聖女はトゥルーエンドを望まない

文月 蓮

文字の大きさ
上 下
2 / 17
1巻

1-2

しおりを挟む

「不安なのは俺も、そしてリュカやユベールも同じだ。今は互いのことをよく知らねえから、不安だって大きいだろう。これからゆっくりと慣れていけばいいさ。誰だって最初から勇者だったわけじゃあないんだからな」

 ――さすが、アニキ! やっぱりかっこいいなぁ……
 ゲームと違わぬ気配りと包容力に、マリーは感服した。これが、エルネストがファンのあいだでアニキと呼ばれているゆえんだろう。

「はい。ありがとうございます」
「これから一緒に頑張ろうぜ!」

 エルネストはマリーの様子が気になって訪ねてくれただけのようで、話はそこで終わった。
 ――アニキって本当にいい人だなぁ。
 どうにかつつがなくイベントを終えることができたと、マリーは油断していた。

「マリー、よい夢を。俺は、おまえのいやしを受ける者に選ばれたら嬉しいぜ?」

 エルネストが手を伸ばし、彼女の頬をそっと撫でた。そして、色気を含んだ流し目を送ってくる。

「ひっ」

 ――ぎゃー! なにこれ、ナニコレ?
 唐突な接触に、マリーはパニックになった。
 目を大きく見開き、硬直こうちょくするマリーに、エルネストはふっと笑いを漏らす。
 エルネストの台詞せりふから推察するに、彼はマリーの体液にいやしの効果があることを知っている。いやしが欲しい――つまりは、ベッドでのあれこれを含むいやしの行為へのお誘いだろう。

「ど、どうして知って……⁉」
「俺だけじゃないぜ。リュカとユベールだって知ってるさ。聖女が選んだ、たったひとりにだけ与えられる特別ないやしの方法については……な」

 エルネストはにやりと笑みを浮かべている。

「そんなぁ……」
「まあ、そのことは教会でも極秘事項になっている。知っている人間はそれほど多くないはずだ」

 体液によるいやしはゲームの中では当たり前の設定すぎて、どこまで知られているのか気にしたこともなかったが、皆が知っているとなると恥ずかしすぎる。
 教会の関係者だけなら仕方ないことだが、そんなエロ特化の設定がパーティメンバーに知られていることに、マリーは打ちのめされた。
 呆然とするマリーをよそに、エルネストは軽く片手を上げて挨拶をすると、あっさりと立ち去った。
 ――見事な引き際だ。だけどさすがは十八禁乙女ゲーム。油断ならない……
 マリーは固まったまま彼のうしろ姿を見送る。

「はっ、固まってる場合じゃなかった」

 この世界で生き残っていくためには、情報が必要だった。
 選択を誤れば死亡フラグに直結しかねない世界において、情報は生命線だ。
 なにより、まずは頭の中を整理したかった。
 マリーは机の中から紙と筆記具を取り出すと、思い出した記憶を思いつくままに書き出していく。

「メインの攻略キャラは勇者リュカ、魔法使いユベール、聖騎士エルネストだったよね……」

 マリーは思い出した名前を書き連ねていく。
 いずれもそれぞれに魅力を持つキャラクターたちだ。突然のことに驚き、戸惑いはしたものの、彼らが実際に三次元で動いている姿を目にすることができたのは、やはり嬉しい。
 美しく描かれていたイラストの人物が実際に動いて、声優と同じ声で話している。落ち着いて考えてみれば、ゲームの登場人物たちのファンだった茉莉――マリーが興奮しないはずがなかった。

