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10、蝕害
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「よ、黄泉返り……?」
「うん、そー。人間の身体じゃ魔性の穢れに耐えきれないんだよね。蛆が喰っても追いつかない量だし。だったらさあ、容量を増やせばいいんだよ。穢れは生体を蝕むけれど、死体であるなら逆。むしろ相性がよくなる。身体の中の式神をうまく支配できるはずだよ。それでオレと一緒に面白おかしく暮らそうよ」
小花は困惑し、虚をまじまじ見返した。信じられるわけもないが、嘘を言ってるようにも聞こえなくて。
「なんで、なんでそこまで私にするの」
「小花が好きだからだよ」
「……こんな私のどこが? 冗談でしょ?」
「どうしてそー卑屈かなあ。確かにオレは小花ちゃんのこと、あんまり知らないよ。でも、小花ちゃんが可愛くてちょろくて、頑張り屋なことくらいは分かるよ。小花ちゃんが受けてきた憎悪や苦痛がひと月そこらで消せるものではないこともね。もし黄泉返って妻になってくれるなら、オレが一生そばで蝕んであげるよ。小花ちゃんの苦痛が癒えるまで、ずっと。それじゃだめかな?」
「……」
いつも飄々とした虚にしては多弁で、真摯な言葉だった。けれど、何度も期待し、裏切られ続けた小花は疲れたような溜息をついた。
「……そんなに、私の中の邪気があふれでるのが怖い?」
小花は俯いて、ぽろりと涙をこぼした。邪気まみれの泥の涙ではない、純粋な悲しみから流れおちる雫。「あ~そうじゃなくて、」と虚は頭をかいた。
「……お前はオレと目を合わせられる。会話ができる。それだけで充分得難い存在だ。今までの消耗品だけの贄と一緒になんてできるかよ」
小花は顔を上げた。間近な虚の顔を見る。美しい生体の右目、醜く腐った左目。どちらの瞳もしっかり小花を捕らえていた。
「前にも言ったと思うけど、オレは人間の忌避する存在の塊。好き好んでオレに嫁ぐ贄はいなくてね。信仰の地盤を作るために黒木家が贄を用意するって言うんで一度契ったら、氏神として縛られちまった。いやあ、あれはしくじった。それから定期的に贄を娶らされてるんだけど、たいていの娘は会話するどころか、目を合わすこともままならない」
蛆虫の湧いた左手がそっと小花の頬をなぞる。平然としている小花を見て、虚は目を細めた。
「これから夫婦としてやっていこうと言うときに、吐き気を催される身にもなってみ? めっちゃ萎えるからよ。そこまで嫌がってる相手に身を任す贄も可哀そうだろ? だからいつも命を奪ってから契りを交わしてたんだ」
「紳士だろ?」と皮肉げに尋ねる。小花は反応に困った。
「……私のように、〝恐怖〟を喰ってしまえばよかったじゃない」
「ばかだね。〝恐怖〟を喰ったからって〝好き〟になるわけじゃないだろ。小花ちゃん、相当惚れっぽい自覚ある? ちょっと優しくしただけで蛆虫を好きになるなんてさ……嬉しかったなあ」
腐食した左手が小花の毛先を梳いた。異形に変化していた髪の毛は、いつもの枯色に戻っていた。その手は優しいばかりで、〝恐怖〟は感じない。だって、蛆虫は小花を痛めつけることは一度もなかったから。異形より人間のほうがずっと怖かったと気づいたから。
「お前はオレと対等に目を合わせて会話できる。触れ合うことができる。隣に立てる。愛の言葉を交わすこともできるし、許せないことはぶつけあえる。だから、きっと夫婦としてうまくやっていけると思うけど」
「……なに、それ。そんなことで? 私が好きなの?」
「そんなことが、オレは大事だと思うんだけど。小花は違うの?」
好きだからと苦痛を我慢したり、怯えて言いなりになるんじゃなくて。対等に話せるから好きなのだと、それが夫婦の在り方だと、そんな当たり前のことを神様は言った。おぞましくて、恐ろしい、誰しも忌避する存在でありながら、その理由はあまりに単純で純粋とすら言えた。ああ、でも、そうか。蛆虫は穢れではない。蛆虫はあらゆる穢れをろ過する存在。虚にそう言ったのは──虚をそういうふうに認識したのは他でもな小花自身だ。
