孤悲纏綿──こひてんめん

Arakane

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五十崎檀子の手記 

二十三

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 祖父は自分の胸に頬をこすりつけ、嬉し泣きに泣きじゃくりながら「ビーシア」と繰り返す少女の首に目を白黒させ、
「や、やめろ……っ、離れろ……っ」
 しかし首はしっかりと祖父の胸に取りついて、もう二度と離れまいとでも言いたげにうっとりと瞳を閉じ、やはり「ビーシア」と繰り言をするのでした。
「な、何を言っているんだ……!?」
 李大龍は極めて冷静な、凪いだ海のような静かな声で、
「陛下と言っているのですよ」
「陛下だと……!?」
「彼女は後宮での皇帝に誰よりも愛され、尊ばれていました」
「ど、どういうことだ、さっぱりわからんっ。後宮だと? いったいいつの時代の話をしているんだ。だ、だいたい、なんでわしが陛下なんぞと呼ばれるんだ!」
「……あなたはおじい様の面影が濃くていらっしゃる。あなたのおじい様は、陛下によく似ていらっしゃったのですよ」
「な、なんだって? お、おい。じいさんは、いったいどうやってこの首を手に入れたんだ? こ、この首は何なんだ!?」
「──知らないままにしておく方が賢明なこともあります」
 李大龍の目の光は俄かに強まっているようでした。しかしその明るさは太陽のそれというよりは、寂しくも凛々しい月に似た光で、決して眩しすぎるがゆえに目を閉じなければならないというようなものではありませんでした。まるで静かに心を慰めるような、体中に静かに染み渡るような、そんな不思議な光なのでした。
 けれどもその光にわたしの心はかき乱されました。何故か彼の瞳から放たれる青ざめた光に、体中の骨という骨がばらばらになってしまう幻想が心をかすめ、その悲しい痛みのために身を震わせました。わたしは居ても立ってもいられなくなってくるのを懸命に堪えなければならず、それでも目の前の光景を一瞬たりとも見逃すまいと大きく瞼を開けて唇を噛んでいました。
 祖父の胸に束の間の安息を求めた少女の首が、えもいわれぬ愛おしさを宿した瞳を上げて祖父を見つめると、祖父はおぞましそうに顔を背け、固く目を閉じて大声で叫びました。
「早く、この化け物をなんとかしてくれ……!」
「……先ほど申し上げた通り、彼女は化け物などではありません。ひとりの哀れな娘にすぎないのです」
「わしは知らんっ。わしは関係ないぞ! じいさんが手に入れたか知らんが今の今までこんな妖怪がこの蔵に潜んでいるなんぞ、わしはこれっぽっちも知らなかったんだ……!」
「知らなければ人を傷つけても赦されると?」
「き、貴様、変な言いがかりをつける気か? まさかこれ・・をそのままにするつもりじゃないだろうな……っ」
「──もちろん、わたしは彼女を救い出す・・・・つもりですよ。しかしあなた方には彼女の苦しみを是非ともきちんと知っていただきたい」
「だから何故わしが巻き込まれなきゃいかんのだ……!」
「先ほど申し上げた通りです。あなた方の執着が彼女にこんな苦痛をもたらしたのですから。彼女の不幸はそもそもあなたのおじい様がわたしとの約束を守らず、彼女をこの暗い蔵の片隅に閉じ込めたことから始まりました。あなたのお父さまもしかりです。彼女の存在を知っていながら、孤独のまま陰気のこもるこの場所に長く留めて放置した。彼女はそのせいで、命の糸を蜘蛛の糸ほどに細く削り続けなければならなかった。それは今にも切れかかっています。そしてあなた。あなたはこの箱を通して過去に固執することで、彼女に邪精を与え続けた。御覧なさい、そのひどく澱んだ執着のために彼女は生きていながら死に、魂魄こんぱくはもはや悪鬼に喰われかけている。完全に喰われたが最後、彼女はもう人でなくなるのです。さあ、よく見てください。あなた方が彼女に行った蛮行のもたらしたものを──!」
 李大龍の言葉に引き込まれるように祖父の胸に取り縋る少女の首に目をやると、あたかも明かりの乏しい海の底で巨大な烏賊が真っ黒な濃い墨を吐き出すかの如く、うねうねと蠢く煙のようなものが少女の頭から滲み出し、ざわざわと周囲に漂い出しているのが見えました。禍々しい気配にわたしはあっと息を呑みました。

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