32 / 59
其の十八 毒舌王子の隠れ家(7)
しおりを挟む
「君に潔癖かと訊いた僕自身、わりにそういう性分を持っていてね。よほどの場合を除き、他人に触れるのも触れられるのもあまり好きではないんだ」
「え……」
瞬きもせず僕を見ながら、冬月は皿の残りを口に入れた。鋭角的な顎が均一な咀嚼を繰り返すのを呆けたように見詰め返していると、冬月はまた一皿、無言で僕の前から皿を取り、無造作に食べ始めた。
完璧に作られた彫像のような冬月の手に握られた箸が僕の残した食べ物を口へと運ぶたび、頭の片隅にはムズムズとしたくすぐったい感覚が生じて大きくなり、著しく酔いが回る気配を感じた。僕はモゾモゾと身じろぎし、俄かに浮き足立ち始めた気持ちを落ち着けようと眼鏡を押し上げた。気を紛らわせる為、食事を続ける冬月に遠慮をしつつ聲を掛けた。
「……な、なぁ冬月……」
「何だい」
「その……、此処の女将──志乃さんとは、随分親しいようだったが……。その、古くからの知り合いなのか……」
あまり私的な事を訊ねるのは気が引けたが、浮ついた気分が酔いによって増大していた僕は、思い切って質問を繰り出した。冬月は箸を止めないまま、
「そうだね、志乃さんは僕の乳母だったからね」
「えっ!? う……乳母……!?」
軽い調子で返事を寄越した冬月に思わず上ずった聲を出した。冬月は不意にきらりと瞬く目を上げて、
「──と言う名の僕の父の二号さんだよ」
「え……っ!?」
衝撃的な発言に身を強張らせた。とんでもない事を聞いてしまったかもしれないと、質問した事を後悔し始めた矢先、興味深そうな目つきになった冬月が、凍り付いた僕をつくづくと見回しながら、
「君は僕が思っている以上に世慣れない男なんだな。しかしそんな風に人の言う事を何でも鵜呑みにするのは感心しないよ。それじゃ騙されても文句も言えないぞ」
「え……っ!? だま……。──って、ま……まさか、う、嘘を吐いたのか……っ!?」
「嘘というほどじゃない、軽い揶揄だよ」
冬月は嘲弄する具合でニッと唇を斜めに吊り上げた。
「……!!」
またしてもどっと力が抜け、僕はぐったりと顔を伏せた。
「う……嘘……。僕はてっきり……」
「志乃さんが僕の乳母だったというのは本当だよ」
「……そ、そうなのか……」
「ああ」
何喰わぬ顔で再び僕の前の皿を取って食べ始めた冬月を見詰め、これ以上話していては神経が持ちそうにないと口を噤みかけ、ふと、ごく当たり前の調子で志乃さんに帽子を預けた冬月の様子を思い出した。
「──そうか……。だから帽子を志乃さんに……」
一人合点がいった気分になって呟き、置いていた猪口を持ち上げ口に近づけようとして、今度は恭しく頭を下げる作務衣の男性の影が過った。
「……ん? と言う事は、あの筒鳥という人も君の……」
言いながら何気なく顔を上げると、磨かれた琥珀のような瞳がじっと僕を見ていた。
「──え……っ」
思いがけず真面目な顔つきをした冬月とまともに見交わした事に動揺する僕をよそに、冬月は手酌で注いだ酒で喉を潤すと、栗飯の茶碗を取って米粒を箸で寄せ集めるようにしながら、
「筒鳥はうちの元庭師で、別当頭を兼任していたんだよ」
「別当頭? 君のところでは馬を飼っているのか。頭というからには馬丁が何人も居るという事だろ。そんなに沢山の馬を飼っているのか」
驚いて訊ねると、冬月はつやつやと蜜の色に照り返る栗と一緒に咀嚼していた飯を飲み込んで、
「まぁ便宜上別当という言い方をしているが、うちにはいろいろな種類の生き物が居るものでね。その世話や調教を任せる者が、それなりには必要なんだよ」
「へぇぇぇ……。そういえば、ホテルでも調教係がどうのと言っていたよな。冗談みたいな脅しかと思っていたが、本当だったんだな」
人間が生きていくのもやっとの世の中で、数種類に及ぶ生き物を飼っている──しかもその管理を受け持つ別当を何人も抱えるほど──というのは、その家の財力の潤沢を明朗に物語っているも同然だった。僕は巷に囁かれている冬月家にまつわる様々な噂や評判を思い出さずには居られなかった。その真偽は兎も角としても、今の話からは、冬月家が相当の資産を有しているという事実が充分に窺えた。
「え……」
瞬きもせず僕を見ながら、冬月は皿の残りを口に入れた。鋭角的な顎が均一な咀嚼を繰り返すのを呆けたように見詰め返していると、冬月はまた一皿、無言で僕の前から皿を取り、無造作に食べ始めた。
完璧に作られた彫像のような冬月の手に握られた箸が僕の残した食べ物を口へと運ぶたび、頭の片隅にはムズムズとしたくすぐったい感覚が生じて大きくなり、著しく酔いが回る気配を感じた。僕はモゾモゾと身じろぎし、俄かに浮き足立ち始めた気持ちを落ち着けようと眼鏡を押し上げた。気を紛らわせる為、食事を続ける冬月に遠慮をしつつ聲を掛けた。
「……な、なぁ冬月……」
「何だい」
「その……、此処の女将──志乃さんとは、随分親しいようだったが……。その、古くからの知り合いなのか……」
あまり私的な事を訊ねるのは気が引けたが、浮ついた気分が酔いによって増大していた僕は、思い切って質問を繰り出した。冬月は箸を止めないまま、
「そうだね、志乃さんは僕の乳母だったからね」
「えっ!? う……乳母……!?」
軽い調子で返事を寄越した冬月に思わず上ずった聲を出した。冬月は不意にきらりと瞬く目を上げて、