「……わたしも、そう思う、けど」
ふと、肩の力が抜けた。小花の身体はほとんど崩れていて。でも痛くなかった。朽ちる肉片のひとつひとつに蛆虫がくっついていたから。嘆きや恨みや不安をずっと喰らっていてくれていたから。いつの間にか荒れ狂っていた感情はなりをひそめ、自らに集る蛆虫たちを自嘲気に眺めた。
「……私、ずっと良平さんがあの家から連れ出してくれて、人並みに生きていくのが本当の望みだった。頑張ったんだから、それくらいの幸せぐらい欲しかった。それなのに死体になって蛆虫と結婚しろだなんて。あんまりだね」
「え、ひど。汚くないって言ってくれたのに。蛆虫はオレの在り方だから、変えられないよ。そこは我慢して。オレだって小花ちゃんのイカれてるところは目を瞑るからさ~」
虚は懐から菊花を出した。黄色や白、赤の色とりどりの大輪の花。恭しく小花の枯色の髪に挿し。
「蛆は死体に集るものだし──虫は花に集るものだ。オレの花。オレの大輪。そんな夢物語な、盲目な恋はやめて、オレと愛し合おうぜ」
ぽかんと言葉を失った後、小花は笑った。大きな声で、涙を流して、明るく笑った。
「虚、口説き文句がへたくそすぎるよ。そんなこと言われても普通の女の子は喜ばないわ。でも、そのとおりね。私はもう普通じゃないものね。結婚に高望みしちゃいけないよね。いいわ、あなたの妻になってあげる」
小花の下半身はもう原型がない。虚はその上半身を支えて、もう一度口づけた。
「ありがとう。だから今は安らかにお眠り。魔性をどうか鎮めておくれ。必ず、オレが迎えに行くから」
「分かった。あと一度だけ、信じる。信じてあげる。でももし嘘だったら──蝕神も喰ってしまうから」
大輪の花のように微笑んだあと、虚の腕の中で小花は息絶えた。肉片が落ち、頭部以外の骨が砕け、覆っていた蛆虫が消えると、小さなしゃれこうべが虚の腕の中にあるだけだった。虚は骨壺を抱くようにそのしゃれこうべを胸に寄せ、石室に足を向けた。
「こ、小花、小花は死んでしまったのですか?」
「……あ、やべ。忘れてた。まだいたんだ? 普通、空気読んでひっこまない?」
良平は目を伏せ、虚の声も耳に届かず、その場で「小花、小花、小花」と泣きじゃくる。
虚は「気色悪っ」と鳥肌を立たせたが、ふと思い直したように良平のそばに寄った。
「まじでムカつくけど、考えなしのあんたのおかげで助かった。礼を言うよ」
「……っ? なに……ぐっ!」
唐突に、良平の首を虚は掴んだ。ぎちぎち指を喰い込ませ、良平の両足が浮く。首をへし折られるくらいの圧力がかかり、良平は潰された蛙のようなうめき声をあげる。
「なに、す、氏子は、守ってるって。さっき、」
「ああ~あれね。うそうそ~小花ちゃんの前でいい格好したかっただけ~オレもう黒木家の氏神やめたから」
良平は驚愕し、目を見開く。先ほどまで小花に向けていた慈愛はどこにやったのか。虚はニタリと切り裂かれたような笑みを浮かべた。
「なに驚いてんの? あんたのおかげじゃん。オレは黒木家の娘を娶ることで氏神として縛られていたんだよ? なのに、花嫁である小花がオレの忠告を破り、石室を出た。黒木家のお前がオレの花嫁に手を出した。これは明確な契約違反だ。オレからは解除できない縛りだったんで本当に助かったわ。ざまあみやがれ」
もう虚は黒木家の人間をを守る必要もない。良平はそれに気づいて喘いだ。──殺される。涎がつたい、白目をむき、酸欠で目の前が白黒に染まる。ざわざわと湧き出る蛆虫が身体に寄生する。生きながら、虫喰いされる恐怖に全身を震わせた。
「……ぎ、いい!! たす、け!!」
「安心しな。殺しはしねえよ。お前を殺したら氏神じゃなくなったことが黒木家に気取られちまう。小花が黄泉返るまで、蛆虫に戻るわけにはいかないんでね。黒木家の信仰は必要だ。氏神であるフリは続けるよ。けれどオレの女に触ったお前は許さねえから。綺麗さっぱり小花の記憶を消してやるよ」
