穢れなき禽獣は魔都に憩う

クイン舎

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其の十八 毒舌王子の隠れ家(26)~琴枝の出現1

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「──……!!」
 息を呑んで振り返ると、すぐ後ろに、琴枝が立っていた。
「……こ……琴枝……」
 酔いのせいか、黙って僕を見詰める琴枝は、いつもよりずっとくっきりした輪郭を呈していた。だが、その大きな黒目がちの瞳には、平生立ち現れる幻に見るような生き生きとした表情がなく、まるで遠い何処かに焦点を合てているかの如くぼやけていた。
 模糊もことした眼でまじろぎもせず僕を見ている琴枝は、上京したての帝都駅の構内で見かけた女学生が着ていたのとそっくり同じ、青磁と海老茶の色も鮮やかな、山形文の銘仙羽織を身に着ていた。薄い日の入る静かな部屋には騒がしいほど鮮やかな着物と、じっと動かない無感動な黒い双眸を凝視するうちに、いつか研究室で見た風鳥の剥製が思い浮かび、知らず背筋が強張った。
「……こ……こと……」
 もう一度呼び掛けようとした時、ピチョン……と、水滴が垂れ落ちるような音が響いた。よく見ると、琴枝のぼんやりと滲んで向こうの壁が透ける足元が、ぐっしょりと濡れそぼっていた。
「……──!!」
 脳裏に、今朝聞いたばかりのの話が明滅する。

 ……四肢を喰い荒らされた、揚がったばかりの水死體…………。

「……っ」
 僕は唇と目を固く閉じ、勢いよく頭を振った。恐ろしい想像を無理に掻き消し、ゆっくりと目を開け、お下げに編んだ髪の毛流れまで見て取れそうな琴枝を見上げた。
「……君は、じゃない。だって君は……、……これは、僕が作り出した幻なんだから……。君への罪の意識が、僕にこんな幻を見せているんだ……。だから、君はまだ、死んでなんかいないんだ……。きっと何処かで、無事に、生きている……。そうだろう? 琴枝……」
 僕の言葉に無表情だった琴枝の瞳がにわかに揺らぎ、光が差した。琴枝は今やっと目が覚めたかのように大きく息を吸い込むと、

 ──あぁ、柊萍しゅうへいさん、あたし……。

 言い掛けたきり、口を閉ざして何か思い詰めるような様子で僕を見詰めていたが、やがて小さな溜息を吐いてうつむいた。その息遣いのあまりの生々しさに、僕は幻だと言う事も忘れて琴枝の方に身を乗り出した。
「琴枝、どうしたんだい。何処か苦しいのかい」
 琴枝は答える代わりに、細い指で毛先に巻いた水色のリボンをいじっていたが、不意に顔を上げ、真っ直ぐに僕を見ると、ねたようなふくれっつらを作った。

 ──他の女の人が着ていた物を寄越よこすなんて、随分ひどいのね。

 桜貝を思わす唇を突き出して、色鮮やかな羽織のたもとをばさりと払って見せた。
 一瞬、金木犀を煮詰めたような濃い匂いが強く香った。
 僕は聲もなく茫然と琴枝を見上げていたが、すぐに気が付いて、あたふたと眼鏡を押し上げながら弁解した。
「ご、御免ごめんよ、琴枝。決してそういうつもりじゃなく……」

 ──それじゃ、どういうつもりでよその女の人の物をあたしに着せているの。

「だ、だからその……、あの時、帝都駅で見掛けた娘さんと君とが重なったものだから……」

 ──いやよ、そんなの。あたし、なんて欲しくないわ。第一、こんなの好きじゃないもの。

「だ、だけど、ほら、以前君が少女雑誌を欲しがって、二人で町の書店まで行った事があるだろう? その時、ちょうど同じような銘仙を着た女学生の絵が表紙になっていたのを買ったじゃないか。帰り道、雑誌を嬉しそうに抱えて、君が何度も素敵だと言っていたのを、よく憶えているんだ……」 

 ──あたしはあの雑誌が気に入っただけよ。表紙なんかどうでもいいんだから。

 琴枝はわざとらしく尖らせた唇で言い、プイ、とそっぽを向いた。
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