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五十崎檀子の手記
二十四
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「ふざけるな……っ。これがひ、人だと……!? じいさんや親父がどうのと言って、おまえはわしに吹っ掛けようという魂胆だな……っ。こ、この首だって何か仕掛けがあるに決まってる……そ、そうなんだろ!?」
李大龍は無言のまま、まるで冬の冷たい夜空に浮かぶ三日月のような目で祖父を見ているだけでした。
「そ、そもそも、おまえが本物の李大龍だという証拠だって実際には何もないんだ。どこかでじいさんのことを聞いて、田舎者なら楽に騙せるとでも踏んで金や入れ墨や、こ、こんな首の小細工なんぞをしてやって来たんだろ……!」
言うなり祖父は怒りにかっと大きく目を見開いて、いきなり羽織の胸に頬を寄せていた少女の首を殴りつけるようにして払いのけました。瞬間、わたしはまるで自分がそうされたかのような痛みをこめかみのあたりに感じ、思わず「あっ」と叫んで頭を押さえ、身を屈めました。
そのわたしの目の前に、少女の首が長く尾を引く悲鳴を上げながら勢いよくごろごろと転がって来、ちょうどこちら側に顔を向ける格好で止まりました。
少女の首は苦痛に瞼を閉じ、涙に濡れて黒い色を増した睫毛の先を小刻みに震わせながら低くすすり泣いていました。その声には嘆きや悲しみ、痛みがあふれ、突き放されて真っ暗な孤独の沼の深淵に沈み堕ちていく絶望が、さざ波のように揺れていました。
やがて少女がゆっくりと瞼を開けたとき、その黒い眼には暗黒の炎を纏った蛇が赫々たる目と舌をちらつかせ、憎しみと屈辱に燃え盛っているのが見えました。一層禍々しい瘴気を濛々と立ち昇らせながら、少女の首は再びゆっくりと天上に向かって浮かび上がっていきました。怒りに見開いた黒い双眸に凄まじい怒気の閃光をひらめかせる少女の顔は、もはや恐ろしい悪鬼の形相に変わり果てていました。
首は蔵の天井でくるりと祖父の方に向き直ると、まるで地の底から這い上がって大地を揺らす悪鬼のような声で何かひどい言葉を吐き捨てたようでした。それを皮切りに、首は堰を切ったようにけたたましく祖父に怒声を浴びせかけながら、狂ったようにぐるぐると天井を駆け巡り始めました。
祖父は荒々しく吠える少女の首を凝視したまま、李大龍に向かって懇願するように叫びました。
「た、頼む……っ、あれをなんとかしてくれ! な、なんでもする……! 金は払う……あんたの言い値でいい……! だ、だからあの化け物を殺してくれ……っ。そ、それがあんたの仕事だろ、李大龍……!」
祖父の叫びはわたしに物凄い衝撃を与えました。わたしはそのとき、生まれて初めて憤りというものを感じたのです。それが何に対する憤りであるのか、正直なところわたしには理解ができませんでしたが、祖父の発言を即座に非道ととらえたわたしの心には悲憤ともいうべき感情が湧いたのです。もはや目の前の祖父が確かにわたしの大好きな祖父であるとは到底思えない心境になっていました。その思いはぬかるみに浮く廃油のようにぐるぐると渦を巻きながら、わたしの胸の内を暗澹と浸蝕し、内側から腐らせていくようでした。
と、そのとき突然、李大龍の光る目がちらりとこちらに向けられたような気がし、わたしは思わず体をびくりと震わせて、咄嗟に茶箪笥の深い陰に身を沈めました。息を整え、もう一度そっと注意深く目だけを覗かせて見てみると、こちらを見たと思った李大龍の目は、天井高く浮かんで呪詛の言葉を吐き続ける少女の首へと向けられていました。気のせいだったと安堵しながらも、未だどきどきと激しい心音を轟かせる胸を強く押さえていると、不意に李大龍のしっとりと甘い匂いが強く香って来ました。はっと胸を衝かれていると、李大龍の密やかに囁くような声が、静かな冬の雪原をあるかなきかの儚さで通り過ぎる小さな風のようにわたしの耳朶に触れ、鼓膜を震わせました。
「──我迎接你」
不思議なことですが、わたしには何故か彼の口にした異国の言葉の意味がわかりました──李大龍が、恐ろしくも憐れな修羅に変わり果てた少女の首に、「迎えに来た」と言ったのだと言うことが──。
まるで恒久の愛を囁くようなその言葉を聞いた途端、わたしの心は強く打たれ、わっと大声を上げて泣き出したい衝動に駆られました。
李大龍はわずかに目を伏せると、ふうっと細く息を吐き出しながら、顔の前で両手の指を複雑に組み合わせました。その指を何度も組み替えながら、低い声で何かを唱え始めた瞬間、わたしははっと息を呑んで、思わず李大龍に向かって目を凝らしました。李大龍が歌を歌うように言葉を紡ぎ出すごとに、その唇からは微かにちらちらと瞬く星明りのような光を湛えた糸が、細く長く伸びていくのです。それはちょうど蚕の幼虫が繭を作るために吐き出す糸のようでした。
実際、糸は宙で身をひるがえすと李大龍の元に戻り、彼の体をくるくると幾重にも取り巻いて包み込み、しまいには彼の全身をすっぽりと覆い隠してしまいました。その呪言の繭が、次第に内側から青白く発光し始めるのが見えました。
「何をぐずぐずやっているんだ……っ。早くこれをどうにかしてくれ!」
顔に滝のような汗を滴らせた祖父が、天井に浮かんでますます激しく吠え立てている少女の首を凝視しながら絶叫しました。わたしは祖父と少女の首と繭に覆われた李大龍とを呆気に取られながら見比べました。祖父にも少女にも、李大龍を包む繭が見えていないらしいことに驚きを隠せませんでした。
しかし事態は一刻の猶予も許さないように差し迫り、激高が頂点に達した少女の首が、遂に祖父めがけて飛びかかっていきました。わたしは思わずあっと身を乗り出しました。
李大龍は無言のまま、まるで冬の冷たい夜空に浮かぶ三日月のような目で祖父を見ているだけでした。
「そ、そもそも、おまえが本物の李大龍だという証拠だって実際には何もないんだ。どこかでじいさんのことを聞いて、田舎者なら楽に騙せるとでも踏んで金や入れ墨や、こ、こんな首の小細工なんぞをしてやって来たんだろ……!」
言うなり祖父は怒りにかっと大きく目を見開いて、いきなり羽織の胸に頬を寄せていた少女の首を殴りつけるようにして払いのけました。瞬間、わたしはまるで自分がそうされたかのような痛みをこめかみのあたりに感じ、思わず「あっ」と叫んで頭を押さえ、身を屈めました。
そのわたしの目の前に、少女の首が長く尾を引く悲鳴を上げながら勢いよくごろごろと転がって来、ちょうどこちら側に顔を向ける格好で止まりました。
少女の首は苦痛に瞼を閉じ、涙に濡れて黒い色を増した睫毛の先を小刻みに震わせながら低くすすり泣いていました。その声には嘆きや悲しみ、痛みがあふれ、突き放されて真っ暗な孤独の沼の深淵に沈み堕ちていく絶望が、さざ波のように揺れていました。
やがて少女がゆっくりと瞼を開けたとき、その黒い眼には暗黒の炎を纏った蛇が赫々たる目と舌をちらつかせ、憎しみと屈辱に燃え盛っているのが見えました。一層禍々しい瘴気を濛々と立ち昇らせながら、少女の首は再びゆっくりと天上に向かって浮かび上がっていきました。怒りに見開いた黒い双眸に凄まじい怒気の閃光をひらめかせる少女の顔は、もはや恐ろしい悪鬼の形相に変わり果てていました。
首は蔵の天井でくるりと祖父の方に向き直ると、まるで地の底から這い上がって大地を揺らす悪鬼のような声で何かひどい言葉を吐き捨てたようでした。それを皮切りに、首は堰を切ったようにけたたましく祖父に怒声を浴びせかけながら、狂ったようにぐるぐると天井を駆け巡り始めました。
祖父は荒々しく吠える少女の首を凝視したまま、李大龍に向かって懇願するように叫びました。
「た、頼む……っ、あれをなんとかしてくれ! な、なんでもする……! 金は払う……あんたの言い値でいい……! だ、だからあの化け物を殺してくれ……っ。そ、それがあんたの仕事だろ、李大龍……!」
祖父の叫びはわたしに物凄い衝撃を与えました。わたしはそのとき、生まれて初めて憤りというものを感じたのです。それが何に対する憤りであるのか、正直なところわたしには理解ができませんでしたが、祖父の発言を即座に非道ととらえたわたしの心には悲憤ともいうべき感情が湧いたのです。もはや目の前の祖父が確かにわたしの大好きな祖父であるとは到底思えない心境になっていました。その思いはぬかるみに浮く廃油のようにぐるぐると渦を巻きながら、わたしの胸の内を暗澹と浸蝕し、内側から腐らせていくようでした。
と、そのとき突然、李大龍の光る目がちらりとこちらに向けられたような気がし、わたしは思わず体をびくりと震わせて、咄嗟に茶箪笥の深い陰に身を沈めました。息を整え、もう一度そっと注意深く目だけを覗かせて見てみると、こちらを見たと思った李大龍の目は、天井高く浮かんで呪詛の言葉を吐き続ける少女の首へと向けられていました。気のせいだったと安堵しながらも、未だどきどきと激しい心音を轟かせる胸を強く押さえていると、不意に李大龍のしっとりと甘い匂いが強く香って来ました。はっと胸を衝かれていると、李大龍の密やかに囁くような声が、静かな冬の雪原をあるかなきかの儚さで通り過ぎる小さな風のようにわたしの耳朶に触れ、鼓膜を震わせました。
「──我迎接你」
不思議なことですが、わたしには何故か彼の口にした異国の言葉の意味がわかりました──李大龍が、恐ろしくも憐れな修羅に変わり果てた少女の首に、「迎えに来た」と言ったのだと言うことが──。
まるで恒久の愛を囁くようなその言葉を聞いた途端、わたしの心は強く打たれ、わっと大声を上げて泣き出したい衝動に駆られました。
李大龍はわずかに目を伏せると、ふうっと細く息を吐き出しながら、顔の前で両手の指を複雑に組み合わせました。その指を何度も組み替えながら、低い声で何かを唱え始めた瞬間、わたしははっと息を呑んで、思わず李大龍に向かって目を凝らしました。李大龍が歌を歌うように言葉を紡ぎ出すごとに、その唇からは微かにちらちらと瞬く星明りのような光を湛えた糸が、細く長く伸びていくのです。それはちょうど蚕の幼虫が繭を作るために吐き出す糸のようでした。
実際、糸は宙で身をひるがえすと李大龍の元に戻り、彼の体をくるくると幾重にも取り巻いて包み込み、しまいには彼の全身をすっぽりと覆い隠してしまいました。その呪言の繭が、次第に内側から青白く発光し始めるのが見えました。
「何をぐずぐずやっているんだ……っ。早くこれをどうにかしてくれ!」
顔に滝のような汗を滴らせた祖父が、天井に浮かんでますます激しく吠え立てている少女の首を凝視しながら絶叫しました。わたしは祖父と少女の首と繭に覆われた李大龍とを呆気に取られながら見比べました。祖父にも少女にも、李大龍を包む繭が見えていないらしいことに驚きを隠せませんでした。
しかし事態は一刻の猶予も許さないように差し迫り、激高が頂点に達した少女の首が、遂に祖父めがけて飛びかかっていきました。わたしは思わずあっと身を乗り出しました。
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