「……っ!! や、やめ、」
良平はその一言で半狂乱になった。人間の力とは思えないほど暴れに暴れた。虚の左手を引っ掻き、浮いた足で虚の身体を蹴る。良平の爪が虚の左手の肉をえぐったが、死肉をいくら傷つけても無駄なこと。虚は愉快そうに笑みを浮かべるだけだった。死にかけの虫を弄ぶように。じわじわと蝕む。
「怖い? 怖いよなあ? 小花がお前に恋することで自分を保たせていたように、小花に恋をすることがお前の存在意義だった。お前にはそれしかないもんなあ。それ以外の感情を黒木家で削ぎ落とされたんだろうしなあ。小花のことを忘れたら、廃人になっちまうかもね」
蛆虫がわらわらと集る。良平の身体を包み込む。記憶を喰らい、真っ白な世界に落ちてゆく。
良平は、ついにはぴくりとも動かなくなり、呻き声も上げなくなった。
「──そんなこと、オレの知ったこっちゃねえけど」
どさり、と良平は地に倒れた。白目をむき、舌がこぼれ、その髪の色は枯色から白髪になっていた。
なんの色もない。無色。からっぽの廃人。穢れも邪気もなにもない。無の存在。
遠くから黒木家の使者が走り寄ってくるのが見えた。
良平をおびき寄せるため、黒木家と口裏を合わせてわざと石室から離れていたが、まさか氏神の縛りを解除させるためだったとまでは思うまい。少なくとも良平は生きているのだから。廃人の男ひとり、始末するか、折檻するか、再利用するか、あとは好きに扱うだろう。小花が死んだと伝えれば、また黒木家の娘を花嫁にと捧げてくるだろうが、契りを交わさず、命を奪ってしまえば氏神として縛られることもない。祟り神は愉快そうに笑い、小さなしゃれこうべを抱いて、石室の中に戻った。
穢れをろ過する益虫であることも。生きながらに人間を蝕む害虫であることも、どちらも同じ、虚の在り方だ。
「さあさ、女の死体を集めて、小花ちゃんの身体を作らなくちゃ。楽しみだなあ」
──自らの伴侶が黄泉返るその日を夢見て、蛆虫は死体に想いを馳せた。
「うん、そー。人間の身体じゃ魔性の穢れに耐えきれないんだよね。蛆が喰っても追いつかない量だし。だったらさあ、容量を増やせばいいんだよ。穢れは生体を蝕むけれど、死体であるなら逆。むしろ相性がよくなる。身体の中の式神をうまく支配できるはずだよ。それでオレと一緒に面白おかしく暮らそうよ」
小花は困惑し、虚をまじまじ見返した。信じられるわけもないが、嘘を言ってるようにも聞こえなくて。
「なんで、なんでそこまで私にするの」
「小花が好きだからだよ」
「……こんな私のどこが? 冗談でしょ?」
「どうしてそー卑屈かなあ。確かにオレは小花ちゃんのこと、あんまり知らないよ。でも、小花ちゃんが可愛くてちょろくて、頑張り屋なことくらいは分かるよ。小花ちゃんが受けてきた憎悪や苦痛がひと月そこらで消せるものではないこともね。もし黄泉返って妻になってくれるなら、オレが一生そばで蝕んであげるよ。小花ちゃんの苦痛が癒えるまで、ずっと。それじゃだめかな?」
「……」
いつも飄々とした虚にしては多弁で、真摯な言葉だった。けれど、何度も期待し、裏切られ続けた小花は疲れたような溜息をついた。
「……そんなに、私の中の邪気があふれでるのが怖い?」
小花は俯いて、ぽろりと涙をこぼした。邪気まみれの泥の涙ではない、純粋な悲しみから流れおちる雫。「あ~そうじゃなくて、」と虚は頭をかいた。
「……お前はオレと目を合わせられる。会話ができる。それだけで充分得難い存在だ。今までの消耗品だけの贄と一緒になんてできるかよ」
小花は顔を上げた。間近な虚の顔を見る。美しい生体の右目、醜く腐った左目。どちらの瞳もしっかり小花を捕らえていた。
「前にも言ったと思うけど、オレは人間の忌避する存在の塊。好き好んでオレに嫁ぐ贄はいなくてね。信仰の地盤を作るために黒木家が贄を用意するって言うんで一度契ったら、氏神として縛られちまった。いやあ、あれはしくじった。それから定期的に贄を娶らされてるんだけど、たいていの娘は会話するどころか、目を合わすこともままならない」
