虫喰いの愛

ちづ

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最終話 愛の虫

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 一年後、黄泉比良坂よもつひらさか

 黄泉よみの國の入り口は、いろんなところから通じている。墓の中だったり、洞穴の中だったり、山の中だったり。
 異界に通じるひとつひとつを、うつろは探して歩いていた。

小花こばな小花こばな小花こばな

 暗い泥の中で、虚は声をかける。
 蛆虫うじむしに喰われ、泥に沈んだ小花を呼び寄せる。
 ちっとも返事がないので、虚はため息をついた。

「ここにもいないか。やっぱり死体になって生き返るのは嫌だったのかねえ……哀しいなあ」

 小花の新たな肉体となる死体は完成した。残ったしゃれこうべの頭部以外は魔性に喰われて崩れてしまったので、できるかぎり背格好や年頃の近い女の死体を繋ぎ合わせ、異界の泥に浸し、黄泉に送ってみたのだが、一向に還ってきてくれないのだ。

「はあ……小花ちゃんが還ってこないなら、黒木家の贄をまた嫁にしちゃおうかな~つまんねえし……」
「──そ、そんなのだめよ!!」

 突如として泥がめくりあがり、真っ黒の死装束を纏った女が大声をあげた。大きな瞳、枯色かれいろの髪、つぎはぎだらけの身体。つなぎ目には蛆虫がたかっていたが、一年前と変わらぬその出で立ち。

「……小花」
「あっ、出てきちゃった! もう~! もう少し私のこと探して必死になっているあなたを見ていたかったのに……まあいいや! 会いたかった虚~」
「……気配はするのに出て来なかった理由はそういうこと? 悪趣味だなあ」

 「オレが必死にこいて探してるところ見れて満足した?」と虚に苦笑されて、小花はにっこりと微笑んだ。右手、右足、左手、左足、胴体、胸部、すべて別の女の死体のつぎはぎ。小花の頭部も加えれば七つの死体を組みあわせた異形の娘。顔立ちは小花のままだったが、長く異界の泥に浸かりすぎて、左目は腐り、蛆虫が湧いていた。虚はうっとりとその姿を眺め。

「あーあ、可愛い顔が台無しだ」
「そ? あなたとおそろいになったわ。それに蛆は汚くないんでしょう?」

 小花は空を泳ぐように手を伸ばした。

「ああ、どこも痛くない。めまいもしない。頭が軽い。なんて素敵な身体なの。前の身体よりずっと、今のほうが私の身体って感じする」
「よかった、気に入ってくれて嬉しいよ。爪が剥げてたの気にしてただろ? 両手はね、わざわざ貴族の娘の死体から捥いできたんだ。綺麗なもんだろ?」

 青白い小花の手を握る。小花は満足気に自らの手の甲を眺めた。傷のない、苦労知らずの両手。小さな貝のような艶やかな爪。

「ありがとう! 覚えていてくれたのね! 指も爪もすごく綺麗……お姫様ってこんなに大事にされて育つのね」
「両足は農民の娘のものだけどね。貴族の娘じゃひ弱すぎて歩きにくいだろうから」
「うん! すごく走りやすいわ。全部素敵! これならすぐにでも乗り込めそう。ね、ね、早く行こうよ虚」
「へ? 乗り込むってどこに?」

 そんなの決まってるでしょ、と小花は唇に弧を描いた。

黒木家くろきけよ。あんな家、潰したほうが世のため人のためだと思わない? 私をひどい目に合わせて。あなたにおんなを斡旋している場所なんてムカつくし」
「ああ~……そうだな、もう用なしだしな。オレも異論はねえんだけど、ちょっと待ってくんない? オレ、黒木家の呪具の穢れを喰って顕現けんげんしてるんだよね。他の寄生先を見つけてからでもいい?」

 あら、と小花は目を瞬かせ、自らの身体を指差した。

「寄生先なら、ここにあるでしょ。私の中の憎悪や恨みは消えたわけじゃないのよ。虚が食べてよ。じゃないと膨れあがって祟りを起こしちゃいそうなの。あなたが食べてくれるなら、抑えられる。それは人間を守るっていう意味にもなるでしょう」
「……うーん? それだと小花ちゃんに寄生するってことで……万が一、他の異形や人間どもにやられたら共倒れになるなあ」