「それから、なんといってもレオン様!」

 マリーは一番好きだったキャラクターの名前を、丁寧に紙に書き込む。
 魔王であるレオンは勇者陣営とは敵対しているため、本来聖女との接点はない。
 本編では攻略キャラではなかったが、陰のある美貌と、流麗なイラストで人気を博し、ついにはファンディスクにおいて攻略キャラとして登場するまでになったキャラクターだ。
 ファンディスクでは、本編で明かされなかった魔王の背景が描かれている。
 魔王は、魔物を生み出し世界を破壊しようとする諸悪の根源――そう信じた勇者たちが魔王を倒すというのが本編でのストーリーだ。
 しかしファンディスクでは、この星が傷ついているということ、魔王は世界を破壊しようとしていたのではなく、傷ついた星をいやすために膨大な魔力を必要としていたのだという真実が明らかになる。魔王も勇者と同じく、この世界を救うためにひとり戦っていたのだ。
 そんな真実を知ったヒロインは魔王と恋仲になるのだが、結局魔王が勇者リュカによって倒され、死によって解放された魔王の魔力が星をいやすという結末だった。
 ――あんなの、絶対にトゥルーエンドじゃないし!
 マリーは内心で鼻息を荒くした。
 魔王レオンを攻略できるようになったとはいえ、彼を救うことができないのならば全く意味がない。マリーは、レオンが最期を迎えるスチルを見ながら、悔し涙を流したことを思い出す。

「ストーリーは面白いし、キャラはそれぞれに魅力があって最高なのに、どうしてエンディングだけがダメダメなのよ!」

 勇者が魔王の真意に気づき、ふたりが協力していれば誰の命も犠牲にすることなく助けられたのではないかと、茉莉はずっと考えていた。

「私は、どのエンドに向かえばいいんだろう……?」

 マリーがヒロインの位置にあることは、どうやら変えようがない。
 ハッピーエンドを選択するならば、このまま勇者たちと共に魔物を倒し、魔王を討伐、そして勇者一行の誰かと結婚だ。
 リュカ、ユベール、エルネスト。いずれも素敵な人たちではあるのだろう。少なくともゲームの中の彼らは素敵だった。
 現実のエルネストとは少し話してみただけだが、ゲーム内での性格とほとんど差は感じられなかった。
 けれど三人の誰かとハッピーエンドを迎えるのは、今のマリーには想像ができなかった。せいぜいおともだちエンドとも呼ばれる、ノーマルエンドが精一杯だ。
 それ以前に、ささいな行動で死亡フラグが乱立する状況で、死なない自信がない。
 それでも、もしもこの世界で、生きることが叶うのであれば。

「やっぱり、生レオン様に会ってみたいなぁ……」

 ――そして、できることならレオン様を死の運命から救いたい。
 マリーはファンディスクでのエンディングを思い出す。
 絶対にあんな風に彼を死なせたくない。
 魔王と勇者が本当は対立する必要がないと知っている自分ならば、このゲームの世界の結末を変えることができるのではないか。それこそが、自分がこの世界に生まれ変わった意味なのではないか。そんな気さえしていた。
 それに、マリーが知っているのはそれだけではない。聖女は生まれ持った特別な力で、望む相手のいる場所へ転移――瞬間移動する魔法を使うことができるのだ。
 何度でも使えるものではなく、たった一往復きりの力だが、移動手段の少ないこの世界ではチート級の魔法だ。
 本来であればゲームの終盤で明らかになるこの設定も、ゲームをやり込んだ茉莉ならば、今すぐにでも使えることを知っている。マリーが望みさえすればおそらく一度だけ、魔王レオンのもとへ一瞬で飛んでいけるはずだ。
 だが、ことは慎重を要する。安易にストーリーを改変してしまえば、マリーが知っているイベントや攻略方法が使えなくなってしまい、のちのちどんなしわ寄せが来るかわからない。
 うっかり死亡フラグを立てて、レオンの前に自分が死んでしまっては意味がない。ここはあえてストーリー通りに勇者たちと行動を共にし、レオンを助ける機会をうかがうほうがいいだろう。そしてその機会が来た時に困らないよう、力をつけておきたい。
 いずれにせよレオンを救うためには魔王城へ行く必要がある。勇者たちと行動を共にしながら、レベルを上げていくのは、一石二鳥のように思えた。
 方針が決まったところで、気が抜けたのか一気に眠気が押し寄せてくる。

