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10:「テレセってのは、テレフォンセックスのこと。これなら意味、わかるよな?」
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家に着くと、どっと疲れが襲ってきた。たった一日でいろいろなことが起こりすぎた。廉太郎はふらふらとベッドに倒れ込み、大きく溜め息を吐く。
目を閉じると、大芽のことばかりが浮かんできてしまう。長い時間、一緒にいすぎたせいかもしれない。
河本大芽は身勝手で、暴君で、ドSで、変態で、未成年だというのにパパ活なんかしていて、性的なことに慣れていて……廉太郎は必死に大芽の短所を並べ立てる。
だから最低の相手だ。
廉太郎は自分に言い聞かせようとするが、背中を撫でてくれた優しい温もりが今も消えてくれない。
それどころか、髪をかき混ぜた意地悪な手の感触まで思い出してしまう。
「……なんで」
大芽に触れられた髪をなぞるように、廉太郎は自らの髪をくしゃりと掴んだ。
「なんで、こんなに」
心臓がうるさい。
口から出かかった言葉を飲み込んで、廉太郎は目を閉じる。声に出したら囚われてしまいそうで怖かった。
どく、どく、と耳の奥で鳴る鼓動を無視するように、廉太郎は頭から毛布を被ってうずくまった。
***
「廉太郎、今日は何時に帰ってくるの?」
「……いつもと同じだよ、母さん」
「そう。じゃあお母さんシチュー作って待ってるから。あなた、シチュー好きだったわよね?」
「うん、ありがとう。行ってきます」
「気を付けてね。帰ってくる前に連絡するのよ」
母親に玄関前まで見送られ、廉太郎は手を振って家を出る。ドアの閉まる音を背中で聞き、母親の気配が消えると廉太郎はようやく呼吸が楽になった。
2LDKの広いとは言えないマンションの一室で、廉太郎は母親と二人暮らしをしている。母子家庭のせいか、それとも一人息子のせいか、廉太郎の母親は異様なほどの心配性だった。
廉太郎が家を出たのが七時三十分、あと一時間後に母親から学校に着いたかどうかのメールが届く。
すぐに返信をしなければ、廉太郎が出るまで携帯に電話がかかってくるのだ。
それが毎日続いている。
廉太郎は母親に負担や心配をかけまいと律儀にメールへ返信しているが、最近少しエスカレートしている気がして心が安まる時間がなかった。
今日の夕飯のこともそうだ。
「シチューが好きだったわよね?」と問われ廉太郎は「ありがとう」と返したが、本当はシチューはあまり得意ではない。
けれど、母親に伝える勇気はなかった。仕事をして疲れている中で、夕飯も作ってくれているのだ。
だから、苦手な物でも「ありがとう」と言って食べるのが自分の義務なのだろう。
廉太郎はそう考えていた。
母親を悲しませるようなことをしてはいけない。彼女は廉太郎を育てるために、いろいろなことを我慢して、犠牲にして、廉太郎のために生きているのだから。
彼女のためにも廉太郎は、名前の通り清廉潔白に生きていかなくてはならない。
母親の望む、清く正しく美しい息子であり続けなくてはならない。
母の作ったシチューを「美味しいよ、母さん」と言っておかわりをして、「また作ってよ」とねだらなくてはならない。
本当は、シチューなど食べたくないのに。
***
「っ!」
廉太郎はベッドから飛び起きた。
昔の夢を見たせいか、背中や額にじっとりと汗をかいている。
酷く喉が渇き、ベッドから下りてキッチンへ向かう。冷蔵庫の中には飲みかけのペットボトルが入っていた。キャップを開けて一息に飲み干して、深い溜め息を吐く。
どうして、あの頃の夢を見てしまったのだろう。
そう考えて、廉太郎は帰宅してから母の写真に「ただいま」と挨拶をしていないことに気が付いた。
こんなことは今まで一度もなかった。母が死んでからもう七年、毎日続けている習慣だったというのに。
考えることが多すぎて、大芽のことで頭がいっぱいで、廉太郎の中から母の存在が抜け落ちていた。
廉太郎は力が抜けたようにしゃがみ込み、唇を噛んだ。恐ろしかったのだ。夢でまで母親に束縛されているようで。
だが、廉太郎はすぐに立ち上がりふらつく足取りで玄関に向かった。
母の写真は玄関のシューズクローゼットの上に置いてあるのだ。家を出る時と帰ってきた時、すぐに声をかけられるように。
廉太郎は母の写真をじっと見つめ、ぽつりと声を漏らす。
「遅くなってごめん、母さん。ただいま」
そのまま力なく肩を落とした。疲れ切っていた。自分が情けなくもあった。
母はもういない。自分を咎める人間はどこにもいない。
なのに、挨拶を忘れただけで罪悪感で胸がいっぱいになる自分が嫌だった。
しん、と静まりかえった空間にいると、まるで母親の声が聞こえてくるようだ。
廉太郎、明日は何時に帰ってくるの?
