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永遠に求め愛
ep19:泡沫の夢
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その日は珍しく夢を見た。父と母と兄二人と歓談する夢。お茶とお菓子を囲んで、自分も綺麗な令嬢のドレスを纏っている。
『ユーリの縁談も進めなくてはな、浮いた話の一つもないとは……』
父が切り出すと母が微笑む。
『あら、あなた。ユーリは自分を特別なお姫様にしてくれる殿方をお探しなんですから。焦ってはいけませんわ』
『お姫様なんてガラか?本の虫が。そんな物好きいないだろ』
『こら、ユーリは可愛いだろ。でもユーリの魅力に気づかないなんてことになったら……お兄ちゃん心配で眠れないよ』
次兄と長兄も各々反応をみせた。自分の姿からして、これは現実ではないとわかる。この光景も都合のいい幻だ。
それでも、ユーリは伝えたかった。
『大丈夫だよ、みんな』
ユーリの背後にギルが現れる。左手をユーリの肩に乗せて、目を合わせる。ユーリはとびきり幸せそうに笑った。
『おれの王子様、出会えたから』
家族が微笑んだ気がした。ユーリはそこで目が覚める。窓からは朝日が登り始めていた。
隣を見るとギルはすうすうと寝息を立てていて、ユーリはホッとする。
「おれの、王子様」
確かめるように口にする。自分はギルだけの特別なお姫様だと言われたことが嬉しくて胸がいっぱいになる。
いつまでもこうしていたいが、今日はダイルに稽古をつけてもらう約束をしていたのでそろそろ起きなければ……。
ユーリはそっと起き上がり寝台から降りる。そして備え付けられたテーブルからメモを取り出し、書き置きを残すとそっと部屋を出た。
しばらくして、ようやくギルが起きる。隣にユーリがいなくて焦るがテーブルのメモを見て口の端を上げた。
その書き置きには捻くれたユーリらしい言葉が綴られている。
“生憎ガラスの靴は履いてないが、おまえなら見つけられるだろ”
こんなもの探しにこいと言っているようなものである。ギルはクスリと笑うと書き置きを大事に胸ポケットに入れて、ユーリを探しに部屋を出たのだった。
兵士の詰所の訓練場で、剣と槍の混じり合う音が響く。他の兵士もその武器を持つ二人の戦いに目を奪われていた。
ユーリが槍で胴体を突こうとするとダイルが剣で防ぐ。その逆も然り。ダイルの攻撃をユーリが避け、槍で薙ぎ払う。その攻撃をダイルが剣で受け止めると二人は距離を取るために下がる。
「はぁっ……はぁ」
双方息を切らしながら呼吸を整える。戦いを見届けていた兵士達は感嘆の声をあげる。どちらが勝つかと賭けまで始まっているくらいだ。また兵士の数も増え、訓練場はいつもより賑やかだ。
「そこまで!」
レックスの声が響く。二人は武器を下ろした。
「どうやら勝負はお預けですね、ダイルさん」
「そうだな。だが次も俺は負けないぞ、ユーリ」
「おれだって負けませんよ」
そんな言葉を交わしながら、二人は整列する。レックスがそれを見届けて手を叩いた。
「よし、じゃあ朝食にするか!」
そう言うと兵士達は解散し各々食事を取りに向かう。ダイルとユーリもそれに続こうとするとレックスに呼び止められた。
「ユーリ、ギルはどうした?」
「え?まだきてないんですか?」
ユーリはおかしいと思い怪訝そうな顔をする。確かに場所は書かなかったがギルのことだからすぐに詰所に現れると思っていた。ダイルも呆れる。
「まだ寝てるのかギルは」
「確かにあいつは夜行性だが……」
「おれ、探しに行ってきます」
そんな会話をしていると、クリスが珍しく慌てて3人の所へやって来た。
「ギルが倒れたって」
クリスの言葉にダイルとユーリは目を見開いた。レックスは落ち着いているようで、既に指示を出そうとしている。
「ダイル、クリス、俺はユーリと先に行くから後は頼むぞ!」
レックスが駆け出すがユーリは動けない。見かねたクリスとダイルが背中を押す。
「しっかり」
「まだ何もわからないだろう」
二人の励ましにユーリも落ち着き、こちらを振り返り先で待つレックスの後を追って走り出した。朝方まで一緒にいたのに……ユーリはぐっと奥歯を噛み締めて走る。
一方ギルは医務室の寝台で眠っていた。側にはトワがついて様子を見ている。
「まだ起きない?」
トワは不安げにギルの顔を覗き込む。ギルが倒れてから少ししか経ってないが、彼は死んだように眠り続けている。寝台の横に椅子を置いてトワは座っている。時折、脈に触れたりするが目覚める気配はない。
すると突然バンっと大きな音がして扉が開き、レックスとユーリが入ってきた。
「ギルっ!……トワ、ギルはどうだ?」
「レックス、ユーリ。それが……」
レックスがトワに話を聞く間、ユーリはトワの横に行き、ギルの姿を目の当たりにして体が震えた。恐る恐る手に触れるが、握り返してはこない。
「街で賊を見つけて、捕まえる時に薬を被ったらしいの」
「薬?」
「医師がいうにはどんな薬の効果があるかまだわからないらしくて。ギルが目を覚ませば調べられるんだけど」
二人の話を聞いてる途中でダイルとクリスもやってきた。全員が揃う。ユーリはギルの手をぎゅっと握った。
すると、ぴくっと指が動く。ユーリが慌てて顔をあげると、ギルはゆっくり目を開けていた。
「ギル!よかった……」
ユーリが涙ぐむとギルは彼女を見て驚いた顔をした後、握る手を振り払った。
「何気安く触ってんの」
「は……?」
ユーリはわけがわからず、後ろにいるレックス達も戸惑った。ギルの態度が明らかに違うのである。
ユーリを見るその目も酷く冷たく、声も淡々としていた。これが薬の効果なのかとトワに顔を向けるとギルもそちらを見る。
そして、ユーリの時とは違い今までと同じような態度でレックス達に接した。
「殿下にトワさん、ダイルの旦那にクリスちゃんもどうしたんですか?というか、なんでトワさんを拉致したことある奴がここに?」
ユーリのことを指してそう呼ぶギル。全員が目を見開き驚愕する。
「ギル、どうした。ユーリだぞ」
レックスが説明しようとするがギルは気にも止めない。
「ああ?ユーリ?それは知ってますよ。そのユーリがどうして殿下達と一緒にいるんですかって話をしてるんですよ」
ギルの発言に益々困惑した。トワが一つの仮説を立てる。
「もしかして、ギルがかけられた薬の効果は記憶喪失なのかも」
「ユーリのことだけか?」
「それしかこの状況は説明がつかないよ」
ギルの態度からトワの仮説の信憑性が増す。そしてどうしたものかと悩む。ユーリはただ、自分とは一度も目を合わせないギルを見つめた。
「っ……」
気持ちが言葉にならない。このままでは泣いてしまうと思い、たまらず立ち上がる。
「殿下、おれ部屋に戻ります」
「……ああ。ユーリ、一人で思い詰めるなよ」
優しいレックスの言葉をぐっと堪えて、ユーリは駆け出した。自分の部屋につき、寝台に頭を押し付ける。昨夜もここで一緒にいたのに、急に、なんで……そんな想いばかりが頭を支配する。
ギルの目を思い出す。あんな、敵を見るみたいな目、久々に見たなと嘲笑しながら……ユーリはただ悲しくて涙を流した。
翌日になってもギルの症状は戻らなかった。幸い他に異常もなく、それはよかったと心から思う。
しかしユーリにとっては自分を忘れられる……自分との思い出を無かったことにされているこの状況に参っていた。顔色も悪くなり、トワに止められ今日は部屋にこもり寝台で横になる。
ギルが自分との思い出を無くしているのなら、自分もその方がいいのではとさえ思ってしまう。
コンコン……とノックが聞こえた。ユーリはベッドに横になったまま返事をしない。もう一度ノックをするが返事がないので仕方なくレックスが入ってきた。
「部屋入るぞ……」
そう言いながら入ってきたレックスを無言で迎えるユーリの顔はどこか暗い。寝台に近づくので身を起こして座った。何も話さないユーリにレックスはしばらく何も言わずにいた。
しかしいつまでもこのままにしておくわけにはいかない。
「あのなユーリ。ギルはもういつも通りだが、おまえはしばらく休め」
レックスの言葉にユーリは力なく答えた。
「それは、おれが邪魔だからですか?」
「違う。おまえの心を守るためだ」
レックスはそういうとユーリの目をまっすぐ見つめる。
「おまえは俺の大事な騎士だ。おまえに何かあっては、絶対にならない」
レックスはそう告げて微笑む。その優しい顔にユーリの心が痛む。情けない姿を見せていることに、哀れすぎる自分に暖かい言葉をかけてくれるレックスに、申し訳なさと感謝でいっぱいになる。
ユーリは涙を堪え、震える声を誤魔化して笑ってみせる。
「レックス殿下は、ずるいです」
「なんだ。せっかく慰めようとしてるのに」
そんな冗談を言いながら、ようやくユーリが笑ってくれたことにレックスも笑った。
その様子を疑い深く監視してるギルがいるとも知らずに。
レックスも戻り、また部屋に一人。静かだなと思いながらも、レックスの暖かさを噛み締めて、ユーリは布団に潜る。
とにかく何もしたくないので、こうしてるのが一番だと自分の中で最善の行動をとった。
母が亡くなり父も兄もいなくなった日の夜も、こんな風に隠れて寝ていたなと思い返してしまう。ああ、また……こんな悲しく惨めな思いになるなんてなと自分を嘲笑ってしまった。
どれくらい時間が経っただろう。窓の外は月明かりが差し込み、そろそろ深夜に近い。ユーリはじっとしたまま寝付けず、ただ天井を眺める。
「ユーリ……」
声がしたのでそちらを見るとギルが扉の所にいた。手には水が入ったコップを持っている。
「汗かいてるから喉乾いてるかと思って」
ギルはそう言って寝台の端に腰かける。ユーリは身構えつつもその水を素直に受け取り、ゆっくり飲み干した。
それを机に置くと、ギルの方を見ずに一言「ありがとう」と小さく告げる。
目を合わせられない。またあんな冷たい目をされたらと思うと。そもそも何故ギルはここにきたのだろうか。あんなに敵対心剥き出していたのに。
ユーリは考える。そしてああ、そうかと納得した。監視だと。初めて会った時と同じ。常に一挙一動見張られて、不快な眼差しに嫌悪した日々。またそれを味わうのかと、やはり自分と過ごした記憶だけ失っているんだなと実感する。
「何しにきた?」
自分から切り出すとユーリはぐっと布団を掴んだ。何かに縋らないと平静を保てない。
「おおかた、殿下と話してる時も覗いてたんだろ。おまえの大切な人たちが、得体の知れないおれなんかに優しくして困惑してるんだろ?」
ユーリが吐き捨てるように言う。ギルは冷たい声で「そうだよ」と素直に答えた。
「俺の中では、あんたはトワさんと殿下の敵。それだけだ。だから、殿下達の態度にも頭が追いつかない。トワさんにもダイルの旦那にもクリスちゃんにもユーリのことを教えられても、俺の中にあんたとの関わりがないからピンとこない」
ギルの冷静な声がユーリの胸に刺さる。それでも何か反論しようと口を開く。
「っ……」
だが言葉が出てこない。トワやダイル、クリスが自分を知らないギルに何とか伝えようとしてくれたことを聞かされて、自分だけが何もできず、悔しいはずなのに……今は、自分を知らないギルを目の前にして、どうしていいかわからない。
あんなに好きと言ってくれたのに、あんなに大切に抱きしめてくれたのに、特別なお姫様だと……願いを叶えてくれたのに。
悲しくて悔しくて、なんで忘れてる、なんで俺のことだけ覚えてない。なんでどうしてと意味のないことばかり頭に浮かび、ユーリの視界が涙で霞む。
ここで泣いたら本当に負けを認めることになると堪えようとするが無理だった。もうどうしていいかわからない。
ただ、悔しいと涙が溢れた。ギルはそんなユーリを無言で見つめる。
「わかったから、さっさと出ていけよ」
ユーリが手荒くギルを追い出そうとするので、ギルは眉根を寄せて立ち上がった。
「……」
部屋を出ていこうとするギルにこちらを振り向かないかと期待して、そんなことあるわけなくて、ユーリも唇を噛み締めて堪えるしかなかった。
パタンと扉が閉まり一人になった部屋で堪えきれずユーリは泣く。このまま眠りたいのにまた怖くて、結局いらぬことをぐるぐる考えて……気づけば、朝になっていた。
