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122日目
Esha Alwaniさん(シンガーソングライター)
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本日はシンガーソングライターのEsha Alwaniさんのご紹介です。
今回はEsha Alwaniさんについて2回に渡って紹介していきます。
前編
プロフィール
カリブ海の島国アルバ生まれ。ピアノとギターで曲を作り、自ら歌うアーティスト。幼少期にトゥレット症候群を発症し、専門家の治療を受けながら生活。10歳から14歳まで治療のためフロリダ在住。中学の卒業式で行ったパフォーマンスがSNS上で大きな反響を集め、2016年にアルバム『Beautiful』を、2017年に『Dangerous』をリリース。現在はDrexel大学でMusic Industry専攻中。
希望のメッセージを音楽にのせて
トゥレット症も、私の個性。
トゥレット症候群という神経障がいを抱えていることを感じさせないポジティブな生き方こそが彼女の魅力です。彼女がアーティストとしての活動を始めたきっかけには、生涯忘れられないステージがあったといいます。
日記をつけるように作曲しだしたのが原点。
ピアノは親友──。練習嫌いだった私が、そんな風に思えるようになったのは、持病であるトゥレット症候群のおかげです。自らの意思に反して身体が動き、音を発してしまうこの神経障がいに、私は幼少期から悩まされてきました。みんなとともに学校には通えず、自宅学習ばかりで退屈な毎日。「なぜ、みんなと同じように学校に行けないの」と、自分を責めてしまうこともありました。そんな私を慰めてくれたのが、最初は嫌々習っていたピアノです。習いだしてしばらくすると、ピアノに触れている間は症状が落ちつくことに気がつきました。音楽は私にとって特別な存在かもしれない。この頃からそんな風に感じるようになっていきました。
本格的に音楽にのめり込んだのは、自分で曲をつくるようになってからです。昔から詩や物語を書くのが大好きだった私は、12歳でギターを手にすると、毎日のようにオリジナル曲をつくり、弾き語りをしていました。自病のことを含む身近なできごとを、日記をつけるように歌にする。それが当時の私にとっての癒やしだったのです。次第に、母や友人たちにも聴かせたいと思うようになり、伝えることを意識して作曲しだしました。これこそこそが、私のアーティストとしての原点です。
アメリカ流の「みんな違ってあたりまえ」に救われた。
今でこそトゥレット症候群のことをオープンにしていますが、この病を受け入れるまでには長い年月がかかりました。最大の転機となったのは、治療のため10歳から14歳までを過ごしたフロリダでの日々です。専門医の治療を受けられるようになったことで「なぜ症状が起こるのか」への理解が進み、病気のことでむやみに悩むことが減りました。それ以上に良かったのは、アメリカ人の国民性です。世界中からさまざまな人種が集まるここでは、一人ひとりが違うのは当たり前。「人と同じである必要はない」と心から思えたことで、自分の病気を恥じることはなくなりました。
アメリカ社会では神経障がいへの理解が進んでいます。そのおかげで、私も普通の学校に通えるようになりました。かつては病気のことや自作のことは家族にしか話せませんでしたが、ここではすべてをオープンにできる友人や先生にも恵まれます。等身大の自分を互いに受け入れ合う環境のおかげで、私は徐々に自信を取り戻します。中学校を卒業する頃には「病気だって自分のキャラクター。隠しておく理由はない」と思えるほど変わりました。
アーティストとして生きる覚悟を決めた。
自分の殻を破ってきた私に訪れたターニングポイント。それはクラス代表として、中学校の卒業式でパフォーマンスをしたことです。大勢の前で演奏をするのは初めてでした。しかも自作を歌うというチャレンジ。「無難にカバー曲で乗り切る」という手も頭をよぎりましたが、担任からの「絶対にチャレンジしたほうがいい」という助言に背を押され、オリジナル楽曲を披露することに。これは友人たちを前に「病気とともに生きていく覚悟を決めた」と宣言できる、またとないチャンスです。そんな風に自分を奮い立たせました。
演奏前には、まずスピーチを行いました。自分がこれまで何に苦しみ、何を支えに生きてきたのか。アメリカの学校に来たことで、どれだけ救われたか。私を知らない大勢に向けて、思いをぶつけました。スピーチもパフォーマンスも、果たしてどう評価されるのか。重圧に押しつぶされそうでしたが、パフォーマンス中に、病気の症状が顔を出さなかったことから、音楽が身体にもたらす力をありありと感じました。すべてを終えて顔を上げると、予想もしなかったほどのスタンディングオベーション。温かい感情に包まれると同時に、「私は音楽を一生やっていくのだ」という不思議な感情が芽生えたことを覚えています。音楽を通じてポジティブなメッセージを発信したい。夢と感動を与えたい。アーティストとして生きていく覚悟が、決まった瞬間です。
本日はシンガーソングライターのEsha Alwaniさんのご紹介でした。
今回はEsha Alwaniさんについて2回に渡って紹介していきます。
前編
プロフィール
カリブ海の島国アルバ生まれ。ピアノとギターで曲を作り、自ら歌うアーティスト。幼少期にトゥレット症候群を発症し、専門家の治療を受けながら生活。10歳から14歳まで治療のためフロリダ在住。中学の卒業式で行ったパフォーマンスがSNS上で大きな反響を集め、2016年にアルバム『Beautiful』を、2017年に『Dangerous』をリリース。現在はDrexel大学でMusic Industry専攻中。
希望のメッセージを音楽にのせて
トゥレット症も、私の個性。
トゥレット症候群という神経障がいを抱えていることを感じさせないポジティブな生き方こそが彼女の魅力です。彼女がアーティストとしての活動を始めたきっかけには、生涯忘れられないステージがあったといいます。
日記をつけるように作曲しだしたのが原点。
ピアノは親友──。練習嫌いだった私が、そんな風に思えるようになったのは、持病であるトゥレット症候群のおかげです。自らの意思に反して身体が動き、音を発してしまうこの神経障がいに、私は幼少期から悩まされてきました。みんなとともに学校には通えず、自宅学習ばかりで退屈な毎日。「なぜ、みんなと同じように学校に行けないの」と、自分を責めてしまうこともありました。そんな私を慰めてくれたのが、最初は嫌々習っていたピアノです。習いだしてしばらくすると、ピアノに触れている間は症状が落ちつくことに気がつきました。音楽は私にとって特別な存在かもしれない。この頃からそんな風に感じるようになっていきました。
本格的に音楽にのめり込んだのは、自分で曲をつくるようになってからです。昔から詩や物語を書くのが大好きだった私は、12歳でギターを手にすると、毎日のようにオリジナル曲をつくり、弾き語りをしていました。自病のことを含む身近なできごとを、日記をつけるように歌にする。それが当時の私にとっての癒やしだったのです。次第に、母や友人たちにも聴かせたいと思うようになり、伝えることを意識して作曲しだしました。これこそこそが、私のアーティストとしての原点です。
アメリカ流の「みんな違ってあたりまえ」に救われた。
今でこそトゥレット症候群のことをオープンにしていますが、この病を受け入れるまでには長い年月がかかりました。最大の転機となったのは、治療のため10歳から14歳までを過ごしたフロリダでの日々です。専門医の治療を受けられるようになったことで「なぜ症状が起こるのか」への理解が進み、病気のことでむやみに悩むことが減りました。それ以上に良かったのは、アメリカ人の国民性です。世界中からさまざまな人種が集まるここでは、一人ひとりが違うのは当たり前。「人と同じである必要はない」と心から思えたことで、自分の病気を恥じることはなくなりました。
アメリカ社会では神経障がいへの理解が進んでいます。そのおかげで、私も普通の学校に通えるようになりました。かつては病気のことや自作のことは家族にしか話せませんでしたが、ここではすべてをオープンにできる友人や先生にも恵まれます。等身大の自分を互いに受け入れ合う環境のおかげで、私は徐々に自信を取り戻します。中学校を卒業する頃には「病気だって自分のキャラクター。隠しておく理由はない」と思えるほど変わりました。
アーティストとして生きる覚悟を決めた。
自分の殻を破ってきた私に訪れたターニングポイント。それはクラス代表として、中学校の卒業式でパフォーマンスをしたことです。大勢の前で演奏をするのは初めてでした。しかも自作を歌うというチャレンジ。「無難にカバー曲で乗り切る」という手も頭をよぎりましたが、担任からの「絶対にチャレンジしたほうがいい」という助言に背を押され、オリジナル楽曲を披露することに。これは友人たちを前に「病気とともに生きていく覚悟を決めた」と宣言できる、またとないチャンスです。そんな風に自分を奮い立たせました。
演奏前には、まずスピーチを行いました。自分がこれまで何に苦しみ、何を支えに生きてきたのか。アメリカの学校に来たことで、どれだけ救われたか。私を知らない大勢に向けて、思いをぶつけました。スピーチもパフォーマンスも、果たしてどう評価されるのか。重圧に押しつぶされそうでしたが、パフォーマンス中に、病気の症状が顔を出さなかったことから、音楽が身体にもたらす力をありありと感じました。すべてを終えて顔を上げると、予想もしなかったほどのスタンディングオベーション。温かい感情に包まれると同時に、「私は音楽を一生やっていくのだ」という不思議な感情が芽生えたことを覚えています。音楽を通じてポジティブなメッセージを発信したい。夢と感動を与えたい。アーティストとして生きていく覚悟が、決まった瞬間です。
本日はシンガーソングライターのEsha Alwaniさんのご紹介でした。
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