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其の十七 初めての喧嘩(2)
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僕は思わず冬月の上等な三つ揃いの胸倉を両手で掴み、
「そ、そんなに僕を莫迦にして楽しいのか!? いや、僕だけじゃない……っ。君は澪子さんに対して最悪な振る舞いをしたんだぞ……!? 公衆の面前で見合いの断りをするというだけでも信じ難い行為なのに、き……君はその上とんでもない出鱈目を並べ立てて、僕と澪子さん両方の心を弄ぶも同然の事をしたんだぞ……! あんな大嘘を吐けば澪子さんの方で縁談を断るとでも思ったのか!? ぼ、僕があの場で、どんな思いをしていたと思う……!? 何も知らずに引っ張り出された挙句、僕の意志とは無関係に君の虚誕の片棒を担がされたんだぞ……! まるで僕が澪子さんを傷つけているような気にさせられた……。……君は何て奴だ……っ。僕は君を見損なった……!」
上等な服の感触を握り締めながら聲を荒げる僕を冷静に観察するように見ていた冬月が漸く口を開いた。
「僕は彼女に対しては寧ろ親切にも礼儀を尽くしたという認識だ。普通の女性からしてみれば見合いをした男に縁談を断られるなんて屈辱の筈だろ。それに次を当たる際、前回の見合いを断ったのか断られたのかでは今度の相手の印象だって大きく変わる。だから僕は敢えて憎まれ役を引き受けようとあのように振る舞ったんだ。余程女性の面目を保つに相応しい行為じゃないか。称賛こそされるべきで非難を受ける謂れはないよ。だいたい、君は僕を見損なったと言ったが、君はそんな批評めいた発言を僕に出来る立場なのかい? 行きの車中でも君は僕を批判するような口をきいたが、そもそも評価をする権限を持つのは僕の方であって、御子柴研究室のお荷物に過ぎない君の方ではない筈だが?」
「────!!」
痛いところを衝かれ、絶句した。
目の前を御子柴先生の微笑みがちらついた。
烈火のごとく怒りに燃え盛っていた心が冷や水を掛けられたように急速に萎える兆しを見せたが、目蓋の端に優しく華やかな微笑を綻ばせる澪子さんの姿が浮上すると、
「──ぼ、僕はあの研究室では確かに雑用係だ……っ。し、支援者である君と、対等に口をきけるような立場ではないさ……っ。け……けど、僕は誇りを持って仕事をしているんだ……っ。き……君から見れば下々がつまらない仕事をしているぐらいにしか思わないんだろうが、僕は、役に立たないなりに……っ、懸命に働いているつもりだ……っ。そ……それを初対面の女性の前で、あ……あんな風に僕を貶めるなんて、い……幾ら評価を下す立場にあるからと言って、限度という物があるだろ……っ。お……御蔭で、僕の矜持はずたずたになってしまった……っ」
襟元を掴む手に思わず力が入った。
冬月は一瞬服の乱れを気にするような視線を僕の拳に落としたが、すぐに琥珀色の瞳を上げて僕を冷淡に見据え、
「君は信じ難い自惚れ屋だな。君の矜持なんていう犬も喰わないくだらいものを気に掛けられるほど、僕に尊重されていると勘違いしているんだからな」
「……っ!?」
「第一、矜持なんて御大層な言葉を口にするが、君はそんなものを持てるほど世の中に貢献している人物であると周囲から認知されているのかい?」
「──……っ!!」
鼻先まで落ちた眼鏡の向こうでクイと頸を傾けて片眉を上げた冬月が、皮肉な薄ら笑いに端正な顔を歪めて見せた。瞬間、胸倉を掴んだ拳を突き出すようにして冬月の背中を自動車の窓に押し付けていた。はずみで冬月の帽子が落ちるのも構わず、僕は大聲を出して叫んだ。
「君が他人を気に掛けるような人間らしい心を持っているなんて端から思ってはいない……っ。それでも僕は……っ、僕は……っ、大いに自尊心を傷つけられたんだ……っ。それを恥ずべき事みたいに言う権利、例え君であっても無い筈だ……っ」
「自尊心? 君はさっき矜持がずたずたになったと言ったな。それを今度は自尊心の問題にすり替えて文句をつけようと言うのか。まさか君、自尊心と矜持を混同しているんじゃないだろうな。この二つは全くの別物だよ。だいたい自尊心がどうのと言うが、君と知り合ってからの三ヶ月、僕は一度たりとも君がほんの僅かな欠片程度にも自尊心を持ち合わせているなどと思った事はない。事実、君にはそんな物はないだろ。持ってもいない物が傷つくなんて有り得もしない事を言って僕に難癖をつける前に、自分が正当な事を言っているのかどうかその胸によく聞く事だな」