「ふぁ……」

 マリーは大きなあくびをすると、ベッドに身体を横たえた。
 前世の記憶がよみがえったことと、教皇との謁見えっけんというふたつの精神的疲労にマリーの意識はすぐに眠りに引き込まれていった。


 翌朝、多くの人々に見送られて、勇者一行は聖都を旅立った。
 城壁から出たところで、一行の足が止まる。

「まずは川沿いに東へ向かって移動。練度を上げつつ、海に出たら北進して魔王城へ向かおうと思う。それでいいかな?」

 マリーはリュカの決めた進路に異論はなかった。
 国土のほとんどが森林におおわれるこの国では、東西に伸びる川沿いに都市が点在している。魔王城は聖都から北東の方角、深い森を抜けた先だ。森林には魔物が多く生息していて、容易たやすくは進めない。多少遠回りにはなるが、川沿いに進み、都市にある教会で補給を受けつつ移動するのは、妥当な選択だと思えた。
 それに教会へ寄ることにはもうひとつの利点がある。聖女であるマリーが祭壇で神に祈りをささげることによって、教皇から授かった装備に神の加護を得ることができるのだ。
 加護があれば攻撃力が上がるだけでなく、新たな技を覚えることができる。更にマリー自身の魔力も、大幅に上げられるのだ。
 加護の利点について、勇者たちや教会関係者は知らないようだった。だとすればこれはゲームをやり込んだマリーしか知らない、裏技のようなものだ。ここはぜひとも教会に寄っておきたい。
 そこに異議を唱えたのはユベールだった。

「ええー、めんどくさい。ばばーんと一気に北上して魔王城に向かおうよ!」

 ――きた! 旅のルート選択イベントだ。ここでちゃんとしたルートを選ばないと、レベル上げに苦労するんだよねぇ……。それにしても、ユベールって可愛い顔してなにげに脳筋だったんだなぁ。
 マリーは記憶にある通りの彼の台詞せりふに、ため息を吐きたくなった。
 エルネストが表情を変えて、止めに入る。

「ばっかやろう! 戦いに慣れているおまえや俺はそれでもいいが、戦いも旅もし慣れていないリュカとマリーには無茶だ。魔王を倒すには、ふたりの成長が絶対に必要なんだ。そんな簡単に済むものなら、わざわざ教皇猊下げいかが俺たちを集めて一緒に旅立たせるわきゃねえだろうよ」

 勇者パーティの良心がきっちりと働き、ユベールをたしなめてくれたことにほっとする。

「そりゃ、そうだけどー」

 エルネストに同意しながらも、ユベールはいまだに不満そうだった。
 ゲームをプレイしていた時から思っていたのだが、ユベールは知的そうに見える魔法使いの割に、考え方がやや短絡的なきらいがある。このままユベールの意見に従うのは危険だというのはわかっていた。
 マリーが顔を上げると、眉根を寄せ、険しい表情をしたリュカと視線がぶつかった。
 ――このままじゃ、ダメだ……!
 リュカとマリーの心の声が一致した。ふたりは顔を見合わせ、同時にうなずく。

「すまないが、戦いに慣れるまでは俺の提案した旅程で行かせてほしい」

 マリーも続けて畳み掛ける。

「ユベールさんの言う通り、いきなり大本を攻撃するというのもひとつの手段だとは思います。けれど今の私たちでは力も経験も足りません。それに各地で勢力を伸ばしている魔物を倒していけば、魔物の脅威に苦しむ人々を救えますし、同時に魔王の力を削ぐこともできて、一石二鳥ではありませんか?」

 そもそもこういったゲームでは、経験値を積んでレベルを上げ、装備を整えてからラスボスに向かうのが常道のはずだ。今の状況では、布の服一枚でラスボスに挑むのと変わらない。
『テラ・ノヴァの聖女』は本格的なRPGロールプレイングゲームではないものの、戦闘や育成といったゲーム要素もそれなりに楽しむことができた。
 ――ちゃんとレベル上げしながら行こうよ? ね、ね? それが最終的には、一番楽にラスボスのところまでたどり着くルートなんだから。
 マリーは期待を込めてユベールを見つめた。

