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1巻
1-2
しおりを挟む「これは?」
「母上からいただいた」
「えっ!」
驚きのあまり手の中のブローチを取り落としそうになり、あわてて持ち直す。
「そんな大事なものを……」
男性が母親から受け継いだ装身具を女性に贈るのは、求婚と同じ意味を持つ。
「……いいんですか? 私なんかがいただいても?」
クリオは顔を真っ赤にしたまま、うなずく。
彼はなにも言わなかったけれど、肯定の仕草と赤く染まった顔から、フランは彼の気持ちを悟った。
フランの胸に、嬉しさとともに気恥ずかしさがこみ上げてくる。それでもなんとかクリオに笑いかけた。
「……ありがとうございます」
そうして、ブローチはフランのものになった。
§
アレックスが二十五歳の若さで急逝したとき、爵位を託されたフランはひとつの結論に達した。
そのとき、兄を亡くして気を落としているフランを励まそうと、クリオが城を訪ねてきた。彼に向かって、フランはずっと大切にしてきたブローチを差し出した。
「これは、……お返しします」
「どうして?」
クリオはフランの手にあるブローチをじっと見つめた。
「私が爵位を継ぐことになりました」
衝撃を受けたのか、クリオがぐらりとよろめく。
「どうしてっ……? なぜお前が爵位を、アレックスの跡を継がなければならない? マウロがいるだろう?」
クリオは納得できない様子でフランに詰め寄る。彼女は首を横に振った。
「マウロはまだ五歳です。あんな小さな子に、侯爵が務まるわけがないでしょう」
「だからって、なにもフランが責務を負わなくても……」
クリオもまた、いずれ侯爵位を継ぐ身だ。その地位の重さはよく知っている。
「すでに王には、マウロが成人するまでの代理として爵位を継ぐ許しを得ました。ですから……、これは……お返しします」
白くなるほど噛みしめられたフランの唇が、このことは彼女の本意ではないとクリオに告げていた。
「くそっ、どうして……っ。アレックスを失った上に、俺はお前まで失うのか……っ」
クリオはブローチを受け取ろうとせず、苛立ちをこめて拳を壁にぶつけた。石造りの壁はクリオの拳を受けたところでびくともしない。にぶい音だけが部屋に響いた。
「私は、いなくなるわけではありません。王との約束を守り、必要とあらば戦場に立つだけ」
「そんなことは、わかっている! だが、お前が人生を犠牲にするのかと思うとっ……」
普段は落ち着いていて、優雅な印象を崩さないクリオが激昂するのを、フランは初めて目にした。柔和な仮面の下に、彼はこんな激情を秘めていたのだ。
彼の新たな一面を見ることができて、フランは喜びを覚えずにはいられなかった。
(たとえ彼と結ばれなくとも、彼は私のことを思ってくれている)
フランが爵位を継がず、ただの貴族の令嬢として生きることができるのならば、クリオのもとに嫁いでいただろう。
しかし、侯爵としての責務がある状況で、彼と結ばれることは許されない。
もしクリオが、フランがマウロに侯爵位をゆずるまで待つと言ってくれても、それまでには十年を超える歳月がある。ただのフランに戻ったときには、年齢的な問題が出てくるだろう。
ベッティネッリ家の人たちから反対されるのは、目に見えていた。
領主の妻の一番の役目は、跡継ぎをもうけること。
それを理解していたフランは、クリオへの想いを封じこめた。そして、ただの幼馴染、友人としてそばにいることを選んだ。
「これからは、仲間として共に戦うことになります。私はあなたの伴侶にはなれません。だから……、私にはもう、これを持っている資格がないのです」
「これは、フランに贈ったものだ。たとえ、お前を娶ることができなくなったとしても、俺の気持ちは変わらない」
クリオはブローチを受け取ろうとしない。
「クリオ……」
「……フランの気持ちはわかる。だけど、この気持ちに整理がつくまで、もうちょっと時間がかかるだろう。すこしの間でいいんだ。俺が返してほしいと言うまで、これはお前に持っていてほしい」
切なげに目を細めたクリオの言葉を、フランは拒否できなかった。
「……はい」
フランはもうしばらくの間、手元に置くことになったブローチを、強く握りしめる。
(もうすこしだけ……)
ブローチが手元にあったら、クリオへの想いを断ち切ることはできないだろう。にもかかわらず、フランはクリオが変わらず想ってくれていることが、嬉しい。
どこか安堵している自分に苦笑しつつ、フランはブローチを大切にしまった。
それから、フランの生活は一変した。
女性らしいドレスを脱ぎ捨て、騎士が身につける上着とズボンを身にまとう。言葉遣いも、やわらかい口調をやめ、男性らしくはっきりと話す。長い髪も肩までの長さに切ろうとしたのだが、キアーラに反対され、背中で束ねることで落ち着いた。
もともとアレックスとともに武芸をたしなんでいたフランは、女性にしては力が強い。騎士としての資格はすぐ得られた。
叙任式でのフランの姿は、緊張にこわばってはいたものの、儚くも美しかった。見物に訪れた貴族たちの目はくぎづけになった。
叙任式を経て、フランはモレッティ侯爵位を正式に継いだ。
侯爵位に就いたフランは忙しく、領主の職務に追われた。オルランド王国において、各領主は王家の騎士団に所属することが義務づけられている。
さらにフランは騎士見習いとして働いた経験さえもほとんどないため、数年の間、王宮に勤務して騎士のしきたりなどを覚えることになった。
昼間は城下の治安維持に駆り出され、夜は王宮の自室で、領地からの陳情に目を通し、家令に対する指示を書き連ねた。
いつか兄の助けになれればと思い、学んでいた兵法論や、領地の経営に関する知識を、領主として役立てる日が来るとは思ってもいなかった。
フランは、かつて兄が所属していた薔薇隊に配属された。
王の騎士たちは、四つの部隊に割り振られる。
その部隊にはそれぞれ、黒鷲、獅子、白鳥、薔薇のシンボルがあり、それらを模したブローチを胸につけ、所属を示すのだ。
クリオもまた薔薇隊に所属していた。彼の優しげな風貌と、副隊長を務めるほどの剣の腕から、『薔薇の騎士』と呼ばれている。
フランが入隊した頃、クリオは父親の具合がすぐれないからと、領地に戻った。ベッティネッリ侯爵の容態がいよいよよくないという噂が真実ならば、クリオは間もなく侯爵位を継ぐだろう。
クリオが爵位を継げば、跡継ぎをもうけるためにすぐにでも結婚しなければならない。
その事実はフランを動揺させた。
(もう、この気持ちは諦めなければならない。……だけど、もうすこしだけ。想うことだけは許して)
フランは祈るように心の中でつぶやいた。
§
やがて、フランは初陣を迎えた。オルランド王国の北に位置するバローネ領に、北の巨人と呼ばれる部族が攻め入ってきたのだ。手漕ぎの小舟を操り、荒れやすい海を越えてきた彼らは、バローネ領の村を次々と襲った。
領地から戻ったクリオと共に戦闘に参加したフランは、必死に剣を振るった。血まみれになりながらも、それを気にする余裕もない。なんとかバローネから北の巨人を追い出すことに成功し、フランは生還することができた。
王都に戻ると、クリオは病床についたベッティネッリ侯爵の信書を王へ手渡した。
それはベッティネッリ侯爵が、爵位を息子にゆずることを求めるものだった。申し出は認められ、晴れてクリオは爵位を継いだ。
フランの胸は、ぎしりと音をたてる。
しかし、フランの気持ちを阻むのは、もはや爵位だけではない。
人間を屠り、血にまみれたこの身は、クリオの花嫁としてふさわしくない。
そう言い聞かせ、己の心を殺した。
フランはもう、剣を振るうことへのためらいはなくなっていた。
その後、フランは出陣のたびに確実に戦果を上げた。武において男性の力に及ばないフランは、すばやさと知略をもって部隊に貢献する。
クリオはフランの作戦を、圧倒的な剣の腕で成し遂げる。クリオとフランは互いの欠点を補うかのように、実力を発揮していた。
やがて、フランは騎士団で一目置かれるようになっていった。しかし、女のフランが騎士としても貴族としても認められるようになったのは、クリオの助けがあったからだ。
クリオは今からふた月ほど前、父親の他界を受け、さまざまな手続きのために領地に戻っていた。
これでまた、クリオは身を固めなければならない理由ができた。
フランはクリオの力になれない己を呪わずにはいられなかった。
もちろん、自分の義務を忘れたことはない。
