、生徒と違って生活が掛かっているからだ。クビになったら困る。
 朝のホームルーム。当たり前の話で、俺はあの三人の副担任なわけで、あいつらの居る教室に行かなければならない。

 案の定、三島は気まずそうに顔を伏せ、八千草は敵意にも似た視線を俺に送り、澤野は……普段通りだ。
 でもまあ、仕事中だしな……仕事の時くらい、切り替えてやらねば。
 なんて、そんなうまく切り替えられるなら誰も苦労しないっての。

「小田島先生!」
「……はい?」
「もう、さっきから呼んでいるのに。先生。何か伝達事項はありますか?」
「……いえ、ありません」
「しっかりしてくださいよ。小田島先生」
「すんません」

 やってしまった。
 俺、ダサい。

「逍遥! しっかりしようようルビ!」

 クラスでひときわ背の高い男子生徒である桐谷がクソ寒い駄洒落をバカみたいな顔して発言した事により、生徒達から爆笑の渦が生まれる。

 桐谷、マジ殺す。
 背が高くてイケメンだからって何でも許されると思ってんなよ?
 大人の怖さを、単位と言う名の凶器を突きつけて分からせてやるからな。
 額に青筋を浮かべ、桐谷への制裁処置を画策しながらホームルームが終わり、逃げるように教室から立ち去る。

 すると、同じく職員室に向かう金久保先生が隣に並び口を開いた。

「小田島先生、昨日のこと、大分気にされてるみたいね……」
「いや何言ってんすか、全然気にしてないっすよ」

 強がって答えるが、金久保先生には全てお見通しのようだ。

「そうですか……八千草さん達とは、今日の放課後、改めて話し合いをすることになっていますので、先生も同席してくださいね」
「え、嫌っすよ……八千草達だって、昨日の俺を見て、こんな男が顧問じゃ嫌でしょ……?」
「ええ……昨日、私が職員室から出るのを3人が待っていましてね、特に八千草さんは、あなたの事をボロカスに言ってたわ」
「マジすか、ボロカスっすか」

 しようが無い事とは云え、それを本人に伝えなくてもよろしいのでは?
 俺だって人並みに傷つくんですよ?

「でも、顧問、本当に引き受けない気ですか?」
「だから、そう言ってるじゃないですか……なんか、金久保先生は俺に顧問をやって欲しいみたいですけど、こんな俺が顧問じゃ、あいつらが可哀そうでしょ」
「生徒を言い訳に使わないの……まったく、逍遥先生は素直じゃない癖に分かりやすいのよ」
「それ、どういう事ですか……?」
「そのままの意味よ……先生、あなたの過去がどうあれ、今は教師なのよ? 私は、あなたが立派な教師になってくれると、確信にも似た思いを抱いているの」
「いやに持ち上げるじゃありませんか。俺、今日はそんなに持ち合わせ無いっすよ?」
「結構よ。私が教育しなきゃならないのは、生徒だけにあらず……あなたも私から見れば、生徒達と変わりないわ……そういうことなの」
「いや、わかんないっす」
「今はね……とりあえずは、今日の放課後」

 なんだかすっきりしないままに会話も終わり、職員室に到着して、授業の準備に取り掛かる。金久保先生の担当教科は社会科で資料や地図など準備する物も多い。

 対して俺は一時限目の授業が無いし、のんびり準備をすれば良いや。
 とりあえず、煙草を吸いに行こう。近頃は学校敷地内の禁煙化が進み、喫煙者は肩身が狭い。
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