 悩むそぶりを見せる虚を見て、む、と小花は口を尖らせた。

「いーじゃない、夫婦なんだから一心同体で。虚は嫌なの? 死体わたしに集りたいって言ったくせに。蛆虫が畏れられている理由は死体に寄生するからでしょ。蛆虫あなたは怖くもなければ汚くもない。死肉を喰わなければ、ただの虫じゃない。私に寄生したほうが強くなれるよ」

 虚はぱちくりとと目を瞬いたあと、ふ、と大笑いした。

「いいね! その通りさ。オレは下等な虫だからさ。小花ちゃんが死んだらもろともおしまいさ」
「うん! 死ぬときは一緒だね! ……ん? もう死んでる場合はなんていうのかしら」
「まーまーいいじゃないか、細かいことは。死体と蛆虫が迎える最期なんて、どうせろくでもないさ。それまでは楽しく生きようぜ」

 「それもそうね」と二人は笑い合い、軽口を叩き、虚は小花の腰に左手を回す。戯れに唇を啄みながら、その瞳を見た。
 邪気が渦巻く瞳の中。式神たちがうごめいていたが、暴走することはなく。今か今かと獲物を狙っていた。

「……でも、いいのかよ。良平あいつ、本当にお前のこと好きだったみたいなのに。会ったらまた気が変わったりしない? 小花ちゃんちょろいからさあ、心配なんだよね」

 心臓が動いているだけの状態を生きていると言っていいなら。
 良平は未だに黒木家で生きている。呪詛を受ける実験体として、ただ存在していた。
 あら、と小花はまた笑った。虚の首に両手を回し、甘えるように身をゆだねた。

「いいよ。だってあの人に恋したせいで、私はこんな化け物になってしまった。希望を見出したりしなければ、すぐに死んで苦痛からも解放されていたのに、頑張り続けて、ついには人間やめちゃった。そのせいであなたと結婚するはめになったんだから」

 どろり、と小花の瞳から泥の涙がこぼれた。虚はその真っ黒な涙をぬぐってやり。

「愛憎は表裏一体。良平あいつにやっぱり未練があるんじゃないのか? なあ、小花。お前こそ、どうしてオレを選んでくれたんだ?」
「──だって、虚は最初から、ちゃんと私に向き合ってくれたから」

 虚が首を傾げると、「知らないと思った?」と小花は笑みをたたえた。

「あなた、いみなを教えてくれたじゃない。神様の諱を。私は呪詛の家の娘。その重さくらい知っているわ」

 諱とはその者の本質を表す隠された本名。神様やあやかしなど高位の存在だけではなく、貴族や武家も持っている大切な名前。諱を知ればその者の本質を理解し、霊的に結び、呪うことすらできる。だから、諱を教えるのは心から信頼を置ける者。親や子、固く結ばれた主従。そして──

「生涯を誓った、伴侶だけ」

 小花は微笑んだ。嬉しそうに、大切そうに、宝物のように、その名前を呼んだ。

うつろ。──からっぽ、うそ、うわべだけ。あなたは最初から私に諱を教えてくれた。一目惚れなんて、嘘だって、教えてくれてた。それは結局、嘘ではないってことよね? 私のこと、伴侶として尊重してくれたのよね」

 普通の人間であるならば。
 見るだけで聞くだけで嗅ぐだけで嫌悪される存在である、蛆虫に。
 小花は愛おしそうに目を合わせ、その声に耳を澄ませ、肌をなぞった。
 だって小花はもはや腐った死体だから、蛆虫とは相思相愛なのだ。

「だから、あなたを選ぶ。あなたが好きよ」
「……うん、やっぱり黄泉返らせてよかった。愛してるぜ、小花」
「私もよ、虚。私のこと、どうか一生蝕みながら愛してね」

 その新月の晩。とある呪詛の一族が滅んだ。黒木家の当主も仮面の使者も廃人になった良平も蛆虫に蝕まれ、飢餓に苦しみ、爪が禿げ、骨と皮の状態で発見された。呪い返しにあったのだろうと、その土地の人間にまことしやかに囁かれた。腐乱した身体で黒木家を喰いつくす女とその女に集る蛆虫の姿。闇夜の中でおぞましく蠢く愛の虫。

 蛆虫の湧く、死肉の海で、ふたりは踊るように、睦合い、さかずきを交わしあう。
 苦しいだけの人生にお別れを。永遠の死に祝福を。運命の伴侶に愛の誓いを。

「もちろんさ。蝕みながら、愛してあげる──長い夫婦生活、末永く楽しもうぜ。オレの大輪こばな

<完>
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