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元魔王は生まれ変わったらしい
植え付け完了である
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ラウラは自分のすべきことに意識を向ける。
植え付けの準備はほとんど整った。あとはキーラが持ち帰ってくれるはずの材料さえあればすぐに終わるだろう。
「ああ、キーラが帰ってきたみたいだ」
クラウスの声に顔を上げると、森からキーラが元気いっぱいに腐葉土の詰まった袋を掲げながら、駆け寄ってくるのが見えた。
「ラウラ! クラウスー! いっぱいとってきたよ!」
「おお、すごいぞ」
キーラの頬やふわふわの髪にも腐葉土の欠片がくっついている。
「よし、ならば次の作業に取り掛かるとしよう!」
ラウラは上機嫌で次の指示を告げた。
「クラウスが作ってくれた畝に、このたい肥を混ぜ込んで欲しいのだ」
「混ぜるの?」
「うむ。底の方に置くような感じで頼む。根っこに直接たい肥が当たってしまうと、肥料焼けをおこすのでな」
「肥料焼けがなにわかんないけど、意外と難しいんだね」
ラウラの言葉に従って、ふんふんとキーラが作業に取り掛かる。クラウスは無言でキーラの作業を手伝い始めた。
ラウラはふたりの様子を座ったまま見守った。
キーラは穴の底にたい肥を置きつつ、ラウラに問いかけてきた。
「そういえば、ラウラはなんで野菜を育てようと思ったの?」
「確かに、急に言い出したよな」
クラウスもふんふんとうなずく。
「……ふむ」
ラウラはもっともな疑問に考え込む。
「腹がすいたままでいるのはとても切ないことだ。だが、我らが森で獣を狩ることは難しいであろう。となれば非力な者でも可能な、野菜を育てることを思いついたまでよ」
「ラウラの言うことは難しくてよくわかんないけど、お腹がすくのって悲しくなってくるよね……」
キーラの言葉にクラウスが遠くを見るような目つきになった。
ラウラもまた新しい人生で飢えというものを初めて知った。魔王として生きていたころは、魔力さえあれば飢餓に陥ることはないし、あったとしても幼い頃の話で、そんな記憶は遠い彼方のものとなっている。
だが今世で初めて味わった、お腹がすいているときの気分といったら、切ないやら悲しいやらで、あまり味わいたい類のものではない。
「でも、どうして野菜の育て方なんて知ってたの?」
農家に生まれた者でもなければ、作物の育て方などほとんど知らないだろうと、ラウラには予想がついていた。
だからといって、魔王として生きていた頃に、暇つぶしに読んだ園芸書に書かれていた知識なのだとふたりに告げたとしても、馬鹿なことだと一笑に付されるに違いない。
「夢で見たのだ……。野菜を育てれば腹いっぱい食べることができると……」
ここは夢で見たのだと押し切ることにする。それに、魔王としての前世の記憶は本当に自分がそうであったと証明する術もなく、いわば夢のようなものだ。完全に嘘というわけでもない。
魔国では、食すれば手軽に多大な魔力を得ることのできる魔物の肉が主な食料であった。
野菜はせいぜい飾りか、香り付けのために用いられるハーブくらいしかなく、しかもせっかちな気質の者が多い魔族の中で、野菜や作物など収穫に時間のかかる植物を育成するような物好きはほとんどいなかった。
魔王とて、せいぜい手に取った暇つぶしにと読んだ書物にあった知識くらいしかなく、実際にこうして農作業を行うのは初めてだった。
――それに……肉など魔王であった頃に食べ飽きたのだと、素直に言うわけにはいくまい?
魔力を得るために魔物を狩って食することが、そのうち嫌でも必要にはなるだろう。だが、いまのラウラにその力はないし、野菜でおなかがふくれるならば、それで十分だった。
「それだったら、私も夢に見たことあるよ! テーブルの上にご馳走がいっぱい並んでて、どれだけ食べてもなくならないの!」
「それはよい夢であったな」
想像するだけで口の中に唾が沸いた。
「でしょ?」
キーラと頭を寄せ合って夢について語る二人に、クラウスの注意が飛んだ。
「おい、そろそろ終わらないと夕飯に間に合わなくなるぞ!」
「それはまずい!」
クラウスの言葉に慌ててラウラは作業を開始した。
キーラが敷いた、たい肥の上に土をかぶせ、種芋を置き、さらに腐葉土とよけておいた土を混ぜて、ふんわりとかぶせる。
盛り土は、成長に応じて増やす必要があるだろうが、今はこれくらいでよいだろう。
ラウラはにんまりと笑った。
「では、最後に水やりをして今日の作業は終了だ」
「ねえねえ、お芋が生るのはいつ頃? 明日、明後日?」
キーラの期待に満ちた目がラウラを見つめた。
「明日……はさすがに無理であろう。まあ……普通であれば三月もあれば収穫できる。が、その前に芽かきや草取り、土寄せなど、やることはたくさんあるぞ?」
ラウラの答えに、キーラとクラウスの肩ががっくりと落ちる。
「そんなぁ……。三か月もかかるの?」
「食べられるまでに、そんなにかかるのか……」
――確かに三月も待てというのは、この二人には酷か……。ならば魔法でどうにかするほかあるまいな。
「まあそれほど気を落とすことはない。今日は無理だが、明日になれば魔力も回復するであろう。育成の魔法を使ってみるとしよう」
「育成の魔法!?」
魔法という言葉に、しょぼんとしていたキーラの瞳が輝きはじめる。
先ほどラウラが熟成の魔法を使った時には、ちょうどこの二人には用事を頼んでいて不在であった。そのため、二人はラウラがウルリーッカに魔法の使用を禁止されたことも、掘削の魔法を暴発させたことも知らなかった。
「しーっ! あまり大きな声を出すでない。すべては明日だ」
「もーっ! 明日になったらちゃんと教えてよね!」
「わかった」
猛抗議してくるキーラをなだめながら、ラウラは畝に水を撒こうとしてふと我に返る。
「ジョウロがない」
「……まったく、ラウラはいろいろと抜けているな」
クラウスが大きなため息をつく。
「俺が農家のおじさんに借りてきてやるよ。どうせ鍬も返してこないといけないし」
「すまぬ……」
ラウラは自分のふがいなさに、謝りの言葉を紡ぐことしかできなかった。
――とはいえ、我とて実際に農作業をするのは初めてなのだ。少々の失敗は仕方なかろう。
クラウスがラウラを慰めるように頭にぽんと手を乗せ、ぐりぐりと頭を撫でた。そしてそのまま鍬を手に立ち去る。
ラウラは年嵩の少年の意外な面倒見の良さに、心の奥底に温かなものが沸き上がるのを感じた。
こんな気持ちは、魔王として生きていた頃には、感じたことがなかった。
ラウラの唇はいつの間にかわずかにほころび、嬉しそうな表情でクラウスの背を見つめていた。
植え付けの準備はほとんど整った。あとはキーラが持ち帰ってくれるはずの材料さえあればすぐに終わるだろう。
「ああ、キーラが帰ってきたみたいだ」
クラウスの声に顔を上げると、森からキーラが元気いっぱいに腐葉土の詰まった袋を掲げながら、駆け寄ってくるのが見えた。
「ラウラ! クラウスー! いっぱいとってきたよ!」
「おお、すごいぞ」
キーラの頬やふわふわの髪にも腐葉土の欠片がくっついている。
「よし、ならば次の作業に取り掛かるとしよう!」
ラウラは上機嫌で次の指示を告げた。
「クラウスが作ってくれた畝に、このたい肥を混ぜ込んで欲しいのだ」
「混ぜるの?」
「うむ。底の方に置くような感じで頼む。根っこに直接たい肥が当たってしまうと、肥料焼けをおこすのでな」
「肥料焼けがなにわかんないけど、意外と難しいんだね」
ラウラの言葉に従って、ふんふんとキーラが作業に取り掛かる。クラウスは無言でキーラの作業を手伝い始めた。
ラウラはふたりの様子を座ったまま見守った。
キーラは穴の底にたい肥を置きつつ、ラウラに問いかけてきた。
「そういえば、ラウラはなんで野菜を育てようと思ったの?」
「確かに、急に言い出したよな」
クラウスもふんふんとうなずく。
「……ふむ」
ラウラはもっともな疑問に考え込む。
「腹がすいたままでいるのはとても切ないことだ。だが、我らが森で獣を狩ることは難しいであろう。となれば非力な者でも可能な、野菜を育てることを思いついたまでよ」
「ラウラの言うことは難しくてよくわかんないけど、お腹がすくのって悲しくなってくるよね……」
キーラの言葉にクラウスが遠くを見るような目つきになった。
ラウラもまた新しい人生で飢えというものを初めて知った。魔王として生きていたころは、魔力さえあれば飢餓に陥ることはないし、あったとしても幼い頃の話で、そんな記憶は遠い彼方のものとなっている。
だが今世で初めて味わった、お腹がすいているときの気分といったら、切ないやら悲しいやらで、あまり味わいたい類のものではない。
「でも、どうして野菜の育て方なんて知ってたの?」
農家に生まれた者でもなければ、作物の育て方などほとんど知らないだろうと、ラウラには予想がついていた。
だからといって、魔王として生きていた頃に、暇つぶしに読んだ園芸書に書かれていた知識なのだとふたりに告げたとしても、馬鹿なことだと一笑に付されるに違いない。
「夢で見たのだ……。野菜を育てれば腹いっぱい食べることができると……」
ここは夢で見たのだと押し切ることにする。それに、魔王としての前世の記憶は本当に自分がそうであったと証明する術もなく、いわば夢のようなものだ。完全に嘘というわけでもない。
魔国では、食すれば手軽に多大な魔力を得ることのできる魔物の肉が主な食料であった。
野菜はせいぜい飾りか、香り付けのために用いられるハーブくらいしかなく、しかもせっかちな気質の者が多い魔族の中で、野菜や作物など収穫に時間のかかる植物を育成するような物好きはほとんどいなかった。
魔王とて、せいぜい手に取った暇つぶしにと読んだ書物にあった知識くらいしかなく、実際にこうして農作業を行うのは初めてだった。
――それに……肉など魔王であった頃に食べ飽きたのだと、素直に言うわけにはいくまい?
魔力を得るために魔物を狩って食することが、そのうち嫌でも必要にはなるだろう。だが、いまのラウラにその力はないし、野菜でおなかがふくれるならば、それで十分だった。
「それだったら、私も夢に見たことあるよ! テーブルの上にご馳走がいっぱい並んでて、どれだけ食べてもなくならないの!」
「それはよい夢であったな」
想像するだけで口の中に唾が沸いた。
「でしょ?」
キーラと頭を寄せ合って夢について語る二人に、クラウスの注意が飛んだ。
「おい、そろそろ終わらないと夕飯に間に合わなくなるぞ!」
「それはまずい!」
クラウスの言葉に慌ててラウラは作業を開始した。
キーラが敷いた、たい肥の上に土をかぶせ、種芋を置き、さらに腐葉土とよけておいた土を混ぜて、ふんわりとかぶせる。
盛り土は、成長に応じて増やす必要があるだろうが、今はこれくらいでよいだろう。
ラウラはにんまりと笑った。
「では、最後に水やりをして今日の作業は終了だ」
「ねえねえ、お芋が生るのはいつ頃? 明日、明後日?」
キーラの期待に満ちた目がラウラを見つめた。
「明日……はさすがに無理であろう。まあ……普通であれば三月もあれば収穫できる。が、その前に芽かきや草取り、土寄せなど、やることはたくさんあるぞ?」
ラウラの答えに、キーラとクラウスの肩ががっくりと落ちる。
「そんなぁ……。三か月もかかるの?」
「食べられるまでに、そんなにかかるのか……」
――確かに三月も待てというのは、この二人には酷か……。ならば魔法でどうにかするほかあるまいな。
「まあそれほど気を落とすことはない。今日は無理だが、明日になれば魔力も回復するであろう。育成の魔法を使ってみるとしよう」
「育成の魔法!?」
魔法という言葉に、しょぼんとしていたキーラの瞳が輝きはじめる。
先ほどラウラが熟成の魔法を使った時には、ちょうどこの二人には用事を頼んでいて不在であった。そのため、二人はラウラがウルリーッカに魔法の使用を禁止されたことも、掘削の魔法を暴発させたことも知らなかった。
「しーっ! あまり大きな声を出すでない。すべては明日だ」
「もーっ! 明日になったらちゃんと教えてよね!」
「わかった」
猛抗議してくるキーラをなだめながら、ラウラは畝に水を撒こうとしてふと我に返る。
「ジョウロがない」
「……まったく、ラウラはいろいろと抜けているな」
クラウスが大きなため息をつく。
「俺が農家のおじさんに借りてきてやるよ。どうせ鍬も返してこないといけないし」
「すまぬ……」
ラウラは自分のふがいなさに、謝りの言葉を紡ぐことしかできなかった。
――とはいえ、我とて実際に農作業をするのは初めてなのだ。少々の失敗は仕方なかろう。
クラウスがラウラを慰めるように頭にぽんと手を乗せ、ぐりぐりと頭を撫でた。そしてそのまま鍬を手に立ち去る。
ラウラは年嵩の少年の意外な面倒見の良さに、心の奥底に温かなものが沸き上がるのを感じた。
こんな気持ちは、魔王として生きていた頃には、感じたことがなかった。
ラウラの唇はいつの間にかわずかにほころび、嬉しそうな表情でクラウスの背を見つめていた。
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