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第十七話 己の不甲斐なさに腹を立てます。

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 町に到着したのは日が落ちてそう間もない頃合いだった。
 空にはまだ残照が残っており、しかし、東では一番星が輝いている。
 その宵闇の中、エドガルトはあれこれと五人の護衛たちにあれこれと指示を出す。
 が、その間もファーナの腰を片腕で抱き寄せたままだ。
 逃げられるのを警戒しているようにも、ようやく会えたのだから片時も離れたくないと思っているようにも見えるが、果たしてどちらなのか、表情からうかがい知ることはできない。

「疲れているだろうけど、もうちょっと待ってね。念のため、準備を整えておきたいんだ。魔物は滅多に人の住む村や町を襲ったりしない。けれど、今夜は何が起きるかわからないから」
「ありがとうございます。それから……ごめんなさい」
「君が謝る必要はないよ」

 エドガルトが言うように、魔物はほとんど人を襲ったりしない。
 人を襲えば反撃に遭う確率が高く、そのぐらいなら森の動物や鳥、そして家畜を襲った方が遙かに安全で楽だと学んでいるからだ。
 また、人が集い町や村を形成すると、魔物など人を害するものを排除する結界が自然に生じる。そうしてできた結界の威力はたいしたことはない。しかし魔物が不愉快だと思う程度の力はある。そんなものに触れて痛い思いをするよりも、群れから離れた人間を襲った方が効率がいい。
 だが、今日は違う。
 どうやら今のファーナは、魔物たちからすると特別なものらしい。
 まだニャーから『王妃の呪い』がなんであるか聞き出してはいないが、ニャーの態度から類推すれば一目瞭然だ。
 もしかしたら魔物の襲撃があるかもしれない。
 そう考えて一行は宿屋に部屋を取るのではなく、町の外れ、少しはなれた場所に放置されていた空き家を借りることにしたのだ。
 ちょうど町に入ってすぐにこの空き家を見かけ、持ち主を探したところこちらもまたすぐに見つけられた。

「ちょうどいい空き家が見つかってよかったよ」

 明るく笑うエドガルトに、ファーナはこくりと頷いた。

「本当に。これだけ他の民家から離れていれば、安心ですね。それにしても立派なお屋敷ですが、どうして誰も住まないのでしょう? もったいない気がします」

 空き家、というにはいささか大きい。どちらかと言えば屋敷と言ったほうが正しいだろう。
 ファーナとエドガルトはその屋敷を真正面から眺められる位置に立ち、夕闇に沈む屋敷を眺めていた。
 家の持ち主はすぐに判明し、一晩借りる了解も得たのだが、その後が少し手間取っていた。
 長年手入れをされていなかったため埃が積もり、そのままでは到底寝られない。
 ツェラとトーニを筆頭に、手の空いている者たちで大掃除の真っ最中なのだ。
 ファーナも手伝いたかったのだが、かえって邪魔になるのではと思うと、手伝うとも言い出しにくかった。
 手持ち無沙汰になっていたファーナとエドガルトは「掃除中は埃が立ちますので」と、外に追い出されてしまった。

「さすが君の侍女だ。ツェラもトーニも仕事が早いし、指示も的確だ。このぶんで鍛えてもらったらうちの護衛たちは掃除人としてもやっていけそうだ」
「ふたりとも私には勿体ないほど優秀な侍女ですから」

 自分が褒められたように誇らしく、ファーナはうつむきながら口の端に微笑みを刻んだ。

「ああ、見回りに出ていた護衛たちが戻ってきたみたいだ」

 エドガルトが言うのとほぼ同時に、ファーナの耳にもふたりぶんの足音が聞こえてきた。

「エドガルト様」
「おかえり。なにか異常は?」
「ありませんでした。例のものもご指示通りに配置して参りました」
 「ご苦労だったね」

 護衛の答えに、エドガルトは鷹揚に頷いた。

「さて、ファーナ。ちょっと手を離すけれど、逃げちゃだめだよ? 危ないからそばにいてね」
「逃げたり……しません」

 歯切れの悪い答えになったのは、逃亡の前科があるからだ。

「なにをなさるのですか?」
「うん。護衛たちに頼んで、見回りがてら、結界の礎になる水晶を家の周りに置いてきてもらったんだ。これから家の周りに結界を張る」

 エドガルトは肩越しに振り返ってファーナに説明し、また正面へと向き直る。

これなるは聖域ヒーク・サンクトゥアーリアム邪悪は疾く去るマレフィクス・フゲレ

 胸の前で、水をすくうように合わせた両手が、ぽうっと光った。それらは、呪文を唱え終わるや否や、七つの光に分かれて飛び去りった。
 光は飛び去った先で一筋の光になり空へとのびた。はじめはまっすぐであった光は徐々に弧を描き、しまいには屋敷の上空で一つにむずばれた。
 まるで屋敷を半円形のかごが覆ったみたいだ。光はキラキラと、宵闇に美しく輝く。