「──と言う名の僕の父の二号さんだよ」
「え……っ!?」
衝撃的な発言に身を強張らせた。とんでもない事を聞いてしまったかもしれないと、質問した事を後悔し始めた矢先、興味深そうな目つきになった冬月が、凍り付いた僕をつくづくと見回しながら、
「君は僕が思っている以上に世慣れない男なんだな。しかしそんな風に人の言う事を何でも鵜呑みにするのは感心しないよ。それじゃ騙されても文句も言えないぞ」
「え……っ!? だま……。──って、ま……まさか、う、嘘を吐いたのか……っ!?」
「嘘というほどじゃない、軽い揶揄だよ」
冬月は嘲弄する具合でニッと唇を斜めに吊り上げた。
「……!!」
またしてもどっと力が抜け、僕はぐったりと顔を伏せた。
「う……嘘……。僕はてっきり……」
「志乃さんが僕の乳母だったというのは本当だよ」
「……そ、そうなのか……」
「ああ」
何喰わぬ顔で再び僕の前の皿を取って食べ始めた冬月を見詰め、これ以上話していては神経が持ちそうにないと口を噤みかけ、ふと、ごく当たり前の調子で志乃さんに帽子を預けた冬月の様子を思い出した。
「──そうか……。だから帽子を志乃さんに……」
一人合点がいった気分になって呟き、置いていた猪口を持ち上げ口に近づけようとして、今度は恭しく頭を下げる作務衣の男性の影が過った。
「……ん? と言う事は、あの筒鳥という人も君の……」
言いながら何気なく顔を上げると、磨かれた琥珀のような瞳がじっと僕を見ていた。
「──え……っ」
思いがけず真面目な顔つきをした冬月とまともに見交わした事に動揺する僕をよそに、冬月は手酌で注いだ酒で喉を潤すと、栗飯の茶碗を取って米粒を箸で寄せ集めるようにしながら、
「筒鳥はうちの元庭師で、別当頭を兼任していたんだよ」
「別当頭? 君のところでは馬を飼っているのか。頭というからには馬丁が何人も居るという事だろ。そんなに沢山の馬を飼っているのか」
驚いて訊ねると、冬月はつやつやと蜜の色に照り返る栗と一緒に咀嚼していた飯を飲み込んで、
「まぁ便宜上別当という言い方をしているが、うちにはいろいろな種類の生き物が居るものでね。その世話や調教を任せる者が、それなりには必要なんだよ」
「へぇぇぇ……。そういえば、ホテルでも調教係がどうのと言っていたよな。冗談みたいな脅しかと思っていたが、本当だったんだな」
人間が生きていくのもやっとの世の中で、数種類に及ぶ生き物を飼っている──しかもその管理を受け持つ別当を何人も抱えるほど──というのは、その家の財力の潤沢を明朗に物語っているも同然だった。僕は巷に囁かれている冬月家にまつわる様々な噂や評判を思い出さずには居られなかった。その真偽は兎も角としても、今の話からは、冬月家が相当の資産を有しているという事実が充分に窺えた。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。


アデンの黒狼 初霜艦隊航海録1
七日町 糸
キャラ文芸
あの忌まわしい大戦争から遥かな時が過ぎ去ったころ・・・・・・・・・
世界中では、かつての大戦に加わった軍艦たちを「歴史遺産」として動態復元、復元建造することが盛んになりつつあった。
そして、その艦を用いた海賊の活動も活発になっていくのである。
そんな中、「世界最強」との呼び声も高い提督がいた。
「アドミラル・トーゴーの生まれ変わり」とも言われたその女性提督の名は初霜実。
彼女はいつしか大きな敵に立ち向かうことになるのだった。
アルファポリスには初めて投降する作品です。
更新頻度は遅いですが、宜しくお願い致します。
Twitter等でつぶやく際の推奨ハッシュタグは「#初霜艦隊航海録」です。
おしごとおおごとゴロのこと そのさん
皐月 翠珠
キャラ文芸
目指すは歌って踊れるハウスキーパー!
個性的な面々に囲まれながら、ゴロはステージに立つ日を夢見てレッスンに励んでいた。
一方で、ぽってぃーはグループに足りない“何か”を模索していて…?
ぬいぐるみ達の物語が、今再び動き出す!
※この作品はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは無関係ですが、ぬいぐるみの社会がないとは言っていません。
原案:皐月翠珠 てぃる
作:皐月翠珠
イラスト:てぃる
【完結】僕たちのアオハルは血のにおい ~クラウディ・ヘヴン〜
羽瀬川璃紗
キャラ文芸
西暦1998年、日本。
とある田舎町。そこには、国の重大機密である戦闘魔法使い一族が暮らしている。
その末裔である中学3年生の主人公、羽黒望は明日から夏休みを迎えようとしていた。
盆に開催される奇祭の係に任命された望だが、数々の疑惑と不穏な噂に巻き込まれていく。
穏やかな日々は気付かぬ間に変貌を遂げつつあったのだ。
戦闘、アクション、特殊能力、召喚獣的な存在(あやかし?式神?人外?)、一部グロあり、現代ファンタジー、閉鎖的田舎、特殊な血統の一族、そんな彼らの青春。
章ごとに主人公が変わります。
注意事項はタイトル欄に記載。
舞台が地方なのにご当地要素皆無ですが、よろしくお願いします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる