孤悲纏綿──こひてんめん

クイン舎

文字の大きさ
上 下
25 / 36
五十崎檀子の手記 

二十三

しおりを挟む
 祖父は自分の胸に頬をこすりつけ、嬉し泣きに泣きじゃくりながら「ビーシア」と繰り返す少女の首に目を白黒させ、
「や、やめろ……っ、離れろ……っ」
 しかし首はしっかりと祖父の胸に取りついて、もう二度と離れまいとでも言いたげにうっとりと瞳を閉じ、やはり「ビーシア」と繰り言をするのでした。
「な、何を言っているんだ……!?」
 李大龍は極めて冷静な、凪いだ海のような静かな声で、
「陛下と言っているのですよ」
「陛下だと……!?」
「彼女は後宮での皇帝に誰よりも愛され、尊ばれていました」
「ど、どういうことだ、さっぱりわからんっ。後宮だと? いったいいつの時代の話をしているんだ。だ、だいたい、なんでわしが陛下なんぞと呼ばれるんだ!」
「……あなたはおじい様の面影が濃くていらっしゃる。あなたのおじい様は、陛下によく似ていらっしゃったのですよ」
「な、なんだって? お、おい。じいさんは、いったいどうやってこの首を手に入れたんだ? こ、この首は何なんだ!?」
「──知らないままにしておく方が賢明なこともあります」
 李大龍の目の光は俄かに強まっているようでした。しかしその明るさは太陽のそれというよりは、寂しくも凛々しい月に似た光で、決して眩しすぎるがゆえに目を閉じなければならないというようなものではありませんでした。まるで静かに心を慰めるような、体中に静かに染み渡るような、そんな不思議な光なのでした。
 けれどもその光にわたしの心はかき乱されました。何故か彼の瞳から放たれる青ざめた光に、体中の骨という骨がばらばらになってしまう幻想が心をかすめ、その悲しい痛みのために身を震わせました。わたしは居ても立ってもいられなくなってくるのを懸命に堪えなければならず、それでも目の前の光景を一瞬たりとも見逃すまいと大きく瞼を開けて唇を噛んでいました。
 祖父の胸に束の間の安息を求めた少女の首が、えもいわれぬ愛おしさを宿した瞳を上げて祖父を見つめると、祖父はおぞましそうに顔を背け、固く目を閉じて大声で叫びました。
「早く、この化け物をなんとかしてくれ……!」
「……先ほど申し上げた通り、彼女は化け物などではありません。ひとりの哀れな娘にすぎないのです」
「わしは知らんっ。わしは関係ないぞ! じいさんが手に入れたか知らんが今の今までこんな妖怪がこの蔵に潜んでいるなんぞ、わしはこれっぽっちも知らなかったんだ……!」
「知らなければ人を傷つけても赦されると?」
「き、貴様、変な言いがかりをつける気か? まさかこれ・・をそのままにするつもりじゃないだろうな……っ」
「──もちろん、わたしは彼女を救い出す・・・・つもりですよ。しかしあなた方には彼女の苦しみを是非ともきちんと知っていただきたい」
「だから何故わしが巻き込まれなきゃいかんのだ……!」
「先ほど申し上げた通りです。あなた方の執着が彼女にこんな苦痛をもたらしたのですから。彼女の不幸はそもそもあなたのおじい様がわたしとの約束を守らず、彼女をこの暗い蔵の片隅に閉じ込めたことから始まりました。あなたのお父さまもしかりです。彼女の存在を知っていながら、孤独のまま陰気のこもるこの場所に長く留めて放置した。彼女はそのせいで、命の糸を蜘蛛の糸ほどに細く削り続けなければならなかった。それは今にも切れかかっています。そしてあなた。あなたはこの箱を通して過去に固執することで、彼女に邪精を与え続けた。御覧なさい、そのひどく澱んだ執着のために彼女は生きていながら死に、魂魄こんぱくはもはや悪鬼に喰われかけている。完全に喰われたが最後、彼女はもう人でなくなるのです。さあ、よく見てください。あなた方が彼女に行った蛮行のもたらしたものを──!」
 李大龍の言葉に引き込まれるように祖父の胸に取り縋る少女の首に目をやると、あたかも明かりの乏しい海の底で巨大な烏賊が真っ黒な濃い墨を吐き出すかの如く、うねうねと蠢く煙のようなものが少女の頭から滲み出し、ざわざわと周囲に漂い出しているのが見えました。禍々しい気配にわたしはあっと息を呑みました。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

赤い部屋

山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。 真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。 東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。 そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。 が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。 だが、「呪い」は実在した。 「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。 凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。 そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。 「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか? 誰がこの「呪い」を生み出したのか? そして彼らはなぜ、呪われたのか? 徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。 その先にふたりが見たものは——。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

【完結】人の目嫌い/人嫌い

木月 くろい
ホラー
ひと気の無くなった放課後の学校で、三谷藤若菜(みやふじわかな)は声を掛けられる。若菜は驚いた。自分の名を呼ばれるなど、有り得ないことだったからだ。 ◆お読みいただきありがとうございます。お気に入り登録、応援、ご感想よろしくお願いします。 ◆2020年4月に小説家になろう様にて玄乃光名義で掲載したホラー短編『Scopophobia』を修正し、続きを書いたものになります。 ◆やや残酷描写があります。 ◆小説家になろう様に同名の作品を同時掲載しています。

ill〜怪異特務課事件簿〜

錦木
ホラー
現実の常識が通用しない『怪異』絡みの事件を扱う「怪異特務課」。 ミステリアスで冷徹な捜査官・名護、真面目である事情により怪異と深くつながる体質となってしまった捜査官・戸草。 とある秘密を共有する二人は協力して怪奇事件の捜査を行う。

怪奇蒐集帳(短編集)

naomikoryo
ホラー
【★◆毎朝6時30分更新◆★】この世には、知ってはいけない話がある。  怪談、都市伝説、語り継がれる呪い——  どれもがただの作り話かもしれない。  だが、それでも時々、**「本物」**が紛れ込むことがある。  本書は、そんな“見つけてしまった”怪異を集めた一冊である。  最後のページを閉じるとき、あなたは“何か”に気づくことになるだろう——。

百物語 厄災

嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。 小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。

朧《おぼろ》怪談【恐怖体験見聞録】

その子四十路
ホラー
しょっちゅう死にかけているせいか、作者はときどき、奇妙な体験をする。 幽霊・妖怪・オカルト・ヒトコワ・不思議な話…… 日常に潜む、胸をざわめかせる怪異── 作者の実体験と、体験者から取材した実話をもとに執筆した怪談短編集。

処理中です...