僕は思いがけず心臓を鋭い錐か何かで一突きにされたような衝撃を受けて息を呑んだ。胸倉を掴む拳から力が抜け、放心したように両手を下ろし、冬月が襟の乱れを整えるのを見詰めた。
「そ、そんなに僕を莫迦にして楽しいのか!? いや、僕だけじゃない……っ。君は澪子さんに対して最悪な振る舞いをしたんだぞ……!? 公衆の面前で見合いの断りをするというだけでも信じ難い行為なのに、き……君はその上とんでもない出鱈目を並べ立てて、僕と澪子さん両方の心を弄ぶも同然の事をしたんだぞ……! あんな大嘘を吐けば澪子さんの方で縁談を断るとでも思ったのか!? ぼ、僕があの場で、どんな思いをしていたと思う……!? 何も知らずに引っ張り出された挙句、僕の意志とは無関係に君の虚誕の片棒を担がされたんだぞ……! まるで僕が澪子さんを傷つけているような気にさせられた……。……君は何て奴だ……っ。僕は君を見損なった……!」
上等な服の感触を握り締めながら聲を荒げる僕を冷静に観察するように見ていた冬月が漸く口を開いた。
「僕は彼女に対しては寧ろ親切にも礼儀を尽くしたという認識だ。普通の女性からしてみれば見合いをした男に縁談を断られるなんて屈辱の筈だろ。それに次を当たる際、前回の見合いを断ったのか断られたのかでは今度の相手の印象だって大きく変わる。だから僕は敢えて憎まれ役を引き受けようとあのように振る舞ったんだ。余程女性の面目を保つに相応しい行為じゃないか。称賛こそされるべきで非難を受ける謂れはないよ。だいたい、君は僕を見損なったと言ったが、君はそんな批評めいた発言を僕に出来る立場なのかい? 行きの車中でも君は僕を批判するような口をきいたが、そもそも評価をする権限を持つのは僕の方であって、御子柴研究室のお荷物に過ぎない君の方ではない筈だが?」
「────!!」
痛いところを衝かれ、絶句した。
目の前を御子柴先生の微笑みがちらついた。
烈火のごとく怒りに燃え盛っていた心が冷や水を掛けられたように急速に萎える兆しを見せたが、目蓋の端に優しく華やかな微笑を綻ばせる澪子さんの姿が浮上すると、
「──ぼ、僕はあの研究室では確かに雑用係だ……っ。し、支援者である君と、対等に口をきけるような立場ではないさ……っ。け……けど、僕は誇りを持って仕事をしているんだ……っ。き……君から見れば下々がつまらない仕事をしているぐらいにしか思わないんだろうが、僕は、役に立たないなりに……っ、懸命に働いているつもりだ……っ。そ……それを初対面の女性の前で、あ……あんな風に僕を貶めるなんて、い……幾ら評価を下す立場にあるからと言って、限度という物があるだろ……っ。お……御蔭で、僕の矜持はずたずたになってしまった……っ」
襟元を掴む手に思わず力が入った。
冬月は一瞬服の乱れを気にするような視線を僕の拳に落としたが、すぐに琥珀色の瞳を上げて僕を冷淡に見据え、
「君は信じ難い自惚れ屋だな。君の矜持なんていう犬も喰わないくだらいものを気に掛けられるほど、僕に尊重されていると勘違いしているんだからな」
「……っ!?」
「第一、矜持なんて御大層な言葉を口にするが、君はそんなものを持てるほど世の中に貢献している人物であると周囲から認知されているのかい?」
「──……っ!!」
鼻先まで落ちた眼鏡の向こうでクイと頸を傾けて片眉を上げた冬月が、皮肉な薄ら笑いに端正な顔を歪めて見せた。瞬間、胸倉を掴んだ拳を突き出すようにして冬月の背中を自動車の窓に押し付けていた。はずみで冬月の帽子が落ちるのも構わず、僕は大聲を出して叫んだ。
「君が他人を気に掛けるような人間らしい心を持っているなんて端から思ってはいない……っ。それでも僕は……っ、僕は……っ、大いに自尊心を傷つけられたんだ……っ。それを恥ずべき事みたいに言う権利、例え君であっても無い筈だ……っ」
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僕は思いがけず心臓を鋭い錐か何かで一突きにされたような衝撃を受けて息を呑んだ。胸倉を掴む拳から力が抜け、放心したように両手を下ろし、冬月が襟の乱れを整えるのを見詰めた。
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