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其の十八 毒舌王子の隠れ家(12)
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「──あ……っ」
我に返り、大きく息を吸い込んだ。会話の途中で突然夢うつつになって黙り込んでしまった非礼を詫びようと、大急ぎで顔を上げた。
「……!?」
目に映ったのは、不敵な笑みに方頬を歪めた冬月の、異様に耀く双眸だった。
一瞬、その琥珀の瞳の中に、奇妙な光が、何か生き物のように翻るのが見えた気がし、思わず背中を反らした。
けれど、次の瞬間には、障子を透かして入り込んだ光の描く錯覚だったと気が付き、緊張に強張った體を、そろそろと座布団の上に戻して座り直した。
冬月は傲岸を通り越して暴慢にも見える方笑みを濃くすると、
「それで? 僕はもう、何だって?」
「……そ、その……」
突き刺さる視線に、気持ちがざわざわと落ち着きを失くす。
冬月の視線が、無性に怖かった。
磨き上げられた玉のような琥珀色の瞳に射貫かれるといつも、何とも言えないそわそわした気分にさせられ、ドギマギと狼狽してしまうのが常ではあるが、こんな風に怖いと思うのは初めての事だった。
「……と、兎に角、僕は、そんなは……破廉恥な感情で、澪子さんを見ていた訳じゃない……」
言うだけ言って、冬月の視線を避けるように俯き、乾いた唇に猪口の縁を持って行った。
じっと僕を見続ける冬月に居た堪れなくなり、話題を変えようと、無理矢理に口を開いた。
「……き、君は、澪子さんとは、古くからの知り合いなのか」
冬月は案外あっさりと頷いて見せ、
「まぁそう言えるだろうね。僕たちのような人間が属する世間というのは意外に狭いからね。厭でも顔馴染になってしまうものさ」
「う、うん……そうなんだろうな……。その、ブルジョワ、という階級の人たちは、何かと横の繋がりがあって、良くも悪くも、縛られるんだろ……」
冬月はニヤッと唇を吊り上げると、
「君だって、いろんなしがらみに囚われて生きているじゃないか」
ほのめかすように細められた琥珀の瞳を遮るものが欲しくて、僕は猪口を握り締めた手を大きく動かして口元に持って行くと、酒を喉の奥に流し込んだ。勢いあまって噎せてしまった僕を黙って眺めている冬月が再び何か言わないうちにと、完全に治まり切らない咳と一緒に、言葉を押し出した。
「あ、あの男……、澪子さんの後ろに立っていた……。ず、随分と、感じの悪い男だったな……」
冬月はフ……、と鋭い息を吐いて嗤い、
「黒葛瑛資の事かい。そうだな、確かに愛想のない奴だよ。だがそれも番犬じゃ仕方がない」
「ば、番犬?」
「ああ。天花寺家及び天華宗の番犬さ。次期宗主たる天花寺澪子の護衛兼運転手というのが奴の主たる仕事だが、主家に仇をなす輩には見境なく嚙みつく猛犬だよ」
猛犬と言うよりは猛禽を思わす尖った眼が目の前を過り、僕は無意識にごくりと喉を上下させながら、
「し、しかし澪子さんのこ……婚約者である君に、あんな態度を取るなんて、そ、それこそ主人の顔に泥を塗るような行為じゃないか……」
冬月は不意に鹿爪らしい顔つきになって僕を真正面に捉えた。
「小鳥遊、黒葛瑛資の振る舞いが天花寺家の恥さらしだという君の意見は正しい。が、僕が天花寺澪子の婚約者だというのは、言語道断の誤りだ」
「え? だ、だって君、あの会合の様子では、このまま縁談を進めていくという流れで落ち着いたとしか……」
「今日のところは天花寺澪子の思いもかけない反撃に敬意を表したというだけだよ。僕はまったくもって納得も了承も承諾もしていない」
冬月は片方の眉を不満げに吊り上げたが、すぐに額の辺りに皮肉な嗤いの影を漂わせ始めた。
「けど、黒葛瑛資が縁談の破棄に一役買ってくれるかもしれないという可能性を改めて実感できた事は、不満しきりの今日にあっては浮かぶ瀬を見出した心境だね」
「ど、どういう意味なんだ……」
「あの男は持って生まれた気質の問題なのか、天華宗現宗主の教育の跡も空しい野良犬ばりの粗野さじゃあるが、天花寺家──特に天花寺澪子に対しては絶対の忠誠を尽くしている。しかしその忠義ぶりが果たして赤心から出たものであるかどうかは甚だ疑問だからね」
「ぎ、疑問って……」
会合中さながら不動明王の如く澪子さんの背後に立ち詰めていたあの気迫を思い起こせば、誰がどう見ても誠心誠意を尽くして職務に当たっているとしか考えられなかった。だが冬月の意見は違うらしい。冬月は整い過ぎるあまり眩暈を起こさせそうな顔に底意地の悪い嘲笑を浮かべ、
「如何に世間ずれしていない君と雖も、あの男の言動にはピンと来ないかい?」
「ぴ、ピンと……?」
「そうだよ、つまり、黒葛瑛資は天花寺澪子に惚れ切っているんだよ」
「──ええっ!?」
素っ頓狂に叫ぶと同時に背中がボッと燃え立ち、思わず仰け反った。
「……そ、そそ……そそ……っ」
ドクドクと血を吐き出す心臓と頻りに噴き出す熱い汗にしどろもどろになっていると、冬月は呆れ嗤いに片目を眇めて僕を斜め上から見下ろし、
「つくづく世慣れない男だな、君は。まぁそれは良しとして、状況から言って僕は黒葛にとっては世にいう恋敵という存在な訳だよ」
「こ……っ、こいが……っ」
悪魔も斯くやと言わんばかりの凄絶な嗤い顔を見せる冬月の言葉に、くらくらと頭が回転した。吊り上がった端正な唇の端から鋭い牙すら覗いて見えた気がし、顫える指先で鼻頭にまでずれ落ちていた眼鏡を押し上げた。
我に返り、大きく息を吸い込んだ。会話の途中で突然夢うつつになって黙り込んでしまった非礼を詫びようと、大急ぎで顔を上げた。
「……!?」
目に映ったのは、不敵な笑みに方頬を歪めた冬月の、異様に耀く双眸だった。
一瞬、その琥珀の瞳の中に、奇妙な光が、何か生き物のように翻るのが見えた気がし、思わず背中を反らした。
けれど、次の瞬間には、障子を透かして入り込んだ光の描く錯覚だったと気が付き、緊張に強張った體を、そろそろと座布団の上に戻して座り直した。
冬月は傲岸を通り越して暴慢にも見える方笑みを濃くすると、
「それで? 僕はもう、何だって?」
「……そ、その……」
突き刺さる視線に、気持ちがざわざわと落ち着きを失くす。
冬月の視線が、無性に怖かった。
磨き上げられた玉のような琥珀色の瞳に射貫かれるといつも、何とも言えないそわそわした気分にさせられ、ドギマギと狼狽してしまうのが常ではあるが、こんな風に怖いと思うのは初めての事だった。
「……と、兎に角、僕は、そんなは……破廉恥な感情で、澪子さんを見ていた訳じゃない……」
言うだけ言って、冬月の視線を避けるように俯き、乾いた唇に猪口の縁を持って行った。
じっと僕を見続ける冬月に居た堪れなくなり、話題を変えようと、無理矢理に口を開いた。
「……き、君は、澪子さんとは、古くからの知り合いなのか」
冬月は案外あっさりと頷いて見せ、
「まぁそう言えるだろうね。僕たちのような人間が属する世間というのは意外に狭いからね。厭でも顔馴染になってしまうものさ」
「う、うん……そうなんだろうな……。その、ブルジョワ、という階級の人たちは、何かと横の繋がりがあって、良くも悪くも、縛られるんだろ……」
冬月はニヤッと唇を吊り上げると、
「君だって、いろんなしがらみに囚われて生きているじゃないか」
ほのめかすように細められた琥珀の瞳を遮るものが欲しくて、僕は猪口を握り締めた手を大きく動かして口元に持って行くと、酒を喉の奥に流し込んだ。勢いあまって噎せてしまった僕を黙って眺めている冬月が再び何か言わないうちにと、完全に治まり切らない咳と一緒に、言葉を押し出した。
「あ、あの男……、澪子さんの後ろに立っていた……。ず、随分と、感じの悪い男だったな……」
冬月はフ……、と鋭い息を吐いて嗤い、
「黒葛瑛資の事かい。そうだな、確かに愛想のない奴だよ。だがそれも番犬じゃ仕方がない」
「ば、番犬?」
「ああ。天花寺家及び天華宗の番犬さ。次期宗主たる天花寺澪子の護衛兼運転手というのが奴の主たる仕事だが、主家に仇をなす輩には見境なく嚙みつく猛犬だよ」
猛犬と言うよりは猛禽を思わす尖った眼が目の前を過り、僕は無意識にごくりと喉を上下させながら、
「し、しかし澪子さんのこ……婚約者である君に、あんな態度を取るなんて、そ、それこそ主人の顔に泥を塗るような行為じゃないか……」
冬月は不意に鹿爪らしい顔つきになって僕を真正面に捉えた。
「小鳥遊、黒葛瑛資の振る舞いが天花寺家の恥さらしだという君の意見は正しい。が、僕が天花寺澪子の婚約者だというのは、言語道断の誤りだ」
「え? だ、だって君、あの会合の様子では、このまま縁談を進めていくという流れで落ち着いたとしか……」
「今日のところは天花寺澪子の思いもかけない反撃に敬意を表したというだけだよ。僕はまったくもって納得も了承も承諾もしていない」
冬月は片方の眉を不満げに吊り上げたが、すぐに額の辺りに皮肉な嗤いの影を漂わせ始めた。
「けど、黒葛瑛資が縁談の破棄に一役買ってくれるかもしれないという可能性を改めて実感できた事は、不満しきりの今日にあっては浮かぶ瀬を見出した心境だね」
「ど、どういう意味なんだ……」
「あの男は持って生まれた気質の問題なのか、天華宗現宗主の教育の跡も空しい野良犬ばりの粗野さじゃあるが、天花寺家──特に天花寺澪子に対しては絶対の忠誠を尽くしている。しかしその忠義ぶりが果たして赤心から出たものであるかどうかは甚だ疑問だからね」
「ぎ、疑問って……」
会合中さながら不動明王の如く澪子さんの背後に立ち詰めていたあの気迫を思い起こせば、誰がどう見ても誠心誠意を尽くして職務に当たっているとしか考えられなかった。だが冬月の意見は違うらしい。冬月は整い過ぎるあまり眩暈を起こさせそうな顔に底意地の悪い嘲笑を浮かべ、
「如何に世間ずれしていない君と雖も、あの男の言動にはピンと来ないかい?」
「ぴ、ピンと……?」
「そうだよ、つまり、黒葛瑛資は天花寺澪子に惚れ切っているんだよ」
「──ええっ!?」
素っ頓狂に叫ぶと同時に背中がボッと燃え立ち、思わず仰け反った。
「……そ、そそ……そそ……っ」
ドクドクと血を吐き出す心臓と頻りに噴き出す熱い汗にしどろもどろになっていると、冬月は呆れ嗤いに片目を眇めて僕を斜め上から見下ろし、
「つくづく世慣れない男だな、君は。まぁそれは良しとして、状況から言って僕は黒葛にとっては世にいう恋敵という存在な訳だよ」
「こ……っ、こいが……っ」
悪魔も斯くやと言わんばかりの凄絶な嗤い顔を見せる冬月の言葉に、くらくらと頭が回転した。吊り上がった端正な唇の端から鋭い牙すら覗いて見えた気がし、顫える指先で鼻頭にまでずれ落ちていた眼鏡を押し上げた。
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