「一石二鳥……ねぇ」

 ユベールの疑わしげな顔に、マリーは焦った。

「ユベール、いい加減にしろよ」
「はぁーい」

 エルネストの機嫌の悪そうな低い声に、ようやくユベールは諦めてくれたらしい。
 マリーはほっと胸をなでおろす。

「ふふ。冗談だよ。一応自分たちの実力は把握しているみたいで、安心したー」

 にやりと笑ったユベールに、マリーはわなわなと震えた。
 ――む、むっかつく……! やっぱり、ユベールって腹黒すぎだよ!
 そういえば、ユベールは慣れない相手に対して、試すような行動をとることがあるのをマリーは思い出す。
 改めてユベールの言葉は額面通りに受け取らないほうがよさそうだと、マリーは気を引き締め直した。魔法使いという人種はなかなかあなどれない。

「よし。じゃあこっちだね。整備された街道を通るから強い魔物はいないはずだけど、注意しながら行こうかー」

 にこにこと一行を先導するユベールの背中を、マリーは恨めしく思いながら見つめた。

「リュカ、マリー、悪いな。ふたりともあまりユベールのことを悪く思わないでくれ。あれでもあいつに悪気はないんだ」

 ――悪気なく試すようなことを言うほうが、問題あると思うけど?
 マリーはどうにか不満を心の中に押し込める。

「そう……ですか」
「エルネストがそう言うなら……」

 マリーとリュカは複雑な表情でうなずいた。
 命を預ける相手を試したくなる気持ちはわからないでもないが、これでは逆に溝が深まってしまうのではと心配になる。

「おーい、先に行っちゃうよー?」

 ユベールははるか先でのほほんと手を振っている。マリーやリュカの不満など、どこ吹く風と言った様子だった。
 マリーは腹を立てているのがばからしくなってきて、思わず笑ってしまった。

「もうっ……ふふ」
「さあ、気を付けて行こうぜ!」
「はい」

 マリーは杖を握りしめて、旅立ちの一歩を踏み出した。
 平坦な道が続く街道は遠くまで見通せる。時折、茂みががさがさと音を立てて揺れるのが見えた。
 マリーは魔物が現れたのかと、びくつきながら街道を進んでいく。

だ!」

 先頭を行くユベールの声に、皆は素早くそれぞれの得物を構えた。
 盾を構えたエルネストが前に進み出る。

「俺が敵を引き付ける。リュカは隙を見て攻撃。ユベールはいつも通りで頼む。マリーは後方で待機。君の出番は戦闘終了後だ」
「はいっ!」

 エルネストの指示に皆の返事が揃う。

「キシャーァア!」

 は小型犬くらいのサイズのネズミだが、目は赤く爛々らんと光り、歯をむき出しにして威嚇してくる。
 現代日本においては、ただの野生動物がここまで攻撃性をあらわに近づいてくることはなかった。
 ――こわっ。って、私本当に戦えるのかな?
 今更ながらに不安がこみ上げてくる。画面越しにしか見てこなかった魔物の姿を、こうして目の前にすると、恐怖に足が震えた。
 前世の記憶を取り戻す以前のマリーにとって回復魔法を使うことは、呼吸をするのと同じくらい自然にできることだった。しかし前世の記憶が戻ってからは、まだ使ったことがない。その上、実際に魔物と戦うのはこれが初めてだ。実戦の中でも、変わらずに魔法を使えるだろうか。
 不安にさいなまれつつ、マリーはぎゅっと杖を握る。

「ほら、来い!」

 まずはエルネストが魔物に向かって挑発する。そして盾を振り回し、跳びかかってきた魔物に打ち付ける。
 は盾にぶつかって、後ろへ吹き飛んだ。
 今ならば、戦闘経験の乏しいリュカでも余裕を持った攻撃が可能だろう。
 エルネストは敵に生まれた隙を見逃さなかった。

