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其の十八 毒舌王子の隠れ家(31)~狼の琥珀の瞳(1)
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僕は愕いて座布団の上に半ば身を起こし、
「どうかしたのかい?」
勢い込んで訊ねたが、琴枝は答えずキョロキョロするばかりだった。だが不意に僕に向き直ると、血の気の失せた唇を小さく動かし、
──信用しては駄目。
押し殺した聲は戦慄いていた。何かに追い詰められるような、切羽詰まった苦しげな琴枝の表情に動顛し、僕は思わず立ち上がった。
「いったいどうしたんだい、琴枝」
──とても危険よ。
「き、危険って……。何の話をしているんだい?」
──あの人を信用しては駄目。
「あの人? だ、誰の事を言っているんだい……!?」
──お願い……、心を許さないで……。
僕の問いには答えないまま、銘仙羽織の袂を顫わせた琴枝の輪郭が、空に吸い込まれるように薄れ始めた。
「琴枝……!? 待ってくれ……っ」
咄嗟に伸ばした手が、琴枝の體をすり抜ける。琴枝は何かを言おうと口を開いたが、その聲はもう聞こえなかった。青ざめた頬に一滴の泪が零れ落ち、またピチョン……と水滴が反響するような音がした。
「だ、駄目だ、琴枝……っ」
居ても立っても居られず、僕はもう殆ど消えかけている琴枝の幻影に向かって飛びついた。
その時、出し抜けに、襖の開く音がした。
「──!」
ギクリとして振り向くと、揚げ菓子らしい狐色の食べ物が山と積み上げられた盛鉢と、徳利を一本手にした冬月が、座敷の入口に立って、じっと此方を見ていた。その琥珀色の瞳の中に、青い光が揺れている。
「……!?」
吃驚して息を呑み、慌てて見直すと、菓子の載った青色の器に障子窓から射し込む日の光が反射して、微妙に陰影のついた冬月の瞳を一瞬青く見せただけだと気が付いた。
だが、見間違いだとわかっても、じっと僕を見据える瞳の強さに狼狽し、汗でずるずると鼻先まで落ちてしまった眼鏡を押し上げる事も出来ないまま、不自然に腕を伸ばした恰好で硬直していた。
「どうかしたのかい?」
勢い込んで訊ねたが、琴枝は答えずキョロキョロするばかりだった。だが不意に僕に向き直ると、血の気の失せた唇を小さく動かし、
──信用しては駄目。
押し殺した聲は戦慄いていた。何かに追い詰められるような、切羽詰まった苦しげな琴枝の表情に動顛し、僕は思わず立ち上がった。
「いったいどうしたんだい、琴枝」
──とても危険よ。
「き、危険って……。何の話をしているんだい?」
──あの人を信用しては駄目。
「あの人? だ、誰の事を言っているんだい……!?」
──お願い……、心を許さないで……。
僕の問いには答えないまま、銘仙羽織の袂を顫わせた琴枝の輪郭が、空に吸い込まれるように薄れ始めた。
「琴枝……!? 待ってくれ……っ」
咄嗟に伸ばした手が、琴枝の體をすり抜ける。琴枝は何かを言おうと口を開いたが、その聲はもう聞こえなかった。青ざめた頬に一滴の泪が零れ落ち、またピチョン……と水滴が反響するような音がした。
「だ、駄目だ、琴枝……っ」
居ても立っても居られず、僕はもう殆ど消えかけている琴枝の幻影に向かって飛びついた。
その時、出し抜けに、襖の開く音がした。
「──!」
ギクリとして振り向くと、揚げ菓子らしい狐色の食べ物が山と積み上げられた盛鉢と、徳利を一本手にした冬月が、座敷の入口に立って、じっと此方を見ていた。その琥珀色の瞳の中に、青い光が揺れている。
「……!?」
吃驚して息を呑み、慌てて見直すと、菓子の載った青色の器に障子窓から射し込む日の光が反射して、微妙に陰影のついた冬月の瞳を一瞬青く見せただけだと気が付いた。
だが、見間違いだとわかっても、じっと僕を見据える瞳の強さに狼狽し、汗でずるずると鼻先まで落ちてしまった眼鏡を押し上げる事も出来ないまま、不自然に腕を伸ばした恰好で硬直していた。
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