それでも時折、無性に衝動のままに振る舞いたくなるときがある。なにもかも捨て、クリオのもとへ行けたらどれほどいいだろうか……と。
考えても、どうにもならないことだ。
そう知りつつも、フランは夢想せずにはいられない。
そんなとき、フランは騎士となって以来五年ぶりに、領地へ戻ることを許されたのだった。
二 前兆
「フラン、どうした?」
物思いに沈んでいたフランを、クリオの声が現実に引き戻す。
「あ、いや、なんでもない。それより、領地は落ち着いたのか?」
フランは我に返り、父を亡くしたばかりのクリオを気遣った。
「ああ、うちにはもともと有能な家令がいるからな。問題はない。ただ、もうしばらくは、喪に服さねばな……」
フランは弔意を表す黒衣を着るクリオの姿を、改めて見つめた。ふた月前に比べ、幾分かやつれたような気がする。
「そうか……。私は勤めを終えて、王都から帰ってきたところだ。何もなければ、このままモレッティで過ごすことができる」
「お疲れさま。宮廷は相変わらずか?」
「まあ、そうだな。こんなところで立ち話もなんだし、部屋へ行こう。夕食は済ませてきたのか?」
宮廷を気にする様子のクリオを、フランは城の中に誘った。クリオは嬉しそうに答える。
「ああ。だが、晩酌なら付き合うぞ」
「いいな、飲もう。もう夜も遅い。泊まっていくのだろう?」
クリオがうなずくのを見て、フランはクリオの泊まる部屋の準備を従者に言いつけた。他の者には、大広間から酒の肴になりそうな料理を見繕って部屋へ届けてくれるように頼む。
ふたりは応接用の部屋に入ると、向かい合って座った。
「それで、どんな様子だ?」
改めて聞くクリオに、フランは事もなげに言う。
「宮廷はいつもと変わらないさ。……あぁ、南のほうですこしきな臭い噂があるくらいか……」
フランの顔にさした陰りを、クリオは見逃さなかった。心配そうに問いを重ねる。
「南のほうといえば、フェデーレ公国か?」
「ああ……。あの国との国境付近には、良質な金属が取れる鉱山があるからな」
オルランド王国とフェデーレ公国は、国境付近にある鉱山をめぐって、長く争いを続けていた。
フランが騎士となってからは、その争いに駆り出されたことはない。
しかし、国境に配された黒鷲隊に所属する騎士から、話は聞いていた。
オルランド王国に比べれば、フェデーレ公国の領土は小さい。だが、その代わりに、質の高い金属加工技術で各国に武器を輸出し、利益を上げていた。そして、金に物を言わせて集めた傭兵を用い、年々、領土を拡大している。
今のところ、オルランド王国はフェデーレ公国の侵略対象ではないようだが、小競り合いが絶えることはなかった。
そんな両国の関係の中でも、時折、武器商人がフェデーレ製の新しい武器を王宮に売りこみに来ることがあった。
たまたま居合わせたことのあるフランは、彼の国の武器には一目置いている。
いまは小競り合いで済んでいるものの、両国の争いが激化したらと想像し、フランは小さく身震いした。
「あの国が本気になったら、恐ろしい」
フランの言葉に、クリオはうなずく。普段は柔和な顔が厳しくしかめられている。
「ああ、できれば良好な関係を築きたいものだが……。黒将軍の噂が本当ならば、難しいだろうな」
「黒将軍?」
聞きなれない言葉に、フランは首をかしげた。
「いつも黒ずくめの服装をしているから、そう呼ばれているらしい。なんでも、彼の通ったあとは血と死の臭いが漂っているとか。敵の兵をひとりで百人も倒したという話も聞いた……」
「黒将軍か……」
黒ずくめの服装と聞いて、ふいにフランはひとりの男の姿を思い出した。
二年ほど前に宮廷で見かけたフェデーレの商人。彼も黒ずくめの服装だった。弓の得意なその男は、商人というよりも兵士だと言われたほうがしっくりくるような、立派な体格をしていた。
武器の商いのために宮廷を訪れた彼は、王の御前で改良されたばかりだという石弓を、自慢気に披露していた。フェデーレ人に多い黒髪に、深い青色の目をした商人は、ひどく整った顔つきだった。年の頃はクリオと変わらないか、すこし上ぐらいだろうか。
吟遊詩人も務まりそうな容貌で、王の周りにいた女性たちは色めき立っていた。
長弓の名手として名を知られたフランは、その場で王に呼ばれ、御前にひざをついた。
「フランチェスカ、腕前を披露してやってくれ」
そう言われれば、フランに断る術はない。商人から石弓を受け取った。
特殊な細工がほどこされており、普通の弓よりも矢の装着に時間がかかる。しかし、しなりがよく、さほど弓の腕がなくとも効果が上げられそうだ。
的にねらいを定め、フランは矢を放った。
短い矢は、的の中心をすこしはずれて刺さった。
矢を放つ際の反動が長弓よりも大きい石弓は、男性に力で劣るフランには不向きだ。それでも、中心を射抜けなかったことを恥じ、フランは王に謝罪した。
「醜態をお見せして、申し訳ありません」
フランは王の前に石弓を置くと、深く頭を下げる。
「――私が試させていただいても、よろしいか?」
突然、商人が申し出た。フランが男を見上げると、王は鷹揚にうなずいた。
商人は王の前に置かれた石弓を取り上げ、流れるような手つきで矢を装着した。すっと、的に向かって矢を放つ。
的に目をやれば、矢は見事に的の中心を射抜いていた。
(騎士ではない一商人があのように射るなんて、本当に驚いた。……まさか、フェデーレの者は、みなあのように武に秀でているのだろうか?)
「黒将軍はフェデーレ大公の次男だそうだ」
当時を思い出していたフランは、クリオの声ではっとした。
「……なるほど。とにかく、しばらくフェデーレには注意が必要だということだな」
フランは先のことを思うと、ため息をつかずにはいられなかった。
「領主様、お酒をお持ちしました」
ドアの外から従者の声が聞こえ、フランがドアを開ける。そこには、酒肴の載ったトレイと林檎酒の入った壷を手にした従者が立っていた。
フランはそれらを受け取り、礼を言うと、テーブルにトレイを置く。
クリオに杯を手渡し、林檎酒を注いだ。
クリオは林檎酒の香りをほめ、上機嫌で杯を重ねる。そんなクリオの姿を見ているだけで、フランの胸にはじんわりと温かいものがこみ上げてきた。
(ずっと、こうしていられたらいいのに……)
久しぶりの会話に花を咲かせ、フランは楽しいひとときを過ごした。
§
それからクリオは三日間、城に滞在して、自領へ戻っていった。
フランはたまっていた領主としての執務をおこなったが、それも数日で大方片付いた。
結局、暇を持て余し、鍛錬に精を出すことにする。
そうしてマウロに剣術を指南していたフランのもとに、従者があわてた様子でやってきた。
「領主様! 王宮から伝令の方がいらしています!」
城の中庭で、剣と盾を手にマウロと向かい合っていたフランは、訓練を中断し、すぐに伝令の兵士を連れてくるよう、従者に告げる。
しばらくして、従者に先導されて兵士がやってきた。早馬を走らせてきた彼は、汗だくでフランの前にひざをつく。
「薔薇隊隊長からの書状です」
兵士はひざをついたまま、フランに封筒を差し出した。
フランは確かに薔薇隊に所属しているが、王との約束の期間は終えている。すでに名ばかりとなっているフランに知らせとは、よほどのことがあったのだろう。
フランは受け取った書状を見て、目を見開いた。
その封筒には、赤い封蝋が使われていた。
通常使われる封蝋の色は、クリーム色。しかし、火急の知らせの場合は、赤い蝋を使うのだ。
「……ご苦労だった。すこし休んでいくといい」
「ありがたきお言葉です。しかし、ベッティネッリ領にも参らなければなりませんので、失礼いたします」
ひどく急いでいる様子に、フランは顔をこわばらせる。
「そうか。ならば、せめて水と食料を持っていきなさい」
「ありがとうございます。ご配慮に感謝いたします」
従者から水と食料の入った袋を受け取ると、兵士はあっという間にその場を去った。
フランはますます事態は深刻だと感じた。
「マウロ。すまないが、今日の訓練はここまでだ。剣さばきはなかなかよくなった。ただ、もうすこし足腰を鍛えたほうがいいな」
それまでフランの背後で兵士とのやりとりを静かに眺めていたマウロに、振り向いた。
マウロは健気にうなずく。
「はい。ご教授、ありがとうございました」
マウロはぺこりと頭を下げ、訓練で使った道具の後片付けをはじめた。いつもと違うフランの様子には、何も言わない。
フランは封筒を手に城に入り、階段を駆け上がる。自室に飛びこむと机の引き出しからペーパーナイフを取り出した。悪い予感が当たらないことを願いつつ、書状を開封する。
――羊皮紙に書かれた内容は、フランの思いを打ち砕くものだった。
『フェデーレとの間に戦端が開かれる可能性あり。至急戻られたし。なお、各領地に兵の供出をつのっている。貴候も手勢を率いてすぐに王都へ参上のこと』
つい先日、クリオと話したばかりの懸念が、現実のものとなってしまった。使者がベッティネッリ領へ向かったのならば、彼もまた王からの呼び出しを受けているはずだ。
フランが振り向くと、部屋の入り口には従者が追いついていた。すぐに、戦の支度を言いつける。
「甲冑を持て。急ぐので、馬は二頭連れていく。城の守備隊の中から十人を選抜してくれ。一緒に連れていく」
「承知しました。すぐにかかります」
従者ははじかれたように部屋を飛び出していった。フランもまた行動を開始する。
向かった先は義姉のところだ。
フランが不在の間、領主としての実務はキアーラと家令が行っている。今までは王都から手紙で指示を出していたが、戦となればそんな余裕もなくなるだろう。
キアーラの姿を求めてフランがたどり着いたのは、城の地下にある貯蔵庫だった。キアーラは家令のロレンツォと備蓄を確認している最中らしかった。
「義姉上、こんなところにいたのですか」
息せき切って駆け寄るフランに、キアーラは顔を上げた。
「領主様、いかがなさいました?」
「王都から召集が。すぐに発ちます」
言葉すくなに用件だけを告げる。顔色を変え、キアーラはフランに詰め寄った。
「小競り合いですか?」
「いや、大きな戦になるかもしれない」
寄せられたフランの眉根が、事態の深刻さを物語る。キアーラは目に見えてうろたえた。
「そんな……」
言葉を失うキアーラの手を取り、フランは強く握りしめた。
「留守を頼みます。もしも私になにかあったときは……」
フランの言葉をキアーラは遮った。
「いけません! そのようなことを言っては……。領主様が無事にお戻りになることを、お待ち申し上げております」
「……わかりました。最善を尽くしましょう。ロレンツォ、義姉上とマウロを頼む」
フランは一緒にいた家令にも留守を頼む。
壮年の域に差しかかろうという男は、力強くうなずいてみせた。
「承知しました。御武運をお祈りいたしております」
「ありがとう。守備隊から兵士を十人ほど連れていく。城の守りが手薄とならないように、手配を頼む」
「かしこまりました」
フランはほかにもひと通りの指示をキアーラと家令に伝え、旅の準備をととのえるために部屋に向かった。
荷造り中にふとひとの気配を感じ、顔を上げる。
入り口を見ると、そこには泣きだしそうな顔をしたマウロがいた。フランは準備の手を止める。
「どうした?」
マウロは戸口で立ちつくし、床をにらみつけていた。なかなか口を開こうとしない。
フランはマウロに向かい合った。十歳の少年にとっては少々厳しいかもしれないが、フランは万が一のことを考え、言葉を選んで告げる。
「マウリシオ・モレッティ。お前は次期侯爵だろう? 下を向くんじゃない。そんなことで侯爵が務まるのか?」
「だって……、戦になるかもしれないのでしょう?」
フランを見上げたマウロの緑色の目には、涙が浮かんでいた。
「騎士となることを選んだ時点で、覚悟はできている。いずれ、お前もたどらなければならない道だ」
「うん、わかっている。でも……怖いよ。領主様は怖くないの?」
そう言うと、マウロはフランにぎゅっと抱きついた。
「怖くない……と言ったら嘘になる。だが、剣を取ったときに決めたことだ。自分の手を汚さずには、なにも守れない。悲しいが、これがいまの現実なのだ。本当は手を汚さずに守れるのが一番いいのだろうが、な……」
フランはマウロの頭を撫でながら話す。
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「……はい」
しばしの沈黙のあと、マウロはフランに抱きついたままうなずいた。
「もう、泣くな。立派な跡継ぎになるんだろう?」
「泣いてないっ」
反論するマウロの声は涙声だ。
しかしふたたびフランを見上げたマウロは、先ほどより凜として見えた。
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