孤悲纏綿──こひてんめん

クイン舎

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五十崎檀子の手記 

二十八

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 李大龍は大切な宝物を扱う手つきで少女の首を抱き上げると、すぐそばに転がったままになっていた竹の箱の中に納めて蓋をしました。それから、祖父が引っ張って破いてしまった黄色の布紐を器用な手つきで一本に結び合わせると、しゅるっ、しゅるっと、滑らかな衣の音を響かせながら少女の首の眠る箱に丁寧に巻き付けていきました。
 わたしは、その頃にはもう全身に苦しいほどの切なさが広がって、その突き刺すとも引き裂くとも押し潰すともつかない痛みに耐えることが難しくなっていました。
 わたしは息を押し殺したままそっと立ち上がり、足音を立てないように気をつけながら梯子のところまで戻りました。下を見ると一階には奈落を思わす濃い闇が漂っていましたが、しかしそれは最初にのぼって来ながら振り返って見たときの印象とは違い、ひどく寂しいものに感じられました。まるで梅雨時の木下闇こしたやみで、頼りない不安にうらぶれる捨て猫のような心持ちになりながら、わたしは梯子を下りていきました。そうして地面につま先が触れた途端、わたしの内部で限界にまで膨らんでいたものがついに大きな音を立てて割れました。それはあたかも夏の縁日の屋台で買ってもらった水風船が不意に割れて、浴衣の裾を濡らしたときのような手痛い衝撃をわたしの心に与えました。
 どうしようもない感情が込み上げ、わたしは梯子の下に揃えておいたつっかけを蹴飛ばしたのにも構わず、裸足のまま勢いよく蔵を飛び出しました。途端に予期せず目を刺すような明るさに不意を突かれ、くらむ視界に息が奪われましたが、次の瞬間には行き場のないやるせなさが吹き出して、わたしはとうとう声を上げて泣きながら、逃げ出すようにその場を離れ、大急ぎで母屋へ向かって走りました。
 開け放したままの玄関に勢いよく飛び込むと、土間や式台にはお札が数枚、物悲しさを駆り立てる枯れ葉のように散らばっていました。わたしは急にめまいを覚え、冷たい土間にくず折れるようにがくがくと膝を着き、紙幣の散った式台に突っ伏して、訳の分からない激情が込み上げるまま大声を上げて泣きました。体には再び熱の上がり始める前の寒気が忍び寄っていましたが、起き上る気力も体力もなく、ぐったりと倒れ込んだままひたすらに泣き続けているしかありませんでした。
 どれくらいそうやって泣いていたのか、ふと背後に人の立つ気配を感じ、わたしはふらつく頭を起こし、涙でぐちゃぐちゃになった顔もそのままに、のろのろと振り返りました。すると逆光の中、細長い影のような李大龍がゆらゆらと揺らめく妖気を纏って立っていました。小脇にはあの古い竹の箱が、以前よりも丁寧に黄色の布紐が結ばれて、大切そうに抱えられていました。そしてもう片方の手には、わたしが蹴飛ばしたまま置いてきたつっかけを持っているのが目に入りました。わたしは熱のためにぼんやりとした目を上げて、蜃気楼でも眺めるような夢うつつの気分で李大龍を見上げていました。
 李大龍はわたしのそばに近づいてくると、ゆっくりとした動作で身を屈めました。その動きにつられて玄関の冷たい空気がかき回されるように揺らめいて、しっとりと柔らかな甘い匂いがわたしの鼻腔を通し、胸の奥にまで入ってきました。李大龍の香りを吸っても、初めてその匂いに触れたときのような秘密めいた感じを心に呼び覚ますようなこともなく、寧ろ寛いだ温もりが全身に広がって、体中を柔らかな布で浄められていく感覚がわたしを包みました。
 いくらか体の調子がましになった気分がして、わたしは腕に力を込めて式台の上に体を引き上げて腰かけると、すぐ目の前に見える李大龍の美しい顔を見つめました。物も言わず泣き腫らした目でじっと見つめるわたしに、李大龍がほんの少し微笑んだような気がしました。
 彼は手に持ったわたしのつっかけを地面に揃えて置くと、そのままわたしの足の上で視線を留めました。つられるように下を向いて見てみると、土や埃で真っ黒に汚れた寝間着のズボンの裾から覗く自分の足先が目に映りました。その足も寝間着同様にやはり黒く汚れていました。不意にあの少女の可憐な寝顔が頭の片隅を過って、途端に自分の汚れた足がひどく惨めに思えてきて、またぽたぽたと熱い涙が落ちて土間にいくつも灰色の染みを作りました。


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