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其の十六 華麗なる噓八百(1)

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 如何いかにも不遜ふそんな表情と態度であるにもかかわらず、神々こうごうしさすらかもし出しているようなその姿に、僕はまるでこのたぐまれなる冬月蘇芳ふゆつきすおうというよわい二十歳にしてこの世の栄華えいがことごときわめたかに見える青年と今はじめて邂逅かいこうしたかのような新鮮な驚きを覚え、目をみはらずには居られなかった。
 我知らず茫然として冬月を眺めていると、微笑を含んだ美しい聲が向かいの席から聞こえて来た。
「まぁ、そうですの? こんなにお可愛らしい方を放っておくなんて世の女性は随分ずいぶん呑気のんきですのね」
 にこにこと華やかに微笑ほほえ澪子みおこさんの眼差しとその言葉に面喰めんくらった。

 ……お、お可愛らしい……! またしても言われてしまった……。僕はそんなに片生かたおい臭く見えるのだろうか……。

 澪子さんの先程の言動からも、このまるで夢の中の令嬢のごとき女性が初見で僕を書生か何かのように思ったらしい事は容易に察せられたが、冬月とのりを見る限り、それがという意味での発言ではなかったらしい事は疑いようがない。
 冬月に童顔を指摘されるのは諦めの境地で受け入れようとは思って居るが、しかしこうなると何か危機感でも持った方が良いのだろうかという気持ちがして来るのも事実だった。
 悶々もんもんと思いを巡らせる僕のかたわらで、突然冬月が獲物えものを捕らえたけもののようにキラリと琥珀色の瞳を光らせた。
 冬月は円卓テーブルに片肘をつくようにしながらその身をわずかに前に乗り出すと、
「ちょうどいい頃合いでそんな話題が出た。実は少し貴女に聞いていただきたい話があるのですよ、澪子さん」
「まあ、どんなお話でしょうか」
 猫のような美しい瞳を好奇心の光で満たし、澪子さんは冬月を真正面に見詰めながら嫣然えんぜんと微笑んだ。
 僕は冬月の方頬にニヤニヤとちらついている皮肉っぽい嗤いを見ると、冬月が愈々いよいよ核心を切り出そうとしている事を直感し、無意識に緊張の走るからだ強張こわばらせた。
 背中に流れるいやな汗の感覚を辿たどりつつ、やはり部外者である僕が此処ここに居てはいたずらに澪子さんを傷つけるだけだとさとり、わざとらしい咳払いをすると、
「あの……、僕はちょっと外の空気を吸いに……」
 そろそろと腰を浮かし掛けたが、皆まで言い終わらぬうちに冬月は口火を切ってしまった。
「澪子さん、はっきり申し上げますが、このたびの縁談話は利害の一致した両家の当主による画策かくさくわば政略結婚です」
 中途半端な姿勢のまま硬直してしまった僕は、冬月の硬質にきらめく聲を、早鐘のように鳴り始めた心臓の音と共に成すすべなく聞いているより他なかった。
勿論もちろん、承知していますわ」
 鷹揚おうような微笑でうなずいた澪子さんに冬月の方でも悠然ゆうぜんと頷き返し、上流社会に吹く美俗びぞくな風にみがかれたあごわずかに引き上げ、
「結構、それなら話は早い。では澪子さん、もし僕と本当に夫婦になる気でいらっしゃるなら、是非ぜひともこの小鳥遊たかなしを受け入れていただかねばなりません。と言うのも僕たちは互いの友情に女性を立ち入らせないというちかいを立て合っていましてね」
 さらりと言ってのけた冬月の言葉に目が点になった。

 …………は? ……今、何と……? 

 頭が真っ白になり、中腰のままゆっくりと視線だけ向けた僕は無視し、冬月は更に言葉を重ねた。
「僕とは違い、小鳥遊は御覧の通り愚直ぐちょく融通ゆうづうかない男です。女性と交際してしまうと其方そちらに気を取られ、僕との友情がおろそかになってしまう事をおそれ、彼はみずからの意思で女性との交遊の一切いっさいを避けて来たような次第なのですが、僕としてもそういう心意気を見せられてはほだされない訳にはいきません。それで小鳥遊と二人、そぼ降る雨の夕暮れに、大日本帝国大学近くの狭苦しい喫茶店で無愛想な店主を証人に我々の固い友情が何者によっても破られない事を誓い合ったという経緯いきさつがあるのです。しかし僕の場合冬月家の嗣子ししとしてそうも言っていられないという事情があるのも事実です。現にこうして貴女との縁談話が持ち上がっている訳ですが、けれど男が一度立てた誓いをそう簡単に破るというのも世の道理に外れるもので僕の信念からも程遠い。其処そこでこの際、率直に貴女に御相談申し上げようという事になったのです」

 ……待ってくれ……。僕と冬月が……何だって……?

 唖然あぜんと見詰めた視線の先で、冬月は背もたれに深くからだを預けて高価なぞろいの長い脚を組み合わせると、ぞっとするような嗤いの刻まれた唇を動かし、言葉を続けた。
「僕と小鳥遊は初対面から妙に馬が合い、今では肝胆相照かんたんあいてらす間柄でしてね。常に行動を共にしているのです。食事などもほとんどの場合、三食とも小鳥遊と外で済ませますから、もし僕と結婚するのでしたら、貴女には一人で食べて戴く事になるでしょう。日中はそのまま仕事に向かい、空き時間は小鳥遊と過ごします。日によって帰宅時間はまちまちなので、たとえ結婚が現実のものになったとしても、僕の帰りを待って戴く必要はありません。あぁ、別に帰宅しないという訳ではありませんよ。勿論もちろん、都合で何日か家を空ける事はしょっちゅうですが、帰宅出来る時には当然屋敷に戻ります。しかしその際にも大抵たいてい小鳥遊が一緒です」
 次から次へと全くの出鱈目でたらめを並べ立てる冬月に開いた口がふさがらなかった。けれど当の冬月はと言えば、すっかり言葉を失いまばたきも忘れて凝視ぎょうしする僕には一向構わないふうで、ますます勢いに乗って嘘八百を繰り出した。
「小鳥遊はこう見えてなかなかに有用なところがありましてね。仕事の上で役に立つ面があるのですよ。それで僕たちは屋敷でもほとんど一晩中様々な事柄について話し合い、検証や実験を重ねる事を常としています。これはもう習慣のような物で、僕はこの貴重な思索と試行の時間を邪魔される事を特に好みません。ですからつづまるところ貴女とはほぼ顔を合わせる機会がないという事になるでしょう。しかし物は考え様です。僕は貴女が天華宗てんげしゅう宗主そうしゅの座を継ぐ事に関してむしろ積極的に支持しており、貴女が御実家の方で修業を積まれる事をせつに望んで居ます。ですから、そういう諸々もろもろの事を考えあわせれば、仮に結婚をしたとしても、やはり貴女にはこれまで通り御実家で御尊父たる宗主のもと、御立派な教団の方々と共に研鑽けんさんを積む日々を送って戴いた方が貴女にとっても僕にとっても何かと都合が良いと思えるのです。いずれにしてもこの縁談が単なる政略結婚でしかないという事は貴女自身は勿論、貴女の御宅でも重重承知して余りある事は明明白白なのですから、万が一結婚をしたとして、僕と貴女がそういう結婚生活を送る事を選択したところで結局は暗黙のうちに了承されるものと考えます。同時に、そういう結婚生活を送る事はかえって両家にとっては望ましい結果を導き出す事につながるとも考えています。貴女としても世の女性たちのように婚家との軋轢あつれきに悩まされる事などもなく、伸び伸びと貴女自身の人生を歩んでいく事が出来るのですから、これは寧ろ前向きに検討して戴くに損はないと思うのですが、そこのところ貴女のお考えは如何いかがでしょう。いや、勿論賛成して下さるでしょうね。そうでなければこの先うまくやっていく事など絶対に不可能なのですから」
 さながら神のおげがとどろくような口ぶりで言い終え、冬月は端正な横顔にくっきりと浮かぶ微笑を鮮やかさに際立たせた。
 最早もはや冷酷無慙むざんと言っても良いその凄絶せいぜつな嗤い顔を見ても、完全に思考の停止した僕は一語だに発する事も出来ず、半端はんぱに腰を曲げたままのからだを固まらせているより他になかった。 
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