孤悲纏綿──こひてんめん

クイン舎

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五十崎檀子の手記 

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 ずいぶんと昔に気まぐれで買ったきり、何年も放置していたこの日記帳にこれから書き記すことをもしも読む人があったなら、そのときにはわたしはもうこの待つだけの人生を終えているということです。しかしその瞬間、わたしが飲まれるものが、歓喜の渦であるのか、それとも失望或いは絶望であるのかは、この時点をもってしてもまだわかりません。
 しかしいずれにしてもたったひとつはっきりしていることがあるとするなら、それはわたしの命がきっと今夜のうちに途切れるだろうということです。
 これは予感でしかありませんが、しかしわたしは確信をもって言うでしょう──今夜やっと、わたしは死ぬことができる・・・・・・・・のだと。 
 あの人は確かに杖家じょうか──五十歳を迎えるまでは健やかに過ごせると言い、それはいつしかわたしの中では予言とも預言ともなって絶えずわたしの心をさざ波のようにあの人の元へと寄せていました。
 そしてこうして実際に四十八歳という年齢で、死出の旅路に赴こうとしている今、わたしはある種の満足と安心感を抱くと共に、一種不安な、それでいて胸ときめく恍惚感とでも表現できそうな、ざわざわと落ち着かない気持ちでいっぱいです。
 この沈黙の時間に耐え兼ねて、あの日の記憶を書き連ねようとするこの行為があの人との約束を違えることにはならないと信ずるしかないのが現状ですが、いずれにしてもわたしはこの時間のあまりに残酷な遅さに気も狂わんばかりになっているのです。
 何もせず、ただじっとしているなど、とてもできそうにありません。今はとにかくこの焦燥にも似た気分を紛らわせるため、書かずにはいられません。
 誰かに向けてという訳でもなく、ただひとりごとのようにして書こうというのですから、きっと何も問題はないはずでしょう。

 わたしの故郷は……どこというのは今となってはもう意味のないことですが、いちばん近くの町に出るにもバスを使って二時間はかかるという山奥の小さな村でした。
 生家である五十崎家の始祖たる彬佑あきすけは、元は藩有林の管理をする役人だったそうですが、嘉永三年頃この地域で大規模な災害が起こった際に、近隣の村々の立て直しのために山林の払い下げを藩主に申し出て許され、中でも特に被害の大きかったわたしの生家のある村において、熱心に民の生活再建の指導に当たったそうです。
 そうするうちに、そのまま村に住み着いて終生を過ごすことになったとのことで、村では中興の祖として親しまれると共に敬仰けいぎょうの対象ともなった人物であると聞かされています。
 払い下げられた山林は村に居ついた彬佑によって管理されていたそうですが、それがそのまま五十崎家の私有林となった経緯については詳しくはわかっていません。
 とにかく、後に明治の新政府によって行われた版籍奉還や廃藩置県などの折には、各所で財政確保の一環として多くの山林が召し上げられたそうですが、五十崎家の山林は召し上げられることもなく次代へと継承されるに至ったのだそうです。
 五十崎家は林業とそれにまつわるもろもろの仕事を一手に握って成功を収めたそうですが、中でも今日においても郷里の名を冠する松茸はいわゆる高級食材とされる特用林産物の中でも特に最高級の銘柄として知られ、贈答品などに広く利用されていますが、これは先見の明があった高祖父の丞成じょうせいが特に心血を注いだ結果であると聞かされています。
 高祖父はいずれ人が山に入らなくなる時代が来ることを見越し、所有していた赤松林の整備を熱心に行い、それを次代にも引き継ぐよう常日頃から厳命していたそうですが、そのある意味では常軌を逸した道楽的情熱ぶりは、まだ松茸が今ほど高価ではなかった大戦前においても、郷里で採れる松茸の価値を高めることに寄与し、遂に献上品として皇室に納められるにまで至ったということでした。
 それは同時に村の名を時の文化人たちの間に知らしめる契機ともなったそうです。松茸をはじめとするきのこ類の他、山で獲れる滋味に富んだ山菜や、キジやシカ、イノシシなどの肉も、脂の乗り具合が上品で美味であると言う評価を得、食通を自認する趣味人たちの間では、村に滞在して山の珍味を食すのが如何にも風流であるとする向きが生まれ、中央からの賓客が増えたために、高祖父は村の中に数寄を凝らした宿を立てて大いに彼らの遊山ゆさんに興を添えたそうです。
 その宿はわたしが生まれた頃には既に解体されてなく、実際に見ることは叶いませんでしたが、広い跡地のちょうど中庭だったところには、京都の南禅寺なんぜんじ塔頭たっちゅうである金地院こんちいんの庭園を模して造られたという蓬莱式庭園の石組が残り、往時に思いを馳せることができるのでした。
 とにもかくにも高祖父のそうした一連の経済活動は村の外から大いに円貨を呼び込み、どこの農村も貧困に喘いでいた時代にあって、村の経済を潤して多くの人々の生活を支えることに貢献したため、五十崎家は村の人々から大いに頼りとされ、また高祖父自身もよく面倒を見たということでした。

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