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第一話 進退窮まり、逃亡します。
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「ファーナ様! 国王陛下とエドガルト王子の交渉は決裂いたしました!」
部屋へ駆け込んできた侍女のツェラが、荒い息の下から告げる。
ファーナの父であるエーレヴァルト国王アザールと、隣国グランツヤーデの第二王子エドガルトの話し合いが持たれていたのは、国王の執務室だ。
ファーナの私室からはかなり遠い。その距離を全力疾走してきたのだろう。報告を終えるとツェラはその場に、へなへなと座り込んでしまった。
「報告ありがとう」
言いながらファーナはツェラの腕を取り、抱き起す。
「姫様! 私になど構わず、お早く」
「ええ、わかっているわ。でも、あなたを助け起こすくらいの余裕はあるでしょう?」
恐縮するツェラをソファに座らせ、グラスに水差しの水を注ぎ、彼女に渡す。
「姫様!」
急いたように声を荒げるツェラの顔は、焦りのせいか、はたまた走りすぎたせいか、蒼白になっている。
そんな彼女を置いていかねばならないと思うと胸が潰れそうだったが、だからと言って一緒にいるわけにもいかない。
「わかったわ。あとは任せました。――二日後、例の場所で合流しましょう」
「はい、ファーナ様。どうかご無事で」
「あなたも」
ファーナは体を起こすと、外套を羽織った。地味な色合いのそれが、王女の証ともいえる豪華なドレスを覆い隠す。
フードを被ってしまえば、誰も彼女の正体に気付きはしまい。
侍女の間で流行っているデザインでもあるし、きっと侍女がこれからお使いにでるところだとでも思ってくれるに違いない。
「ファーナ様。エドガルト様は一目で、影武者を見破りました。どうか遠目にもエドガルト様とお会いなさいませんように」
「気を付けるわ」
エドガルトはもともとカンの鋭い少年だった。魔術学院で魔法使いとしての勉学に励んだ今、そのくらいのことをしてのけても、なんの不思議もない。
万が一にも彼に姿を見られないように、城を脱出せねば、とファーナは改めて心に誓った。
フードを被り際、壁に掛けた鏡に顔が映り、ファーナはふと手を止めて顔を上げた。
鏡の中の自分と目が合う。
――誰がこんな化け物と結婚したいと思うものか。
ファーナは深々と嘆息した。
(嫌われるに決まってる)
物思いにふけりそうになるのをどうにか押し込めて、彼女は頭を左右に振った。
鏡の中の彼女も同じように首を左右に振る。
(ぼんやり感傷に浸ってる暇なんてないわ。婚約解消も失敗したのだから、早く逃げ出さなければ!)
いくらエドガルトが婚約解消に承諾しなくても、ファーナがいなければ結婚することはできない。
それで諦めてくれればいいと思う。
残念なことにファーナに姉妹はいないが、従姉妹ならいる。今日ファーナの影武者をつとめてくれたのも従姉妹で同い年のアンネリーだ。
彼女は教養も度胸もあり、しかも優しい性格だ。王弟の娘で、家柄も申し分ない。彼女と婚約しなおしてくれればいい。そうすればエーレヴァルト、グランツヤーデ両国の面目が潰れることもないだろう。
(本当はこの顔を見せれば一発で婚約解消できるだろうけれど……)
それだけはしたくなかった。
幼いころから婚約者だった彼とは過去に何度も顔を合わせたし、年端もいかない子どもの頃は一緒に遊びもした。
ファーナにとって彼との思い出は宝物だ。
日陰でひっそりと生きていくしかないとこれからの人生をそう諦めている彼女が、唯一手放せないと思う物。
しかし、この顔を晒してエドガルトに嫌われてしまったら、きらきらしい宝は粉々に砕け散ってしまうだろう。
それが怖くてファーナは彼と顔を合わせられなかったし、父王アザールも影武者を立てることを許したのだ。
(ごめんなさい、エドガルト様)
脳裏に浮かぶのは半年前に見た彼の姿だ。きらきらと光を弾く金の髪に、翡翠を思わせる明るい緑の目、自分に向けられる屈託のない笑顔。
あの日に戻れたらいいと、胃の底が焼けるほど強く思う。
けれど、どんなに強く願っても時が戻るわけもない。
(私のことなど忘れて、どうかお幸せに)
心の中で呟くと、ファーナはフードを目深にかぶった。
