5 / 12
短編集
雪、降る、降る
しおりを挟む
桜井櫻子様に捧ぐ。
Twitterで親しくしていただいている桜井さん(@bloodycage)から『臨恋の雪乃・雪の日の思い出』のお題をいただきました。
********************************************
昼頃からチラチラと舞いはじめた雪は、日が暮れる頃にはだいぶその勢いを増していた。真っ直ぐに伸びた街路樹の枝はすでにうっすらと綿帽子を被っている。
雪乃は和司の従兄がオーナーをつとめる店『リフージョ』へ向かって歩いていた。
真っ白なコートは膝丈で、その裾からチョコレートブラウンのスカートが見え隠れしている。いくら厚手のタイツとロングブーツを履いているとは言え、この天候では寒い。
服選びを間違ったかな、と言う思いが一瞬彼女の頭をよぎる。
が、しかしせっかく平日に和司と会えるのだから、少しぐらいやせ我慢したっていいじゃない、と思い直す。おしゃれは根性だ。
人々が行き来する歩道にはまだ雪は積もっていない。地面の熱か、それとも降り落ちるたびに誰かに踏みしだかれるせいか。
滑るのを気にしないで済むのは幸いとばかりに彼女は足早に歩いた。
息が切れるのも構わず、真っ直ぐ前を見て、サラサラの髪をなびかせて。
しかし、彼女に急ぐべき理由など何もなかった。
待ち合わせ時間に余裕をもって会社を退出しているのだから。ただ単に、はやる気持ちを紛らわすために足を動かしただけなのだ。
「少し早かったかな?」
リフージョの前で腕時計を見れば、驚くような速さで到着したようだ。
「新記録」
雪乃は一人苦笑いを浮かべた。
あれほど寒いと思っていたのに、いつの間にかだいぶ温まっていた。
予定通りに会社を出たと連絡があったので、もうそろそろ和司は駅に着くはずだ。
先に店に入っていていいと言われているけれど、雪乃は店のドアを開けることなく端に寄った。通行人にも店を出入りする人にも邪魔にならない場所で、彼を待つ。
待つのは嫌いじゃない。
だから、無理がないくらい少しの時間ならここで待っていたい。
雪乃は傘の柄をギュッと握り直した。
手袋をしていないむき出しの指は赤い。我慢できないほどではないが、かじかんで動きが鈍い。手が我慢できないほど痛くなったら、店に入ろうと決めた。
差した傘に落ちた雪はサラサラと小さな音を立てて滑る。
その音を聞きながら彼女は物思いにふけった。
まだ小さかった頃。
とめどもなく舞い落ちる雪がどこから生まれているのか不思議で仕方なかった。
じっと見ていたら雪が現れる瞬間が見えるんじゃないかと思って空を仰いだ。
頬に落ちかかる雪の冷たさに肩を竦め。
目に入ってきそうな怖さに目を細め。
それでもじっと顔を上げていれば、眩暈に似た浮遊感があった。
まるでどんどん自分が空に上がっていくような錯覚。
初めは面白かったのに、そのうち一人ぼっちな気がしてきて、怖くて俯いた。
けれど浮遊感がおさまればまた感じてみたくて上を向く。繰り返し、繰り返し空を見た。
あの懐かしい感覚。
今でもまだ感じられるのかな?
雪乃はそっと傘を閉じた。そうしてゆっくりと天を仰ぐ。
見上げた空は暗い。
が、しかし地上のネオンが照らしているからか、黒いと言うよりはグレーがかって見える。
そこから白い雪が舞い落ちてくるけれど、やっぱり雪の『始まり』は見えない。
舞い落ちてくる雪を頬に受ければ、懐かしい浮遊感。
あ、大人になっても変わらない──
それが嬉しくて、ひとり微笑を浮かべた。
空をどんどん上がっていく錯覚。それに身を任せられたのはほんの少しの間だった。
あまりに久々過ぎて体が感覚を忘れたようだ。バランスを取ろうとしても抑えられず体がふらつく。
酔っちゃいそうだから、もう終わりにしよ。
頭を戻そうと思った途端、視界が遮られた。
「何してるの、雪乃?」
雪と、雪乃を遮ったのはよく見知ったシルエット。
「か、か、和司さん!?」
「傘も差さないで。ほらこんなに冷えてる」
さかさまに彼女をのぞき込む和司は顔を顰めつつ、雪乃の頬を両手で包んだ。冷えた頬に彼の手の温もりは熱い。
「あったかーい」
「あったかーい、じゃないよ、もう。風邪ひくよ?」
背後から包み込むように雪乃の肩を抱いた。
背中に感じる大きな温もりにほっとした彼女は、そこでやっと和司も傘を差していないことに気づく。
「和司さんこそ傘は?」
「俺のことはいいの」
と自分を棚に上げる和司に、雪乃はかすかに眉根を寄せた。
更に問い詰めれば、「走るのに邪魔だったから」と、とんでもない答えが返ってきた。
目を丸くして何かを言おうとした雪乃を遮るように、和司が尋ねた。
「それより、どうして上を見ていたの? 何も変わったものは見えないんだけど」
「小さい頃──」
雪乃が答えると、彼は「ああ」と頷いた。
「俺もやったよ、それ。懐かしいなぁ」
言いながら空を仰いだ。つられて雪乃も上を向く。
どれだけ錯覚を覚えても、そこに孤独は感じない。
自分の肩を抱く大きな腕と、背中に感じるぬくもりはいつまでも消えないから。
-----------------
2016.8.29 再掲載にあたり加筆修正を加えました。
初出:2015.1.3 ぷらいべったー(フォロワー限定公開)
Twitterで親しくしていただいている桜井さん(@bloodycage)から『臨恋の雪乃・雪の日の思い出』のお題をいただきました。
********************************************
昼頃からチラチラと舞いはじめた雪は、日が暮れる頃にはだいぶその勢いを増していた。真っ直ぐに伸びた街路樹の枝はすでにうっすらと綿帽子を被っている。
雪乃は和司の従兄がオーナーをつとめる店『リフージョ』へ向かって歩いていた。
真っ白なコートは膝丈で、その裾からチョコレートブラウンのスカートが見え隠れしている。いくら厚手のタイツとロングブーツを履いているとは言え、この天候では寒い。
服選びを間違ったかな、と言う思いが一瞬彼女の頭をよぎる。
が、しかしせっかく平日に和司と会えるのだから、少しぐらいやせ我慢したっていいじゃない、と思い直す。おしゃれは根性だ。
人々が行き来する歩道にはまだ雪は積もっていない。地面の熱か、それとも降り落ちるたびに誰かに踏みしだかれるせいか。
滑るのを気にしないで済むのは幸いとばかりに彼女は足早に歩いた。
息が切れるのも構わず、真っ直ぐ前を見て、サラサラの髪をなびかせて。
しかし、彼女に急ぐべき理由など何もなかった。
待ち合わせ時間に余裕をもって会社を退出しているのだから。ただ単に、はやる気持ちを紛らわすために足を動かしただけなのだ。
「少し早かったかな?」
リフージョの前で腕時計を見れば、驚くような速さで到着したようだ。
「新記録」
雪乃は一人苦笑いを浮かべた。
あれほど寒いと思っていたのに、いつの間にかだいぶ温まっていた。
予定通りに会社を出たと連絡があったので、もうそろそろ和司は駅に着くはずだ。
先に店に入っていていいと言われているけれど、雪乃は店のドアを開けることなく端に寄った。通行人にも店を出入りする人にも邪魔にならない場所で、彼を待つ。
待つのは嫌いじゃない。
だから、無理がないくらい少しの時間ならここで待っていたい。
雪乃は傘の柄をギュッと握り直した。
手袋をしていないむき出しの指は赤い。我慢できないほどではないが、かじかんで動きが鈍い。手が我慢できないほど痛くなったら、店に入ろうと決めた。
差した傘に落ちた雪はサラサラと小さな音を立てて滑る。
その音を聞きながら彼女は物思いにふけった。
まだ小さかった頃。
とめどもなく舞い落ちる雪がどこから生まれているのか不思議で仕方なかった。
じっと見ていたら雪が現れる瞬間が見えるんじゃないかと思って空を仰いだ。
頬に落ちかかる雪の冷たさに肩を竦め。
目に入ってきそうな怖さに目を細め。
それでもじっと顔を上げていれば、眩暈に似た浮遊感があった。
まるでどんどん自分が空に上がっていくような錯覚。
初めは面白かったのに、そのうち一人ぼっちな気がしてきて、怖くて俯いた。
けれど浮遊感がおさまればまた感じてみたくて上を向く。繰り返し、繰り返し空を見た。
あの懐かしい感覚。
今でもまだ感じられるのかな?
雪乃はそっと傘を閉じた。そうしてゆっくりと天を仰ぐ。
見上げた空は暗い。
が、しかし地上のネオンが照らしているからか、黒いと言うよりはグレーがかって見える。
そこから白い雪が舞い落ちてくるけれど、やっぱり雪の『始まり』は見えない。
舞い落ちてくる雪を頬に受ければ、懐かしい浮遊感。
あ、大人になっても変わらない──
それが嬉しくて、ひとり微笑を浮かべた。
空をどんどん上がっていく錯覚。それに身を任せられたのはほんの少しの間だった。
あまりに久々過ぎて体が感覚を忘れたようだ。バランスを取ろうとしても抑えられず体がふらつく。
酔っちゃいそうだから、もう終わりにしよ。
頭を戻そうと思った途端、視界が遮られた。
「何してるの、雪乃?」
雪と、雪乃を遮ったのはよく見知ったシルエット。
「か、か、和司さん!?」
「傘も差さないで。ほらこんなに冷えてる」
さかさまに彼女をのぞき込む和司は顔を顰めつつ、雪乃の頬を両手で包んだ。冷えた頬に彼の手の温もりは熱い。
「あったかーい」
「あったかーい、じゃないよ、もう。風邪ひくよ?」
背後から包み込むように雪乃の肩を抱いた。
背中に感じる大きな温もりにほっとした彼女は、そこでやっと和司も傘を差していないことに気づく。
「和司さんこそ傘は?」
「俺のことはいいの」
と自分を棚に上げる和司に、雪乃はかすかに眉根を寄せた。
更に問い詰めれば、「走るのに邪魔だったから」と、とんでもない答えが返ってきた。
目を丸くして何かを言おうとした雪乃を遮るように、和司が尋ねた。
「それより、どうして上を見ていたの? 何も変わったものは見えないんだけど」
「小さい頃──」
雪乃が答えると、彼は「ああ」と頷いた。
「俺もやったよ、それ。懐かしいなぁ」
言いながら空を仰いだ。つられて雪乃も上を向く。
どれだけ錯覚を覚えても、そこに孤独は感じない。
自分の肩を抱く大きな腕と、背中に感じるぬくもりはいつまでも消えないから。
-----------------
2016.8.29 再掲載にあたり加筆修正を加えました。
初出:2015.1.3 ぷらいべったー(フォロワー限定公開)
0
お気に入りに追加
186
あなたにおすすめの小説
隠れ御曹司の愛に絡めとられて
海棠桔梗
恋愛
目が覚めたら、名前が何だったかさっぱり覚えていない男とベッドを共にしていた――
彼氏に浮気されて更になぜか自分の方が振られて「もう男なんていらない!」って思ってた矢先、強引に参加させられた合コンで出会った、やたら綺麗な顔の男。
古い雑居ビルの一室に住んでるくせに、持ってる腕時計は超高級品。
仕事は飲食店勤務――って、もしかしてホスト!?
チャラい男はお断り!
けれども彼の作る料理はどれも絶品で……
超大手商社 秘書課勤務
野村 亜矢(のむら あや)
29歳
特技:迷子
×
飲食店勤務(ホスト?)
名も知らぬ男
24歳
特技:家事?
「方向音痴・家事音痴の女」は「チャラいけれど家事は完璧な男」の愛に絡め取られて
もう逃げられない――
十年越しの溺愛は、指先に甘い星を降らす
和泉杏咲
恋愛
私は、もうすぐ結婚をする。
職場で知り合った上司とのスピード婚。
ワケアリなので結婚式はナシ。
けれど、指輪だけは買おうと2人で決めた。
物が手に入りさえすれば、どこでもよかったのに。
どうして私達は、あの店に入ってしまったのだろう。
その店の名前は「Bella stella(ベラ ステラ)」
春の空色の壁の小さなお店にいたのは、私がずっと忘れられない人だった。
「君が、そんな結婚をするなんて、俺がこのまま許せると思う?」
お願い。
今、そんなことを言わないで。
決心が鈍ってしまうから。
私の人生は、あの人に捧げると決めてしまったのだから。
⌒*。*゚*⌒*゚*。*⌒*。*゚*⌒* ゚*。*⌒*。*゚
東雲美空(28) 会社員 × 如月理玖(28) 有名ジュエリー作家
⌒*。*゚*⌒*゚*。*⌒*。*゚*⌒* ゚*。*⌒*。*゚
あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~
けいこ
恋愛
密かに想いを寄せていたあなたとのとろけるような一夜の出来事。
好きになってはいけない人とわかっていたのに…
夢のような時間がくれたこの大切な命。
保育士の仕事を懸命に頑張りながら、可愛い我が子の子育てに、1人で奔走する毎日。
なのに突然、あなたは私の前に現れた。
忘れようとしても決して忘れることなんて出来なかった、そんな愛おしい人との偶然の再会。
私の運命は…
ここからまた大きく動き出す。
九条グループ御曹司 副社長
九条 慶都(くじょう けいと) 31歳
×
化粧品メーカー itidouの長女 保育士
一堂 彩葉(いちどう いろは) 25歳
不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました
入海月子
恋愛
有本瑞希
仕事に燃える設計士 27歳
×
黒瀬諒
飄々として軽い一級建築士 35歳
女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。
彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。
ある日、同僚のミスが発覚して――。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
副社長氏の一途な恋~執心が結んだ授かり婚~
真木
恋愛
相原麻衣子は、冷たく見えて情に厚い。彼女がいつも衝突ばかりしている、同期の「副社長氏」反田晃を想っているのは秘密だ。麻衣子はある日、晃と一夜を過ごした後、姿をくらます。数年後、晃はミス・アイハラという女性が小さな男の子の手を引いて暮らしているのを知って……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる