7 / 11
7、蛆虫
しおりを挟む
月の満ち欠けが一巡するまで、あと数日。
小花の死期は近づきつつあった。〝恐怖〟を喰ったといえど、身に迫る死の気配は小花をさらに情緒不安定にさせた。小花の心が不安定になると体内の魔性が騒ぐ。魔性が餌にしているのは人間の不安や恨み、嘆き。負の感情。幾度も小花は自我を乗っ取られそうになりながら、そのたびに虚は小花の邪気を喰い続けていた。
「うつ、うつろ、頭がぐるぐるする! ゔゔゔ……っ!」
「うん、うん。今蛆虫が喰ってるからね~すぐに邪気は落ち着くから心配するな」
「でも、でも、耳があ!」
にょきり、と小花の耳が猫鬼の耳に変化する。新月が近いせいも相まって、魔性も普段より活発なようだ。虚は目を見張り、抱き込んだ小花の耳に触れた。
「うわっ可愛い。猫耳? ちょっと戻すの惜しいな」
「耳いたいっ! 耳っ!!」
「ああ、悪い悪い。今日は一段と邪気が濃いね。はい、口開けて」
小花の口を開き、舌をねじ込む。あふれ出る邪気を吸い出す。ここまで魔性が表面化してしまっては蛆虫に喰わせるより虚が喰ったほうが手っ取り早い。虚は暴れる小花の後頭部を抑え込み、無理やり口を塞ぐ。小花の歯が獣の牙に変化し、ぶつり、と舌を食いちぎられた。口の端から血が伝い落ちる。痛みがないわけではないが、もともとこの身体の半分は死んでいる。欠けたところで造作もない。また死肉を集めて作り直せばいいだけだ。最初は抑え込むのもやっとだったが、小花は次第に大人しくなり、ただ深い口づけに息を乱れさせるだけになった。小花の耳が人間に戻ったのを見届けて、ゆっくりと唇を離す。
「……こんなもんかな。うっぷ、オレも満腹。いろんな魔性も人間の魂もまぜこぜの邪気だから濃ゆいんだよな。ごめんね~もっと喰ってやりたいんだけど消化に手間取って」
惚けていた小花は、虚の口の端から伝う血を見て、我に返った。
「ご、ごめんなさい。舌、噛んじゃって、い、痛い?」
「へーき、へーき。痛かったけど、ちゃんと気持ちよくもあったから」
ニタリと笑う虚を見て、ぼっと小花は顔を赤くさせた。
小花の呼吸が落ち着いたことを確認し、虚は小花を抱きあげ、寝台に寝かす。もともとは呪具を祀る祭壇だったが、小花が少しでも過ごしやすいようにあつらえ直した。掛け布団代わりの着物をかぶせ、虚が離れようとすると、小花は虚の長襦袢の袖を掴んだ。
「どしたの? 小花ちゃん。もうあらかた喰ったから大丈夫だよ。ゆっくり休んで」
「……ううん、そうじゃなくて」
小花はそのまま虚の左手を抱き込んだ。
「触っていて。虚。邪気を喰わなくていいから、私が眠るまで、お願い」
虚は目を見開いた。小花の弱弱しい力ですら耐えきれず、腐食した左腕は死肉がべとべとと崩れ落ちる。
「……だったら、左手じゃなくて、右手で触っていてやるよ。死肉が崩れて小花ちゃんが汚れちまう」
「ううん、この手がいいの。この手があるだけで、安心するから」
その左手を自らの頬に擦り付ける。頬を這う蛆虫を嫌悪するどころか、嬉しそうに受け入れていた。すうすうと安心しきった寝息が聞こえだし、虚は右手で頬を掻いた。
(……ずいぶん、なつかれちまったなあ)
小花を初めて見た時、破裂寸前の風船玉のようだと思った。
このまま息絶えれば、体内の魔性があふれて、氏子の黒木家や虚自身も喰われてしまうほどの邪気。だから、虚が咄嗟に提案したのは〝神様の伴侶〟に小花を据えること。そうすれば、石室から出すこともなく。邪気を吸い出す口吸いも睦言の合間にしやすくなる。なにより。
(どう見たって、愛情に飢えてる娘だったからな)
こうまでちょろいとは思わなかったけれど、と虚は皮肉げに笑った。
小花の寝顔を見つめる。死期が迫り、最近はほとんど寝ているか。こうして魔性が騒いで暴れるかくらいかだった。ほとんど何も食べていない身体はさらに細くやせ細り、頬がこけ、大きな瞳がくぼんでいる。枯色の髪もリボンや三つ編みで彩ることはなくなった。けれど、虚にもらった菊花だけを小花は大事そうに髪に挿していた。もう枯れた花を。自らの髪の色と同じ枯色に朽ちた花を、いつまでも。いつまでも。
(……蛆虫に集られて喜ぶ人間は、初めて見た)
小花が眠ったのを見届けて、虚は左手を離す。数匹の蛆虫が離れがたいように小花に張り付いたままだった。見ないふりして石室を出る。黒木家の使者との定期連絡の時間だ。小花の容態を逐一連絡せねばならないし、虚が小花に入れ込みだしたことを知った黒木家の当主は、早々に新しい贄を嫁がせる準備をしているらしい。顔合わせの日取りまで決めてきた。氏神として制約を受けている虚はどんなに不本意でも拒絶することができない。
(はあ、いつにも増して気が乗らねえ~)