「明日は……」
聞こえるはずのない声に応えようとした瞬間だった。廉太郎の寝室でスマホが鳴った。
廉太郎は思わず顔を上げ、寝室に向かう。スマホはまだ鳴り続けている。メールやチャットの通知ではなく、着信のようだった。
ベッドに埋もれていたスマホを手に取り、廉太郎は通話ボタンを押す。
「……廉太郎?」
聞こえてきたのは、大芽の声だった。
「あ、あぁ……うん」
突然の電話に廉太郎は戸惑う。大芽が電話をかけてくる理由も思いつかなかった。
「どうしたんだ、急に電話なんか……」
「ん~? 廉太郎がちゃんとお家に帰れたかなって気になって?」
「な、なんだそれ。俺は子どもじゃないぞ」
「うん、それはわかってるけどさ。心配だったんだよ。無事に着いたなら安心した」
「心配されるようなことは……」
ない、と言いかけて廉太郎は少し迷った。大芽は明確に何とは言わないが、きっとラブホテルでのことを気にしてくれているのだろう。
けれど、あえてそれを言葉に出さずにいてくれる。
「いや、ありがとう」
さり気ない優しさを感じ、廉太郎の心臓がどくどくと速まっていく。
「どーいたしまして」
「いや、別に……」
何を言えばいいかわからず、短い沈黙が流れる。
「……なぁ、廉太郎」
「な、なんだ……」
大芽の声が、なにかイタズラでも思いついたように廉太郎の名前を呼んだ。ねっとりした声音に廉太郎は思わず身構える。
「せっかく電話してるんだし、このままテレセしよっか」
「……テレセ?」
しかし、大芽の口から出た聞き慣れない単語に廉太郎は眉を寄せた。
「あれ、もしかしてテレセも知らないのか」
大芽は一瞬驚いた声を上げるが、すぐに「ふーん、そっかそっか」と面白がるように笑った。
からかわれている。きっと、ろくなことにならない。そんな予感に廉太郎は眉間の皺を深くする。
「テレセってのは、テレフォンセックスのこと。これなら意味、わかるよな?」
わざとらしいほどの低い声で、大芽は廉太郎の耳に囁きかけた。
目を閉じると、大芽のことばかりが浮かんできてしまう。長い時間、一緒にいすぎたせいかもしれない。
河本大芽は身勝手で、暴君で、ドSで、変態で、未成年だというのにパパ活なんかしていて、性的なことに慣れていて……廉太郎は必死に大芽の短所を並べ立てる。
だから最低の相手だ。
廉太郎は自分に言い聞かせようとするが、背中を撫でてくれた優しい温もりが今も消えてくれない。
それどころか、髪をかき混ぜた意地悪な手の感触まで思い出してしまう。
「……なんで」
大芽に触れられた髪をなぞるように、廉太郎は自らの髪をくしゃりと掴んだ。
「なんで、こんなに」
心臓がうるさい。
口から出かかった言葉を飲み込んで、廉太郎は目を閉じる。声に出したら囚われてしまいそうで怖かった。
どく、どく、と耳の奥で鳴る鼓動を無視するように、廉太郎は頭から毛布を被ってうずくまった。
***
「廉太郎、今日は何時に帰ってくるの?」
「……いつもと同じだよ、母さん」
「そう。じゃあお母さんシチュー作って待ってるから。あなた、シチュー好きだったわよね?」
「うん、ありがとう。行ってきます」
「気を付けてね。帰ってくる前に連絡するのよ」
母親に玄関前まで見送られ、廉太郎は手を振って家を出る。ドアの閉まる音を背中で聞き、母親の気配が消えると廉太郎はようやく呼吸が楽になった。
2LDKの広いとは言えないマンションの一室で、廉太郎は母親と二人暮らしをしている。母子家庭のせいか、それとも一人息子のせいか、廉太郎の母親は異様なほどの心配性だった。
廉太郎が家を出たのが七時三十分、あと一時間後に母親から学校に着いたかどうかのメールが届く。
すぐに返信をしなければ、廉太郎が出るまで携帯に電話がかかってくるのだ。
それが毎日続いている。
廉太郎は母親に負担や心配をかけまいと律儀にメールへ返信しているが、最近少しエスカレートしている気がして心が安まる時間がなかった。
今日の夕飯のこともそうだ。
「シチューが好きだったわよね?」と問われ廉太郎は「ありがとう」と返したが、本当はシチューはあまり得意ではない。
けれど、母親に伝える勇気はなかった。仕事をして疲れている中で、夕飯も作ってくれているのだ。