「リュカ、やれっ!」
「はいっ!」

 リュカは硬い声で返事を返した。教皇から与えられたばかりの聖剣を、必死の形相で振るう。
 だが慣れない手つきで振り下ろされた剣は、宙を切った。

「ユベール、足止め!」
「はいはーい」

 エルネストの指示に、ユベールはのんびりと返事をしつつも、的確に行動する。ユベールが指先で空中に記号のようなものを描くと、宙に浮いたその記号が青白く光った。あれはルーン――古代文字を用いた、ユベールの得意とする魔法だろう。ルーンを使う戦い方は、ゲームと変わっていない。

「ほいっと!」

 ルーンはに向かって飛んでいき、一瞬で硬直こうちょくさせた。ギュイギュイと耳障りな鳴き声を上げながら首を振ってもがくけれど、は地面に縫いとめられたように足が動かなくなっていた。硬直スタンの魔法だ。

「リュカ、今だよー。やっちゃってー」
「ああ!」

 ユベールの魔法で固定された魔物は、今度こそリュカの剣によって引き裂かれた。

「キュイイーーッ!」

 甲高い叫びを上げて絶命したは、キラキラと光を放ちながら消えていく。そこに存在していたことが嘘であったかのように。
 ――はぁ……、よかった。回復魔法を使わずに済んで。
 実戦での魔法の使用に不安があったことは間違いないが、それよりも仲間たちが傷つかなかったことに、マリーは安堵する。
 ――あとスプラッタにならなくて、ほんとうによかった。
 ゲームと同じようなエフェクトで消えた魔物の姿に、胸をなでおろす。いくら人に害をなす魔物とはいえ、命を奪うことに抵抗がないわけではない。

「ま、最初だし、こんなもんだろう」

 そう言って、エルネストが構えていた盾を下ろす。
 マリーは気づかないうちに、杖を強く握りしめていた。指の一本ずつを意識して力を抜かなければならないほど、力が入っていたらしい。

「これくらいの消耗度合なら、あと何戦かしても回復はいらねえな」
「……そうだね」

 ――これくらいの敵相手なら、そうそう傷を負うこともないだろうし、あったとしても回復魔法だけで十分そう。とりあえず、早々に十八禁的展開に突入するのは避けられそう、かな?
 マリーの肩からわずかに力が抜けた。
 とはいえ、これではマリーの仕事はほとんどなくなってしまう。なにかほかのことで役に立てないかと思案する。

「あの……、私が硬直スタンの魔法を使ってもいいかな?」
「ん、硬直スタンか……。ユベール、どう思う?」

 エルネストがユベールに視線を向けた。

「やってみればいいんじゃなーい?」

 案外軽い返事が返ってきて、マリーは拍子抜けする。

「じゃあ、やってみる」

 ――とりあえず、うじうじ悩むより、できることからやってみるしかないよね。話を先に進めるためにも経験を積むしかないんだし。レオン様に会うまでは死ぬなんて絶対に嫌だ。そのためには少しでもレベルを上げて強くならないと。
 マリーは意気込んだ。
 勇者一行の進む街道はある程度整備され、森に比べれば魔物が少ないと聞いていたが、それでも多くの魔物が現れた。はじめは経験の浅いリュカが空回りすることもあったが、戦いを重ねるごとに皆の連携がよくなってくるのがわかる。
 エルネストが前線で盾を構えて魔物を引き付けている間に、マリーが硬直スタンの魔法をかけ、リュカが隙をついて剣で切り付ける。それでも倒せない魔物は、ユベールが遠距離から魔法でとどめ、というパターンが出来上がってきた。

「マリー、回復を頼めるか」

 もう何体目かの鹿を倒したところで、その鋭い角で腕に傷を負ったエルネストがマリーに近づいた。
 傷は骨までは達していないようだが、大きく切り裂かれた様子で、見ていて痛々しい。

「はい! 癒しヒールを!」

 ――アニキ、すぐに怪我に気づかなくてごめんなさい。お願い、神様! アニキの傷を治して!
 マリーは杖を握りしめ、神に対する祈りを込めて回復魔法を放った。
 杖の先にキラキラと白い光が生まれて、エルネストの傷口に吸い込まれていく。傷口は見る間に塞がり、そこに傷があったとは信じがたいほど滑らかな皮膚を取り戻していた。
 ――よ、よかったぁ……
 マリーは、前世の記憶がよみがえってから初めて使った回復魔法が成功したことにほっとする。

「助かったぜ。ありがとな」

 エルネストは治ったばかりの腕を振って、感触を確かめている。

「どういたしまして。これが私の役目だしね」

 どうやらエルネストの腕は問題なく治療できたらしい。
 マリーは自分に課せられた役目をきちんと果たせたことに、ほっと人心地ついた。
 ゲームではHPが減れば回復すればよかったのだが、現実にはゲームと違ってステータス画面やHPゲージのような便利なものはない。いつ回復魔法を使えばいいのかの判断が難しい。
 ――敵だけじゃなくて、味方にも注意を払っておかなくちゃダメだね。素早く状況を把握して、先回りしていやせるくらいにならないと……
 戦闘中に頻繁に立ち位置を変える盾役や攻撃役に回復魔法をかけるのは、難しい。下手をすれば誤って敵に回復魔法をかけてしまうことさえある。
 この世界で聖女となるべく育てられたマリーには、しっかりと回復魔法の訓練を受けてきたという自負がある。戦闘中であっても、狙いを誤らないだけの実力があることはわかっていた。
 しかし、実力があっても実戦で使うとなるとまた別問題だ。うまく立ち回れない自分に、マリーは落ち込んだ。

「マリー、僕の魔力もそろそろ危うい。回復してもらえる?」

 今度はユベールから声をかけられた。

「はいっ!」

 落ち込んでいる暇などない。今は戦いの最中なのだ。マリーは気持ちを引き締め直し、ユベールに向けて、魔力の回復魔法を使った。

心に癒しマジック・ヒールを!」

 魔力の回復は、自分の魔力を相手に譲渡するものだ。当然かなりの魔力を消費するため、ヒールの魔法に比べると、何回も使えるものではない。しかし、マリーは使える魔法こそ少ないものの、膨大な量の魔力を持っていた。マジック・ヒールは魔力量の多いマリーだからこそ使える魔法といっても過言ではない。
 杖の先に生まれた青白い光は、ユベールの身体に吸い込まれていく。

「ん、満杯だ。ありがとー」

 にこりと微笑むユベールに、思わずマリーもつられて笑った。無邪気に微笑む姿はとても脳筋腹黒魔法使いには見えない。
 ちなみに攻略相手に回復魔法をかけることで、微量ではあるが好感度も上がる。とはいえこの程度ならばユベールの攻略ルートに入るほどではないだろう。これほど喜んでもらえるのであれば、マリーはこれからも積極的に回復魔法を使おうと心に誓った。

「はい。どういたしまして」
「それにしても、マリーの回復魔法は鮮やかだね。これほど優秀だとは思わなかったなぁ」

 ユベールの顔にははっきりと賞賛が浮かんでいた。
 魔法使いとして経験を積んでいるユベールに褒められ、マリーは気恥ずかしくなった。

「そう? ユベールさんみたいに詠唱なしでは使えないから、褒められると恥ずかしいんだけど……」

 ――やっぱり、詠唱破棄って憧れるよね。私もユベールみたいにルーン魔法が使えたらよかったのになぁ……

「ん? ちょっと待って? あれで? マリーの詠唱は結構短いと思うんだけど?」

 ユベールは心底不思議そうな表情で、こてんと首を傾げた。

「なあユベール、魔法を使う時に詠唱するのは普通のことなんだろう?」

 同じく不思議そうな表情を浮かべているリュカは、あまり魔法に詳しくないのだろう。魔法に関しては、この中で一番の専門家であるユベールの意見を求めた。

「そうだよー」
「でも、ユベールさんは魔法を使う時に詠唱してないよね?」

 マリーはユベールが使う魔法がルーンという文字を描いて発動させるものだと知っていたが、あえて尋ねる。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた

兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にノーチェの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、ノーチェのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。