穢れなき禽獣は魔都に憩う

Arakane

文字の大きさ
上 下
37 / 47

其の十八 毒舌王子の隠れ家(12)

しおりを挟む
「──あ……っ」
 我に返り、大きく息を吸い込んだ。会話の途中で突然になって黙り込んでしまった非礼を詫びようと、大急ぎで顔を上げた。
「……!?」
 目に映ったのは、不敵な笑みに方頬を歪めた冬月の、異様に耀かがや双眸そうぼうだった。
 一瞬、その琥珀の瞳の中に、奇妙な光が、何か生き物のようにひるがえるのが見えた気がし、思わず背中をらした。
 けれど、次の瞬間には、障子をかして入り込んだ光の描く錯覚だったと気が付き、緊張に強張こわばったからだを、そろそろと座布団の上に戻して座り直した。
 冬月は傲岸ごうがんを通り越して暴慢ぼうまんにも見える方笑みを濃くすると、
「それで? 僕はもう、何だって?」
「……そ、その……」
 突き刺さる視線に、気持ちがざわざわと落ち着きをくす。
 冬月の視線が、無性むしょうに怖かった。
 磨き上げられたぎょくのような琥珀色の瞳に射貫いぬかれるといつも、何とも言えないそわそわした気分にさせられ、ドギマギと狼狽ろうばいしてしまうのが常ではあるが、こんな風に怖いと思うのは初めての事だった。
「……と、かく、僕は、そんなは……破廉恥はれんちな感情で、澪子さんを見ていた訳じゃない……」
 言うだけ言って、冬月の視線を避けるようにうつむき、乾いた唇に猪口の縁を持って行った。
 じっと僕を見続ける冬月に居たたまれなくなり、話題を変えようと、無理矢理に口を開いた。
「……き、君は、澪子さんとは、古くからの知り合いなのか」
 冬月は案外あっさりとうなずいて見せ、
「まぁそう言えるだろうね。が属する世間というのは意外に狭いからね。いやでも顔馴染かおなじみになってしまうものさ」
「う、うん……そうなんだろうな……。その、ブルジョワ、という階級の人たちは、何かと横のつながりがあって、良くも悪くも、縛られるんだろ……」
 冬月はニヤッと唇を吊り上げると、
「君だって、とらわれて生きているじゃないか」
 ほのめかすように細められた琥珀の瞳をさえぎるものが欲しくて、僕は猪口を握り締めた手を大きく動かして口元に持って行くと、酒を喉の奥に流し込んだ。勢いあまってせてしまった僕を黙って眺めている冬月が再び何か言わないうちにと、完全におさまり切らない咳と一緒に、言葉を押し出した。
「あ、あの男……、澪子さんの後ろに立っていた……。ず、随分ずいぶんと、感じの悪い男だったな……」
 冬月はフ……、と鋭い息を吐いて嗤い、
黒葛瑛資つづらえいすけの事かい。そうだな、確かに愛想のない奴だよ。だがそれもじゃ仕方がない」
「ば、番犬?」
「ああ。天花寺てんげいじ家及び天華宗てんげしゅうの番犬さ。次期宗主そうしゅたる天花寺澪子の護衛兼運転手というのが奴の主たる仕事だが、主家にあだをなすやからには見境なく嚙みつく猛犬だよ」
 猛犬と言うよりは猛禽もうきんを思わすとがった眼が目の前をよぎり、僕は無意識にごくりと喉を上下させながら、
「し、しかし澪子さんのこ……婚約者である君に、あんな態度を取るなんて、そ、それこそ主人の顔に泥をるような行為じゃないか……」
 冬月は不意に鹿爪しかつめらしい顔つきになって僕を真正面に捉えた。
「小鳥遊、黒葛瑛資の振る舞いが天花寺家の恥さらしだという君の意見は正しい。が、僕が天花寺澪子の婚約者だというのは、言語道断の誤りだ」
「え? だ、だって君、あの会合の様子では、このまま縁談を進めていくという流れで落ち着いたとしか……」
「今日のところは天花寺澪子の思いもかけない反撃に敬意を表したというだけだよ。僕はまったくもって納得も了承も承諾もしていない」
 冬月は片方の眉を不満げに吊り上げたが、すぐに額の辺りに皮肉な嗤いの影を漂わせ始めた。
「けど、黒葛瑛資が縁談の破棄に一役買ってくれるかもしれないという可能性を改めて実感できた事は、不満しきりの今日にあっては浮かぶ瀬を見出した心境だね」
「ど、どういう意味なんだ……」
「あの男は持って生まれた気質の問題なのか、天華宗現宗主のあとむなしい粗野そやさじゃあるが、天花寺家──特に天花寺澪子に対しては絶対の忠誠を尽くしている。しかしそのが果たして赤心せきしんから出たものであるかどうかははなはだ疑問だからね」
「ぎ、疑問って……」
 会合中さながら不動明王のごとく澪子さんの背後に立ち詰めていたあの気迫を思い起こせば、誰がどう見ても誠心誠意を尽くして職務に当たっているとしか考えられなかった。だが冬月の意見は違うらしい。冬月は整い過ぎるあまり眩暈めまいを起こさせそうな顔に底意地の悪い嘲笑を浮かべ、
如何いかしていない君といえども、あの男の言動にはピンと来ないかい?」
「ぴ、ピンと……?」
「そうだよ、つまり、黒葛瑛資は天花寺澪子にれ切っているんだよ」
「──ええっ!?」
 頓狂とんきょうに叫ぶと同時に背中がボッと燃え立ち、思わずった。
「……そ、そそ……そそ……っ」
 ドクドクと血を吐き出す心臓としきりに噴き出す熱い汗にになっていると、冬月は呆れ嗤いに片目をすがめて僕を斜め上から見下ろし、
「つくづく世慣れない男だな、君は。まぁそれは良しとして、状況から言って僕は黒葛にとっては世にいう恋敵こいがたきという存在な訳だよ」
「こ……っ、こいが……っ」
 悪魔もくやと言わんばかりの凄絶せいぜつな嗤い顔を見せる冬月の言葉に、くらくらと頭が回転した。吊り上がった端正な唇の端から鋭い牙すら覗いて見えた気がし、ふるえる指先で鼻頭にまでずれ落ちていた眼鏡を押し上げた。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

RISING 〜夜明けの唄〜

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:263pt お気に入り:17

龍魂

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:7pt お気に入り:15

異世界召喚された俺は余分な子でした

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:262pt お気に入り:1,752

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:931pt お気に入り:3,917

異世界遺跡巡り ~ロマンを求めて異世界冒険~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:462pt お気に入り:152

涙に沈んだ砂時計に奇跡の光が降りつもるから

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:1

大賢者カスパールとグリフォンのスバル

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:703

異世界でゆるゆるスローライフ!~小さな波乱とチートを添えて~

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:697pt お気に入り:541

処理中です...