虫喰いの愛

ちづ

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7、蛆虫

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 月の満ち欠けが一巡するまで、あと数日。

 小花こばなの死期は近づきつつあった。〝恐怖〟を喰ったといえど、身に迫る死の気配は小花をさらに情緒不安定にさせた。小花の心が不安定になると体内の魔性が騒ぐ。魔性が餌にしているのは人間の不安や恨み、嘆き。負の感情。幾度も小花は自我を乗っ取られそうになりながら、そのたびにうつろは小花の邪気を喰い続けていた。

「うつ、うつろ、頭がぐるぐるする! ゔゔゔ……っ!」
「うん、うん。今蛆虫うじむしが喰ってるからね~すぐに邪気は落ち着くから心配するな」
「でも、でも、耳があ!」

 にょきり、と小花の耳が猫鬼びょうきの耳に変化する。新月が近いせいも相まって、魔性も普段より活発なようだ。虚は目を見張り、抱き込んだ小花の耳に触れた。

「うわっ可愛い。猫耳? ちょっと戻すの惜しいな」
「耳いたいっ! 耳っ!!」
「ああ、わりわりい。今日は一段と邪気が濃いね。はい、口開けて」

 小花の口を開き、舌をねじ込む。あふれ出る邪気を吸い出す。ここまで魔性が表面化してしまっては蛆虫に喰わせるより虚が喰ったほうが手っ取り早い。虚は暴れる小花の後頭部を抑え込み、無理やり口を塞ぐ。小花の歯が獣の牙に変化し、ぶつり、と舌を食いちぎられた。口の端から血が伝い落ちる。痛みがないわけではないが、もともとこの身体の半分は死んでいる。欠けたところで造作もない。また死肉を集めて作り直せばいいだけだ。最初は抑え込むのもやっとだったが、小花は次第に大人しくなり、ただ深い口づけに息を乱れさせるだけになった。小花の耳が人間に戻ったのを見届けて、ゆっくりと唇を離す。

「……こんなもんかな。うっぷ、オレも満腹。いろんな魔性も人間の魂もまぜこぜの邪気だから濃ゆいんだよな。ごめんね~もっと喰ってやりたいんだけど消化に手間取って」

 惚けていた小花は、虚の口の端から伝う血を見て、我に返った。

「ご、ごめんなさい。舌、噛んじゃって、い、痛い?」
「へーき、へーき。痛かったけど、ちゃんと

 ニタリと笑う虚を見て、ぼっと小花は顔を赤くさせた。

 小花の呼吸が落ち着いたことを確認し、虚は小花を抱きあげ、寝台に寝かす。もともとは呪具を祀る祭壇だったが、小花が少しでも過ごしやすいようにあつらえ直した。掛け布団代わりの着物をかぶせ、虚が離れようとすると、小花は虚の長襦袢の袖を掴んだ。

「どしたの? 小花ちゃん。もうあらかた喰ったから大丈夫だよ。ゆっくり休んで」
「……ううん、そうじゃなくて」

 小花はそのまま虚の左手を抱き込んだ。

「触っていて。虚。邪気を喰わなくていいから、私が眠るまで、お願い」

 虚は目を見開いた。小花の弱弱しい力ですら耐えきれず、腐食した左腕は死肉がべとべとと崩れ落ちる。

「……だったら、左手じゃなくて、右手で触っていてやるよ。死肉が崩れて小花ちゃんが汚れちまう」
「ううん、この手がいいの。この手があるだけで、安心するから」

 その左手を自らの頬に擦り付ける。頬を這う蛆虫を嫌悪するどころか、嬉しそうに受け入れていた。すうすうと安心しきった寝息が聞こえだし、虚は右手で頬を掻いた。

(……ずいぶん、なつかれちまったなあ)

 小花を初めて見た時、破裂寸前の風船玉のようだと思った。
 このまま息絶えれば、体内の魔性があふれて、氏子うじこ黒木家くろきけや虚自身も喰われてしまうほどの邪気。だから、虚が咄嗟に提案したのは〝神様の伴侶〟に小花を据えること。そうすれば、石室いしむろから出すこともなく。邪気を吸い出す口吸いも睦言むつごとの合間にしやすくなる。なにより。

(どう見たって、愛情に飢えてる娘だったからな)

 こうまでちょろいとは思わなかったけれど、と虚は皮肉げに笑った。
 小花の寝顔を見つめる。死期が迫り、最近はほとんど寝ているか。こうして魔性が騒いで暴れるかくらいかだった。ほとんど何も食べていない身体はさらに細くやせ細り、頬がこけ、大きな瞳がくぼんでいる。枯色かれいろの髪もリボンや三つ編みで彩ることはなくなった。けれど、虚にもらった菊花だけを小花は大事そうに髪に挿していた。もう枯れた花を。自らの髪の色と同じ枯色に朽ちた花を、いつまでも。いつまでも。

(……蛆虫にたかられて喜ぶ人間は、初めて見た)

 小花が眠ったのを見届けて、虚は左手を離す。数匹の蛆虫が離れがたいように小花に張り付いたままだった。見ないふりして石室を出る。黒木家の使者との定期連絡の時間だ。小花の容態を逐一連絡せねばならないし、虚が小花に入れ込みだしたことを知った黒木家の当主は、早々に新しい贄を嫁がせる準備をしているらしい。顔合わせの日取りまで決めてきた。氏神うじがみとして制約を受けている虚はどんなに不本意でも拒絶することができない。

(はあ、いつにも増して気が乗らねえ~)

 小花の魔性はあらかた喰い終えた。小花自身が恐怖や憎悪、負の感情に呑まれさえしなければ、邪気は増幅することはなく、安らかな死の眠りにつけるだろう。次に帰宅したとき、もしかしたら──もう小花は息を引き取っているかもしれない。

(……らしくもない。オレがなんて)

 蝕神しょくがみは祟り神、死の象徴。小花は死期が近いせいもあって虚に対する抵抗が薄いのは分かるのだけれど。こうまで蛆虫を求めた人間はいない。こうまで、虚を望んだ人間もいない。

「んー……参ったなあ。死んでからも小花の魂を手元に置いとけばいいやと思っていたけど」

 虚は腕組みし、はあ、とため息をついた。

「どっしよっかなー……あー…もったいねえなあー……」

 枯れた花をそのまま留め置く手段があるとするなら。
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