そんな日が続く。眠れない日々。様子をみにきたトワに心配され、医師からも睡眠薬を処方された。無理やりにでも寝ないといけないのは理解している。それでも、薬が飲めない。眠ると全てが終わってしまいそうで、怖くて寝付けないのだ。
『ユーリの縁談も進めなくてはな、浮いた話の一つもないとは……』
父が切り出すと母が微笑む。
『あら、あなた。ユーリは自分を特別なお姫様にしてくれる殿方をお探しなんですから。焦ってはいけませんわ』
『お姫様なんてガラか?本の虫が。そんな物好きいないだろ』
『こら、ユーリは可愛いだろ。でもユーリの魅力に気づかないなんてことになったら……お兄ちゃん心配で眠れないよ』
次兄と長兄も各々反応をみせた。自分の姿からして、これは現実ではないとわかる。この光景も都合のいい幻だ。
それでも、ユーリは伝えたかった。
『大丈夫だよ、みんな』
ユーリの背後にギルが現れる。左手をユーリの肩に乗せて、目を合わせる。ユーリはとびきり幸せそうに笑った。
『おれの王子様、出会えたから』
家族が微笑んだ気がした。ユーリはそこで目が覚める。窓からは朝日が登り始めていた。
隣を見るとギルはすうすうと寝息を立てていて、ユーリはホッとする。
「おれの、王子様」
確かめるように口にする。自分はギルだけの特別なお姫様だと言われたことが嬉しくて胸がいっぱいになる。
いつまでもこうしていたいが、今日はダイルに稽古をつけてもらう約束をしていたのでそろそろ起きなければ……。
ユーリはそっと起き上がり寝台から降りる。そして備え付けられたテーブルからメモを取り出し、書き置きを残すとそっと部屋を出た。
しばらくして、ようやくギルが起きる。隣にユーリがいなくて焦るがテーブルのメモを見て口の端を上げた。
その書き置きには捻くれたユーリらしい言葉が綴られている。
“生憎ガラスの靴は履いてないが、おまえなら見つけられるだろ”
こんなもの探しにこいと言っているようなものである。ギルはクスリと笑うと書き置きを大事に胸ポケットに入れて、ユーリを探しに部屋を出たのだった。
兵士の詰所の訓練場で、剣と槍の混じり合う音が響く。他の兵士もその武器を持つ二人の戦いに目を奪われていた。
ユーリが槍で胴体を突こうとするとダイルが剣で防ぐ。その逆も然り。ダイルの攻撃をユーリが避け、槍で薙ぎ払う。その攻撃をダイルが剣で受け止めると二人は距離を取るために下がる。
「はぁっ……はぁ」
双方息を切らしながら呼吸を整える。戦いを見届けていた兵士達は感嘆の声をあげる。どちらが勝つかと賭けまで始まっているくらいだ。また兵士の数も増え、訓練場はいつもより賑やかだ。
「そこまで!」
レックスの声が響く。二人は武器を下ろした。
「どうやら勝負はお預けですね、ダイルさん」
「そうだな。だが次も俺は負けないぞ、ユーリ」
「おれだって負けませんよ」
そんな言葉を交わしながら、二人は整列する。レックスがそれを見届けて手を叩いた。
「よし、じゃあ朝食にするか!」
そう言うと兵士達は解散し各々食事を取りに向かう。ダイルとユーリもそれに続こうとするとレックスに呼び止められた。
「ユーリ、ギルはどうした?」
「え?まだきてないんですか?」
ユーリはおかしいと思い怪訝そうな顔をする。確かに場所は書かなかったがギルのことだからすぐに詰所に現れると思っていた。ダイルも呆れる。
「まだ寝てるのかギルは」
「確かにあいつは夜行性だが……」
「おれ、探しに行ってきます」
そんな会話をしていると、クリスが珍しく慌てて3人の所へやって来た。
「ギルが倒れたって」
クリスの言葉にダイルとユーリは目を見開いた。レックスは落ち着いているようで、既に指示を出そうとしている。
「ダイル、クリス、俺はユーリと先に行くから後は頼むぞ!」
レックスが駆け出すがユーリは動けない。見かねたクリスとダイルが背中を押す。
「しっかり」
「まだ何もわからないだろう」
二人の励ましにユーリも落ち着き、こちらを振り返り先で待つレックスの後を追って走り出した。朝方まで一緒にいたのに……ユーリはぐっと奥歯を噛み締めて走る。
一方ギルは医務室の寝台で眠っていた。側にはトワがついて様子を見ている。
「まだ起きない?」
