36 / 57
其の十八 毒舌王子の隠れ家(11)
しおりを挟む
僕はふるふると肩を顫わせ、
「……そ、そうだ……、き、君と来たら、み……澪子さんの前で、僕を辱めるような発言ばかり繰り返していたな……。ぼ、僕は、お、大恥を掻いた……っ」
「君にはそもそも掻けるような恥なんか無いだろ。車中での自尊心についてのやり取りを此処で蒸し返そうと言うのかい?」
「い、い、幾ら君でも、そんな事を言う権利があるのか……!? そ、そ、それとも、僕のような、一介のしがない雑用係は、む……虫けら以下だとでも……!? ふ、踏みつけて傷つけたって、か……構いはしないとでも……!?」
酔いに任せて息巻く僕を冬月は白けた嗤い顔で眺め、
「僕は君を籠の鳥とは称したが虫けらと言った事はないよ。君は酒癖が悪いほうらしいな。普段から言いたい事を我慢して溜め込んでいるからそうなるんだ。酒の力を借りて鬱憤を晴らすなんて無粋もいいところだ。第一、そういう事をすると傍迷惑だというだけでなく、酔いが醒めた後で酷く恥ずかしい思いをして後悔する羽目になるぜ? 君はその羞恥に耐える覚悟で管を巻こうとしているんだろうね?」
ニヤニヤと愚弄するように言う冬月の目の中に、しかし微塵も卑しさが見えない事が、言われっぱなしのこの身の情けなさを余計に煽った。
握り締めていた猪口を卓の上に置こうとして、知らず振り下ろすような勢いがついてしまい、弾みで手の甲に生ぬるい酒が掛かった。それを無意識に舌先で舐め取ってから、またしてもいじましいところを目撃されたと気が付き、羞恥心にもんどりうちたい気分に陥った。が、僕は敢えて自分を鼓舞するように再び猪口を取り上げ、一息に口の中に流し込むと、
「う、鬱憤とか、酒癖とか、そ、そういう問題じゃない……っ。この際、僕の事はどうだっていいんだ……っ。ぼ、僕が問題だと言いたいのは、澪子さんに対する、君の行いだ……っ。あ……あんな、ひ……卑劣な手を使うなんて、き、君には、り……良心と言うものがないのか……!? い、今すぐ澪子さんのお宅に伺って、せ、誠心誠意、謝罪すべきだ……っ」
冬月は方眉を意地悪な嗤いの形に掲げ、必死に言葉を繰る僕を、さも面白い出し物か何かのように眺めていたが、やおら片肘を卓について頬杖をすると、
「なるほど。小鳥遊、君はどうやら天花寺澪子を相当気に入ったんだな」
「──!? な、何を……っ」
「別にそう慌てなくてもいいだろ」
高く唇の片側を吊り上げ、また徳利を自分の猪口に傾けながら、
「さっきも言ったが、あの会合の最中だって、君はずっと彼女に見惚れていたじゃないか。誰の目にも君の気持ちは見通せるさ」
試すような上目遣いで僕に嗤い掛け、冬月は胸の前にはらりと零れ落ちた赤褐色の髪の束を煩そうに払った。僕は厭な具合に鼓動を刻む心音を意識しつつ拳を握り、
「み、妙な言いがかりをつけるような真似は止してくれ……。た、確かに、み……澪子さんは素晴らしい女性だったが、ま……まるで、ぼ、僕が、澪子さんに対して、よ……邪な感情を抱いたとでも言うような言い方は、あ……あんまりだ……」
「そうむきになって僕の言葉に反論しては猶更肯定して見えるよ」
「……っ」
「笑ってその通りだと言って済ませれば軽い冗談話で終わる事だろ。なぜ其処まで過剰に反応する必要があるんだ」
「と、当然じゃないか。ひ、他人様のつ……妻になろうとしている女性に、こ……好意を抱くなんていう、あらぬ疑いを掛けられて、黙っていられる訳がない。だ、第一、僕はもう──……」
言い掛け、ハッと口を噤んだ。
もう女性を好きになろうとは思わない──そう言えば、冬月は必ず「何故だ」と訊いて来るだろう。
水色のリボンを、三つ組みに編んだ髪の毛先につけ、嬉しそうに微笑む琴枝の影が、波紋のように目蓋の裏で揺れ動く──。
途端に、得體の知れない凶暴な力が、胸の奥の塞がらない傷口に爪を立て、メリメリと音立てて抉じ開けに掛かった。
──柊萍さん……
「……──っ」
あっと思う間もなく、記憶の蓋を開けた琴枝の幻が、目の前に大きく映し出される。
誘い掛けるように首を傾げて微笑む琴枝は、次の瞬間、もぬけの殻になった下宿の部屋に散乱していたという、黒い大きな鳥の羽の嵐に飲み込まれた。
軈て黒い羽根の嵐は不気味に巨大な黒鳥の姿へと変わり、琴枝を連れ去る為に羽ばたいた。
琴枝は恐ろしく長い嘴の脅威に怯え、残忍な鳴き聲を上げる鳥の魔手から逃れようと藻掻きながら、僕に向かって腕を伸ばした。
──……柊萍さん、助けて……。……あたしは此処よ……。
「────……!!」
反射的に腰を浮かし掛けた刹那、傲然たる聲が座敷に響いた。
「まったく、不躾の程に呆れるね」
不遜な皮肉嗤いを滲ませた冬月の聲に、残酷な幻影が、弾かれたように掻き消える。と同時に、冷たく昏い水底に引きずり込まれようとしていた意識に忽然と光が戻った。
「……そ、そうだ……、き、君と来たら、み……澪子さんの前で、僕を辱めるような発言ばかり繰り返していたな……。ぼ、僕は、お、大恥を掻いた……っ」
「君にはそもそも掻けるような恥なんか無いだろ。車中での自尊心についてのやり取りを此処で蒸し返そうと言うのかい?」
「い、い、幾ら君でも、そんな事を言う権利があるのか……!? そ、そ、それとも、僕のような、一介のしがない雑用係は、む……虫けら以下だとでも……!? ふ、踏みつけて傷つけたって、か……構いはしないとでも……!?」
酔いに任せて息巻く僕を冬月は白けた嗤い顔で眺め、
「僕は君を籠の鳥とは称したが虫けらと言った事はないよ。君は酒癖が悪いほうらしいな。普段から言いたい事を我慢して溜め込んでいるからそうなるんだ。酒の力を借りて鬱憤を晴らすなんて無粋もいいところだ。第一、そういう事をすると傍迷惑だというだけでなく、酔いが醒めた後で酷く恥ずかしい思いをして後悔する羽目になるぜ? 君はその羞恥に耐える覚悟で管を巻こうとしているんだろうね?」
ニヤニヤと愚弄するように言う冬月の目の中に、しかし微塵も卑しさが見えない事が、言われっぱなしのこの身の情けなさを余計に煽った。
握り締めていた猪口を卓の上に置こうとして、知らず振り下ろすような勢いがついてしまい、弾みで手の甲に生ぬるい酒が掛かった。それを無意識に舌先で舐め取ってから、またしてもいじましいところを目撃されたと気が付き、羞恥心にもんどりうちたい気分に陥った。が、僕は敢えて自分を鼓舞するように再び猪口を取り上げ、一息に口の中に流し込むと、
「う、鬱憤とか、酒癖とか、そ、そういう問題じゃない……っ。この際、僕の事はどうだっていいんだ……っ。ぼ、僕が問題だと言いたいのは、澪子さんに対する、君の行いだ……っ。あ……あんな、ひ……卑劣な手を使うなんて、き、君には、り……良心と言うものがないのか……!? い、今すぐ澪子さんのお宅に伺って、せ、誠心誠意、謝罪すべきだ……っ」
冬月は方眉を意地悪な嗤いの形に掲げ、必死に言葉を繰る僕を、さも面白い出し物か何かのように眺めていたが、やおら片肘を卓について頬杖をすると、
「なるほど。小鳥遊、君はどうやら天花寺澪子を相当気に入ったんだな」
「──!? な、何を……っ」
「別にそう慌てなくてもいいだろ」
高く唇の片側を吊り上げ、また徳利を自分の猪口に傾けながら、
「さっきも言ったが、あの会合の最中だって、君はずっと彼女に見惚れていたじゃないか。誰の目にも君の気持ちは見通せるさ」
試すような上目遣いで僕に嗤い掛け、冬月は胸の前にはらりと零れ落ちた赤褐色の髪の束を煩そうに払った。僕は厭な具合に鼓動を刻む心音を意識しつつ拳を握り、
「み、妙な言いがかりをつけるような真似は止してくれ……。た、確かに、み……澪子さんは素晴らしい女性だったが、ま……まるで、ぼ、僕が、澪子さんに対して、よ……邪な感情を抱いたとでも言うような言い方は、あ……あんまりだ……」
「そうむきになって僕の言葉に反論しては猶更肯定して見えるよ」
「……っ」
「笑ってその通りだと言って済ませれば軽い冗談話で終わる事だろ。なぜ其処まで過剰に反応する必要があるんだ」
「と、当然じゃないか。ひ、他人様のつ……妻になろうとしている女性に、こ……好意を抱くなんていう、あらぬ疑いを掛けられて、黙っていられる訳がない。だ、第一、僕はもう──……」
言い掛け、ハッと口を噤んだ。
もう女性を好きになろうとは思わない──そう言えば、冬月は必ず「何故だ」と訊いて来るだろう。
水色のリボンを、三つ組みに編んだ髪の毛先につけ、嬉しそうに微笑む琴枝の影が、波紋のように目蓋の裏で揺れ動く──。
途端に、得體の知れない凶暴な力が、胸の奥の塞がらない傷口に爪を立て、メリメリと音立てて抉じ開けに掛かった。
──柊萍さん……
「……──っ」
あっと思う間もなく、記憶の蓋を開けた琴枝の幻が、目の前に大きく映し出される。
誘い掛けるように首を傾げて微笑む琴枝は、次の瞬間、もぬけの殻になった下宿の部屋に散乱していたという、黒い大きな鳥の羽の嵐に飲み込まれた。
軈て黒い羽根の嵐は不気味に巨大な黒鳥の姿へと変わり、琴枝を連れ去る為に羽ばたいた。
琴枝は恐ろしく長い嘴の脅威に怯え、残忍な鳴き聲を上げる鳥の魔手から逃れようと藻掻きながら、僕に向かって腕を伸ばした。
──……柊萍さん、助けて……。……あたしは此処よ……。
「────……!!」
反射的に腰を浮かし掛けた刹那、傲然たる聲が座敷に響いた。
「まったく、不躾の程に呆れるね」
不遜な皮肉嗤いを滲ませた冬月の聲に、残酷な幻影が、弾かれたように掻き消える。と同時に、冷たく昏い水底に引きずり込まれようとしていた意識に忽然と光が戻った。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
百合系サキュバス達に一目惚れされた
釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。
生贄の花嫁~鬼の総領様と身代わり婚~
硝子町玻璃
キャラ文芸
旧題:化け猫姉妹の身代わり婚
多くの人々があやかしの血を引く現代。
猫又族の東條家の長女である霞は、妹の雅とともに平穏な日々を送っていた。
けれどある日、雅に縁談が舞い込む。
お相手は鬼族を統べる鬼灯家の次期当主である鬼灯蓮。
絶対的権力を持つ鬼灯家に逆らうことが出来ず、両親は了承。雅も縁談を受け入れることにしたが……
「私が雅の代わりに鬼灯家に行く。私がお嫁に行くよ!」
妹を守るために自分が鬼灯家に嫁ぐと決心した霞。
しかしそんな彼女を待っていたのは、絶世の美青年だった。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
MASK 〜黒衣の薬売り〜
天瀬純
キャラ文芸
【薬売り“黒衣 漆黒”による現代ファンタジー】
黒い布マスクに黒いスーツ姿の彼“薬売り”が紹介する奇妙な薬たち…。
いくつもの短編を通して、薬売りとの交流を“あらゆる人物視点”で綴られる現代ファンタジー。
ぜひ、お立ち寄りください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる