穢れなき禽獣は魔都に憩う

クイン舎

文字の大きさ
上 下
43 / 59

其の十八 毒舌王子の隠れ家(18)

しおりを挟む
 僕は元の座布団に胡坐あぐらを掻いて座り直した冬月に、
「お、おい……、僕をダシに使わないでくれよ……」
 軽い抗議を込め、オロオロと眼鏡の位置を戻しながら言うと、肩先から垂れ下がった赤褐色の髪の束を払いのけ、冬月はニッと唇の端を持ち上げた。
には付き物の行灯あんどん代わりだよ。君の様子を見る限り、どうやらこの手の話はもっと酒を飲まなきゃ平常心では居られないだろ」
「……っ」
 内心のおびえをしっかり見破られていたと唇を噛み、顔を伏せて眼鏡を押し上げた。が、酔いも手伝って少しばかり気が大きくなっているせいか、ではそれこそ腹の虫がおさまらないと勇気を振り絞り、ニヤニヤと此方こちらを眺めている冬月を見返した。
「……で、でも、山犬って、狼の事だろ……? 君、狼には何か特別な思い入れがあるんじゃないのか……」
 帝都ホテルの喫茶室サロンで、狼について称賛的とも取れる語り口を聞かせた冬月の様子を思い出しながら、重ねて口を開いた。
「それに、犬が好きだって、さっき……」
「だから?」
「だ、だから……、その……。そ、そういういわれのある山は平気なんじゃないのか……」
「だとしたら何だ」
「だ、だとしたら、そ……そんな本尊を信仰している澪子さんとは、その、気が合うだろ……」 
こそ気が合うんじゃないかい」
「……!! だ、だからそういう言い方は……っ」
 意地悪い嗤いで方頬を歪めて僕を見据えながら杯をあおった冬月に目を白黒させていると、静かに襖が開いて、塗りの盆に数本の徳利とっくりを載せた筒鳥つつどりさんが現れた。
「悪いね、筒鳥」
 ねぎらいの言葉を掛ける冬月の側ににじり寄り、卓上に丁寧ていねいに徳利を並べて頭を下げた筒鳥さんが、わざわざ僕のほうにも向き直って礼をした。
「あ……っ。す、すみません……っ」
 ドギマギと何度も辞儀を返している間に筒鳥さんが静かに部屋を出て行ってしまうと、冬月はさっそく自分の猪口を酒で満たし、
「ほら、追加したんだ。飲めよ」
「……っ。ぼ、僕のにはまだ……」
 さっき注がれた分が並々と残っていたが、有無を言わさぬ調子で徳利を突き出され、仕方なく酒を飲み干して猪口を差し出した。障子窓からし込む柔らかな光をキラキラと反射させる透明な液體えきたいが、杯いっぱいに注がれる。僕は溜息を吐きつつも、「飲め」と目顔で強要する冬月に逆らえず、酒の波打つ猪口にそっと唇をつけた。
 食道を通って胃の腑に落ちた新たな酒の熱さがカァ……と全身に広がり、にわかに頭がクラクラし始めた。心なしか先ほどまでの酒よりもトロトロとして、甘さが際立っているような気がして、猪口の中を覗きながら、
「別の酒なのか? 随分ずいぶん甘味が強く感じるが……」
「何だ、おごられておきながら文句をつけようと言うのか」
「も、文句じゃないよ……。ただ味の感想を言っただけで……」
 大慌てで弁解する僕に皮肉な方笑みを見せ、冬月が言った。
「冗談さ。君は存外ぞんがい味覚が鋭敏えいびんなんだな」
「え……っ」
 思いがけず評価を得た心持ちで、僕は鼻先まで滑り落ちた眼鏡をドキドキと押し上げた。
「そ、そうかな……」
 が、かすかな高揚感こうようかんは、次の瞬間、鼻嗤いと共に飛んで来た皮肉っぽい言葉であっという間に粉々になった。
「何を喜んでいるんだ。僕は君の味覚についてのを言っただけで別にめた訳じゃないよ」
「……っ」
 陸に上げられたうおごとく口をパクパクさせながらふるえる僕を意地悪い嗤いで眺め、冬月は旨そうに酒を飲み干した。これでは僕は正真正銘しょうしんしょうめい洒落しゃれでも何でもなく、冬月の完全な酒のさかなも同然だ。急速にまわる酔いのせいか、愉快ゆかいとは程遠い気分がふつふつと湧き上がって来て、僕は勢いに任せ、グイとからだを前に押し出した。
「冬月、君はまさか、そういうちまたの噂話を信じ込んで、み……澪子さんとの縁談を断ろうと言うんじゃないだろうな」
 冬月は唇の端をニヤッと斜めに吊り上げると、あごをしゃくって僕を見下ろし、
調が戻って来たじゃないか。またくだを巻こうとしている」
「ち、茶化ちゃかさないでくれ……っ。僕は大真面目に話しているんだぞ……っ」
「フン、聞こうじゃないか」
 そう言いつつ、依然いぜんとしてニヤニヤ嗤いを引っ込めない冬月のしたたかな視線にくじけまいと、更に身を乗り出した。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

