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元気の出るおまじない

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 運営の受付は人で溢れていた。硝子張りの外壁からも察したが、やっぱりバグが各所で起こっているらしい。

 治療部の部屋が慌しく開かれ、担架に寝かされた人が運び込まれて行く。
 耳に残る呻き声が、扉によって閉ざされた。
 あさひなさんたちに助けてもらわなかったら、俺たちもああなっていたのかも知れない。遅れて凍った背筋に、身震いした。

「……思っていたよりも深刻ですね……」

 小さく呟いたあさひなさんの言葉に、微かに首肯する。
 対応に追われる職員さんにNPCに、怒鳴る音や泣きじゃくる声。
 とてもではないが、一言報告するにも多大な時間を有しそうだ。シエルドくんへ目配せする。

「……報告、また今度じゃダメかな?」
「一応メールで送ってみたから、これで勘弁してもらおう?」
「シエルドくん、えらい!」

 閉じられた青い画面が掻き消え、シエルドくんがほんのり笑う。
 ……あさひなさん、その自動で出てくるカメラ、下ろしましょうか。

「NPCの姉ちゃんには伝えてきた。何かあれば、連絡が来るだろ」

 乱雑に頭を掻きながら戻ってきたマスターが、他の応対に追われるNPCのお姉さんへ親指を向ける。
 ならば混雑したこの場に居続ける意味もないだろう。戻りましょう、提案した。



 *

 戻ってきたギルドの部屋にはまだそんなにお世話になっていないというのに、とてつもない安堵感を覚えた。
 シエルドくんとソファへ倒れ込み、詰めていた息を吐き出す。
 生きている実感をしみじみと感じる……!

「お疲れさん。今日はよく眠れるぜ?」
「だと思う。夢に見そうだけど」
「はははっ」

 ぐったりソファに埋もれるシエルドくんが、くぐもった声を出す。脱力し切ったその様子を、マスターと一緒に笑った。
 時計を確認したあさひなさんが、やんわりと目許を和らげる。

「あと一時間ほどでメンテナンスが始まりますね」
「あ、それ! いつもはさ、個人のお知らせのところにも出るよね!?」

 ぴょんと跳ね起きたシエルドくんが、前髪を跳ねさせながら食いつく。
 ぱちりと瞬いたあさひなさんとマスターが、互いに顔を見合わせた。

「出ていたはずですが……」
「うそ!? ポップアップ?」
「ポップアップです」
「あの、どういう意味ですか……?」

 玄人の会話について行けず、恐縮しながら挙手する。
 俺の後ろに回ったマスターが、深い声で「画面出してみろ」指示した。
 言われた通り、青い画面を開く。

「ここのお知らせ欄にな……ん? 既読になってんぞ?」
「えっ」

 白く華奢な指先が画面に触れ、開かれた一覧が沢山の表題を並べる。
 その中で一番上の件名のみ、薄い色で表示されていた。
 俺はこの画面を初めて立ち上げたため、他のものには【未読】の表示がされている。
 シエルドくんも画面を開き、訝しむように首を傾げていた。

「……ぼく、ここのお知らせは確認するんだけど、今日は反応なかったし、触らなかったよ」
「そんなはずは……。今日はログイン直後に、真っ先にこの画面が開きましたよ?」
「ええっ、なかったよ? ねえ、ユウ?」
「うん……。俺、そもそもこの画面、初めて知ったし……」
「どういうことでしょう……」

 確認した覚えのない通知が、既読になっている。
 それもひとりだけではなく、ふたり。もしかすると大勢。

 四人の悩み深い声が、秒針の跳ねる音に混ざる。
 開きっ放しの俺の画面を、ソファの背凭れ越しにマスターが動かした。スライドされ、新たに開かれるそれらが目まぐるしい。

「ログイン時間の差か? にしても、既読の意味はわかんねぇよな」
「……ここで考えていても埒が明きません。時間も迫ってますし」
「あ。なあ、ユウ。橙色の画面って、何処だ?」

 眉尻を下げたあさひなさんの言葉を遮り、唐突に出された問い掛けにきょとんと瞬く。
 マスターにも知らないことって、あるのかな?