小花の魔性はあらかた喰い終えた。小花自身が恐怖や憎悪、負の感情に呑まれさえしなければ、邪気は増幅することはなく、安らかな死の眠りにつけるだろう。次に帰宅したとき、もしかしたら──もう小花は息を引き取っているかもしれない。
(……らしくもない。オレが死を憂うなんて)
蝕神は祟り神、死の象徴。小花は死期が近いせいもあって虚に対する抵抗が薄いのは分かるのだけれど。こうまで蛆虫を求めた人間はいない。こうまで、虚を望んだ人間もいない。
「んー……参ったなあ。死んでからも小花の魂を手元に置いとけばいいやと思っていたけど」
虚は腕組みし、はあ、とため息をついた。
「どっしよっかなー……あー…もったいねえなあー……」
枯れた花をそのまま留め置く手段があるとするなら。
小花の死期は近づきつつあった。〝恐怖〟を喰ったといえど、身に迫る死の気配は小花をさらに情緒不安定にさせた。小花の心が不安定になると体内の魔性が騒ぐ。魔性が餌にしているのは人間の不安や恨み、嘆き。負の感情。幾度も小花は自我を乗っ取られそうになりながら、そのたびに虚は小花の邪気を喰い続けていた。
「うつ、うつろ、頭がぐるぐるする! ゔゔゔ……っ!」
「うん、うん。今蛆虫が喰ってるからね~すぐに邪気は落ち着くから心配するな」
「でも、でも、耳があ!」
にょきり、と小花の耳が猫鬼の耳に変化する。新月が近いせいも相まって、魔性も普段より活発なようだ。虚は目を見張り、抱き込んだ小花の耳に触れた。
「うわっ可愛い。猫耳? ちょっと戻すの惜しいな」
「耳いたいっ! 耳っ!!」
「ああ、悪い悪い。今日は一段と邪気が濃いね。はい、口開けて」
小花の口を開き、舌をねじ込む。あふれ出る邪気を吸い出す。ここまで魔性が表面化してしまっては蛆虫に喰わせるより虚が喰ったほうが手っ取り早い。虚は暴れる小花の後頭部を抑え込み、無理やり口を塞ぐ。小花の歯が獣の牙に変化し、ぶつり、と舌を食いちぎられた。口の端から血が伝い落ちる。痛みがないわけではないが、もともとこの身体の半分は死んでいる。欠けたところで造作もない。また死肉を集めて作り直せばいいだけだ。最初は抑え込むのもやっとだったが、小花は次第に大人しくなり、ただ深い口づけに息を乱れさせるだけになった。小花の耳が人間に戻ったのを見届けて、ゆっくりと唇を離す。
「……こんなもんかな。うっぷ、オレも満腹。いろんな魔性も人間の魂もまぜこぜの邪気だから濃ゆいんだよな。ごめんね~もっと喰ってやりたいんだけど消化に手間取って」
惚けていた小花は、虚の口の端から伝う血を見て、我に返った。
「ご、ごめんなさい。舌、噛んじゃって、い、痛い?」
「へーき、へーき。痛かったけど、ちゃんと気持ちよくもあったから」
ニタリと笑う虚を見て、ぼっと小花は顔を赤くさせた。
小花の呼吸が落ち着いたことを確認し、虚は小花を抱きあげ、寝台に寝かす。もともとは呪具を祀る祭壇だったが、小花が少しでも過ごしやすいようにあつらえ直した。掛け布団代わりの着物をかぶせ、虚が離れようとすると、小花は虚の長襦袢の袖を掴んだ。
「どしたの? 小花ちゃん。もうあらかた喰ったから大丈夫だよ。ゆっくり休んで」
「……ううん、そうじゃなくて」
小花はそのまま虚の左手を抱き込んだ。
「触っていて。虚。邪気を喰わなくていいから、私が眠るまで、お願い」
虚は目を見開いた。小花の弱弱しい力ですら耐えきれず、腐食した左腕は死肉がべとべとと崩れ落ちる。
「……だったら、左手じゃなくて、右手で触っていてやるよ。死肉が崩れて小花ちゃんが汚れちまう」
「ううん、この手がいいの。この手があるだけで、安心するから」
その左手を自らの頬に擦り付ける。頬を這う蛆虫を嫌悪するどころか、嬉しそうに受け入れていた。すうすうと安心しきった寝息が聞こえだし、虚は右手で頬を掻いた。
(……ずいぶん、なつかれちまったなあ)
小花を初めて見た時、破裂寸前の風船玉のようだと思った。
このまま息絶えれば、体内の魔性があふれて、氏子の黒木家や虚自身も喰われてしまうほどの邪気。だから、虚が咄嗟に提案したのは〝神様の伴侶〟に小花を据えること。そうすれば、石室から出すこともなく。邪気を吸い出す口吸いも睦言の合間にしやすくなる。なにより。
(どう見たって、愛情に飢えてる娘だったからな)
こうまでちょろいとは思わなかったけれど、と虚は皮肉げに笑った。
小花の寝顔を見つめる。死期が迫り、最近はほとんど寝ているか。こうして魔性が騒いで暴れるかくらいかだった。ほとんど何も食べていない身体はさらに細くやせ細り、頬がこけ、大きな瞳がくぼんでいる。枯色の髪もリボンや三つ編みで彩ることはなくなった。けれど、虚にもらった菊花だけを小花は大事そうに髪に挿していた。もう枯れた花を。自らの髪の色と同じ枯色に朽ちた花を、いつまでも。いつまでも。
(……蛆虫に集られて喜ぶ人間は、初めて見た)