蛆虫の湧いた左手がそっと小花の頬をなぞる。平然としている小花を見て、虚は目を細めた。
「これから夫婦としてやっていこうと言うときに、吐き気を催される身にもなってみ? めっちゃ萎えるからよ。そこまで嫌がってる相手に身を任す贄も可哀そうだろ? だからいつも命を奪ってから契りを交わしてたんだ」
「紳士だろ?」と皮肉げに尋ねる。小花は反応に困った。
「……私のように、〝恐怖〟を喰ってしまえばよかったじゃない」
「ばかだね。〝恐怖〟を喰ったからって〝好き〟になるわけじゃないだろ。小花ちゃん、相当惚れっぽい自覚ある? ちょっと優しくしただけで蛆虫を好きになるなんてさ……嬉しかったなあ」
腐食した左手が小花の毛先を梳いた。異形に変化していた髪の毛は、いつもの枯色に戻っていた。その手は優しいばかりで、〝恐怖〟は感じない。だって、蛆虫は小花を痛めつけることは一度もなかったから。異形より人間のほうがずっと怖かったと気づいたから。
「お前はオレと対等に目を合わせて会話できる。触れ合うことができる。隣に立てる。愛の言葉を交わすこともできるし、許せないことはぶつけあえる。だから、きっと夫婦としてうまくやっていけると思うけど」
「……なに、それ。そんなことで? 私が好きなの?」
「そんなことが、オレは大事だと思うんだけど。小花は違うの?」
好きだからと苦痛を我慢したり、怯えて言いなりになるんじゃなくて。対等に話せるから好きなのだと、それが夫婦の在り方だと、そんな当たり前のことを神様は言った。おぞましくて、恐ろしい、誰しも忌避する存在でありながら、その理由はあまりに単純で純粋とすら言えた。ああ、でも、そうか。蛆虫は穢れではない。蛆虫はあらゆる穢れをろ過する存在。虚にそう言ったのは──虚をそういうふうに認識したのは他でもな小花自身だ。
「……わたしも、そう思う、けど」
ふと、肩の力が抜けた。小花の身体はほとんど崩れていて。でも痛くなかった。朽ちる肉片のひとつひとつに蛆虫がくっついていたから。嘆きや恨みや不安をずっと喰らっていてくれていたから。いつの間にか荒れ狂っていた感情はなりをひそめ、自らに集る蛆虫たちを自嘲気に眺めた。
「……私、ずっと良平さんがあの家から連れ出してくれて、人並みに生きていくのが本当の望みだった。頑張ったんだから、それくらいの幸せぐらい欲しかった。それなのに死体になって蛆虫と結婚しろだなんて。あんまりだね」
「え、ひど。汚くないって言ってくれたのに。蛆虫はオレの在り方だから、変えられないよ。そこは我慢して。オレだって小花ちゃんのイカれてるところは目を瞑るからさ~」
虚は懐から菊花を出した。黄色や白、赤の色とりどりの大輪の花。恭しく小花の枯色の髪に挿し。
「蛆は死体に集るものだし──虫は花に集るものだ。オレの花。オレの大輪。そんな夢物語な、盲目な恋はやめて、オレと愛し合おうぜ」
ぽかんと言葉を失った後、小花は笑った。大きな声で、涙を流して、明るく笑った。
「虚、口説き文句がへたくそすぎるよ。そんなこと言われても普通の女の子は喜ばないわ。でも、そのとおりね。私はもう普通じゃないものね。結婚に高望みしちゃいけないよね。いいわ、あなたの妻になってあげる」
小花の下半身はもう原型がない。虚はその上半身を支えて、もう一度口づけた。
「ありがとう。だから今は安らかにお眠り。魔性をどうか鎮めておくれ。必ず、オレが迎えに行くから」
「分かった。あと一度だけ、信じる。信じてあげる。でももし嘘だったら──蝕神も喰ってしまうから」
大輪の花のように微笑んだあと、虚の腕の中で小花は息絶えた。肉片が落ち、頭部以外の骨が砕け、覆っていた蛆虫が消えると、小さなしゃれこうべが虚の腕の中にあるだけだった。虚は骨壺を抱くようにそのしゃれこうべを胸に寄せ、石室に足を向けた。
「こ、小花、小花は死んでしまったのですか?」
