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第二章 拉致

命がけの鈍痛

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 馬車に揺られどれくらいの時間が経ったのか分からない。ムヒアスは途中でもう一度自分の手を深く傷つけるとオレに怪我をもらわせ、意識を失ったからだ。

「……どうしましたか?」
「ファーカス国、ドドルア国を通って大丈夫でしょうか……?」
「はい。時間がないので、そのまま進んでください」

 ムヒアスの声で目が覚める。うっすらと瞼を開けると、ムヒアスは御者と会話していた。

「…………テヒシタ神官……」

 ムヒアスがテヒシタの名を小さく呟いた。その声は悲しみに溢れ、悔いているようだった。ムヒアスは爪を齧り、苛立ちと不安を感じているようだ。

「どこ、に……向かって、るんだ……?」
「うるさい、お前には関係ない」

 その声はどこか落ち着きがない。オレを黙らせようと、ムヒアスはまた自身の手にナイフを突き立てようとした。

「ま、待てっ!もう、黙ってるから、やめろ……」

 もちろん怪我をもらった自分が苦痛を感じるのも嫌だが、それ以上にムヒアスの狂気じみた行動を見たくなかった。普通なら痛みで顔が歪むはずなのに、ムヒアスは無感情なまま、自分の手に何度もナイフを突き立てる。その様子は不気味で、恐怖を感じさせた。オレが黙りムヒアスをジッと見ると、ムヒアスも少し考えた表情をしてナイフを下ろした。

 そのことに安心して目を閉じるといつの間にか深い眠りについていて、次に起きた時は痛みが引いていた。目を開けるとムヒアスは眠っていた。オレの足首を縛っていた紐が緩み、そしてちょうどよく馬が水を飲むために止まった。御者が扉を開けた隙間からムヒアスに声をかけようとして、ムヒアスが眠っていることに気付き、チラッとこちらを見る。慌ててオレも寝たふりをする。御者は何も言わずに馬車を離れた。

(……今なら)

 御者はきちんと扉を閉めていなかった。できるだけ早く。でも、ムヒアスを起こさないようにと、静かに足首の縄を解いた。前で結ばれた手首の縄を解きたいがこちらは固く結ばれていて、解くのは難しそうだ。音を立てないように扉を蹴り、静かに開けた。御者も休憩しているのか近くにいないようだ。キョロキョロと見渡し、とりあえず少し離れた先の岩場へと逃げ込んだ。

(ここはどこなんだ?森の中に逃げ込むか?いやでも、その前に先にこの手首の縄をほどきたいな……)

 ちょうどその時、馬車が向かい側から走って来た。川が近くにあるので馬車の馬や御者が休むのにうってつけの場所らしい。茂みからその馬車の様子を見ると、中には品のある若い男女が2人乗っているようだ。こそこそと近づき、その馬車の扉をトントンと小さく叩いた。

「誰だ?」
「すみません。助けて欲しくて」

 若い男性が警戒するような声で聞いた。扉を開けずに窓のカーテンを少し開けてこちらを確認する。2人は警戒した目でこちらを見ている。

「まだ幼い子供よ?もしかすると人さらいの犠牲者かも」
「いや、油断させて金を奪うつもりかもしれない。最近は子供を使った強盗もあると言われている」

 この2人はオレを子供、子供と言うが、オレ、そこまで子供じゃないんだけど……。いや、そんなことより助けてもらわないと。

「あ、あの、オレ、誘拐されて、御礼は何でもするのでこの手首の紐を解いてくれませんか?」
「あなた、紐を解くくらいいいじゃないの?こんなにガリガリで可哀想よ……」
「……手首の紐を切るだけだ。切ったらどこかへと行くんだぞ」

 男はまだ警戒しているようだが、女性の優しい声のおかげか了承してくれた。手首の紐さえ切ってくれればトルデンがオレにくれた金色の宝石・トロンシロンでトルデンの元へ戻ることができる。嬉しくてブンブンと頭を振り、頷いた。

「さぁ、入って」
「おい、馬車に乗せることないだろ」
「痩せ細ってるから少しお菓子でもと……」

 女性が扉を開けて、手を差し出した。その手を握った時、女性が「うっ」と呻き声をあげた。

「カビ!」
「う、うまれる……!!」

 男性が女性の名前を呼び、慌てた表情で立ち上がった。そして、オレの方にその女性の痛みが伝わってくる。視界に入るのはお腹の大きな女性。そう女性は妊娠していたのだ。お腹を中心に波のように押し寄せる痛みが全身を貫き、それはまるで鋭い刃物で内臓をえぐられるような痛みだ。休む間もなく次々と押し寄せてくる。痛みは一瞬で身体中に広がり、骨が砕けるような激痛が続く。

「うぐぁっ……」
「い、いたい……あ、あれ……い、いたくない?」
「カビ!カビ、大丈夫か?!」

(オ、オレは死ぬほど痛い……!!)

 呼吸が浅くなり、耐えがたい痛みがまるで永遠に続くかのように感じられる。それはただの痛みではなく、本当にオレが子供を産むかのような感覚だ。

「カビ、いきむんだ!」
「んー!んんー!!」

 男性が女性の左手を握りながら声をかける。カビと呼ばれた女性は片方の手に夫である男性の手を、もう片方の手はオレの手をぎゅっと握りしめて離さない。むしろいきむために力をしこたま込めて、潰す勢いで握りしめてくる。

(い、いたい、し、しぬ……!せめてこの手を離してくれ!もう痛みは貰い受けてるから……!)

 そう叫びたいのに、口を開くこともできない鈍痛で伝えることができない。ジェットコースターのように(乗ったことないけど)、激しい痛みが等間隔でやって来て、それは徐々に短くなった。

「う、うまれるー!!!!」
「ふ、ふぎゃぁ、ふぎゃぁ!!」

 元気な赤子の声が川辺に響き渡る。周りには人だかりができていて、歓声が巻き起こる。

「ありがとう!君のおかげで妻は元気な赤子を産むことが出来たよ!あぁ、そう言えば、この紐を解いて欲しかったんだね」
「すみません、その子供の保護者です」

 男性がオレの手を握り、感謝の言葉を述べる。いや、それよりも痛くて死ぬ。短剣で男がオレの手首の紐を切った時、ムヒアスの声が聞こえてきた。

「あぁ、そうなんですか?どうして手首に紐を?」
「私は神官でして、孤児であるその子を保護したんですが、手癖が悪く、仕方なしにそのようなことを……。でも、根は悪い子じゃないんです。全ては戦争が……」
「そうよ。私から離れず、ずっと手を握りしめてくれてたんだもの。悪い子のはずないわ。それにこの子が傍に来てから、痛みも引いて無事に産むことができたんだもの」
「それもそうだな。おー、よしよし、そんなに泣かないでおくれ、愛しい我が子」

 ムヒアスがうまいこと言って、夫婦も泣いている赤子に夢中で聞いちゃいない。観客も赤子が生まれたという場面に立ち会えて興奮しているのか、オレのことなんてどうでも良さそうだ。なんなら「こんな短時間で産むなんて、本当にあの子供が奇跡を起こしたんじゃ」なんて言っているくらいだ。弁明したいのに、口をひらくことができない。

 こうして呆気なくオレはムヒアスの手の元へと戻された。馬車にオレを放り込むと、先ほどより厳重に手首と足首に紐を結ばれた。向かい側に座ったムヒアスの表情を見ると曇っている。オレを捕まえて安心した表情をするのなら分かる。そのムヒアスの不安そうな表情がどこか気になった。
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