小花が眠ったのを見届けて、虚は左手を離す。数匹の蛆虫が離れがたいように小花に張り付いたままだった。見ないふりして石室を出る。黒木家の使者との定期連絡の時間だ。小花の容態を逐一連絡せねばならないし、虚が小花に入れ込みだしたことを知った黒木家の当主は、早々に新しい贄を嫁がせる準備をしているらしい。顔合わせの日取りまで決めてきた。氏神として制約を受けている虚はどんなに不本意でも拒絶することができない。
(はあ、いつにも増して気が乗らねえ~)
小花の魔性はあらかた喰い終えた。小花自身が恐怖や憎悪、負の感情に呑まれさえしなければ、邪気は増幅することはなく、安らかな死の眠りにつけるだろう。次に帰宅したとき、もしかしたら──もう小花は息を引き取っているかもしれない。
(……らしくもない。オレが死を憂うなんて)
蝕神は祟り神、死の象徴。小花は死期が近いせいもあって虚に対する抵抗が薄いのは分かるのだけれど。こうまで蛆虫を求めた人間はいない。こうまで、虚を望んだ人間もいない。
「んー……参ったなあ。死んでからも小花の魂を手元に置いとけばいいやと思っていたけど」
虚は腕組みし、はあ、とため息をついた。
「どっしよっかなー……あー…もったいねえなあー……」
枯れた花をそのまま留め置く手段があるとするなら。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
赤い部屋
山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。
真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。
東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。
そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。
が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。
だが、「呪い」は実在した。
「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。
凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。
そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。
「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか?
誰がこの「呪い」を生み出したのか?
そして彼らはなぜ、呪われたのか?
徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。
その先にふたりが見たものは——。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

熾ーおこりー
ようさん
ホラー
【第8回ホラー・ミステリー小説大賞参加予定作品(リライト)】
幕末一の剣客集団、新撰組。
疾風怒濤の時代、徳川幕府への忠誠を頑なに貫き時に鉄の掟の下同志の粛清も辞さない戦闘派治安組織として、倒幕派から庶民にまで恐れられた。
組織の転機となった初代局長・芹澤鴨暗殺事件を、原田左之助の視点で描く。
志と名誉のためなら死をも厭わず、やがて新政府軍との絶望的な戦争に飲み込まれていった彼らを蝕む闇とはーー
※史実をヒントにしたフィクション(心理ホラー)です
【登場人物】(ネタバレを含みます)
原田左之助(二三歳) 伊代松山藩出身で槍の名手。新撰組隊士(試衛館派)
芹澤鴨(三七歳) 新撰組筆頭局長。文武両道の北辰一刀流師範。刀を抜くまでもない戦闘の際には鉄製の軍扇を武器とする。水戸派のリーダー。
沖田総司(二一歳) 江戸出身。新撰組隊士の中では最年少だが剣の腕前は五本の指に入る(試衛館派)
山南敬助(二七歳) 仙台藩出身。土方と共に新撰組副長を務める。温厚な調整役(試衛館派)
土方歳三(二八歳)武州出身。新撰組副長。冷静沈着で自分にも他人にも厳しい。試衛館の弟子筆頭で一本気な男だが、策士の一面も(試衛館派)
近藤勇(二九歳) 新撰組局長。土方とは同郷。江戸に上り天然理心流の名門道場・試衛館を継ぐ。
井上源三郎(三四歳) 新撰組では一番年長の隊士。近藤とは先代の兄弟弟子にあたり、唯一の相談役でもある。
新見錦 芹沢の腹心。頭脳派で水戸派のブレインでもある
平山五郎 芹澤の腹心。直情的な男(水戸派)
平間(水戸派)
野口(水戸派)
(画像・速水御舟「炎舞」部分)
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる