契約結婚のススメ

文月 蓮

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新たな職場

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 どうにか夜会を乗り切ったレティシアは、その数日後アロイスと共に、王城へ登った。
 今日は侯爵夫人としてではなく、魔導士としての登城となるため、瑠璃色のローブを身に纏っている。
 アロイスもまた近衛としての軍服を纏っていた。
 王城の大きな車止めで馬車から降りたレティシアは、歴史を感じさせる王城のファサードを見上げ、足を止めた。
 やはりとても場違いだと感じてしまう。
 レティシアはいつものように深くフードを被ろうとした手を止める。
 アロイスの前ではフードを被らないという約束をしてしまったことを思い出す。

「緊張しているのか?」
「しない訳がないでしょう」

 以前王城で開かれた夜会に参加したことはあるが、一般の招待客でしかなかった当時は王の前に出ることなどなく、遠目に拝見したくらいで、今回のように挨拶をしなければならないということはなかった。
 これで緊張しない者がいるのだろうか。

「大丈夫だ。食えない人だが、理不尽なことはしない方だ」

 そう言ってアロイスがレティシアの手を握る。
 レティシアの手は緊張に汗ばみ、冷たくなっていた。
 歩き出したアロイスに手を引かれ、レティシアは王城の内部に足を踏み入れた。
 王城自体は巨大なロの字の形をしていて、中庭を中心に東西南北に配置された棟はそれぞれウィングと呼ばれている。
 以前に来たときは南翼にあるボールルームくらいしか利用しなかったのだが、今回は王の居住区域である西翼での謁見になる。北翼にはアロイスのような近衛の控室や、王城で働く者の部屋もあるらしい。
 レティシアは北翼にあるアロイスの控室に案内される。
 そこには、彼の同僚だというヴァリエ伯爵がいた。
 金髪に水色の瞳の彼は、アロイスとはまた違った美貌の持ち主だ。
 彼は柔らかで人懐こそうな笑顔を浮かべ、レティシアに手を差し出す。

「初めまして。ヴィラール侯爵夫人。私のことはエヴァリストとお呼びください」
「お初にお目にかかります。レティシアとお呼びくださいませ。エヴァリスト様のことは夫からお聞きしております。とても優秀な近衛の先輩であるとか」

 エヴァリストはレティシアの手を取り、その甲に口づける仕草をする。
 やはり貴族の間では、このような挨拶を受けるのかと、エヴァリストの美しい金髪の頭を見下ろしながら、レティシアは遠い目をする。
 先日の夜会で挨拶をしたアルザス侯爵や目の前のエヴァリストは、実際には口づけることなく、寸前で唇を留めていたが、中には実際に口をつけてくる人も少ないが何人かはいた。
 そのときはアロイスがそばに居て、さりげなく手を取り返してくれたので、すぐに嫌悪感は治まったが、これからもこういったことが続くのであれば、慣れるしかないのだろう。

「エヴァ、レティはあまり貴族の挨拶になれていない。その辺で」
「はいはい」

 エヴァリストは苦笑するとあっさりと手を離した。
 やはりアロイスが手を取り返してくれる。
 それにしても、こうしてエヴァリストやアロイスを見ていると、近衛の採用基準には美男子であることが条件とされているのかと、レティシアは疑いたくなってくる。

「どうかなさいましたか?」
「いいえ」

 レティシアの手を離し、にっこりとほほ笑むエヴァリストに、レティシアは底知れなさを感じた。

「これから王族の護衛となるレティシア夫人とは、共に働く機会も増えるでしょう。仲良くしていただけるといいのですが」
「それは私も一緒です。至らぬ点も多いかとは思いますが、いろいろとご教示いただけましたら幸いです」
「こちらこそ、いろいろと協力できれば良いなと思います」

 無事アロイスの同僚との挨拶を終えたところで、王からの呼び出しがかかった。
 レティシアはアロイスと共に西翼へ向かう。
 王座の間の扉の前で、レティシアは深呼吸して気持ちを落ち着けた。
 隣に立つアロイスは、レティシアに向かってにこりと笑うと、扉を開けた。

「ヴィラール侯爵アロイス・フォルタン並びに、レティシア・フォルタン、参りました」
「近くに」

 謁見を許されて、王座に座る王に近づく。
 レティシアは初めて間近に見る王の姿に、気後れが隠せない。
 びくりと止まった足を、アロイスが手を引いて進めてくれた。
 どうにか王の前にたどり着いて、ふたり並んで膝をつき、頭を垂れたときには、心臓が爆発してしまいそうなほど早鐘を打っていた。

「ほう。そちらがエヴァリスト推薦の魔導士か」

 思っていたよりも若い声に、レティシアはそろりと顔を上げた。
 楽しそうに彼女を見つめる緑色の瞳にぶつかって、慌てて頭を下げる。

「いい。楽にしろ」

 王の言葉で立ち上がり、アロイスと並んで王の前に立つ。

「アイメリク・ド・ヴァロワ。この国の王だ。話は聞いていると思うが、コルスの王女を妻に迎えることになった。おまえにその護衛の任を任せたい」
「レティシア・フォルタン、謹んで拝命いたします」

 レティシアは立ったまま、王に向かって深く頭を下げた。

「とはいえ、いきなり将来の王妃の護衛と言われると気後れするだろう。コルスの王女がこちらへ来るまでまだ間がある。まずは慣れてもらうために、私の護衛としての任を命ずる」

 レティシアは命じられた内容に大きく目をむいた。
 いきなり王の護衛など、まったく慣れられる気がしなかった。王妃の護衛より任務の難易度が格段に高いのではないだろうか。
 けれど王の命に逆らうことなど許されるはずもない。
 レティシアは再び頭を下げ命令を受けた。

「……承知いたしました。最善を尽くします」

 隣を見上げれば、アロイスの表情は険しい。
 彼はあまりこの任務をよく思っていないのかもしれない。
 けれど彼がレティシアと結婚したのはこのためだったはずだ。
 レティシアは内心で首をかしげた。

「下がっていい」

 こうして、緊張しかなかった謁見は終わりを告げた。
 近衛の控室に戻ると、エヴァリストの姿はなく、代わりに別の近衛と、魔法使いの姿があった。
 さっそくアロイスから紹介を受ける。

「ゲラン伯爵の次男シャルルだ。よろしく」
「私はアンリ。デュトワ男爵の息子で魔法使いです。よろしくお願いいたします」

 どちらも礼儀正しくレティシアに挨拶をしてきた。
 流石に手の甲へのキスはなく節度あるもので、レティシアはほっとする。
 アロイスやエヴァリストほどではないが、どちらも顔が整っていて、やはり顔が近衛の採用基準なのではないかとレティシア疑ってしまう。
 その日は顔合わせに止め、護衛の任に就くのは明日からということになった。
 護衛をするにはその場所についいてきちんと知っておかねばと、王城を案内してもらうことにする。

「すまない。この後私は護衛の任務が入っている。アンリ、案内を頼めるか?」
「承知しました。ヴィラール卿」
「案内が終わったら、この部屋で待っているといい。それほど遅くならないはずだから、一緒に帰ろう」
「はい」

 部屋を出ていくアロイスを見送って、アンリに向き合う。
 彼は魔導士の瑠璃色ではなくもっと淡い天色あまいろのローブを纏っているので、魔法使いだとわかる。

「あらためて、よろしくお願いいたします」

 レティシアはアンリに向かって頭を下げる。
 アンリはふわふわとした金髪を揺らして笑った。

「私のような魔法使いが魔導士であるレティシア様に教えられることは少ないですが、王城の案内であればお任せください」
「助かります」

 人懐こそうな笑みを浮かべるアンリの表情とは裏腹に、言葉には棘が含まれているような気がする。
 レティシアはここでうまくやっていけることを切実に願った。
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