上 下
1 / 34

第一話 進退窮まり、逃亡します。

しおりを挟む
「ファーナ様! 国王陛下とエドガルト王子の交渉は決裂いたしました!」

 部屋へ駆け込んできた侍女のツェラが、荒い息の下から告げる。
 ファーナの父であるエーレヴァルト国王アザールと、隣国グランツヤーデの第二王子エドガルトの話し合いが持たれていたのは、国王の執務室だ。
 ファーナの私室からはかなり遠い。その距離を全力疾走してきたのだろう。報告を終えるとツェラはその場に、へなへなと座り込んでしまった。

「報告ありがとう」

 言いながらファーナはツェラの腕を取り、抱き起す。

「姫様! 私になど構わず、お早く」
「ええ、わかっているわ。でも、あなたを助け起こすくらいの余裕はあるでしょう?」

 恐縮するツェラをソファに座らせ、グラスに水差しの水を注ぎ、彼女に渡す。

「姫様!」

 急いたように声を荒げるツェラの顔は、焦りのせいか、はたまた走りすぎたせいか、蒼白になっている。
 そんな彼女を置いていかねばならないと思うと胸が潰れそうだったが、だからと言って一緒にいるわけにもいかない。

「わかったわ。あとは任せました。――二日後、例の場所で合流しましょう」
「はい、ファーナ様。どうかご無事で」
「あなたも」

 ファーナは体を起こすと、外套を羽織った。地味な色合いのそれが、王女の証ともいえる豪華なドレスを覆い隠す。
 フードを被ってしまえば、誰も彼女の正体に気付きはしまい。
 侍女の間で流行っているデザインでもあるし、きっと侍女がこれからお使いにでるところだとでも思ってくれるに違いない。

「ファーナ様。エドガルト様は一目で、影武者を見破りました。どうか遠目にもエドガルト様とお会いなさいませんように」
「気を付けるわ」

 エドガルトはもともとカンの鋭い少年だった。魔術学院で魔法使いとしての勉学に励んだ今、そのくらいのことをしてのけても、なんの不思議もない。
 万が一にも彼に姿を見られないように、城を脱出せねば、とファーナは改めて心に誓った。
 フードを被り際、壁に掛けた鏡に顔が映り、ファーナはふと手を止めて顔を上げた。
 鏡の中の自分と目が合う。

 ――誰がこんな化け物と結婚したいと思うものか。

 ファーナは深々と嘆息した。

(嫌われるに決まってる)

 物思いにふけりそうになるのをどうにか押し込めて、彼女は頭を左右に振った。
 鏡の中の彼女も同じように首を左右に振る。

(ぼんやり感傷に浸ってる暇なんてないわ。婚約解消も失敗したのだから、早く逃げ出さなければ!)

 いくらエドガルトが婚約解消に承諾しなくても、ファーナがいなければ結婚することはできない。
 それで諦めてくれればいいと思う。
 残念なことにファーナに姉妹はいないが、従姉妹ならいる。今日ファーナの影武者をつとめてくれたのも従姉妹で同い年のアンネリーだ。
 彼女は教養も度胸もあり、しかも優しい性格だ。王弟の娘で、家柄も申し分ない。彼女と婚約しなおしてくれればいい。そうすればエーレヴァルト、グランツヤーデ両国の面目が潰れることもないだろう。

(本当はこの顔を見せれば一発で婚約解消できるだろうけれど……)

 それだけはしたくなかった。
 幼いころから婚約者だった彼とは過去に何度も顔を合わせたし、年端もいかない子どもの頃は一緒に遊びもした。
 ファーナにとって彼との思い出は宝物だ。
 日陰でひっそりと生きていくしかないとこれからの人生をそう諦めている彼女が、唯一手放せないと思う物。
 しかし、この顔を晒してエドガルトに嫌われてしまったら、きらきらしい宝は粉々に砕け散ってしまうだろう。
 それが怖くてファーナは彼と顔を合わせられなかったし、父王アザールも影武者を立てることを許したのだ。

(ごめんなさい、エドガルト様)

 脳裏に浮かぶのは半年前に見た彼の姿だ。きらきらと光を弾く金の髪に、翡翠を思わせる明るい緑の目、自分に向けられる屈託のない笑顔。
 あの日に戻れたらいいと、胃の底が焼けるほど強く思う。
 けれど、どんなに強く願っても時が戻るわけもない。

(私のことなど忘れて、どうかお幸せに)

 心の中で呟くと、ファーナはフードを目深にかぶった。
 そうして、蜥蜴とも蛇ともつかぬ奇怪な容貌を隠し、音も立てずに部屋を出たのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。

とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」 成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。 「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」 ********************************************        ATTENTION ******************************************** *世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。 *いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。 *R-15は保険です。

あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます

おぜいくと
恋愛
「あなたの秘密を知ってしまったから私は消えます。さようなら」 そう書き残してエアリーはいなくなった…… 緑豊かな高原地帯にあるデニスミール王国の王子ロイスは、来月にエアリーと結婚式を挙げる予定だった。エアリーは隣国アーランドの王女で、元々は政略結婚が目的で引き合わされたのだが、誰にでも平等に接するエアリーの姿勢や穢れを知らない澄んだ目に俺は惹かれた。俺はエアリーに素直な気持ちを伝え、王家に代々伝わる指輪を渡した。エアリーはとても喜んでくれた。俺は早めにエアリーを呼び寄せた。デニスミールでの暮らしに慣れてほしかったからだ。初めは人見知りを発揮していたエアリーだったが、次第に打ち解けていった。 そう思っていたのに。 エアリーは突然姿を消した。俺が渡した指輪を置いて…… ※ストーリーは、ロイスとエアリーそれぞれの視点で交互に進みます。

別れてくれない夫は、私を愛していない

abang
恋愛
「私と別れて下さい」 「嫌だ、君と別れる気はない」 誕生パーティー、結婚記念日、大切な約束の日まで…… 彼の大切な幼馴染の「セレン」はいつも彼を連れ去ってしまう。 「ごめん、セレンが怪我をしたらしい」 「セレンが熱が出たと……」 そんなに大切ならば、彼女を妻にすれば良かったのでは? ふと過ぎったその考えに私の妻としての限界に気付いた。 その日から始まる、私を愛さない夫と愛してるからこそ限界な妻の離婚攻防戦。 「あなた、お願いだから別れて頂戴」 「絶対に、別れない」

不倫をしている私ですが、妻を愛しています。

ふまさ
恋愛
「──それをあなたが言うの?」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

裏切りの代償

志波 連
恋愛
伯爵令嬢であるキャンディは婚約者ニックの浮気を知り、婚約解消を願い出るが1年間の再教育を施すというニックの父親の言葉に願いを取り下げ、家出を決行した。 家庭教師という職を得て充実した日々を送るキャンディの前に父親が現れた。 連れ帰られ無理やりニックと結婚させられたキャンディだったが、子供もできてこれも人生だと思い直し、ニックの妻として人生を全うしようとする。 しかしある日ニックが浮気をしていることをしり、我慢の限界を迎えたキャンディは、友人の手を借りながら人生を切り開いていくのだった。 他サイトでも掲載しています。 R15を保険で追加しました。 表紙は写真AC様よりダウンロードしました。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

処理中です...