 疑問に思いながら、いつも橙色の画面が表示される箇所へ目を落とした。

「えっと、この辺に……あれ? いつの間に消えたんだろう?」
「ユウさん、……橙色の画面って、何でしょうか?」
「え?」

 あさひなさんの言葉に、冷や水を浴びせられたような心地に陥る。
 玄人のマスターとあさひなさんが知らない画面?
 そんなまさか。だってメインストーリーのアナウンスとか、体力管理とか、色々やってるはずなのに!

 主張し出した心音が耳許に、恐る恐るシエルドくんへ顔を向けた。

「シエルドくん、は……?」
「ううん、知らない」
「えっ、待って! さっき行った星屑の森でも橙色出てたし、敵出る度に凄い音出してたよ!?」
「え、」

 思わず立ち上がり、大きく訴える。
 あのとき、あの画面は警告音を発し、俺の体力の減少に対して、回復か逃走を選択肢として迫った。
 あさひなさんとの通信の音声が聞こえるのなら、あのけたたましい警告音だって聞こえているはず。
 なのにシエルドくんの表情は驚愕の一点のみで、どう見ても認知していない。
 すっと体温が下がる感覚がした。硬直した空気が、秒針の音だけを無機質に響かせる。

「……じゃあ、あの画面、なんなんだ……?」

 ぽつりと呟いた俺の一言に、突然数多の画面が立ち上がった。
 俺の周りを取り囲むように展開した青い画面には、大小関係なく真ん中に同じ一言が表示されている。
 視認した瞬間、言葉をなくしてその場にへたり込んだ。


『みてるよ』
『みてるよ』
『みてるよ』
『みてるよ』
『みてるよ』
『みてるよ』
『みてるよ』
『みてるよ』
『みてるよ』
『みてるよ』
『みてるよ』
『みてるよ』


 本来表示されているはずの文字も表も掻き消し、たった一言を表示し続ける画面。
 俺の心が死んだのは言うまでもない。
 小刻みに震える肩をマスターが支え、一瞬でそれらを消し去った。

「熱烈じゃねぇか。報告案件だな」
「ユウさん、少し目を閉じていてください」

 あさひなさんに目許を塞がれ、再び画面が展開する気配がする。
 触れる白い指先はひんやりとした体温で、するりと離されたそれに、恐る恐る薄目を開けた。

「……大丈夫です。元に戻っています」
「……ありがとう、……ございます」
「ユウは怖いの苦手だったな!」
「……泣きそう……」

 じわりと滲んだ目許の水分を、指先で払う。
 ポケットから飴を引っ張り出したシエルドくんが、俺の口にそれを押し込んだ。
 困ったような微笑みを浮かべ、俺の頭をよしよし撫でる。

「元気の出るおまじない。また一緒に報告に行こう?」
「……すん」

 天使は現存していた。
 こくりと頷いたところで再び意図せず画面が開き、俺の心が死んだ。

 どうやらこちらは正式な公式のお知らせらしく、本来ならばこのようにポップアップされるらしい。
 みんなの前にも現れている画面に安堵する。
 く、くそう、タイミングが悪いじゃないか……!
 過剰に驚いた俺の背をあさひなさんが撫で、シエルドくんが手を握ってくれた。

 お知らせの内容は、メンテナンス時刻が迫っていることの通達だった。
 読み終わったマスターが、小さな手で俺の頭をわしわし撫でてくれる。
 幼女の顔でおっさんくさい笑顔に、今、心底癒されている……。

「じゃあ、この辺でお開きにしようぜ。ユウ、ゆっくり休めよ!」
「夢に見そうです……」

 押し出した声は、情けないことに震えていた。
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