そうして、蜥蜴とも蛇ともつかぬ奇怪な容貌を隠し、音も立てずに部屋を出たのだった。
部屋へ駆け込んできた侍女のツェラが、荒い息の下から告げる。
ファーナの父であるエーレヴァルト国王アザールと、隣国グランツヤーデの第二王子エドガルトの話し合いが持たれていたのは、国王の執務室だ。
ファーナの私室からはかなり遠い。その距離を全力疾走してきたのだろう。報告を終えるとツェラはその場に、へなへなと座り込んでしまった。
「報告ありがとう」
言いながらファーナはツェラの腕を取り、抱き起す。
「姫様! 私になど構わず、お早く」
「ええ、わかっているわ。でも、あなたを助け起こすくらいの余裕はあるでしょう?」
恐縮するツェラをソファに座らせ、グラスに水差しの水を注ぎ、彼女に渡す。
「姫様!」
急いたように声を荒げるツェラの顔は、焦りのせいか、はたまた走りすぎたせいか、蒼白になっている。
そんな彼女を置いていかねばならないと思うと胸が潰れそうだったが、だからと言って一緒にいるわけにもいかない。
「わかったわ。あとは任せました。――二日後、例の場所で合流しましょう」
「はい、ファーナ様。どうかご無事で」
「あなたも」
ファーナは体を起こすと、外套を羽織った。地味な色合いのそれが、王女の証ともいえる豪華なドレスを覆い隠す。
フードを被ってしまえば、誰も彼女の正体に気付きはしまい。
侍女の間で流行っているデザインでもあるし、きっと侍女がこれからお使いにでるところだとでも思ってくれるに違いない。
「ファーナ様。エドガルト様は一目で、影武者を見破りました。どうか遠目にもエドガルト様とお会いなさいませんように」
「気を付けるわ」
エドガルトはもともとカンの鋭い少年だった。魔術学院で魔法使いとしての勉学に励んだ今、そのくらいのことをしてのけても、なんの不思議もない。
万が一にも彼に姿を見られないように、城を脱出せねば、とファーナは改めて心に誓った。
フードを被り際、壁に掛けた鏡に顔が映り、ファーナはふと手を止めて顔を上げた。
鏡の中の自分と目が合う。
――誰がこんな化け物と結婚したいと思うものか。
ファーナは深々と嘆息した。
(嫌われるに決まってる)
物思いにふけりそうになるのをどうにか押し込めて、彼女は頭を左右に振った。
鏡の中の彼女も同じように首を左右に振る。
(ぼんやり感傷に浸ってる暇なんてないわ。婚約解消も失敗したのだから、早く逃げ出さなければ!)
いくらエドガルトが婚約解消に承諾しなくても、ファーナがいなければ結婚することはできない。
それで諦めてくれればいいと思う。
残念なことにファーナに姉妹はいないが、従姉妹ならいる。今日ファーナの影武者をつとめてくれたのも従姉妹で同い年のアンネリーだ。
彼女は教養も度胸もあり、しかも優しい性格だ。王弟の娘で、家柄も申し分ない。彼女と婚約しなおしてくれればいい。そうすればエーレヴァルト、グランツヤーデ両国の面目が潰れることもないだろう。
(本当はこの顔を見せれば一発で婚約解消できるだろうけれど……)
それだけはしたくなかった。
幼いころから婚約者だった彼とは過去に何度も顔を合わせたし、年端もいかない子どもの頃は一緒に遊びもした。
ファーナにとって彼との思い出は宝物だ。
日陰でひっそりと生きていくしかないとこれからの人生をそう諦めている彼女が、唯一手放せないと思う物。
しかし、この顔を晒してエドガルトに嫌われてしまったら、きらきらしい宝は粉々に砕け散ってしまうだろう。
それが怖くてファーナは彼と顔を合わせられなかったし、父王アザールも影武者を立てることを許したのだ。
(ごめんなさい、エドガルト様)
脳裏に浮かぶのは半年前に見た彼の姿だ。きらきらと光を弾く金の髪に、翡翠を思わせる明るい緑の目、自分に向けられる屈託のない笑顔。
あの日に戻れたらいいと、胃の底が焼けるほど強く思う。
けれど、どんなに強く願っても時が戻るわけもない。
(私のことなど忘れて、どうかお幸せに)
心の中で呟くと、ファーナはフードを目深にかぶった。
そうして、蜥蜴とも蛇ともつかぬ奇怪な容貌を隠し、音も立てずに部屋を出たのだった。
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