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其の十八 毒舌王子の隠れ家(5)
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次々と料理を口に運ぶ冬月の食べ方をチラチラと確認しつつ、細かい格子状の切れ込みの入った茄子にそろそろと箸を伸ばした。薄く削られた鰹節ごと恐る恐る口に入れると、品のよい出汁とねっとりと濃厚な秋茄子の何とも言えない風味が絡み合い、とろけるように喉を滑り落ちていった。
「う……旨い……」
呆然と吐き出した呟きに、冬月が卓に目を落としたまま、ふ……と軽く嗤うような息を漏らしたのがわかったが、最初の一口で俄然腹の虫を刺激された僕は、無作法も構わず次々と皿の上の料理を口に入れていった。豪華な食事でありながら、作り手の人柄が偲ばれるような温かさを感じる料理を夢中で頬張っていると、
「ほら、飯がよく喉を通るぞ」
冬月が自分も咀嚼をしつつ、グイと徳利を差し出した。慌てて箸を置いて猪口で受けると、並々と注がれた酒が杯の縁から溢れて零れそうになり、急いで口をつけて啜った。
実際、酒で潤されるたび、口中に残った香気と混ざり合った食べ物はひとつに溶け合いながら喉を通り、するすると胃袋に収まっていった。僕は折よく注がれる酒をその都度口に含んでは、いったい自分の何処に潜んでいたのかと思うぐらいに湧いて出る食欲に急かされ、次から次へと食べ物を飲み込んだ。
とはいえ、帝都に出てきて以来、満足に食べ物を入れていなかった胃袋は、すぐに容量の限界を迎えてしまった。僕は食べ物を残してしまう罪悪感とはまた別に、既にいっぱいになっている胃の奥から未練がましい気持ちが沸き起こって来るに任せ、皿の上にまだ大分残っている料理やソースに箸先をつけて口に含みながら、ちびりちびりと燗酒を舐めた。
自分のいじましさに驚くとともに呆れたが、しかしこんなに貪欲な気分で食事をするなんて何時ぶりだろうか。いや、そもそも食事の味をきちんと感じるのも随分と久しい事だった。記憶の底を揺蕩うように考えようとするが、酔いの回った頭はとろとろと走るトロッコのように間怠く、途中で煩わしくなってしまった。一瞬胸の奥にくすんだ記憶の影が差し掛けたが、その実體を明らかにするのも面倒で、僕は思考を投げ出し猪口にまた口をつけた。
ふと、卓の向かいに座る冬月の、依然として速度の落ちない箸に気が付き、ゆるゆると顔を上げた。冬月の前に並べられた皿はその殆どが空になっていた。健啖家ぶりに舌を巻くと同時に、小気味よいほどの清々しさで料理を平らげるその姿の端正に知らず見惚れていると、
「小鳥遊」
皿の上に目を落としたままの冬月に不意に名を呼ばれ、ハッと我に返った。僕は他人様の食事姿をジロジロと見ていた自分の不躾に恥じ入り、
「す、すま……」
慌てて謝ろうとしたが、言い終わらないうちに冬月が箸を止め、目を上げた。その琥珀に光る瞳にドキリとし、中途半端なところで言葉を飲んだ僕を一直線に見ながら、冬月は形のよい唇を動かした。
「君は言わないのか」
「えっ? い……言うって何を……」
無礼を咎められるとばかり思っていた僕は、予想とは違う言葉に却って周章狼狽し、訊ね返した。
冬月は皮肉っぽい嗤いに唇の端を吊り上げながら、右手に握った箸を振って見せると、
「箸を巧く使えるんだな──というような事だよ」
「えっ!?」
思いがけない言葉に面喰い、次の言葉が出なかった。いったい何を言い出したのだろうと困惑し、冷や汗の出始めた僕をニヤニヤと眺めながら、冬月が続けた。
「僕はあまり他人と食事をしないが、必要に迫られてそういう機会に臨む事もある。そんな時、初めて食事を共にする人間のうちの何人かは決まってこう褒めるんだよ。箸の扱いがお上手ですね──とね」
「はあ……、え……? ほ、褒め……?」
冬月は箸を手にしたまま乗り出すように卓の上に肘をつき、
「僕はいつ君にもそう称賛されるだろうかと期待して待っていたんだが、君は一向にその素振りを見せないからね。つい此方のほうから言い出してしまった」
「えっ? き……期待……。……あの……、そ……それはすまなかった……。その……、そんな事は思いもしなかったもので……」
「何故だい」
「何故って……」
答えに窮した。理由を訊かれても、冬月が箸をごく当たり前に使っている事を称賛すべき事柄だという風には認識できなかったのだから返事のしようがない。しかし返答を待っているらしい冬月に何とか答えようと、僕は無言の嗤いに厭な汗を掻きつつ、オドオドと口を開いた。
「う……旨い……」
呆然と吐き出した呟きに、冬月が卓に目を落としたまま、ふ……と軽く嗤うような息を漏らしたのがわかったが、最初の一口で俄然腹の虫を刺激された僕は、無作法も構わず次々と皿の上の料理を口に入れていった。豪華な食事でありながら、作り手の人柄が偲ばれるような温かさを感じる料理を夢中で頬張っていると、
「ほら、飯がよく喉を通るぞ」
冬月が自分も咀嚼をしつつ、グイと徳利を差し出した。慌てて箸を置いて猪口で受けると、並々と注がれた酒が杯の縁から溢れて零れそうになり、急いで口をつけて啜った。
実際、酒で潤されるたび、口中に残った香気と混ざり合った食べ物はひとつに溶け合いながら喉を通り、するすると胃袋に収まっていった。僕は折よく注がれる酒をその都度口に含んでは、いったい自分の何処に潜んでいたのかと思うぐらいに湧いて出る食欲に急かされ、次から次へと食べ物を飲み込んだ。
とはいえ、帝都に出てきて以来、満足に食べ物を入れていなかった胃袋は、すぐに容量の限界を迎えてしまった。僕は食べ物を残してしまう罪悪感とはまた別に、既にいっぱいになっている胃の奥から未練がましい気持ちが沸き起こって来るに任せ、皿の上にまだ大分残っている料理やソースに箸先をつけて口に含みながら、ちびりちびりと燗酒を舐めた。
自分のいじましさに驚くとともに呆れたが、しかしこんなに貪欲な気分で食事をするなんて何時ぶりだろうか。いや、そもそも食事の味をきちんと感じるのも随分と久しい事だった。記憶の底を揺蕩うように考えようとするが、酔いの回った頭はとろとろと走るトロッコのように間怠く、途中で煩わしくなってしまった。一瞬胸の奥にくすんだ記憶の影が差し掛けたが、その実體を明らかにするのも面倒で、僕は思考を投げ出し猪口にまた口をつけた。
ふと、卓の向かいに座る冬月の、依然として速度の落ちない箸に気が付き、ゆるゆると顔を上げた。冬月の前に並べられた皿はその殆どが空になっていた。健啖家ぶりに舌を巻くと同時に、小気味よいほどの清々しさで料理を平らげるその姿の端正に知らず見惚れていると、
「小鳥遊」
皿の上に目を落としたままの冬月に不意に名を呼ばれ、ハッと我に返った。僕は他人様の食事姿をジロジロと見ていた自分の不躾に恥じ入り、
「す、すま……」
慌てて謝ろうとしたが、言い終わらないうちに冬月が箸を止め、目を上げた。その琥珀に光る瞳にドキリとし、中途半端なところで言葉を飲んだ僕を一直線に見ながら、冬月は形のよい唇を動かした。
「君は言わないのか」
「えっ? い……言うって何を……」
無礼を咎められるとばかり思っていた僕は、予想とは違う言葉に却って周章狼狽し、訊ね返した。
冬月は皮肉っぽい嗤いに唇の端を吊り上げながら、右手に握った箸を振って見せると、
「箸を巧く使えるんだな──というような事だよ」
「えっ!?」
思いがけない言葉に面喰い、次の言葉が出なかった。いったい何を言い出したのだろうと困惑し、冷や汗の出始めた僕をニヤニヤと眺めながら、冬月が続けた。
「僕はあまり他人と食事をしないが、必要に迫られてそういう機会に臨む事もある。そんな時、初めて食事を共にする人間のうちの何人かは決まってこう褒めるんだよ。箸の扱いがお上手ですね──とね」
「はあ……、え……? ほ、褒め……?」
冬月は箸を手にしたまま乗り出すように卓の上に肘をつき、
「僕はいつ君にもそう称賛されるだろうかと期待して待っていたんだが、君は一向にその素振りを見せないからね。つい此方のほうから言い出してしまった」
「えっ? き……期待……。……あの……、そ……それはすまなかった……。その……、そんな事は思いもしなかったもので……」
「何故だい」
「何故って……」
答えに窮した。理由を訊かれても、冬月が箸をごく当たり前に使っている事を称賛すべき事柄だという風には認識できなかったのだから返事のしようがない。しかし返答を待っているらしい冬月に何とか答えようと、僕は無言の嗤いに厭な汗を掻きつつ、オドオドと口を開いた。
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