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第三章 この国に来た頃まで戻って

67 これでいいんだ

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ホゼが元気に階段を降りる音が遠ざかる。


いつも通りの行動だからきっとホゼは慣れてるんだろうけど、危ないから階段を走ったら駄目だよって、後で言わなきゃ。

もしうっかり、たまたま足を踏み外したら……怖いから。

見掛けたタイミングで注意する方が、本当はいいのかも知れないけど。

階段を駆け降りてる状態の小さな子供に声を掛けるのは、それはそれで、ビックリさせちゃったら危ないから。だから、後でね。


ちょっと気に掛かりながら僕は寝間着を脱いで、仕事着シャツに腕を通した。

宿屋の従業員には制服が用意されてるんだ。

薄い茶色のシャツと、深い緑色のチョッキ。同じ色のズボン。

仕事中に汚れるのは当たり前だからって、替えの分もあるのが有難い。



朝。昼。夕方。……それぞれの食事時に。

食堂のホールでお客さんを席に案内したり、食事が終わった席を片付けたり、注文を取ったりするのが僕の仕事。

食堂が酒場に変わる夜の時間帯は、もう僕は働き終わってる時間だ。


僕は未成年じゃないんだし、酒場で働いても構わないと思うんだけど。

酔っ払いの相手をするのは食堂でもっと接客経験を積んでから、だそうで。

でもきっと、気を遣ってくれてるんだろうなって。僕は思う。




着替えを済ませて、身支度を整えて。

階段を降りたら、従業員等出入口から建物の外へ出た。

宿屋の裏側の、建物が引っ込んだ場所にある水場で顔を洗ってから、厨房に入る。


「おはようございます。」

「おう、おはようさん。」

宿泊客に提供する朝食の準備で、コック達は僕より朝が早い。

僕が厨房に入ったのは調理の手伝い……じゃなくて。厨房の奥の休憩スペースで、従業員用のまかない朝食をいただくためだ。


挨拶しながら奥へと進む僕を、厨房のリーダーが呼び止めた。

リーダーが言うには、夜中に熱を出した従業員がいたらしくて。他の従業員も付き添いで病院に行った、って関係もあって、今日は人が少ないみたい。


「悪いんだが今日、ホールの人数が足りん。フォローよろしく頼む。」

「はい、もちろんです。それじゃあ、急いで食べて来ますね。」

「大丈夫だ、まだ客が食べに来る時間じゃないから慌てなくてもいいぞ。」

サラッとそう言ってリーダーは仕事に戻って行った。


急に人数が足りなくなって、忙しくなったのに。

同じ職場の人を必要以上に急かしたり、苛立ちをぶつけたりしない。

リーダーだけじゃなく、他の従業員もそう。

隣国から転がり込んで来た僕だけど、職場の仲間として普通に接してくれて。

今日みたいに忙しい日に、僕を戦力として考えてくれてるのが嬉しい。


慌てなくていいって言われたけど。

心持ち急ぎながら僕は、よ~し頑張るぞ、って内心で気合を入れた。




   ◇   ◇   ◇



そんなこんなで、僕は日々を宿屋で働いて過ごした。


学園の受験日は来週に迫ってる。……って、もう関係無いよ。

今回は入学しないって、自分で決めたでしょ。

ここで、このまま。学園に入学するまでの間、じゃなくて。ずっと雇って貰えるって話に、なったんだから。

今さら受験したいなんて、そんなこと言ってどうするの。

特に今回は、受験勉強なんか全然してないんだから。

いくら前回までの経験があるからって、ちゃんと復習とかやっておかないと。使わない知識や学力は、放っておいたら衰える一方なんだから。

特待生になれるような、優秀な成績じゃないと、エドゥアルド王子殿下だって……。


……あっ、もう! だめだめっ!

なんでまた声を掛けて貰えるかどうか考えてるのっ。

ずっと彼のことを考えてるわけじゃないのに。ふとした拍子に、何のきっかけも無いのに、頭に浮かんじゃうんだから。

なんだか染み付いてるみたいで、自分でも嫌になっちゃうね。

はい、おしまい。もう……おしまい。




「……ところでユアさん。学園は、いいのかい?」

宿屋の経営者であり、ホゼの父親の、ルメンさんに言われてしまった。

僕が入学試験を受けないこと、ルメンさんは気にしてくれてたみたい。


お昼の仕事も終わって、休憩時間。

厨房の奥で、ホゼと一緒にオヤツを食べているときだった。


「っは…い。もともと学園に入ろうと考えたのは、知り合いのいないこの国で働くなら、学園を卒業しておくのがいいだろうって。そういう考えだったんです。在学中に知り合う人から、どこか紹介して貰ったり、とか。」

「……そうかい?」

「はい。今は良い職場で働けてるので、学園に通って就職先を探す必要が無くなったんです。本当に有難うございます、ルメンさん。」

返事の第一声はちょっとだけ詰まってしまったけど、概ね考えてた通りに言えた。

ルメンさんは少し思案顔で、それでも、「ユアさんが納得してるならいいんだ」と言って微笑んだ。


「それに、入学したら学生寮で暮らさなきゃいけなくなるので…」

「そんなのダメぇ、ゆあ、おうち、出てっちゃヤぁだぁ~っ。」


僕が受験しないことを。学生寮に入らないことを、ホゼは喜んでたから。

不穏な空気でも感じ取った、かな?


頬を膨らませたホゼがぶんぶんと腕を振り回す。

本人的には大抗議してるんだろうけど、ただただ可愛らしい動作になってる。


なんだか年の離れた弟みたいだね。



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