だから、苦手な物でも「ありがとう」と言って食べるのが自分の義務なのだろう。
廉太郎はそう考えていた。
母親を悲しませるようなことをしてはいけない。彼女は廉太郎を育てるために、いろいろなことを我慢して、犠牲にして、廉太郎のために生きているのだから。
彼女のためにも廉太郎は、名前の通り清廉潔白に生きていかなくてはならない。
母親の望む、清く正しく美しい息子であり続けなくてはならない。
母の作ったシチューを「美味しいよ、母さん」と言っておかわりをして、「また作ってよ」とねだらなくてはならない。
本当は、シチューなど食べたくないのに。
***
「っ!」
廉太郎はベッドから飛び起きた。
昔の夢を見たせいか、背中や額にじっとりと汗をかいている。
酷く喉が渇き、ベッドから下りてキッチンへ向かう。冷蔵庫の中には飲みかけのペットボトルが入っていた。キャップを開けて一息に飲み干して、深い溜め息を吐く。
どうして、あの頃の夢を見てしまったのだろう。
そう考えて、廉太郎は帰宅してから母の写真に「ただいま」と挨拶をしていないことに気が付いた。
こんなことは今まで一度もなかった。母が死んでからもう七年、毎日続けている習慣だったというのに。
考えることが多すぎて、大芽のことで頭がいっぱいで、廉太郎の中から母の存在が抜け落ちていた。
廉太郎は力が抜けたようにしゃがみ込み、唇を噛んだ。恐ろしかったのだ。夢でまで母親に束縛されているようで。
だが、廉太郎はすぐに立ち上がりふらつく足取りで玄関に向かった。
母の写真は玄関のシューズクローゼットの上に置いてあるのだ。家を出る時と帰ってきた時、すぐに声をかけられるように。
廉太郎は母の写真をじっと見つめ、ぽつりと声を漏らす。
「遅くなってごめん、母さん。ただいま」
そのまま力なく肩を落とした。疲れ切っていた。自分が情けなくもあった。
母はもういない。自分を咎める人間はどこにもいない。
なのに、挨拶を忘れただけで罪悪感で胸がいっぱいになる自分が嫌だった。
しん、と静まりかえった空間にいると、まるで母親の声が聞こえてくるようだ。
廉太郎、明日は何時に帰ってくるの?
「明日は……」
聞こえるはずのない声に応えようとした瞬間だった。廉太郎の寝室でスマホが鳴った。
廉太郎は思わず顔を上げ、寝室に向かう。スマホはまだ鳴り続けている。メールやチャットの通知ではなく、着信のようだった。
ベッドに埋もれていたスマホを手に取り、廉太郎は通話ボタンを押す。
「……廉太郎?」
聞こえてきたのは、大芽の声だった。
「あ、あぁ……うん」
突然の電話に廉太郎は戸惑う。大芽が電話をかけてくる理由も思いつかなかった。
「どうしたんだ、急に電話なんか……」
「ん~? 廉太郎がちゃんとお家に帰れたかなって気になって?」
「な、なんだそれ。俺は子どもじゃないぞ」
「うん、それはわかってるけどさ。心配だったんだよ。無事に着いたなら安心した」
「心配されるようなことは……」
ない、と言いかけて廉太郎は少し迷った。大芽は明確に何とは言わないが、きっとラブホテルでのことを気にしてくれているのだろう。
けれど、あえてそれを言葉に出さずにいてくれる。
「いや、ありがとう」
さり気ない優しさを感じ、廉太郎の心臓がどくどくと速まっていく。
「どーいたしまして」
「いや、別に……」
何を言えばいいかわからず、短い沈黙が流れる。
「……なぁ、廉太郎」
「な、なんだ……」
大芽の声が、なにかイタズラでも思いついたように廉太郎の名前を呼んだ。ねっとりした声音に廉太郎は思わず身構える。
「せっかく電話してるんだし、このままテレセしよっか」
「……テレセ?」
しかし、大芽の口から出た聞き慣れない単語に廉太郎は眉を寄せた。
「あれ、もしかしてテレセも知らないのか」
大芽は一瞬驚いた声を上げるが、すぐに「ふーん、そっかそっか」と面白がるように笑った。
からかわれている。きっと、ろくなことにならない。そんな予感に廉太郎は眉間の皺を深くする。
「テレセってのは、テレフォンセックスのこと。これなら意味、わかるよな?」
わざとらしいほどの低い声で、大芽は廉太郎の耳に囁きかけた。
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