トワは不安げにギルの顔を覗き込む。ギルが倒れてから少ししか経ってないが、彼は死んだように眠り続けている。寝台の横に椅子を置いてトワは座っている。時折、脈に触れたりするが目覚める気配はない。
すると突然バンっと大きな音がして扉が開き、レックスとユーリが入ってきた。
「ギルっ!……トワ、ギルはどうだ?」
「レックス、ユーリ。それが……」
レックスがトワに話を聞く間、ユーリはトワの横に行き、ギルの姿を目の当たりにして体が震えた。恐る恐る手に触れるが、握り返してはこない。
「街で賊を見つけて、捕まえる時に薬を被ったらしいの」
「薬?」
「医師がいうにはどんな薬の効果があるかまだわからないらしくて。ギルが目を覚ませば調べられるんだけど」
二人の話を聞いてる途中でダイルとクリスもやってきた。全員が揃う。ユーリはギルの手をぎゅっと握った。
すると、ぴくっと指が動く。ユーリが慌てて顔をあげると、ギルはゆっくり目を開けていた。
「ギル!よかった……」
ユーリが涙ぐむとギルは彼女を見て驚いた顔をした後、握る手を振り払った。
「何気安く触ってんの」
「は……?」
ユーリはわけがわからず、後ろにいるレックス達も戸惑った。ギルの態度が明らかに違うのである。
ユーリを見るその目も酷く冷たく、声も淡々としていた。これが薬の効果なのかとトワに顔を向けるとギルもそちらを見る。
そして、ユーリの時とは違い今までと同じような態度でレックス達に接した。
「殿下にトワさん、ダイルの旦那にクリスちゃんもどうしたんですか?というか、なんでトワさんを拉致したことある奴がここに?」
ユーリのことを指してそう呼ぶギル。全員が目を見開き驚愕する。
「ギル、どうした。ユーリだぞ」
レックスが説明しようとするがギルは気にも止めない。
「ああ?ユーリ?それは知ってますよ。そのユーリがどうして殿下達と一緒にいるんですかって話をしてるんですよ」
ギルの発言に益々困惑した。トワが一つの仮説を立てる。
「もしかして、ギルがかけられた薬の効果は記憶喪失なのかも」
「ユーリのことだけか?」
「それしかこの状況は説明がつかないよ」
ギルの態度からトワの仮説の信憑性が増す。そしてどうしたものかと悩む。ユーリはただ、自分とは一度も目を合わせないギルを見つめた。
「っ……」
気持ちが言葉にならない。このままでは泣いてしまうと思い、たまらず立ち上がる。
「殿下、おれ部屋に戻ります」
「……ああ。ユーリ、一人で思い詰めるなよ」
優しいレックスの言葉をぐっと堪えて、ユーリは駆け出した。自分の部屋につき、寝台に頭を押し付ける。昨夜もここで一緒にいたのに、急に、なんで……そんな想いばかりが頭を支配する。
ギルの目を思い出す。あんな、敵を見るみたいな目、久々に見たなと嘲笑しながら……ユーリはただ悲しくて涙を流した。
翌日になってもギルの症状は戻らなかった。幸い他に異常もなく、それはよかったと心から思う。
しかしユーリにとっては自分を忘れられる……自分との思い出を無かったことにされているこの状況に参っていた。顔色も悪くなり、トワに止められ今日は部屋にこもり寝台で横になる。
ギルが自分との思い出を無くしているのなら、自分もその方がいいのではとさえ思ってしまう。
コンコン……とノックが聞こえた。ユーリはベッドに横になったまま返事をしない。もう一度ノックをするが返事がないので仕方なくレックスが入ってきた。
「部屋入るぞ……」
そう言いながら入ってきたレックスを無言で迎えるユーリの顔はどこか暗い。寝台に近づくので身を起こして座った。何も話さないユーリにレックスはしばらく何も言わずにいた。
しかしいつまでもこのままにしておくわけにはいかない。
「あのなユーリ。ギルはもういつも通りだが、おまえはしばらく休め」
レックスの言葉にユーリは力なく答えた。
「それは、おれが邪魔だからですか?」
「違う。おまえの心を守るためだ」
レックスはそういうとユーリの目をまっすぐ見つめる。
「おまえは俺の大事な騎士だ。おまえに何かあっては、絶対にならない」
レックスはそう告げて微笑む。その優しい顔にユーリの心が痛む。情けない姿を見せていることに、哀れすぎる自分に暖かい言葉をかけてくれるレックスに、申し訳なさと感謝でいっぱいになる。
