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其の十八 毒舌王子の隠れ家(32)~狼の琥珀の瞳(2)
しおりを挟むどうにか腕を下ろして冬月に向き直り、バツの悪さを誤魔化そうと口を開いた。
「お、遅かったな……」
聲が僅かに顫えてしまい、眼鏡の位置を戻すふりで動揺を隠そうとしたが、強張った指は却ってぎこちなさを強調しただけだった。
冬月は、無言で僕を直視し続けていた。射貫くとも見定めるともつかない琥珀色の視線が、言い知れぬ恐ろしさを呼び起こす。
だが、見られたくないところを見られてしまったかもしれない恥ずかしさや後ろめたさよりも、「怖い」と言う感覚を抱いている自分自身にも困惑していた。しかしその恐怖が、これまでに経験した事の無い類の恐さであるともなれば、狼狽えない方が不思議だろう。
じっと僕を凝視する冬月の双眸は、自然と帝都ホテルでの会話の一幕を思い起こさせ、僕は自身が獲物の絶えた夜の雪山で、餓えた狼の前に迷い出てしまった一匹の哀れな野兎であるかのような感覚に陥った。
餌食たる僕の頭の中は、次の一刹那にも鋭い牙で引き裂かれて野垂れ死ぬのだという想像でいっぱいになり、生々しく突き付けられる死への恐怖に成す術もなく慄いた。
死に損だわ、と言った今朝の琴枝の膨れっ面が突然目蓋の裏に大きく映し出され、僕は横っ面を激しく殴りつけられたような衝撃で息を呑んだ。
「……っ」
いっそ今すぐ命が尽きてしまえば僅かでも琴枝や青葉家への罪滅ぼしになるのに──、そう思っていた事が、所詮は偽善的なまやかしでしかなかったのだと思い知らされた。
琥珀玉の深淵に暴かれたあまりに図々しい生命への執着は、僕を絶望的な羞恥の谷底へと突き落とした。苦い泪の味が、咽喉の奥を締め付けて痛んだ。
ふと気が付くと、瞬き一つしないまま僕を射竦め続ける冬月の背後に、青白い琴枝の顔がはっきりと浮かんで見えていた。愕く間もなく、苦しげに訴える聲が耳朶を打った。
──お願い……。心を許さないで……。
「……!」
──……あの人を、信用しては駄目……。
冬月が戻ってくる前に琴枝の幻が口にしたその科白を、今再び、昏い奈落を彷彿とする廊下の前にひっそりと浮かぶ琴枝から聞いている。
「……あ……っ」
訳が分からず、動揺と混乱で全身がカタカタと戦慄き始めた。
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