「綺麗……」

 ファーナがぽつりとつぶやいた途端、光はふっとかき消えてしまった。

「はい、完了。なかなか綺麗だったでしょう? ファーナが見てくれてるから、いつもより張り切ってキラキラさせてみたよ」

 褒めてほしいと言わんばかりの口調に、ファーナはぷっと噴き出した。

「エドガルト様ったら! ――はい、とても綺麗でした」
「僕、結界は得意なんだ。今度はもっと凝ったものを張るから楽しみにしててね。今日は美しさよりも実益を取ったからちょっと質素」

 残念そうに言うエドガルトに、ファーナは目を丸くした。
 結界にそんな美醜があるとは思ってもいなかったのだが、魔法使いの間では美しさを競ったりするのが普通なのだろうか? と。

「そうそう。言い忘れてたけど、この屋敷ね、誰も住まないのは幽霊屋敷だからだって」
「え!?」

 あっけらかんと言うが、それは紛れもなく爆弾発言だ。
 魔物から逃げるために、幽霊のもとに飛び込むなんて!
 ファーナは顔を青ざめさせた。

「ゆ、ゆ、幽霊、ですか? それは、どういった……いえ、それよりも、その幽霊というのは害はないのでしょうか?」
「あ、うん。全然大丈夫。いま結界張ったでしょ? 消滅させてはいないと思うけど、結界を解除するまで出ては来られないだろうね」
「よかった……! それを聞いて安心しました」

 事情もわからないのにむやみやたらに消滅させるのよくないと思うし、反面、幽霊に遭遇するのは避けたい。そんな恐ろしい目には遭いたくない!
 ファーナはほうっと安堵のため息をつき、胸をなで下ろした。

「――いまの話、ツェラには絶対内緒にしてくださいね。あの子とても怖がりなので」
「うん。わかった。言わない。確かにあの子、怖がりだよね」

 エドガルトはくすりと思い出し笑いをした。ギィに対するツェラの怖がりようを思い出してのことだ。使い魔になったから襲ったりしないとは言っているが、彼女はまだ半信半疑のようだ
 しかも、ツェラの反応を楽しんでいるのか、ギィは彼女にちょっかいをかけるのだ。
 度が過ぎるようならギィに釘をさして置かないとならないと思うが、もう少し様子を見たいとも思っている。
 同じ魔物でも、外見が愛らしいニャーに対しては反応が幾分か甘いのが、幸いだ。
 ツェラは優秀なようだし、ファーナの信頼も厚い。これからも侍女を続けてほしいと思うがそれにはまず、エドガルトの使い魔に慣れてもらわねば話にならないのだ。
 エドガルトはファーナと離れるつもりなどないのだから。

「ねぇ、ファーナ。僕の愛は変わらないよ。変わるわけがないんだ」

 唐突な言葉に、ファーナはびくりと肩をこわばらせた。

「それは……」

 なんと答えていいかわからず、視線をさまよわせる。
 うつむいていても、エドガルトが自分をじっと見つめている気配を感じる。
 どうしよう。
 困惑するファーナの耳に、遠くからツェラの声が聞こえてきた。

「トーニ! そっちは終わった? ――了解! じゃあ、私、姫様とエドガルト様にお知らせしてくるから!」

 明るく元気なツェラの声に、ファーナは安堵した。

「エドガルト様、掃除が終わったようですわ。参りましょう」

 エドガルトの脇をそそくさとすり抜けようとした。
 が――――

「待って、ファーナ」

 すり抜けざま、ファーナは手首を捕まれてしまった。
 大きく熱い手。その熱が、冷えた彼女の肌へじわりと移る。

「あとでゆっくり話をしよう。ただ、これだけは覚えておいて。僕は君を愛している。たとえなにがあろうとそれは変わらない。君が信じてくれなくても、それが事実だ。いいね?」

 言い終わると、エドガルトはあっさりと手を離した。
 真摯なようで、強引で、でもどこか焦りをにじませた声。呆然とするファーナの耳に刻むように染み渡った。

「さて、じゃあ中に入ろうか。さっきは早々に追い出されてしまったから、中がどうなっているのか全然見えなかったよね。持ち主は大階段にかかっている絵が自慢だと言っていたから、ふたりで鑑賞しようか」

 まるでいまの告白などなかったかのような、明るい声音だ。
 まだ気持ちを切り替えられないでいるファーナの腰を抱き、エドガルトは「行こう」と再度促す。
 気乗りはしないがいつまでも突っ立っているわけにはいかない。
 ファーナは腰を抱かれたまま、屋敷へ向かって一歩を踏み出した。

 ――エドガルト様は『あとでゆっくり話をしよう』とおっしゃったわ。  あとでって今夜かしら?

 自分の踏み出す一歩が、その『あとで』に近づくようで気が重かった。
 が、いつまでも避けてはいられないと言うこともわかっている。
 わかっているものの、打ち明ける勇気がまだ出ないのだ。
 彼の言葉を信じられない不甲斐なさ、嫌われても仕方ないと思い切れない弱さ、うじうじと悩み続ける自分がファーナはとても腹立たしかった。
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