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其の十八 毒舌王子の隠れ家(18)
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僕は元の座布団に胡坐を掻いて座り直した冬月に、
「お、おい……、僕をダシに使わないでくれよ……」
軽い抗議を込め、オロオロと眼鏡の位置を戻しながら言うと、肩先から垂れ下がった赤褐色の髪の束を払いのけ、冬月はニッと唇の端を持ち上げた。
「怪談会には付き物の行灯代わりだよ。君の様子を見る限り、どうやらこの手の話は得意らしいからもっと酒を飲まなきゃ平常心では居られないだろ」
「……っ」
内心の怯えをしっかり見破られていたと唇を噛み、顔を伏せて眼鏡を押し上げた。が、酔いも手伝って少しばかり気が大きくなっているせいか、やられっぱなしではそれこそ腹の虫がおさまらないと勇気を振り絞り、ニヤニヤと此方を眺めている冬月を見返した。
「……で、でも、山犬って、狼の事だろ……? 君、狼には何か特別な思い入れがあるんじゃないのか……」
帝都ホテルの喫茶室で、狼について称賛的とも取れる語り口を聞かせた冬月の様子を思い出しながら、重ねて口を開いた。
「それに、犬が好きだって、さっき……」
「だから?」
「だ、だから……、その……。そ、そういう謂れのある山は平気なんじゃないのか……」
「だとしたら何だ」
「だ、だとしたら、そ……そんな本尊を信仰している澪子さんとは、その、気が合うだろ……」
「天花寺澪子気に入りの子犬となった君こそ気が合うんじゃないかい」
「……!! だ、だからそういう言い方は……っ」
意地悪い嗤いで方頬を歪めて僕を見据えながら杯を煽った冬月に目を白黒させていると、静かに襖が開いて、塗りの盆に数本の徳利を載せた筒鳥さんが現れた。
「悪いね、筒鳥」
労いの言葉を掛ける冬月の側に躙り寄り、卓上に丁寧に徳利を並べて頭を下げた筒鳥さんが、わざわざ僕のほうにも向き直って礼をした。
「あ……っ。す、すみません……っ」
ドギマギと何度も辞儀を返している間に筒鳥さんが静かに部屋を出て行ってしまうと、冬月はさっそく自分の猪口を酒で満たし、
「ほら、君の為に追加したんだ。飲めよ」
「……っ。ぼ、僕のにはまだ……」
さっき注がれた分が並々と残っていたが、有無を言わさぬ調子で徳利を突き出され、仕方なく酒を飲み干して猪口を差し出した。障子窓から射し込む柔らかな光をキラキラと反射させる透明な液體が、杯いっぱいに注がれる。僕は溜息を吐きつつも、「飲め」と目顔で強要する冬月に逆らえず、酒の波打つ猪口にそっと唇をつけた。
食道を通って胃の腑に落ちた新たな酒の熱さがカァ……と全身に広がり、俄かに頭がクラクラし始めた。心なしか先ほどまでの酒よりもトロトロとして、甘さが際立っているような気がして、猪口の中を覗きながら、
「別の酒なのか? 随分甘味が強く感じるが……」
「何だ、奢られておきながら文句をつけようと言うのか」
「も、文句じゃないよ……。ただ味の感想を言っただけで……」
大慌てで弁解する僕に皮肉な方笑みを見せ、冬月が言った。
「冗談さ。君は存外味覚が鋭敏なんだな」
「え……っ」
思いがけず評価を得た心持ちで、僕は鼻先まで滑り落ちた眼鏡をドキドキと押し上げた。
「そ、そうかな……」
が、微かな高揚感は、次の瞬間、鼻嗤いと共に飛んで来た皮肉っぽい言葉であっという間に粉々になった。
「何を喜んでいるんだ。僕は君の味覚についての感想を言っただけで別に褒めた訳じゃないよ」
「……っ」
陸に上げられた魚の如く口をパクパクさせながら顫える僕を意地悪い嗤いで眺め、冬月は旨そうに酒を飲み干した。これでは僕は正真正銘、洒落でも何でもなく、冬月の完全な酒の肴も同然だ。急速に廻る酔いのせいか、愉快とは程遠い気分がふつふつと湧き上がって来て、僕は勢いに任せ、グイと體を前に押し出した。
「冬月、君はまさか、そういう巷の噂話を信じ込んで、み……澪子さんとの縁談を断ろうと言うんじゃないだろうな」
冬月は唇の端をニヤッと斜めに吊り上げると、顎をしゃくって僕を見下ろし、
「いい調子が戻って来たじゃないか。また管を巻こうとしている」
「ち、茶化さないでくれ……っ。僕は大真面目に話しているんだぞ……っ」
「フン、聞こうじゃないか」
そう言いつつ、依然としてニヤニヤ嗤いを引っ込めない冬月の強かな視線に挫けまいと、更に身を乗り出した。
「お、おい……、僕をダシに使わないでくれよ……」
軽い抗議を込め、オロオロと眼鏡の位置を戻しながら言うと、肩先から垂れ下がった赤褐色の髪の束を払いのけ、冬月はニッと唇の端を持ち上げた。
「怪談会には付き物の行灯代わりだよ。君の様子を見る限り、どうやらこの手の話は得意らしいからもっと酒を飲まなきゃ平常心では居られないだろ」
「……っ」
内心の怯えをしっかり見破られていたと唇を噛み、顔を伏せて眼鏡を押し上げた。が、酔いも手伝って少しばかり気が大きくなっているせいか、やられっぱなしではそれこそ腹の虫がおさまらないと勇気を振り絞り、ニヤニヤと此方を眺めている冬月を見返した。
「……で、でも、山犬って、狼の事だろ……? 君、狼には何か特別な思い入れがあるんじゃないのか……」
帝都ホテルの喫茶室で、狼について称賛的とも取れる語り口を聞かせた冬月の様子を思い出しながら、重ねて口を開いた。
「それに、犬が好きだって、さっき……」
「だから?」
「だ、だから……、その……。そ、そういう謂れのある山は平気なんじゃないのか……」
「だとしたら何だ」
「だ、だとしたら、そ……そんな本尊を信仰している澪子さんとは、その、気が合うだろ……」
「天花寺澪子気に入りの子犬となった君こそ気が合うんじゃないかい」
「……!! だ、だからそういう言い方は……っ」
意地悪い嗤いで方頬を歪めて僕を見据えながら杯を煽った冬月に目を白黒させていると、静かに襖が開いて、塗りの盆に数本の徳利を載せた筒鳥さんが現れた。
「悪いね、筒鳥」
労いの言葉を掛ける冬月の側に躙り寄り、卓上に丁寧に徳利を並べて頭を下げた筒鳥さんが、わざわざ僕のほうにも向き直って礼をした。
「あ……っ。す、すみません……っ」
ドギマギと何度も辞儀を返している間に筒鳥さんが静かに部屋を出て行ってしまうと、冬月はさっそく自分の猪口を酒で満たし、
「ほら、君の為に追加したんだ。飲めよ」
「……っ。ぼ、僕のにはまだ……」
さっき注がれた分が並々と残っていたが、有無を言わさぬ調子で徳利を突き出され、仕方なく酒を飲み干して猪口を差し出した。障子窓から射し込む柔らかな光をキラキラと反射させる透明な液體が、杯いっぱいに注がれる。僕は溜息を吐きつつも、「飲め」と目顔で強要する冬月に逆らえず、酒の波打つ猪口にそっと唇をつけた。
食道を通って胃の腑に落ちた新たな酒の熱さがカァ……と全身に広がり、俄かに頭がクラクラし始めた。心なしか先ほどまでの酒よりもトロトロとして、甘さが際立っているような気がして、猪口の中を覗きながら、
「別の酒なのか? 随分甘味が強く感じるが……」
「何だ、奢られておきながら文句をつけようと言うのか」
「も、文句じゃないよ……。ただ味の感想を言っただけで……」
大慌てで弁解する僕に皮肉な方笑みを見せ、冬月が言った。
「冗談さ。君は存外味覚が鋭敏なんだな」
「え……っ」
思いがけず評価を得た心持ちで、僕は鼻先まで滑り落ちた眼鏡をドキドキと押し上げた。
「そ、そうかな……」
が、微かな高揚感は、次の瞬間、鼻嗤いと共に飛んで来た皮肉っぽい言葉であっという間に粉々になった。
「何を喜んでいるんだ。僕は君の味覚についての感想を言っただけで別に褒めた訳じゃないよ」
「……っ」
陸に上げられた魚の如く口をパクパクさせながら顫える僕を意地悪い嗤いで眺め、冬月は旨そうに酒を飲み干した。これでは僕は正真正銘、洒落でも何でもなく、冬月の完全な酒の肴も同然だ。急速に廻る酔いのせいか、愉快とは程遠い気分がふつふつと湧き上がって来て、僕は勢いに任せ、グイと體を前に押し出した。
「冬月、君はまさか、そういう巷の噂話を信じ込んで、み……澪子さんとの縁談を断ろうと言うんじゃないだろうな」
冬月は唇の端をニヤッと斜めに吊り上げると、顎をしゃくって僕を見下ろし、
「いい調子が戻って来たじゃないか。また管を巻こうとしている」
「ち、茶化さないでくれ……っ。僕は大真面目に話しているんだぞ……っ」
「フン、聞こうじゃないか」
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