「……あ、やべ。忘れてた。まだいたんだ? 普通、空気読んでひっこまない?」
良平は目を伏せ、虚の声も耳に届かず、その場で「小花、小花、小花」と泣きじゃくる。
虚は「気色悪っ」と鳥肌を立たせたが、ふと思い直したように良平のそばに寄った。
「まじでムカつくけど、考えなしのあんたのおかげで助かった。礼を言うよ」
「……っ? なに……ぐっ!」
唐突に、良平の首を虚は掴んだ。ぎちぎち指を喰い込ませ、良平の両足が浮く。首をへし折られるくらいの圧力がかかり、良平は潰された蛙のようなうめき声をあげる。
「なに、す、氏子は、守ってるって。さっき、」
「ああ~あれね。うそうそ~小花ちゃんの前でいい格好したかっただけ~オレもう黒木家の氏神やめたから」
良平は驚愕し、目を見開く。先ほどまで小花に向けていた慈愛はどこにやったのか。虚はニタリと切り裂かれたような笑みを浮かべた。
「なに驚いてんの? あんたのおかげじゃん。オレは黒木家の娘を娶ることで氏神として縛られていたんだよ? なのに、花嫁である小花がオレの忠告を破り、石室を出た。黒木家のお前がオレの花嫁に手を出した。これは明確な契約違反だ。オレからは解除できない縛りだったんで本当に助かったわ。ざまあみやがれ」
もう虚は黒木家の人間をを守る必要もない。良平はそれに気づいて喘いだ。──殺される。涎がつたい、白目をむき、酸欠で目の前が白黒に染まる。ざわざわと湧き出る蛆虫が身体に寄生する。生きながら、虫喰いされる恐怖に全身を震わせた。
「……ぎ、いい!! たす、け!!」
「安心しな。殺しはしねえよ。お前を殺したら氏神じゃなくなったことが黒木家に気取られちまう。小花が黄泉返るまで、蛆虫に戻るわけにはいかないんでね。黒木家の信仰は必要だ。氏神であるフリは続けるよ。けれどオレの女に触ったお前は許さねえから。綺麗さっぱり小花の記憶を消してやるよ」
「……っ!! や、やめ、」
良平はその一言で半狂乱になった。人間の力とは思えないほど暴れに暴れた。虚の左手を引っ掻き、浮いた足で虚の身体を蹴る。良平の爪が虚の左手の肉をえぐったが、死肉をいくら傷つけても無駄なこと。虚は愉快そうに笑みを浮かべるだけだった。死にかけの虫を弄ぶように。じわじわと蝕む。
「怖い? 怖いよなあ? 小花がお前に恋することで自分を保たせていたように、小花に恋をすることがお前の存在意義だった。お前にはそれしかないもんなあ。それ以外の感情を黒木家で削ぎ落とされたんだろうしなあ。小花のことを忘れたら、廃人になっちまうかもね」
蛆虫がわらわらと集る。良平の身体を包み込む。記憶を喰らい、真っ白な世界に落ちてゆく。
良平は、ついにはぴくりとも動かなくなり、呻き声も上げなくなった。
「──そんなこと、オレの知ったこっちゃねえけど」
どさり、と良平は地に倒れた。白目をむき、舌がこぼれ、その髪の色は枯色から白髪になっていた。
なんの色もない。無色。からっぽの廃人。穢れも邪気もなにもない。無の存在。
遠くから黒木家の使者が走り寄ってくるのが見えた。
良平をおびき寄せるため、黒木家と口裏を合わせてわざと石室から離れていたが、まさか氏神の縛りを解除させるためだったとまでは思うまい。少なくとも良平は生きているのだから。廃人の男ひとり、始末するか、折檻するか、再利用するか、あとは好きに扱うだろう。小花が死んだと伝えれば、また黒木家の娘を花嫁にと捧げてくるだろうが、契りを交わさず、命を奪ってしまえば氏神として縛られることもない。祟り神は愉快そうに笑い、小さなしゃれこうべを抱いて、石室の中に戻った。
穢れをろ過する益虫であることも。生きながらに人間を蝕む害虫であることも、どちらも同じ、虚の在り方だ。
「さあさ、女の死体を集めて、小花ちゃんの身体を作らなくちゃ。楽しみだなあ」
──自らの伴侶が黄泉返るその日を夢見て、蛆虫は死体に想いを馳せた。
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