ユーリは涙を堪え、震える声を誤魔化して笑ってみせる。
「レックス殿下は、ずるいです」
「なんだ。せっかく慰めようとしてるのに」
そんな冗談を言いながら、ようやくユーリが笑ってくれたことにレックスも笑った。
その様子を疑い深く監視してるギルがいるとも知らずに。
レックスも戻り、また部屋に一人。静かだなと思いながらも、レックスの暖かさを噛み締めて、ユーリは布団に潜る。
とにかく何もしたくないので、こうしてるのが一番だと自分の中で最善の行動をとった。
母が亡くなり父も兄もいなくなった日の夜も、こんな風に隠れて寝ていたなと思い返してしまう。ああ、また……こんな悲しく惨めな思いになるなんてなと自分を嘲笑ってしまった。
どれくらい時間が経っただろう。窓の外は月明かりが差し込み、そろそろ深夜に近い。ユーリはじっとしたまま寝付けず、ただ天井を眺める。
「ユーリ……」
声がしたのでそちらを見るとギルが扉の所にいた。手には水が入ったコップを持っている。
「汗かいてるから喉乾いてるかと思って」
ギルはそう言って寝台の端に腰かける。ユーリは身構えつつもその水を素直に受け取り、ゆっくり飲み干した。
それを机に置くと、ギルの方を見ずに一言「ありがとう」と小さく告げる。
目を合わせられない。またあんな冷たい目をされたらと思うと。そもそも何故ギルはここにきたのだろうか。あんなに敵対心剥き出していたのに。
ユーリは考える。そしてああ、そうかと納得した。監視だと。初めて会った時と同じ。常に一挙一動見張られて、不快な眼差しに嫌悪した日々。またそれを味わうのかと、やはり自分と過ごした記憶だけ失っているんだなと実感する。
「何しにきた?」
自分から切り出すとユーリはぐっと布団を掴んだ。何かに縋らないと平静を保てない。
「おおかた、殿下と話してる時も覗いてたんだろ。おまえの大切な人たちが、得体の知れないおれなんかに優しくして困惑してるんだろ?」
ユーリが吐き捨てるように言う。ギルは冷たい声で「そうだよ」と素直に答えた。
「俺の中では、あんたはトワさんと殿下の敵。それだけだ。だから、殿下達の態度にも頭が追いつかない。トワさんにもダイルの旦那にもクリスちゃんにもユーリのことを教えられても、俺の中にあんたとの関わりがないからピンとこない」
ギルの冷静な声がユーリの胸に刺さる。それでも何か反論しようと口を開く。
「っ……」
だが言葉が出てこない。トワやダイル、クリスが自分を知らないギルに何とか伝えようとしてくれたことを聞かされて、自分だけが何もできず、悔しいはずなのに……今は、自分を知らないギルを目の前にして、どうしていいかわからない。
あんなに好きと言ってくれたのに、あんなに大切に抱きしめてくれたのに、特別なお姫様だと……願いを叶えてくれたのに。
悲しくて悔しくて、なんで忘れてる、なんで俺のことだけ覚えてない。なんでどうしてと意味のないことばかり頭に浮かび、ユーリの視界が涙で霞む。
ここで泣いたら本当に負けを認めることになると堪えようとするが無理だった。もうどうしていいかわからない。
ただ、悔しいと涙が溢れた。ギルはそんなユーリを無言で見つめる。
「わかったから、さっさと出ていけよ」
ユーリが手荒くギルを追い出そうとするので、ギルは眉根を寄せて立ち上がった。
「……」
部屋を出ていこうとするギルにこちらを振り向かないかと期待して、そんなことあるわけなくて、ユーリも唇を噛み締めて堪えるしかなかった。
パタンと扉が閉まり一人になった部屋で堪えきれずユーリは泣く。このまま眠りたいのにまた怖くて、結局いらぬことをぐるぐる考えて……気づけば、朝になっていた。
そんな日が続く。眠れない日々。様子をみにきたトワに心配され、医師からも睡眠薬を処方された。無理やりにでも寝ないといけないのは理解している。それでも、薬が飲めない。眠ると全てが終わってしまいそうで、怖くて寝付けないのだ。
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