えふえむ三人娘の物語

えふえむ
キャラ文芸
えふえむ三人娘の小説です。 ボブカット:アンナ(杏奈)ちゃん 三つ編み:チエ(千絵)ちゃん ポニテ:サキ(沙希)ちゃん

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

Rasanz‼︎ーラザンツー

池代智美
キャラ文芸
才能ある者が地下へ落とされる。 歪つな世界の物語。

アデンの黒狼 初霜艦隊航海録1

七日町 糸
キャラ文芸
あの忌まわしい大戦争から遥かな時が過ぎ去ったころ・・・・・・・・・ 世界中では、かつての大戦に加わった軍艦たちを「歴史遺産」として動態復元、復元建造することが盛んになりつつあった。 そして、その艦を用いた海賊の活動も活発になっていくのである。 そんな中、「世界最強」との呼び声も高い提督がいた。 「アドミラル・トーゴーの生まれ変わり」とも言われたその女性提督の名は初霜実。 彼女はいつしか大きな敵に立ち向かうことになるのだった。 アルファポリスには初めて投降する作品です。 更新頻度は遅いですが、宜しくお願い致します。 Twitter等でつぶやく際の推奨ハッシュタグは「#初霜艦隊航海録」です。

おしごとおおごとゴロのこと そのさん

皐月 翠珠
キャラ文芸
目指すは歌って踊れるハウスキーパー! 個性的な面々に囲まれながら、ゴロはステージに立つ日を夢見てレッスンに励んでいた。 一方で、ぽってぃーはグループに足りない“何か”を模索していて…? ぬいぐるみ達の物語が、今再び動き出す! ※この作品はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは無関係ですが、ぬいぐるみの社会がないとは言っていません。 原案:皐月翠珠 てぃる 作:皐月翠珠 イラスト:てぃる

【完結】僕たちのアオハルは血のにおい ~クラウディ・ヘヴン〜 

羽瀬川璃紗
キャラ文芸
西暦1998年、日本。 とある田舎町。そこには、国の重大機密である戦闘魔法使い一族が暮らしている。 その末裔である中学3年生の主人公、羽黒望は明日から夏休みを迎えようとしていた。 盆に開催される奇祭の係に任命された望だが、数々の疑惑と不穏な噂に巻き込まれていく。 穏やかな日々は気付かぬ間に変貌を遂げつつあったのだ。 戦闘、アクション、特殊能力、召喚獣的な存在(あやかし?式神?人外?)、一部グロあり、現代ファンタジー、閉鎖的田舎、特殊な血統の一族、そんな彼らの青春。 章ごとに主人公が変わります。 注意事項はタイトル欄に記載。 舞台が地方なのにご当地要素皆無ですが、よろしくお願いします。

処理中です...