あやかしの花嫁~白の執心~

永久(時永)めぐる

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2.親切と不安

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「え……? あの、ここが夏々地さんのお家、ですか……?」
「うん。古いけど我慢してね」

 我慢だなんて……と鈴花は絶句する。
 目の前の建物は『一軒家』でイメージする家とはほど遠い。
 『屋敷』、いや『御殿』とでも表現したほうがぴったりの豪邸だ。

「素敵なお宅ですね」
「ありがとう。広いだけが取り柄だよ。――さぁ、どうぞ」

 夏々地は事も無げに言う。

「お邪魔します」

 おずおずと玄関を入る。敷居をまたぐために下を見た際、改めて自分の衣服が汚れていることに気が付いた。
 玄関から伸びる広い廊下はつやつやと飴色に輝いており、自分の汚い格好で歩いてはいけないのではと気後れした。

「どうしたの?」
「こんな汚い格好で上がるのはちょっと……」
「そんなの気にしなくていいのに。でも君が気になるなら足だけでもすすぐ?」

 そう言うと夏々地は誰かを呼ぶかのように、手を二回叩く。
 すると奥から着物姿の女性が一人、しずしずと現れた。臈長けた美貌にややつり目の美しい女性だ。紺色の着物にたすきをかけている。
 夏々地と鈴花の前までやってくると、優雅な仕草で頭を下げる。

「御用でしょうか」
「彼女の足を清めたい。用意を」
「かしこまりました。ただいま」

 短いやりとりの後、女性は奥へ消え、すぐに手に盥と晒し布を持って現れた。

「ありがとう。あとは僕がやるから、下がって良い」
「承知いたしました」

 鈴花は二人のやりとりを見ながら、自分がいつの時代にいるのか分からなくなる錯覚を覚えた。
 まるで現代ではなく江戸時代にでもタイムスリップしたかのようだ。
 そんなことを考えてぼんやりしていると、夏々地が鈴花の顔をのぞき込んだ。

「ぼうっとしてどうしたの? さあ、そこに座って。僕が洗ってあげる」

 肩を軽く押され、素直にがりかまちに腰をおろしてしまってから、鈴花はハッと我に返った。

「い、いえ! あの、自分で洗えます! 洗えますのでどうぞお構いなく!!」

 出会ったばかりの男性、しかも絶世の美男子に汚れた足を洗われるなんて恥ずかしすぎて居たたまれない。

「遠慮しなくていいんだよ。歩き疲れているだろう?」

 そう言いながら有無を言わさず鈴花の靴を、次いで靴下をポイポイと脱がす。

「大丈夫です! 元気です!」
「嘘はいけないなぁ。――それに、君はさっき転んだろう? 足に怪我がないかも見てあげるよ」

 引こうとした裸足の踵を、夏々地の冷たく長い指が拘束する。
 やんわりと支えられている程度に思っていたのだが、彼の手はどういうわけか離れてくれない。

「じっとして」

 三和土たたきに膝を突いた彼が、見透かすような眼差しで鈴花を見上げてくるので、目のやり場に困る。
 なんでこんなことになっているんだろう……と泣きたくなってくる。
 触れられることに羞恥を感じていても、嫌悪感は抱いていない自分が情けなくもあった。

「やっぱり怪我をしてるじゃないか。足の小指の爪が割れて血が出てる。これじゃあ、歩くのも辛かったんじゃないかい?」
「いえ、ちょっとジンジンするなぁとは思ってたんですけど……。たぶんさっき転んだ時できた傷ですね」

 怪我をしてからさほど歩いていないからか、痛みはほとんど感じなかったのだ。
 かがみ込んで爪先を見れば、確かに小指の爪は割れて血が滲んでいる。

「他にも靴擦れができているようだね。少し痛むかもしれないけれど、できるだけそっと洗うから少し我慢して」
「は、はい……」

 爪をこんなふうに割ったのは初めての鈴花は、傷を見て怖くなったのか夏々地の手を拒まなくなった。
 盥にためられていたのは熱くも冷たくもないぬるま湯で、傷の痛みも大して感じない。

「布で拭いてあげたいところだけど、布が爪に引っかかったら大変だ。悪いけれど、手で洗わせてもらうよ」

 なぜか楽しそうな声色で告げ、夏々地は鈴花の足に指を滑らせた。
 足の甲、それから踵、足の裏……、彼の指は躊躇いもなく肌を撫でる。
 くすぐったさと恥ずかしさと、何とも言い表しようもないザワザワとした感覚に、鈴花は顔を真っ赤にしながらもギュッと唇を噛んで堪えた。
 が、堪えられたのはそこまでだった。
 彼の指が、指の間に滑り込んだ瞬間、声にならない声が漏れた。
 腰のあたりを甘い痺れにも似た感覚がツキンと鋭く走り抜けたからだ。
「んっ!」
「痛かった?」

 真っ赤になる鈴花に、夏々地は心配そうに声をかける。
 彼女を見上げてくる目は清流のように澄んでいる。

 ――私ったら何を考えてるの! 夏々地さんはただ親切で洗ってくれてるだけなのに。

 妙なものを感じてしまった自分のはしたなさに自己嫌悪する。

「あ、いえ、大丈夫です。ごめんなさい。あの、やっぱり自分で……」
「ダメだと言ったろう? 僕に任せて君は休んでいて」

 男性に足を洗わせながら、のんびり休めるほど図太くはない。
 反論したかったものの、心の中で呟くだけだったのは、彼の指がまたしても彼女の足の指に絡んだからだ。
 またゾクゾクとした感覚が腰のあたりでたまっていく。
 感じないように、なにも感じないように……と、鈴花は目を瞑って堪えた。
 鈴花も夏々地もそれ以降口を開かず、ふたりの間には盥の中の湯がたてる暢気な音だけが響いた。

「これでいい。あとは部屋で傷の手当てをしよう」

 夏々地は、鈴花の足を手早く拭いて立ち上がった。

「このぶんだと足にも怪我をしていそうだから、あとで見せてね」
「大丈夫です。これ以上の怪我はないと思うので」

 これ以上触れられては恥ずかしすぎて死にそうだ。

「どうかなぁ。小指の爪を割っても『ちょっとジンジン』したなんて言う君のことだからね。信用できないなぁ」
「それは!」

 夏々地は意地悪そうな笑みを赤い唇に乗せた。

「君の怪我が心配だ。急いで移動しよう」

 言うなり、彼は鈴花の身体を抱き上げた。
 横抱きにされたのだと鈴花が理解する頃には、すでに広く長い廊下を音もなく進んでいる。

「自分で歩きますので下ろしてください」
「無理な相談だよ。足の怪我が余計酷くなったらどうするの? せっかく今は血が止まっているのに」

 呆れた口調で言われて、鈴花は『どうして!?』と心の中で叫んだ。
 彼の言い方はまるで聞き分けのない子どもに呆れつつも忍耐強く説明する人のそれだ。
 しかし鈴花の常識では、会ったばかりの男性に抱かれて運ばれるなどありえない状況だ。それをやめるようにお願いしてどこが悪いというのか。

「お願いします。ここまでしていただくわけにはいきません」
「君もなかなか強情だね。ダメだと言っているだろう。怪我人を目の前にして、傷が酷くなるようなことをさせられるか。分かったらおとなしくしていること」

 納得したわけではないが、今度は凄みのある目で冷ややかに睨まれて押し黙った。
 夏々地の美貌で睨まれると、とても怖ろしい。鈴花の背中を冷たい汗が流れ落ちた。

 ――何で夏々地さんはここまでしてくれるの? 少し過剰じゃない?

 親切にされるのはありがたい。
 一夜の宿を提供して貰えたのも、いくら感謝しても足りない。
 だが……。
 不信感が心の片隅に染みを作った。
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